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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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畠山義総 傑物 中編

 次郎の説得もあり義元は能登に帰還した。これにより畠山家は再び一つとなる。一方、京では新たな戦乱が起きようとしていた。そんな中で次郎は元服する。そして新たな戦乱に巻き込まれることになる。

 当主の座に復帰した義元はさっそく能登周辺の平定に臨んだ。義元は遊佐統秀をはじめとする自分と敵対していた家臣たちも総動員して事に当たる。

「この上は過去のいきさつは不問とする。今は畠山家を守ることが先決だ」

 義元はそうした姿勢を率先して示した。すると義元に反発していた家臣たちの一部が素直に従うようになる。また統秀をはじめとする反義元の家臣たちも

「あれこれ言っている場合ではないな」

といって義元に渋々従った。

 こうして畠山家一丸となって一向一揆などの敵対勢力への対応にあたる。その中で次郎の初陣も行われた。

「次郎よ。お前はこれからの畠山家を導くものだ。見事な戦ぶりを見せるのだぞ」

 義元はそう言った。次郎はそれに堂々と答える。

「当然です。叔父上の期待に応えて見せましょう」

 そう言って颯爽と戦場に向かう次郎を義元は頼もしそうにに見送った。


 初陣の次郎には温井孝宗が付き従った。

「よろしく頼むぞ。孝宗」

「此度のこと光栄に存じます」

 孝宗はあまり地位の高い家臣ではない。しかし実直で慶致から信頼されていた。そのため今回の次郎の初陣に同行したのである。

 さて次郎の初陣の相手だが一向一揆である。一揆というが組織化されており武装も充実していた。油断すれば命を落としかねない危険な相手である。

 孝宗は慎重に事を運ぼうとした。次郎に何かがあってはいけないからである。孝宗は次郎に言った。

「ここは慎重にゆっくりと進軍すべきかと」

「そうだな」

 次郎は素直にうなずくと軍勢をゆっくり進める。その一方で身軽そうな家臣たちを野山に走らせた。これに孝宗は首をかしげる。

「いったい何をするおつもりで」

 孝宗の質問に対して次郎は答えた。

「聞くところによるとこのすぐ近くの村も一向一揆に加わるつもりらしい。しかし本隊は別にある。おそらく我らの情報を本体に送り合流して我らをたたくのだろう」

「なるほど斥候のものを捕らえるということですか。しかし合流したところで我らの数が勝っています。気にしすぎでは」

「戦に勝つだけならばそれでいい。しかしそれだけではだめだ。孝宗。皆にいつでも走れるように準備しておくように伝えろ。静かにだ」

 次郎に発言に孝宗は驚いた。だが次郎の強い意志を感じ周囲を警戒しつつ準備をする。やがて家臣の一人が戻ってきた。

「この先の本隊の様子を見てきました。次郎様のおっしゃったとおり戦は明日の夜か明後日かそれぐらいになると考えているようです。少なくとも今日は来ないだろうと考えているようです」

「そうか…… 孝宗」

 孝宗は静かにうなずく。そして次郎は叫んだ。

「皆の者。走るぞ! 」

 そう叫ぶや次郎は自ら先陣を切って馬を走らせる。それに続いて孝宗も叫んだ。

「次郎様遅れるな! 」

 そう言って次郎率いる軍勢は走りだす。そしてその日の夕暮れ前には敵の本隊に攻撃を仕掛けた。敵はまさかその日のうちに来るとは思っていなかったので大混乱に陥る。そこに次郎たちの軍勢が突撃してきたので禄に迎撃もできず壊滅した。

 敵の生き残りは何とか逃げ出す。孝宗が訊ねた。

「追いますか? 」

 それに次郎はこう返す。

「いやいい。それより皆を休ませろ。そして陣を整えるのだ」

「かしこまりました」

 次郎の軍勢は一休みすると敵の死体を片付けて陣を整えた。そして何もなかったかのように見せる。

 やがて一向一揆の援軍がやってきた。能登の村の一団である。次郎は周囲に兵を潜ませて一団がやってくると包囲した。まさかの事態に騒然となる一揆の面々。それに対して次郎はこう言った。

