筒井定次 虫を飼う 後編
定次は故郷である大和からの転封され重臣の島左近も筒井家を去る。養父の順慶から受け継いだものはほとんどなくなってしまった。唯一残ったのは筒井家そのもの。定次は筒井家を守れるのか。
新領地でのいざこざがあったものの筒井家は一応の安定を取り戻した。幸いそれらの問題について羽柴秀吉に目を付けられることもない。
「あとは秀吉様に尽くし領地を栄えさせること。それが筒井家を守る道だ」
定次はそう考えていた。秀吉は天下統一を目指して動き始めている。そしてそれを成すだけの実力もあった。そんな秀吉についていけば筒井家の行く末も万端である。
「もはや家臣たちとのいざこざもたくさんだ。家中のことは秀祐がうまくまとまるだろう」
中坊秀祐はこの頃の筒井家で一番の家臣となっていた。これも定次の寵愛のなせる業である。実際定次は秀祐を信頼しきっていた。
「頼んだぞ秀祐」
「かしこまりました。定次様」
そう答える秀祐。その眼にはどこか暗いものが浮かんでいる。
羽柴秀吉は関白の座に就き豊臣の姓を賜った。これにより朝廷の名を借りて各地の大名に命令することもできるようになる。秀吉はこれを機に各地の平定戦を進める。
もちろん定次も各地の戦いに従軍する。天正十四年の九州征伐や天正十八年(一五九〇)の小田原征伐などで着実に武功を重ね、豊臣家配下の大名としての立場を安定させていった。定次の戦いぶりは秀吉の覚えもよいらしい。
最終的に秀吉は天下を統一した。秀吉に逆らわず従い続けるという定次の選択は正解だったと言える。
「秀吉様の信頼も得た。これで筒井家も万事安泰だ」
喜ぶ定次。しかし小田原征伐が終わるころに気がかりなことがあった。家臣たちから秀祐の専横がはなはだしいという訴えがあったのだ。
「秀祐殿は定次様の威光を笠に好き放題しております」
この密告に定次は困惑した。少なくとも定次が見る限り秀祐が好き勝手振舞っているようには見えない。しかしこのところ秀祐の顔色をうかがうような家臣が増えたようにも感じていた。
「秀祐は今や家中のまとめ役。皆が頼るのもわかるが…… 」
もし秀祐が家臣たちのまとめ役として頼られているならそれはいいことである。定次としては秀祐と関係もうまくいっているし、うまく家臣と定次の関係の調整を果たしてくれるからだ。
しかし家臣たちが秀祐を恐れて顔色をうかがうようになっているのであれば問題であった。それは秀祐に権力が集中し専横してしまっているということなのだから。
定次は秀祐にそれとなく尋ねた。
「この所のお主は少しばかり不遜ではないか? 」
それに対して秀祐はこう答える。
「何を申されますか。私は殿の意向を皆に知らしめているだけなのですよ。それをお疑いになるとは」
そう言う秀祐の姿は定次から見て少し違った。かつてはどこか媚びのような態度が見受けられたがそれがない。むしろどこか定次を軽んじているようにも見える。
定次は少し強い口調で言った。
「家中でお主に専横の振る舞いがあると聞いている。むろんそんなことは無いと思うがどうだ? 」
「いったいどこの誰がそのようなことを。失礼極まりない。すべて事実無根にございます」
秀祐は慇懃無礼に言った。一方の定次は何も言えない。密告した者の名前など出せないし秀祐の専横の証拠などなかったからだ。
ともかく今回はこれで終わった。だが定次の心に秀祐への疑念が生まれる。
「あやつも私を蔑ろにするのではないだろうか」
ここにきて定次はようやく秀祐に不信を持つのであった。
定次は秀祐に不信を持った。しかし何か行動するわけでもない。
「今の秀祐は私の後ろ盾あっての存在。くぎを刺しておけば筒井家の害になるようなことはしないだろう」
