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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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筒井定次 虫を飼う 中編

 順慶の死後、定次は必死になって奮戦し筒井家を守った。しかし一方で順慶の代からの家臣たちとの間に溝も生まれてしまう。そんな中で定次は中坊秀祐を登用した。これが定次と筒井家の運命を大きく動かす。

 天正十三年。この年は定次や筒井家にとって衝撃的な出来事が起きる。羽柴秀吉による四国制圧が終わり戦後処理も終わったころ定次にあることが伝えられた。

「筒井家を伊賀(現三重県)に転封とする」

 簡潔に伝えられたそれは、順慶が苦労して取り返した大和を離れ、隣国の伊賀に移れというものであった。

「あれだけ秀吉様に尽くしたのに何故このような仕打ちを…… 」

 定次は動揺した。それも当然のことで大和の地というのは定次だけでなく筒井家の全員の故郷である。順慶はそれを取り返すために幼いころから苦労してきたのだ。定次もそれは知っているから困惑しているのである。

 この転封は秀吉の都合によるものであった。秀吉は大阪と京を拠点として活動している。そして大和はそのどちらにも隣接していた。従ってここにはできるだけ信の置ける人物を置いておきたいと考えたのである。実際定次の後に大和に入ったのは秀吉の弟の秀長であった。秀吉は定次を信頼していないわけではないが重要な地であるため、一番信用のおける実の弟を配置したというわけである。

 尤もそんな都合は定次には関係ない。定次は家臣ともども嘆いた。

「これまで秀吉様に尽くしたのは何のためであったのだ」

「その通りです定次さま。順慶様が命を賭して守った大和だというのに」

「このような仕打ちを受け入れるくらいならいっそ戦って死んだほうがましじゃ」

 そんなことを言う家臣まで現れた。しかし

「お待ちください」

と、声がした。声の主は中坊秀祐であった。

 秀祐は冷静に言う。

「ここで秀吉様の意に逆らい戦を挑めば筒井家は滅ぶほかありませぬ。もはや秀吉様のお力は天下のすべてに及ぶところです」

「しかし秀祐。此度のことはあまりにも…… 」

 定次は悲壮な声で言った。なんだか筒井家が滅んだつもりでいるような雰囲気である。そんな定次に秀祐は言った。

「此度のことで我らは大和を失います。しかし秀吉様は代わりの地だけでなく山城などに追加の領地を与えるとおっしゃりました。つまり筒井家の領地は増えるのです。これはつまり秀吉様も我らに申し訳ないと思っている証にございます」

「いや待て」

 すると島左近が進み出て秀祐の言葉を遮った。

「お主の申すこともわかる。しかし我らと大和の地のつながりはとても深い。それなのに領地を増やすから移れと言うのはいくら何でも無体であろう。これはさすがに抗議すべきだ」

「何を申されますか左近殿。秀吉様の命に抗議すれば謀反と思われましょう。そうなれば我らに生き残るすべなどありませぬ。左近殿は筒井家が滅亡してもよろしいと申されるか」

 そう言って秀祐は左近をにらんだ。左近も負けじと睨み返す。その場に緊張が走った。するとその空気を収めるように穏やかな声で定次は話し出す。

「皆の気持ちは分かった。私もみなと同じように大和の地は恋しい。しかし秀吉様の命に逆らえば筒井家は取り潰されるだろう。果たしてそれは父上や筒井家代々の望むことなのだろうか」

 定次は転封を受け入れる気持ちになったようだった。秀祐を除く家臣たちは納得していないようだが定次の言うこともわかるようである。定次もそれを察した。

「秀吉様の命を受け入れよう。それが筒井家の生き残る道なのだ」

 自分を納得させるように定次は言った。家臣たちも苦し気にうなずく。こうして筒井家は大和の地から移ることになった。これが筒井家を揺るがす事件のきっかけとなるとは知らずに。

 

 筒井家存続のため定次は伊賀に移る決断をした。しかしこれに従わない家臣もいる。

「我らは大和に残りまする。苦心して取り戻した土地をやすやすと捨てるつもりはありませんので」

 そう定次に言い放ったのは重臣の松倉重政であった。この重政の発言に定次は怒る。

「私が簡単に大和を捨てたと思っているのか」

 実際重政はそう思っての発言している。というより重臣の一部には重政同様の考えをしているものもいた。伊賀について来た者の中にもいる。そしてそれを定次も感づいていた。

「ついて来た者の中に重政のようなことを言っている者がいる。しかしついてきた時点で筒井家がなければ生きていけないようなものたちではないか。重政のように残るわけでもなく筒井家の禄で生きているものがそのようなことを考えるとは。腹立たしい」