「刃向かうのならば容赦はしない。しかし武器を捨て村に帰るのならばそれで良しとする。そのうえで今後は一揆に加わらぬと誓うのだ」

 この状況でそう言われれば何もできない。一揆は武器を捨て村に帰って行った。こうして次郎の初陣は終わった。

 その後一向一揆の活動も沈静化し畠山家や能登にようやくの平穏が訪れるのであった。


 初陣を華々しく終えた次郎の声望は上がった。義元も次郎を称賛する。

「此度の戦は見事であった。幸い一向一揆も大人しくなっている。ここで元服して一人前の姿を慶致や家中の皆に見せてやろうではないか」

 この提案を断る理由もない。次郎は元服して名を義総とした。その堂々たる姿は遊佐統秀をはじめ多くの家臣を感嘆させる。

「まるで義統様がよみがえったようだ」

「その通りだ。なんと見事な姿か」

 感嘆しているのは家臣たちだけではない。義元も慶致も同様であった。

「全く私の息子とは思えない見事な姿です」

「そのようなことを言うな、慶致。お主の背を見て育ったのだぞ」

 この時義元はある決意をしていた。そして慶致にそれを打ち明ける。

「儂には男子がおらん。ゆくゆくはどこぞから養子を取ることになる。しかしどうせならば畠山の血を受け継ぐものに家を継いでもらいたいのだ」

「それは…… つまり義総を養子にしたいと」

「そうだ。この話受け入れてはもらえんか」

 そう言って頭を下げる義元。そんな義元に対して慶致はこう言った。

「頭をお上げください兄上。この話、私だけでなく義総にとっても名誉なこと」

「ならば…… 」

「はい。お受けさせていただきます。それが義総にとっても畠山家にとっても良いことでしょう」

 慶致は朗らかに笑った。元より畠山家の為に隠居し日陰に甘んじることを決意した慶致である。しかし義総まで日陰者にしようとなどとは考えていない。自分の息子が日の当たる場所に出られるのならばそれは願ってもないことである。

「(義総の器は父上を越える。きっと畠山家をさらに栄えさせることもできよう)」

 そういう期待も慶致の中にはあった。

 しばらくしてこの話は慶致から義総に伝えられた。この話には義総も驚いたようである。

「私が叔父上の子に? 」

「そうだ。お前を畠山家の跡継ぎにしたいとお考えのようだ。受けてくれるな」

 慶致は義総がすぐにうなずくものと考えていた。しかし義総は呑み込めないようである。慶致にはそれが不思議であった。

「何をためらうのだ。名誉な話であろう」

 そう慶致しが訊ねると義総はこう答えた。

「この先叔父上に子が生まれるとも限りません。そうなれば家中に諍いが生まれましょう」

 義総の懸念は義元に実子が生まれることであった。確かに義元に子が生まれれば後継者の候補になるだろう。そうなれば義総を立てる家臣と義元の子を立てる家臣とで割れるかもしれない。義元と慶致の実の兄弟でもそうなったのである。それほど畠山家の家臣団には熾烈な争いがあった。

 慶致は義総の懸念を理解した。その上でこう言う。

「義総よ。私も兄上もお前の器が父上を越えるものと考えている」

「私がお爺様を? とんでもない」

「いや、きっとそうだ。そんな義総なら家中をまとめ上げることもできると兄上も私も信じているのだ。だから心配するな」

 優しい表情で慶致は言った。ここまで言われれば義総の腹も決まる。

「父上。この話承知したと叔父上にお伝えください」

「ああ。兄上もお喜びになるだろう」

 実際義総が受け入れたことを知ると義元は喜んだ。

「これで畠山家は安泰だ」

 こうして義総は畠山家の跡継ぎになるのであった。


 一向一揆も沈静化し義総の養子入りが無事終わった。これで能登も畠山家もひとまず安泰である。一方で京でも大きな動きがあった。というのも幕府の権力を掌握していた細川政元が暗殺されてしまったのである。そしてこの機を逃さずに動き出したのが政元に追放された足利義稙であった。義稙は政元暗殺後、周防(現山口県)の大内義興の協力を得て上洛のための準備を進めている。

 義元は義稙派として行動していた。そのためこの動きも事前に入手している。

「義稙様が復帰なさるのならば私も動くべきか」

 この時代未だ幕府とのつながりはいろいろと役に立つ。そもそも畠山家の本家は幕府の最高職である管領に就任できる三つの家のうちの一つである。そう言う立場だからいやがおうにも幕府や将軍をめぐるもめごとには関らざる負えなかった。もちろん分家の能登畠山家も同様である。

