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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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斯波義統 些末 中編

 父義達の跡を継いで守護になった斯波義統。しかし実態は傀儡でありお飾りの守護として君臨することになる。尤も義統はそれを気にしない。ただ流されるがままに生きることが自分の家を守ることなのだから。

 天文元年(一五三二)この年に尾張で戦があった。争ったのは守護代の織田達勝と清州三奉行の一人であった織田信秀である。

 義統にとっては家臣同士の戦いであるが戦いを止められるような立場ではない。従って経過だけ見守っていた。そして戦いは両者の講和という形で終わる。その報告を義統は達勝から聞いた。

「これ以上の諍いは尾張の為にならんということで双方矛を収めることにしました」

「そうか。しかし対等の講和とは…… よいのか? 」

 結果から見れば達勝は家臣と講和したことになる。見ようによっては不名誉なことのようにも見えた。

 達勝もそこは気にしているようである。しかしそれ以上に信秀の手腕を認めているようだった。

「仕方ありません。あの織田信秀という男。ただ物ではありません」

「ほう。そうか」

「あれほどの男なら和して活かすことを考えた方が最善です」

 どこかしら達勝は感心したように言った。しかし義統にはピンとこない話である。

「(所詮私は傀儡だ)」

 義統はそう考えていた。しかしそんな考えを吹き飛ばす事態が起きる。


 達勝と信秀の講和の翌年の天文二年(一五三三)の七月に信秀は居城の勝幡城で蹴鞠の会を開いた。この蹴鞠の会には京より蹴鞠の宗家を招き、山科言継などの公卿も招いた盛大なものである。

 この会の少し前に義統と達勝のもとに信秀からこんな連絡が来た。

「勝幡にて蹴鞠の会を開きたく思います。この会には京より蹴鞠の宗家の方々をはじめ多くの貴人を呼ぶつもりです。せっかくなので勝幡の会が終わりましたら清州でも会を開くつもりです。諸事の金子は我らで負担しますのでどうでしょうか」

 この連絡に以外にも達勝は乗り気であった。

「我らの名を高める良い機にございます」

 我らといっているが京の公卿をもてなして上がるのは達勝の名であろう。尤もそれをいまさら気にする義統ではない。

「好きにせよ」

 ここで拒否しても結局実行することになる。そいう言う投げやりな気持ちで義統は言った。

 こうして勝幡での会の後、清州でも蹴鞠の会が開かれた。もちろん達勝は出席するし義統もお飾りであるがゆえに、こういう対外的なことには出席せざる負えない。しかしそこで義統が目撃したのは驚くべき光景であった。

「なんと見事な」

 この会で公家たちはもちろん義統や達勝も賓客としてもてなされた。そのもてなしは贅を凝らした見事なものである。しかもそれだけでなく万事行き届いたもてなしもされた。

「織田信秀とは心遣いのできる者のようだな」

 感嘆する義統。何せ働いている信秀の手の者たちは傀儡である義統にもちゃんと守護としての礼を払っていた。義統も最初は驚いたがちゃんと礼を尽くされれば気分もいい。

 一方の達勝は驚きの方が勝っているようだった。

「ここまでできる財に万事行き届いたもてなし。信秀め。戦だけの男ではないということか」

 達勝は信秀を利用できる男だと考えていたがそれはいままで武力の面であった。だが今回の手配りを見る限りそれだけではないというのは一目瞭然である。

 こうして義統達は信秀の見事なもてなしに感嘆するのであった。そして蹴鞠の会が完璧な終わり方をした後日、義統は信秀を清州に呼び出す。これは義統の意思によるものだ。

 義統は平伏する信秀に興奮気味に言った。

「先日は諸事見事であった。面を上げよ」

 普段消極的で大人しい義統からは考えられない雰囲気である。そばにいる達勝も驚いているようであった。

 義統の言葉に対して信秀は顔をあげる。その面立ちは意外なほど柔和であるが立派な髭が生えている。不思議とそれらが調和していて勇猛さと知性を併せ持つ風貌にしていた。しかし義統が驚いたのはその眼である。その眼は強い意志と強い野心を感じさせる眼であった。