 そう言う不満もあって定次は家臣たちに厳しく当たるようになっていた。これに対し家臣たちの一部は定次に素直に従う。しかし反発する家臣も多い。

 こうした状況を憂慮したのは島左近であった。左近は伊賀転封については不満を持っていたが、定次が苦心の上で決断したこともわかっている。

「定次様はもう少し心を広く持っていただきたいものだ。しかし怒るのもわかる。少しばかり定次様を軽んじるものが多くなった」

 この頃も順慶からの代の家臣達が強い発言権を持っていた。それが結果として今回のような空気を作る一因になってしまっている。それについては左近も反省している点であった。

 しかし左近が定次に対し懸念し不満を持っていることがもう一つあった。それは中坊秀祐のことである。

「定次様は中坊に心を許しすぎている」

 このところ定次は政務を行う時は何かと秀祐に相談していた。それは左近たち旧臣たちへの当てつけに見えるほどのである。

 一方で秀祐は定次を何かと褒め巧みに取り入っていった。そうやって家臣に不満を持つ定次の心の隙間に入り込む。また秀祐は確かに有能な面もあるので定次はいろいろと権限を与えていった。

 これに対し左近が物申したことがある。

「中坊は新参者。あまり重用すれば家中に不和を生じさせます」

 しかし定次はこう反論した。

「秀祐は政に関してよい意見を持っている。お主たちは武辺には優れるが政務では以前からのようにとしか言わん。大和ならいざ知らず伊賀ではそうもいかん。ゆえに秀祐の意見を重く用いているのだ」

「それはそうですが…… しかし主君として家中の和も考えていただかないと」

「ふん。それをほかの者どもにも言ってもらいたいものだ」

 この定次の言葉に左近は頭を痛めた。実際一部の家臣たちの定次の軽視が原因な部分もある。しかしそれはそれとして特定の家臣の重用は災いとなることが多いのもよくある話であった。

 それらを踏まえたうえで左近は言った。

「皆には私が言い聞かせておきます。ですから殿も中坊だけでなくほかの者共の声にも耳を傾けていただきたく思います」

「そうか。考えておく」

 定次は左近の眼を見ず言った。それに左近はため息をつく。


 伊賀転封後、定次と家臣たちの緊張関係は終わりが見えなかった。そんな時定次の頭を悩ませる出来事が起きる。

 大和から伊賀への転封。定次はそれに伴って家臣たちへ領地を再配分しなければならなかった。定次は苦心しながらなんとか再配分を終える。ところが転封から一年ほど経った天正十四年(一五八六)、二人の家臣が灌漑用水をめぐって対立し始めた。その二人というのが島左近と中坊秀祐なのである。

「なんという事だ。よりによってあの二人か」

 方や父の代から仕え衆からの人望の厚い重臣。方や才を見込んで登用した定次のお気に入りの寵臣。この二人の対立ならばどうしたって家中に影響が出る。

 もちろん家臣たちのほとんどが左近を支持した。これは左近の人望だけでなく秀祐への嫉妬と定次への不満が成せるものである。

「これを機に中坊を筒井家から追い出してしまえ」

「その通りだ。ついでに定次様も大人しくなってもらおう」

 そんな声が家臣たちの間から聞こえた。

 これに対し定次はもちろん腹を立てる。

「主君を何だと思っているのだ。第一今まで黙り込んでいておいてこんな時になって騒ぎ立てるとは」

 ここまで家臣たちの声が大きくなると定次の中で反発心も生まれた。そうなると定次は秀祐の肩を持ちたくなる。これは依怙贔屓がないわけではないが、一方でこのままいけば家臣たちが好き勝手に行動しだすかも知れなかった。それだけは大名の立場として許せるものではない。

 しかし定次とて家臣たちの声を無視していいとも思わなかった。押さえつけるのも必要だがそれだけではだめだということくらい定次もわかっている。ゆえにどうするか迷っていた。

 この状況においての当事者たちはというと対照的な振る舞いをしている。

 秀祐は定次に強く訴えた。

「此度のことは島殿に非があります。だというのに島殿はほかの方々を味方につけ開き直って振る舞いをしています。これでは家中の和は乱れるばかり。どうか定次様にはご懸命な判断を」

 普段冷静な秀祐らしくない言行であった。これには定次ももしやしたら左近に非があるのではないか、とも思わせる。

 一方の左近は黙して語らずただ定次の裁定を待つという立場を取った。事の次第はすでに報告してあるのだからそれ以上語る必要はない。武人の左近らしい行動である。

 定次は今回の事件について左近の報告を受けている。その報告を見る限りでは秀祐に非があった。つまり秀祐の主張とは真逆である。

 実際問題定次はどちらの言い分にも理があると感じた。ならば喧嘩両成敗、という形で双方に責任を取らせるのが筋のような感じもする。だが、ここで定次の頭にある考えがよぎった。