 義元は上洛を決意した。

「能登は安定している。諸事を慶致と家臣たちに任せて京で義稙様と行動すべきだな」

 この義元の意向は畠山家中にも受け入れられ義元は上洛する運びとなった。この際に義元は義総もつれていくことにする。

「義総も儂の跡を継ぐのだ。義稙様やほかの方々と顔を合わせておく必要がある」

 義元としては今後の畠山家の立場をにらんでの考えである。もちろん義総も異議はなかった。

「お供させていただきます養父上」

 こうして義総は義元と共に京に向かうことになった。


 義元一行が京に入った時まだ義稙は到着していなかった。しかしすでに義稙は海路で堺に入っているらしい。京は将軍の足利義澄と政元の養子で管領の細川澄元が治めていたが、大軍を擁する義稙にはかないそうにない。

 義総は義元に尋ねた。

「まずはどうするのですか? 」

「細川高国殿と合流する。高国殿は義稙様に味方するようだ」

 細川高国は澄元と同じく政元の養子である。現在は細川家の後継を巡って澄元と対立していた。

「敵の敵は味方ということですか」

「そういう事ではあるな」

 高国としては大義名分が欲しい。義稙としては京に入る足がかりが欲しい。そうしたお互いの利害の一致が義稙と高国の手を結ばせたのである。

 義総にもそうした事情は分かった。ゆえに不安もある。

「(今はいいが義稙様が将軍職に就いたのちは大丈夫なのか。義稙様と高国殿、まさかどちらも主導権を握るつもりでいるのではないか)」

 そうした不安を義総は感じていたが口には出さなかった。今はともかく義稙を迎え入れることが第一である。それが畠山家の安定につながったからだ。

 そう言うわけで義元と義総は高国と合流する。幸い不測の起きず義澄も澄元も不利を悟って京を退去した。義元と義総は高国と共に京の治安の維持と新体制の準備を進めながら義稙を待つ。

 やがて義稙は大内家の大軍に守られ上洛した。そして永正五年(一五〇八)将軍に就任する。畠山家は改めて能登の守護職を任じられた。

 義元は嬉しそうである。

「これで畠山家も安泰だな」

 そんな義元に対し義総はこれから起こるであろう新たな混乱の空気を感じていた。


 義稙の帰還後、義元と義総は京で活動していた。これは将軍義稙を慕う義元の強い意向である。

「義稙様は一度追放されてもあきらめず復帰なされた。これを支えずして何が臣か」

 よくよく考えてみれば義元似たような境遇である。それゆえに入れ込んでいるのだろうと義総は思った。

 さて将軍に無事就任した義稙だがまだ安定した立場ではない。追放された前将軍の足利義澄は虎視眈々と機をうかがっている。永正六年(一五〇九)には刺客を使って義稙を暗殺しようとしたほどである。

「我ら一丸となって義稙様を守らなければ」

 そう意気込む義元だが義総には別のものが見えていた。

「(その〝我ら〟というのが問題なのだがな)」

 義元が言った我らというのは義稙を迎えた管領の細川高国や、軍勢を伴い義稙を引き連れてきた大内義興などのことである。彼らは表向き仲良くやっているが、実際は義稙政権の主導権を握ろうと動いていた。しかも義稙は自身の意向を前面に出して政権を運営しようとしている。その動きは高国にも義興にも面白くないものであった。

「(家臣と主君の関係は幕府でも変わらない。なんともしょうがないことだ。しかし今は義澄様という共通の敵がいるからまだいいが…… )」

 義総の懸念はそこであった。当面の敵の義澄がいなくなればどうなるかは容易く予想がつく。そういう意味では義澄にはできるだけ生きていてもらいたいとも思う。

 そうした微妙な緊張関係のまま永正八年(一五一一)を迎えた。この年、義澄は畿内の勢力を糾合し攻勢に出る。その勢いの前に義稙たちは一度京を追い出されてしまった。

 尤もこれは一時的な退避である。戦力は十分にあるし対する義澄方の兵力はそれほどではないという状況であった。

「ちょうどいい。これを機に決着をつけてくれよう」

 意気込む義元。しかしこの時義澄は京にはいなかった。近江(現滋賀県)の六角家のもとに逃れていたからである。ところがこの六角家が義稙方に着くと言い出した。そして手土産とばかりに衝撃的な情報を伝える。

「義澄様が亡くなったそうです」

 義総は六角家の使者から取り次いだ情報を義元や義稙たちに伝えた。一同は喜びを分かち合うような姿を見せる。義総の眼には別のことを考えているのだろうというものたちも映っていたが。

 ともかく義稙方は京になだれ込み義澄方を駆逐した。最期まで義澄に従っていた細川澄元も逃亡する。これで畿内に義稙たちの敵はいなくなった。

 しかしながらこれにより義稙政権の不和が表面化してしまうのである。その結果義稙が一時京を出奔する事態まで起きた。この時は一応和解し義稙は戻ってきたが義稙政権の不和はいよいよ修正不能な段階に到達している。