「(なんという目をしているのだ)」

 驚く義統。一方で達勝も驚いている。

「(義達様を思わせる野心の眼だ。しかし何というか纏う威厳のようなものがまるで違う)」

 少しばかり失礼なことを考えている達勝であった。そんなことは露知らず義統は信秀に尋ねる。

「お主は大層自分の家を栄えさせているようだ。して、家を栄えさせてどこを目指す」

 この質問に対し信秀は堂々と答えた。

「より家を栄えさせたく思います。それがわが家の栄華につながり、達勝様の栄華につながり、義統様の栄華につながります。そのために敵を打ち倒していくことこそ肝要」

 義統は信秀の言葉に感じ入った。かつて自分の父が戦っていたのは自分のためだけである。信秀の言葉がすべて真実ではないとは思うし、信秀だって一番は自分の家であろう。しかしそれでも自分や達勝のことも栄えさせると言っているのはうれしいことであった。

「これからも励むのだぞ」

 優しさよりも羨望を多く含めて義統は言った。それに信秀は短く答える。

「承知しました」

 その簡潔さが何だか小気味よいと感じる義統であった。


 義統は信秀の底知れぬ雰囲気を感じ取った。

「信秀は己の道に邁進にしている。お飾りの守護の私とは大違いだ」

 そう自虐する義統。尤も今更何かしようとも思わない。そうすれば自分だけでなく斯波家の家臣たちにも迷惑がかかる。

「金輪際私から何かするということは無いのだろう。せめて守護として信秀の野望を助けてやりたいものだが」

 そう考える義統だが脳裏に浮かぶのは達勝であった。義統としては達勝をないがしろにするつもりはない。確かに達勝は義統を傀儡として扱った一方で斯波家や守護の地位を守ってきたのも事実であった。それを無視してまで信秀を支援するというのはいくら何でも不義理だし危険が及ぶかもしれない。

「とりあえずすべて達勝に話そう」

 義統は思い切って達勝にすべて話すことにした。もし達勝がだめだというのならばあきらめるつもりの義統である。義統は達勝を呼び出すとこう言った。

「信秀は我らのために戦をしようとしている。守護として色々と助けたいと思うが達勝はどう思う」

 そう尋ねられた達勝はこう言った。

「よきお考えかと思います。信秀の戦を助けることは尾張をまとめる上でもよいことかと」

 達勝から出たのは全面的に賛同する旨であった。これには義統も驚く。

「達勝は不満ではないのか」

「先だっての件を考えるに信秀は我らを粗略に扱うつもりなどないのでしょう。ならばむしろ我らが積極的に手を貸すことで守護の威光を知らしめる結果にもなります」

 そうなれば守護代の自分も、とは達勝は言わなかった。尤もそれは義統も承知の上である。

 達勝からしてみれば信秀は侮りがたい相手である。そんな男と戦い続けて力を消耗するのは愚策なのは瞭然であった。ならば信秀の軍事行動に守護のお墨付きを与えれば守護権力の中に信秀を一応組み込める。そうなれば名目上は守護代である達勝の方が上位に立てるのだ。どう考えてもそちらの方がいい。

 また達勝は達勝なりに時勢や信秀の考えを読んでいた。

「(信秀が我らを丁重に扱うのは守護や守護代の命という大義名分が欲しいからだ。それがあればいろいろと戦もしやすくなるというもの。今回の義統様の申されることは信秀にとっても大いに利がある)」

 実際信秀は単独である程度戦えるほどの勢力を保持している。しかし隣国の敵は強大であった。万全を期すためには守護の後ろ盾を得て尾張の大部分を味方にする方がいい。

 義統は守護の名で号令をかけて信秀を支援する。達勝は義統を庇護することで守護代の立場を維持し信秀の上位に立つ。信秀は守護の後ろ盾を得ることで軍事行動円滑になる。三者の欲求は見事かみ合っていた。

 そのうえで達勝はこう言った。

「これよりは私の名でなく義統様の名で命を出すべきでしょう」

「それは…… いいのか? 」

「守護代は本来守護を補佐するべき立場。元通りになるだけです」

 達勝はこういうが結局差出人が変わるだけの話である。達勝から出ていた命が義統から達勝を経て出されるものになるだけであった。達勝は自分の気に食わない命に反発できるのだから実情は大して変わらない。

 義統もなんとなくそれを理解した。

「分かった。これからも頼む」

「万事かしこまりました」

 双方この短いやり取りに色々なものを込めてある。そして双方それを理解していた。お互い信用はしているが信頼はしていない。しかし険悪なわけではない。この二十年弱の間に二人の間にはそう言う不思議な関係が出来上がっていた。


