前田茂勝 前田主膳始末 後編
江戸幕府が出来上がって間もないころ、八上藩主前田茂勝が家臣を斬殺するという事件が発生した。目付の氷上孫六は事態の収拾のために丹波国八上に向かう。そこで出会ったのは異常なまでに穏やかな雰囲気をした男だった。
孫六は座敷牢の中に入る。そして格子を背にして茂勝と向き合った。孫六の正面に座る茂勝は相変わらず穏やかな笑みを浮かべている。それに対する孫六は表面上の冷静さを保っているものの、内面では激しく動揺していた。
「(本当にこの男が? )」
孫六はいまだ目の前にいる男が前田茂勝だとは思えなかった。だが目の前の男が自分のことを茂勝であるというウソをつく必要はない。
「(だがいつまでもこうしているわけにはいかないな)」
今、孫六がやることは変わらない。孫六は大きく息をつくと茂勝に向きなおる。そして問いかけた。
「改めて。前田主膳正殿ですね」
「はい。その通りです」
「私は氷上孫六。駿府の大御所様の命であなたの取り調べに来ました」
「そうですか。遠路はるばる御足労をかけました」
そういうと茂勝は孫六に頭を下げた。丁寧で心のこもっているのがよくわかる。
面食らった孫六だが気を取り直して質問を始める。
「これからいくつか質問をしていきます。正直に答えてください」
「分かりました」
「まず貴殿はこの丹波八上の地を治めている」
「はい。父の前田玄以から譲り受けました」
「石高はいくらですか」
「およそ五万石です」
「家臣は何人位抱えていますか」
「およそ五百人ほどです」
「そうですか…… 」
ここまでの質問に茂勝は真摯に答えた。また孫六を侮ったりする様子もなく、敵意を向けてくる様子もない。
孫六はますます混乱した。
「(信じられん。こんな男が乱行の挙句に家臣の命を理不尽に奪うのか? )」
孫六は必死で目の前の男と今まで聞き込みをした情報とを照らし合わせる。しかし何一つ一致しない。
「(質問を続けるしかないか)」
孫六は内心ため息をつくとそう決めた。ここからは事件に関する具体的な質問を始める。そうすればいろいろわかってくるはずだ。孫六はそう考えた。
孫六は大きく息を吸い茂勝を見据える。そして
「あなたは家臣の尾池清左衛門とその息子を手打ちにした。これに間違いはありませんか」
そう質問した。
それを受けた茂勝は変わらない様子で答えた。
「その通りです」
この質問にも変わらない様子の茂勝に、孫六は違和感を覚える。どんな理由であれ人を殺した以上、それについて聞かれればなにか変化があるものだろう。しかし茂勝は変わらない。さすがにこれは異常である。
変わらず微笑んでいる茂勝に孫六は質問を続ける。
「尾池父子だけではなくほか数名の家臣を切腹させた。これも間違いありませんか」
「はい。間違いありません」
「理由は? 」
「彼が謀反人だからです」
茂勝は変わらない様子で言った。しかしその発言を孫六は理解できなかった。
「それは…… 本当ですか」
「彼は主に刃向かう謀反人。ゆえに斬りました」
迷い無く言い切る茂勝。孫六は絶句するしかなかった。
茂勝の聴取を終えた孫六は自室に帰った。正直疲れているが休んでも居られない。
「信じられんな…… 」
孫六は思わずつぶやく。それほど茂勝が言った理由は信じがたいものだった。
「今までそんな話は一度も出なかったが」
茂勝の言うことを信じれば尾池清左衛門は謀反を図っていたことになる。そしてそのために父子まとめて切り倒し、連なるものも切腹させたということだ。
「信じられん」
孫六は再びつぶやいた。尤も口にするまでもなく茂勝の話は信じられないものである。第一、謀反が理由というならばわざわざ呼び出して斬殺すわけもない。家臣に命じ、捕らえさせればいいだけの話である。
また、茂勝についてはほかにも気になることがあった。
「(存外に家臣たちの評判は悪くない。尤も一部ではあるが)」
孫六は茂勝の聴取が終わった後、城中で茂勝の評判を聞いて回った。すると城中の一部では茂勝の評判は悪くない。むしろ褒める者もいるほどだった。それらは茂勝の側近や小姓。さらに茂勝の妻やそれに仕える女中たちも茂勝をほめていた。
「殿はとてもお優しい方です。今回のことも何かの間違いでは…… 」
「よく殿とは政について話し合いました。とても熱心に語られておりました」
「私が粗相を働いたときも咎めずに許していただきました。本当にお優しい方です」
「わたくしが嫁いでから殿はとても気を遣ってくださって…… 私にとってはとても素晴らしい殿です」
などと述べている。彼らに言わせれば政務に関心が薄いのも乱行を行っているのも尾池たちのせいとのことだ。尤もそんなことを言っているのは彼らだけで、多くの家臣たちは茂勝に厳しい立場であった。
「しかし、捨て置くわけにもいかんな」