「(これは左近の力を削ぐ機会ではないのか? )」

 左近は家中で賢然たる影響力を持っている。正直それは定次にとって面白いものではなかった。だがここで左近に不利な裁定を下せばどうなるか。左近の影響力は削がれ家臣たちも大人しくなるかもしれない。

「(これは…… 好機かもしれん)」

 定次はそう思った。いやそう信じた。ゆえに秀祐に有利な裁定を下す。しかしこれが大変な事態を引き起こす。


ともかく定次は左近と秀祐の争いの裁定を下した。内容は秀祐有利なものである。一応左近の言い分も多少は盛り込んであるが、ほとんど秀祐の主張を認めた内容であった。

「此度の件、秀祐の申すことに理があると感じた。ゆえにこの結論とする」

 この結論を定次は左近と秀祐の両名に伝えた。秀祐は我が意を得たりという雰囲気である。一方左近は黙して語らない。

「(やはり不服のようだな。しかし私にも私の立場があるのだ)」

 定次は心の中でそう思った。正直左近に対して後ろめたい気持ちがないわけではない。

「(とりあえず次は左近をなだめなければな)」

 そう思う定次。しかししばらくして左近は思いもよらぬ行動に出た。

「左近が出奔しただと! 」

 なんと島左近は領地を返上して筒井家を去ったという。しかも定次はそれを左近が出て行ってから知った。

「一応書置きは残してあったのですが」

 左近出奔の報を知らせてきた家臣は書状を定次に渡す。そこにはこう書かれていた。

「此度のこと至極残念に思います。拙者は殿や家のことを思いいろいろと申し上げてきたつもりですが、それもすべて無駄だったようです。こうなれば拙者が筒井家にいる意味もございませぬ。この上は知行を返上し浪々の身となろうと思います。では」

 定次は書状を読み終えると破り捨てた。そして激昂する。

「このような手紙で長々と。第一裁定に不服があればあの時に訴え出ればよかったではないか。そもそも争いが起きたとき何も言わず裁定を待っていたのは自身のことを顧みず、かっ手に愛想をつかして出ていく。それだというのに恩着せがましい物言い。不届きだ! 」

 怒り狂う定次。しかし実際のところ左近が出奔した最大の理由は、定次が左近の諫言を顧みなかったことにある。裁定の結果については最後の一押しに過ぎない。尤も定次はそれに気づいていない。

 ともかく左近は出奔してしまった。これには家臣たちの間に動揺が走る。

「左近殿まで出奔してしまうか。もはや筒井家もこれまでか」

「そうだな。大和からも追われてしまうし、これ以上この家に残る意味もないだろう」

「しかし出奔したところでどうしようもあるまい。こうなったら殿に黙って仕える方がましだろう」

 家臣たちは口々に勝手なことを言う。しかし定次への不満もあったのか左近に続いて出奔する家臣が続出した。こうなると定次も怒りを通り越して呆然とするしかない。

「もはや勝手にするがいい。どこの誰に仕えようと勝手にしろ」

 定次は左近を含む出奔した家臣達の再仕官を妨害するようなことはしなかった。もはやどうでもいいと感じたからである。

 家臣たちの出奔は筒井家臣団の再編成を促した。この結果筒井家は定次を中心とした権力体制に代わっていく。定次は前より自分の意向を強く反映できるようになっていった。

 皮肉なことに領地経営や再開発はうまくいき始めた。これまでは定次と家臣たちの意向が反発することも多かったので、それが解消された結果ともいえる。そういう意味では定次の意図した力関係の再編も成功したと言える。

 しかし大きな問題も生じた。左近たちが出奔した結果家臣同士の力関係が激変し、秀祐の権力が突出したのである。

「秀祐は頼りになる。問題あるまい」

 定次は気にもしなかった。だがこれが筒井家の行く末を決めることになる。


戦国時代が終わりに近づき天下人と呼ばれる人が各地の大名を支配するようになってくると、領地の転封や再配分などを行います。これは豊臣秀吉の政権でもそうですし江戸幕府でも同じくです。そんな中で代々の土地から別の土地に移動される大名も何人かいました。これが戦に負けたとか何か失敗をしてしまったのならば悲しむこともできるでしょう。しかし今回の定次のように加増する場合、要するに栄転の場合には泣くに泣けないものがあります。なんとも難しいものです。

 さて筒井家は左近が去り秀祐が筆頭家臣となりました。これにより筒井家はどうなっていくのか。そしてそれが何をもたらすのか。お楽しみに。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では

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