そう定次は考えていた。確かに秀祐の権勢は定次の寵愛があってのことであり、定次なしでは権力を維持できないだろう。この段階では定次の目論見もおかしくはなかった。
そういうわけで定次は豊臣家への奉公に専念した。もちろん以前より家中に目を配るようになり秀祐の専横もいささか弱まってきているようである。
「頃合いを見計らい秀祐の権力を弱めなければな」
現状では秀祐に対抗できそうな者はいない。しかし島左近ら重臣が去ったのち定次は生え抜きの家臣の育成にも取り組んでいた。目指すは新たな筒井家である。
「こののちは以前のような武辺物だけではいかん。政に優れるものを秀祐以外にも下に置かねば」
こうして定次は豊臣家大名としての務めに励む。そうしていれば筒井家も盤石であったからだ。ところが慶長三年(一五九八)豊臣秀吉が死去すると情勢が変化する。豊臣家では有力大名であった徳川家康と有力な奉行であった石田三成が対立し豊臣政権に動揺が生じたのだ。
定次は秀祐に尋ねた。
「徳川殿と石田殿のどちらに着くのが豊臣の為になるか」
「それはもちろん徳川様にございます」
秀祐は断定的に言った。定次がそれを少し不思議に思うが秀祐の言葉に従うことにした。
やがて家康と三成の権力闘争はエスカレートしていく。そんな中で慶長五年(一六〇〇)家康は会津(現福島県)の上杉家を討伐するため出陣した。これは豊臣家の名の下に行われたことである。もちろん定次も同行した。
「徳川殿が万事取り仕切ることが豊臣家の意向なのだろう」
この時秀吉の子で豊臣家の当主である秀頼はまだ七歳。とてもではないが家の運営などできない。こういう時は有力な家臣たちが家の運営を行うものである。そして家臣のうち誰かが中心になるものだ。順慶にとっての左近のようなものである。ちなみにその島左近は今石田三成に仕えているらしい。
それはそれとして定次は軍勢を率いて家康に従う。ところがその隙をついて石田三成が挙兵した。更に自分に味方する勢力と共謀して家康を謀反人として扱ったのである。
この結果日本各地の大名は家康に味方する東軍と三成に味方する西軍とに分かれた。定次は東軍に所属する。
「徳川殿は秀頼さまの意向を忠実に成し遂げられてきた。それを謀反人だと扱うなどとんでもない。ここは徳川殿に味方しよう」
こうして定次は東軍に所属した。ところが畿内は多くの勢力が西軍に味方しさらに筒井家の居城も西軍の武将に奪われてしまう。
「なんという失態だ。こうしてはおれん」
定次は家康の許可をもらい伊賀に帰還した。そして迅速な行動で城を奪還することに成功する。
「あとは徳川殿の勝利を信じるのみか」
城を奪還したとはいえ周りは敵だらけである。うかつには動けない。定次には家康の勝利を信じるしかなかった。
はたして家康率いる東軍は関ヶ原で行われた決戦で西軍に勝利した。この結果豊臣家の実権は家康の手に握られることになる。そして改めて行われた領地の安堵で筒井家はそのまま伊賀の領地を与えられた。
なお関ヶ原の戦いで島左近は壮絶な戦死を遂げたという。
「やはりひとかどの武士だったということか。見事だ」
左近戦死の報告を聞いた定次は静かに冥福を祈るのであった。
豊臣政権内での権力争いは家康の勝利に終わった。そして家康はこれを機に天下人になるために動き始める。
慶長八年(一六〇三)家康は征夷大将軍に任じられ幕府を開いた。これにより日本の武将たちを支配できる立場を得る。定次はこの行動に複雑な気持ちを抱いた。
「もはや家康様の天下は否定できまい。こうなればその傘下として生きる道しかないだろう。しかし豊臣家を蔑ろにする様な事だけはやめていただきたいものだな」
定次としては筒井家を守るためなら家康に従うことに異論はない。しかし一応豊臣家にも家を守ってもらったことに関する恩義はあった。