孫六は真面目な男である。自分の仕事を成し遂げるために正確な情報が欲しい。さらに真実をしっかりと知らしめたいとも思っている。
「(明日からもう一度、洗い直してみるか)」
孫六はそう決意すると資料を纏め始めた。孫六の仕事はまだまだ終わらなさそうであった。
孫六はまず今に至る茂勝の人生を調べ直す。幸い茂勝には親の代からの家臣が大勢いた。彼らからの情報と幕府が確保している情報を纏めてみることにする。
とは言え幕府の持っている情報は駿府に保管してあるので茂勝の下に来るまでいささか時間がかかる。それまでの間、孫六は茂勝の父である玄以から使えている家臣に話を聞いて回った。すると分かったことがある。
ある家臣は言う。
「もともと利発な方だったのになぜこのようなことになってしまったのか」
ほかの家臣はこう言った。
「幼いころからとてもまじめな方だった。先代から領地を受け継いだ後も政務に熱心で、幕府の覚えもよかったというに」
とのことであった。
ここまでの話で茂勝が昔から乱行を行う無法者ではないということがわかる。さらに父が死に領地を受け継いだ直後は真面目に仕事をしていたようだ。
「(ならばなぜこうなったのだ)」
孫六は其処に事件の真相があると考えた。しかし家臣たちの話や駿府から送られてきた情報に真相につながりそうなものはない。だが孫六は一部の家臣たちが何か隠しているのでは無いかと感じていた。それには理由がある。
家臣たちの多くは事件について時間をかけてでもいいから真実を明らかにしてほしいという立場であった。しかし一部重臣、彼らは先代から仕えている者たちである、は一刻も早く茂勝を処断してほしいような様子である。まるでこの藩が何か隠しているのではないかという雰囲気を感じた。
一方で彼らが茂勝に弓を引こうとかそういう雰囲気は感じなかった。あくまで茂勝を盛り立てようという考えで行動していたようである。
「(ならば何をもって謀反だと考えていたのだ)」
孫六は茂勝の言った理由が気になってしょうがなかった。あれはおそらくそのままの意味ではないのだろう。ならば本来の意味が今回の事件の発端である、孫六はそう結論付けた。
「(ともかく明日から城内を調べよう)」
孫六はとりあえず次の指針を決めて、その日は休んだ。
孫六はとりあえず城の中を調べて回ることにした。尤も一人で好き勝手動くわけにはいかないので以前案内してくれた小姓と一緒である。彼は名を片瀬新伍といった。
孫六は新伍の案内で城を歩き回る。しかし不審なところは見当たらない。
「お探しの者は見当たりましたか? 」
「いや。見つからない」
「そうですか…… 私もなんとか殿の力になりたいのですが」
新伍はまだ幼い雰囲気を残す青年である。彼は茂勝にことさら可愛がられていたらしい。この事件について茂勝をかばうような言動を見せている一人である。
孫六と新伍は城中の一室でひとまず休むことにした。そこは整えられた庭が見渡せるきれいな場所である。
庭を眺めながら孫六は新伍に尋ねた。
「尾池殿は頻繁に諫言をしていたのか」
「はい。登城の日は必ず。ほかの重臣の方々と共に諫言なされていたそうです」
「そうか」
「私は見たことはありませんが、部屋の外に殿や尾池様達の大声が時々聞こえました」
「そうか…… ん? 」
孫六は新伍の発言に疑問を覚えた。
「諫言をしている時、貴殿は部屋の外にいたのか」
「はい。私の役目は殿に付き従う事ですが、諫言をしている時だけは私を遠ざけます」
「部屋の中の声はほとんど聞こえないのか」
「はい。どうも外に聞こえないよう尾池様達は気を遣われていたようです。今思えばいささか不思議ではあります」
新伍は残念そうに言った。一方孫六は新伍の話を纏めながら思案する。
「(小姓を外すほどの内密な話。しかも周りに漏れぬようにそこまで気を遣うとは尋常なことではない。それがいったい何なのか…… )」
孫六は思案しながら庭を見渡した。そこで不審なものを見つける。
「片瀬殿。あれは? 」
孫六は庭の一角を指さした。そこには不自然に木片が散らばっている場所がある。
「あれは殿が祠を建てたところです」
「祠? 」
「はい。この度の事件の前日に建てたものです。事件が起こった後、ご重役方が壊してしまいましたが。それで後片付けをしている途中に所司代の方がこられてそれからは打ち捨てられています」
新伍が話している途中から孫六は祠があった場所に向かった。そこには木片が散らばっている。
「ん? 」
そこで孫六は気付いた。祠があったであろう場所に何かが埋まっている。
孫六はそれを取り上げた。
「これは…… 」
「どうなされました」
孫六が取り上げたものを新伍は見た。そして二人そろって怪訝な顔をする。
孫六が見つけたのはロザリオであった。
「これは確かキリシタンの…… 」