 義統は達勝の承認のもと信秀の戦いの後援を始めた。これは信秀としても願ってもないことなのである。そして信秀は天文七年(一五三八)に今川氏豊の居城である尾張の那古野城の攻撃を始めた。氏豊は先年の蹴鞠の会にも招かれている。従って信秀を味方だとすっかり思い込んでいた。信秀はその隙をついて攻撃を仕掛けたのである。これに氏豊は禄に抵抗できず那古野城から追い出された。さらにこの二年後の天文九年(一五四〇)には隣国の三河(現愛知県南部)の安祥城を攻め落とす。この事態に三河の大名である松平家は今川家に支援を依頼。今川家は氏豊が城を奪われた報復をなさんと軍勢を派遣した。そして天文十一年(一五四二)に織田家と今川家は激突。戦いは信秀の勝利に終わった。

 これらの報告に義統は驚きつつも感心した。

「まさに破竹の勢い。今川家の軍勢まで打ち破るとは」

 達勝も同様に感心しているようだった。

「同感です。これで西三河は支配下に収まりました。今川や松平からちょっかいをかけられることもないでしょう」

「そうだな。しかし今川家といえば父上を無残に打ち破ったものたち。そのようなものに勝利を収めるとは。大したものだな信秀は」

「左様です。ですが我らを蔑ろにしようとはしていません。そこはわきまえているようです」

「その点もよいところだ。しかし…… 」

 そこで義統は気になっていたことを訪ねる。

「達勝よ。いささか顔色が悪いのではないか」

 義統が気にしていたのは達勝の体調であった。この所どこか顔色が悪い。

 義統の問いに達勝は力強い表情を見せた。

「ご心配なく。ただこの所いささか忙しく休む間もありません」

「そうか。ならばしばらく休め。お前の心配するようなことを私はしない。安心しろ」

 これは義統の心からの言葉であった。義統としては仕事の上でも個人の心情としても達勝に死んでもらいたいとは思わない。達勝もそれをわかっているようであった。

「承知しました。今の義統様なら心配はいりますまい」

 この後達勝は暫く休みを取った。幸いこの頃になると義統も単独で守護の仕事を全うできるようになっている。尤もそれだって限られた範囲であるが。

 一方で信秀への支援も滞りなく行った。また信秀は三河だけでなく美濃(現岐阜県)にも侵攻している。この時は越前の朝倉家と連携を取って美濃の斎藤家を攻撃した。そして美濃と西国の玄関口ともいえる大垣城を落城させる。これに気をよくした義統は珍しく大口をたたいた。

「越前も元々は斯波家の領国。いずれは手に戻したいものよ」

 この発言は達勝を含めた家臣たちの顔色を変えさせた。何せあの義達を彷彿とさせる発言であったからである。尤も義統はこの言葉をすぐに否定した。

「言ってみたものの越前は遠いな。斯波家の皆にも尾張の皆にも迷惑をかけるばかりだ。やる意味もない」

 これを聞いた達勝たちは胸をなでおろすのであった。

 それはともかくこの時義統の周りはすべてうまく回っていた。義統と達勝は信秀を支援する。信秀はそれにこたえるように戦に勝つ。そして守護権力を安定させた。この体制が続けばいい。義統はそう考えていた。


 天文十三年(一五四四)に隣国美濃へと進行した。この際義統は織田因幡守家を信秀援軍に派遣する。この際の信秀の目標は美濃斎藤家の本拠地の稲葉山城であった。義統としても信秀としても斎藤家との戦いにひとまず決着をつけようという意図がある。

「信秀ならやってくれよう」

 しかし信秀は敗北してしまった。信秀は城下まで攻め込んだものの斎藤家の見事な用兵の前に敗れてしまう。

 この年から信秀は積極的な軍事行動に移れなくなった。いくら守護の後援を受けているからといっても信秀の軍事行動に否定的な人々も存在する。それに加えて今回の敗戦の結果信秀への不信も噴出する結果となった。