そういうわけで定次は幕府の成立後も豊臣家や秀頼との交際を続ける。これは同様の行動を取る武将もいたわけだから、定次としては何の問題もないだろうという考えであった。
しかし秀祐はこれに異議を唱えた。
「定次様。これよりは豊臣家との付き合いもお控えくださいませ」
「何を言い出すのだ。お前は」
秀祐は定次の言葉を無視して話を進める。
「伊賀の地は大阪を臨む要地。そんなところにいるものが大阪の豊臣家の方々と親しくしては家康様のご不興を買います」
「…… 豊臣家との付き合いを理由に筒井家が取り潰されると」
「左様です」
「馬鹿なことを言うな。家康様はそんなに心の狭いお方ではない。それにもしもの時はちゃんと家康様に着く覚悟をしておる」
定次だって徳川家と豊臣家の微妙な関係を理解している。だからこそあいさつ程度の付き合いでとどめているし、徳川家に対して二心などない。秀祐の発言は心外であった。
しかし秀祐は定次を疑惑の目で見つめている。この所二人の関係は思わしくない。というのも最近の定次は秀祐以外の家臣も重用するようになっていた。大名家としては望ましい形に落ち着いたわけだが秀祐としては面白くない。一方の定次も秀祐のそういう考えは理解していた。尤も定次としては秀祐をないがしろにしているわけではない。現にこうして話を聞いているし秀祐は変わらず家臣の筆頭である。
定次はなだめるように言った。
「お前の申すこともわかった。だが徳川と豊臣がすぐに戦になるわけでもなかろう。今は幕府に二心なく尽くす。そのうえで秀頼様との付き合いを続けるなら家康様もわかってくれるだろうよ」
定次はそう言って話を打ち切った。秀祐は何も言わずうつむいている。それが不気味であったが、定次はそれ以上何も言わなかった。
それから数年間何事もなく平穏に過ぎた。しかし慶長十三年(一六〇八)、筒井家と定次に衝撃的な事件が起きる。
その日定次のもとに幕府から信じがたい通告が届いた。
「筒井家当主、筒井定次に不行跡ありとの訴えがあった。よって筒井家を改易とする。筒井定次とその嫡子順定の身柄は鳥居家にお預けとする」
やってきたのは筒井家を改易とするという通告であった。定次は幕府からの使者を前に絶句する。それも当然と言えるほどの信じがたい処置であった。
暫し思考停止していた定次であったが、何とか頭を回転させて幕府の使者に尋ねた。
「いったい誰がそのようなことを」
「それは申しませぬ」
「し、しかし納得できません。我らは幕府に懸命に使えていたのにいったい誰が…… 」
定次は悲壮感あふれる様子で縋りつく。順慶の跡を継いでから必死に頑張ってきたのだから当然だ。その必死さに同情したのか幕府の使者は一言だけ言った。
「訴えは貴殿のご家中からのものです」
「私の家臣が? 」
それは信じられない話であった。家がつぶれればその訴えた家臣だって困る。それにもし定次に不満があれば嫡子の順定を截てて定次を隠居させればいい。家臣の立場であるならそれが最適解のはずである。
定次は考えた。そしてあることを思い出す。
「確か…… 秀祐が駿府の家康様と連絡を取っていたはず」
この頃家康は隠居して将軍職を息子の秀忠に譲っていた。そして駿河(現静岡県)の駿府で隠居している。尤もその影響力は依然強かった。
「まさか秀祐が…… 」
定次の言葉に使者の男は答えなかった。しかし少しだけ気まずげな表情をしている。それは定次の疑問への回答ともいえた。
すべてを悟った定次は絞り出すように言った。
「申し訳ありません。父上」
定次の口から出たのは秀祐への恨み節ではなく苦労して家を守り続けた義父の順慶への謝罪であった。
定次は息子ともどもお預けの身となった。しかし筒井家そのものは存続している。