そこで孫六ははっとした。そして足早に歩き出す。
「氷上殿? 」
「済まぬ。私はこれから京に向かう」
「はい!? 」
戸惑う新伍を背に孫六は足早に去っていった。
孫六は馬を飛ばし京に向かった。そしてそこで得た情報を手に八上に舞い戻った。
孫六は八上に戻ると複数の重臣に話を聞いた。そして翌日茂勝の許に向かう。茂勝は相変わらずの様子で佇んでいた。
孫六は座敷牢に入ると茂勝と向かい合った。茂勝は相変わらず穏やかな様子である。
「お久しぶりですね」
茂勝は微笑みながらそう言った。孫六はそれに答えず懐から何かを取り出す。そしてそれを茂勝の前に置く。
「これは」
茂勝は自分の前に置かれたものを見て驚いた。
「これは私のロザリオではないか。どこでこれを? 」
茂勝は嬉しそうにロザリオを取り上げる。そして嬉々とした様子で孫六に問いかけた。孫六は厳しい顔で茂勝を睨みつけている。
嬉しそうな茂勝と厳しい顔の孫六。二人の間を沈黙がつつむ。だが、しばらくして孫六が口を開いた。
「あなたはキリシタンですね」
「その通りです」
茂勝は笑って答えた。孫六は変わらず苦い顔をする。
この時期に関して言えば幕府はキリシタンを黙認していた。つまり積極的に迫害していたわけではないが、積極的に支援していたわけではない。
しかし豊臣秀吉が存命の時にはキリシタンの追放令や迫害などが行われていた。
孫六は茂勝をまっすぐに見つめる。
「あなたの御父上はかつて京都所司代の立場にあった」
「はい、その通りです」
「その折に多くのキリシタンを捕らえたそうですね」
孫六がそう言った瞬間、茂勝の顔色が変わった。そして今まで朗らかだった表情は一変し、暗いものになった。孫六は変わらずに話を続ける。
「玄以殿も元はキリシタンにも寛容だったそうですね。どうやら貴殿の兄上もキリシタンだったようだ」
「…… 」
「ですが太閤殿下がキリシタンの追放を命じられ、貴殿ら兄弟もキリシタンを止めさせられた。そうですね」
孫六の問いかけに茂勝は答えない。ただ暗い瞳で孫六をじっと睨みつけている。
「貴殿の兄上はキリシタンを止めることができず玄以殿に勘当されたそうですね。そして貴殿も表向きはともかく実際はキリシタンを捨てることができなかった」
「…… それで? 」
「貴殿はその事実を隠していたつもりだったが、尾池殿たちは気付いていた。尾池殿たちはあなたを改宗させようとしたがあなたは聞かなかった。そして、対立は深まりあの結果になった。そうですね」
茂勝は答えない。黙っている。
孫六は大きなため息をつくと最後の質問をした。
「なぜ、貴殿は尾池殿を斬ったのですか。その理由だけはわからない」
孫六はそう問いかけた。茂勝はうつむいたまま口を開く。
「奴は我らの主を否定した悪魔だ」
「悪魔? 」
「悪魔を、主の敵を討てば死後私は神の国に行ける」
茂勝は顔を上げた。その眼には狂気が宿っている。
「だから殺した」
茂勝はそう言い切った。孫六は茂勝の物言いを黙って聞くと立ち上がった。そして座敷牢から出ていく。茂勝の方を振り向くことはなかった。
後日、幕府は前田茂勝を改易とした。理由は乱心の挙句多くの家臣を死に至らしめたこと。キリシタンであったことを孫六は報告書には記さなかった。
「せっかく跡を継いだのに御乱心とはなあ」
「はい」
「全く何を考えているんだか。これで何人の家臣が路頭に迷うのやら」
「はい」
「やれやれ。くわばらくわばら」
孫六が報告書を上げた席で藤七は言った。そんな人ごとのような物言いが孫六にとっては救いになるようだった。
「とりあえず今回はご苦労だったな」
「いえ、これが私の仕事ですので」
「そうか。まあお疲れさん。そうだ。せっかくだからこの後一杯付き合わんか」
藤七はあっけらかんと言った。孫六は少し考え込んで答える。
「お付き合いさせていただきます」
「おお、珍しいな」
意外な孫六の答えに藤七は喜ぶのであった。
この事件の五年後、キリシタン大名が関わった事件をきっかけに幕府はキリスト教の禁教に踏み切る。これにより多くのキリシタンが迫害され命を落とした。
前田茂勝は改易の後、甥の堀尾忠治に預けられた。そしてその後は隠岐に配流される。その後の足取りはわからない。
この話では茂勝の凶行の理由は信仰を否定されたということにしました。ですが実際の理由はわかっていません。本当に乱心したのか家臣の諫言に怒ったためなのかそれは本当にわかりません。
今回登場した氷上孫六はオリジナルの人物ですが機会があればまた出してみたいと考えています。今のところ予定はありませんが。
さて次の話は九州の大友家家臣の話です。この人物はいつも以上に情報が少なくだいぶ苦戦しました。
最後に誤字脱字などがありましたらご連絡ください。では。