「こんなはずでは…… 」

 肩を落とす義元。これまでの苦労を無にするような出来事が続いていたのだから当然である。そんな義元に義総はかける言葉がなかった。

 そんな失意の義元に追い打ちをかけるような出来事が起きる。


 永正十年(一五一三)義稙が京に帰還して間もないころ、能登の慶致から急使がやってきた。

「ご家中の一部の方々が謀反を起こしました」

 なんと家臣の一部が謀反を起こしたという。これには義元も義総も驚いた。

「父上がいても抑えられないのか」

「しかしなぜ今になってなのだ。上洛する際にはそんな兆候は見られなかったぞ」

 義元がそう言うと急使は目を伏せた。それが気になった義総は尋ねる。

「何が原因なのだ」

「はい、その。非常に申し上げにくいのですが」

「構わん。言ってくれ」

「はい。実は謀反を起こした方々は…… その。義元様が京で行う諸事で税を持っていかれるのが不満と申しておりました」

急使の説明を聞いた義元は絶句した。確かに義元は在京の経費や戦の費用などを畠山家の収入から捻出させている。それは領内の民たちの税であり、家臣たちの領地から治められた税でもあった。そして義元と義総の在京活動は長引いており、義元が義稙の側近として活躍するにしたがって費用も増えている。それに対する不満がついに爆発したのであった。

 義総は義元に言った。

「こうなれば我々が戻り収めるしかありません」

「それはそうだが…… 今京を出ていくわけには」

 義元はためらう。それもそのはずで現在の京で一番義植に信頼されているのは義元であった。細川高国も大内義興も己の野心を隠そうともしなくなっている。そんな状況で義元だけが義稙に誠心誠意仕えてきたのだ。

 義総はそうした事情も分かっている。しかし

「能登の混乱を収められなければ義稙様への奉公もおぼつきません。ここは迅速に戻り内乱を収めるべきでしょう」

と説得した。尤も義総は権力争いが続く義稙政権を見限りつつある。だからためらいなく京を後にできた。

 一方の義元はそうではない。義稙の為に努力しようと考えている。しかし義総の言っていることも正論であった。

 結局、義元と義総は能登に帰った。そして謀反を起こした家臣たちの討伐を始めようとする。しかしこれを家臣たちが制した。

「謀反を起こすのはとんでもないこと。しかし彼らの言う事にも一理あります。どうにか穏便に済ませられないでしょうか」

 実は義元在京の負担に関する不満は家臣たちの間で共有されていた。慶致が抑えきれなかったのはこういう理由である。

 家臣たちの発言に義元は怒った。

「不忠者を許せなどとはどういうことだ」

 怒る義元。それを義総が制した。

「養父上のお怒りもわかります。謀反を起こした者たちは討つべきでしょう。しかし我らの上洛が負担になったのも事実。謀反者を討った後は暫く能登に残り家を建て直すべきと思います」

「しかし義総。それでは義稙様へのご奉公が…… 」

「義稙様もきっとわかってくれるはずです。今は家中のことを考えるべきです」

 こう義総に説かれては義元もうなずくしかなかった。結局義元は謀反を起こした家臣を討伐したが家は残し一部のものを処断するにとどめる。家臣たちもこれは仕方なしと受け入れた。もちろん義総が前もって在京の活動を控える旨を伝えてある。

 こうして能登畠山家の内乱は鎮圧された。その後義総は義元を支え畠山家の再建に努める。しかしこの出来事以降義元は病がちになった。いろいろと心労が一気にたまったこともあるのだろう。そして永正十二年(一五一五)に息を引き取る。

「義総。こののちのことはすべてお前に託す」

 こののちのこと、が畠山家のことなのか義稙のことなのか。それは分からなかったが義総はこう言った。

「私にすべてお任せください」

 そう力強く言われたことに安堵したのか義元は静かに息を引き取るのであった。

 こうして義総は畠山家の当主の座に就く。そして己の目指すものに向けて邁進していくであった。



 細川政元のクーデターからその死に至るまでの混乱は幾度となく記してきました。それだけこれらの事件の影響が多くの人々に及んでいるということなのでしょう。また将軍の権威の形骸化が加速したのもこの時期です。細川政元という人物が戦国時代に与えた影響力の強さは計り知れませんね。

 さていよいよ次郎こと義総は家督を継ぎました。義総はいまだ混乱の残る能登畠山家をどう変えていくのか。お楽しみに。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では

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