「定慶が継いでくれたか。しかも大和の地とは有り難いことだ」
筒井家は定次の従弟の定慶が継いだ。しかも領地は大和郡山である。皮肉なことに筒井家は大和に復帰することができた。定次にとってはわずかだが救いになる話である。
一方でこんな話も聞こえた。定次が改易になったのち一部は定慶に仕えたがほとんどが散り散りになってしまっている。行方の分からないものが大半だがはっきりしている者もいた。中坊秀祐である。
「秀祐め。奈良の奉行になるとは」
中坊秀祐は定次改易の後で幕府の奉行となった。しかも治めるのは大和にある幕府の直轄領の奈良の地である。
「褒美ということか」
定次は改易が秀祐の讒訴にあると考えていた。そして奈良奉行になったのはその褒美という事だろう。実際伊賀の地には家康の信任厚い藤堂高虎が入った。おそらく家康は要地である伊賀に定次を置くことを不安に思っていたのだろう。そこで秀祐と取引をしたのだ。秀祐としては定次の寵愛を失いつつもあったので家康の取引に応えたのだと思われる。
「不忠者め。どうなろうと知らんぞ」
忌々しげにつぶやく定次。このつぶやきが届いたのかどうか知らないが、慶長十四年(一六〇九)に中坊秀祐は死んだ。何でも旧筒井家臣に刺されたらしい。
「因果応報か。しかし哀れなものだ」
秀祐のあっけない死に定次は若干の憐れみを抱くのであった。そしてこんなことを思う。
「(左近は武士として堂々と散り、秀祐はあのような無残な死に方をした。どちらもふさわしい死にざまならば私にふさわしい死は…… )」
定次は自分がどう死ぬか考える。しかしてその答えはあまりにも悲惨な形で出た。
慶長十九年(一六一四)徳川家と豊臣家は断交し戦が始まる。後に大阪の冬の陣と呼ばれる戦いである。この戦いは徳川方有利の講和で終わった。尤もこれで家康がすべて終わりにするわけでないというのは誰が見ても明らかであった。実際年が明けて翌年には大坂夏の陣が起きこの結果豊臣家は滅亡する。
この冬の陣と夏の陣の間に定次は死んだ。死因は切腹である。理由は冬の陣で使われた豊臣家の矢の中に筒井家の物があったこと。これをもって定次が豊臣家と通じているとのされたことである。
切腹を命じられた時定次は笑った。
「お預けの身で何ができようか。まったく馬鹿馬鹿しい話だ」
定次は笑った、が切腹は素直に受け入れた。息子の順定も同様の処分なのは納得いかないがもはやどうしようもない。
「これが私に相応しい死にざまということか」
そう言ったのち定次は堂々と切腹した。享年五十四歳。天下統一の激動に巻き込まれた男は寂しい座敷で果てた。息子も同様である。
さて従弟の定慶が継いだ筒井家だが、大坂夏の陣の際に豊臣方に攻撃され城を奪われてしまう。これを恥じた定慶は切腹して果てた。これにより大名家としての筒井家は断絶する。一応定慶の弟の一族が旗本として幕府に仕えたので筒井家そのものは滅亡していない。わずかだが慰められる話である。
定次父子の遺体は奈良で葬られたらしい。定次は死んで大和に帰ることができた。それが救いになったかどうかは分からないが。
定次が改易された理由は諸説あります。例えば定次の素行不良。他にも定次がキリシタンであったからというものもあります。ただ結局のところは分かりません。ただ地元の伊賀では割と評判のいいことや秀祐が奈良奉行に取り立てられたことなどを考えると、やはり徳川家との間で取引があったのではないかと疑ってしまいます。真相は闇の中ですが。
さて話を次の主人公のものにします。次の主人公は以前取り上げたことのある人物の孫です。いったい誰なのか。ヒントは北陸地方。ではお楽しみに。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では