「信秀もしばらくは動けまい」

 義統はそう考えたし信秀もそう考えていた。ひとまずここは体勢を立て直すことが先決である。しかし義統には気がかりなことがあった。それは守護代の達勝のことである。

「達勝の体調がすぐれないらしい」

 達勝は先年より体調を崩していた。義統もそれを心配して療養させたのだが芳しくないらしい。そしてその結果清州織田家では重臣の坂井大膳をはじめとした家臣団が守護代家を取り仕切っていた。

 義統にとって気がかりなのはこの坂井大膳は信秀の活躍を快く思っていないと達勝に聞いていたからだ。今回の美濃への侵攻にも協力を渋ったらしい。

「ともかく達勝の復帰を待つべきか」

 そう考える義統だが翌年の天文十四年(一五四五)に衝撃的な知らせが届く。

「達勝が隠居するだと」

 それは達勝隠居の報告であった。報告に来たのは達勝の養子で跡継ぎの織田信友と坂井大膳である。

「これからのことは万事お任せください。義統様には何の苦労も掛けません」

 そう信友は言った。信友はこの発言の間に大膳を何度もうかがっている。実権がどこにあるかはよく分かった。

「頼むぞ」

 義統は短く言った。しかしこの言葉の中に多くの不安が込められている。それに気づいたかどうかわからないが信友はこう答えた。

「承知しました」

 いったい何を承知したのか。義統の心には不安があふれるのであった。この後しばらくして達勝が死んだという報告が義統の耳に入る。その時の義統は目の前が真っ暗になるように感じた。


 家督継承後の信友は大人しく守護代の職務に励んだ。しかし達勝が死ぬと次第に義統に反発し始める。特に信秀への後援については露骨に反発した。

「義統様から見れば所詮陪臣。信秀めに肩入れするのはおやめください」

 信友は事に触れて義統に言った。むろんこれに義統は反論する。

「今の尾張の武は信秀に支えられている。美濃の斎藤や三河の松平などに抗することができるのは信秀しかおるまい」

「そもそも武力で抗する必要もありますまい。信秀のやっていることは万事無用にございます」

 そう言ってから信友は何も言わなくなった。そして義統を無視して行動し始める。義統は守護として活動しようとするがすべて信友に阻まれた。皮肉なことだが達勝を信用し諸事を任せていたがゆえに、義統の組織内での影響力は小さい。逆に守護代の職を継いだ信友の影響力は大きかった。このため義統の意向は退けられ信友の意向がまかり通った。。

「いったいどうなるのだ。この後」

 義統は完全な傀儡にされてしまった。こうなるともう身動きは完全に取れない。

 やがて天文十七年(一五四八)に信秀は斎藤家の攻撃にさらされた大垣城の救援に向かおうとした。しかしこの隙をついて斎藤家と結んだ信友が信秀を攻撃したのである。信秀は大垣城の救援をあきらめ信友の迎撃に臨んだ。こうして義統と達勝、信秀の三者で成立した尾張の平和は破綻したのである。

 信秀はこの窮地を斎藤家との和睦と婚姻で切り抜けた。この結果斎藤家の後援を受けていた信友も渋々信秀と和睦する。

 これを聞いた義統はあきれた。

「一人では敵わんくせによくも戦いを挑めたものだ」

 達勝ならそんなことせずに信秀と利用し合う。そういう関係を維持したであろう。しかし信友はそう言うことに気が回らないようである。

 一方で義統は

「だが私も何もできん。ただ回りが動くのを眺めるばかりだ」

と自虐するのであった。

 結局達勝の死は全てを終わりにしてしまった。義統はかつての傀儡に戻され信秀は窮地に陥る。そして信友はただ己の面目の為に信秀に反発した。

 誰も先を見通せぬ状況の中で尾張は再び混沌に陥ろうとしていた。


 今回はある意味義統にとっての黄金時代ともいえる時期の話です。戦国時代において義統と達勝と信秀の関係は不思議なもので、普通は達勝と信秀の立場にいる人間が争い義統の立場にあたる人物を擁した方が優勢になる。大体そんな者ですがこの三者はうまくやっていました。達勝が生きているころは信秀にとっても最盛期です。そう考えると知名度はありませんが織田達勝という人物はなかなかの人物だったのかも知れませんね。

 しかしそんな達勝は隠居し死んでしまいました。跡を継いだ達勝の路線とは反対の方向を走り始めます。義統は完全な傀儡となり信秀も衰えました。三者の関係が破綻した中で義統に一体どんな運命が待ち受けるのか。お楽しみに。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では

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