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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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上杉定実 傀儡 第五話

 越後の覇権をかけての定実、定憲兄弟と長尾為景の死闘。その果てにあったのは定憲の死と為景の隠居であった。定実は守護に復帰するも名状しがたい。むなしさを感じていた。しかしそれでも越後は平穏を手にした。不安定な平穏を。

 定実の弟の上条定憲と長尾為景の死闘。この結果為景は隠居し第一線から退く。そして実権は定実の元に戻った、というわけではない。

 隠居したものの為景の影響力はそれほど変わっていなかった。この隠居した傑物が影響力を持ち続けるというのはいつの時代でもよくあることである。

 尤もこれについては定実もわかっていることである。

「越後を治めるには長尾家の、為景の力は不可欠。隠居で大人しくなってくれれば御の字だ」

 実際先だっての戦いが越後を二分するほどのものになったのは為景への不満が顕在化したのも理由である。ゆえに為景がそのまま権力の座についていてはいろいろ不都合もあったのだろう。それについては為景もわかっていたから隠居の要求も素直に受け入れた。国人の力の強い越後ではそこら辺のバランスをとるのも重要である。

結局のところ定実と為景の関係は持ちつ持たれつつ、というのが理想であったわけである。結果一番いいところに落ち着いたともいえた。一つ気になることと言えば為景が思った以上に隠居しているということである。

「政にここまで関わらなくなるとは」

 隠居後の為景は長尾家の運営にかかわることはあっても越後の政治にかかわることはあまりなかった。一応定実も上杉家臣たちも為景の存在を気にしているので影響はある。しかし為景自身が積極的に前に出てくることは無い。まるで本当に隠居しようと考えているようにも思えた。

「上杉への忠義は息子の任せるということか。しかしあの息子はな…… 」

 現在長尾家の当主は為景の嫡男の晴景である。定実は為景の隠居後の出仕してきた晴景と初めて顔を合わせた。

「(これが為景の息子なのか)」

 口にも表情にも出さなかったが定実は驚いた。というのも晴景がとても為景の息子とも思えない人物だったからだ。

 為景はいかにも猛将といったいかつい雰囲気の男である。それでいて切れ者だと一目でわかる眼光の鋭さも持っていた。

 一方晴景は物腰柔らかく良くも悪くも柔和な人物である。正直戦働きは期待できそうにない感じであった。眼光も優しげである。

 定実は困惑した。今の定実はかつての自分が野心だけはある軟弱ものだと思っている。そして目の前の男はかつての自分から野心を取ったような雰囲気であった。

「(この男で大丈夫なのか)」

 そう考える定実。しかしよく考えてみれば猛将に見えた為景も切れ者であり謀にも優れていた。晴景もこう見えて武闘派なところがあるかもしれない。

 定実はそう思って尋ねた。

「これよりはどう越後を治めたらいいか」

 それに対して晴景はこう答える。

「左様ですね。これよりは穏便に事を済ませていくことがよろしいかと」

「そ、そうか」

 為景とは違い、ある意味優等生な発言である。正直定実の不安は払しょくされなかった。


 定実は晴景に不安を抱いたが自身も別の不安を抱えている。定実にはこの年になっても男子がいなかった。

「上条家から養子でも取ろうと思っていたのだがな」

 実家の上条家は定憲が死んだ上に跡継ぎがいなかった。このため断絶してしまっている。また関東の上杉家もいろいろと混乱しており養子など望めない状況であった。

「このままでは越後上杉家が断絶してしまう。それだけはならん」

 自分の血など残さなくていいから越後上杉家の存続だけは何とか果たしたい。しかしながら名案は浮かばなかった。そんな時ある家臣がいい策があると提案してくる。その家臣の名は中条藤資といった。

 藤資は揚北衆に属する国人でなかなかの勢力を持っている。定実が越後守護になった時揚北衆は敵対していたが藤資だけは定実と為景に味方した。一方で定憲と為景が対立すると定憲に味方し定実を助けている。一貫して定実に味方していたといってもいい人物で、定実とも親戚関係にあった。そういうわけだから信頼しているし為景の隠居後は特に頼っている。

 定実は藤資に尋ねた。

「一体どういう策があるというのだ」

「はい。現在山内家や扇谷家はとても養子を出せる状況ではなく上条家も絶えております」

「そうだ。今上杉家に連なるものに頼ることは出来ん」

「その通りでございます。しかし定実様の縁戚の方に頼ることは出来ます」

 そう言われても定実には思い浮かばなかった。自分の縁戚というと定憲ぐらいしか思い浮かばない。

 藤資は定実が本当に分からないと気付いて助け舟を出した。

「定実様。積翠院様のことをお忘れですか」

 そう言われて定実は膝を叩く。

「ああ。そうか。姉上か。すっかり忘れていた」

 定実がやっと思い出したのは姉の積翠院のことである。姉のことを忘れるとは非情だと思われそうだがこれには理由があった。

「私が物心つく前に嫁に出たからな」

 積翠院は定実より十五歳ほど年長であった。この時代の大名の娘というのは他家に嫁に行き家と家とをつなぐ役割がある。積翠院は幸い早くに嫁入り先が見つかり定実の物心がつく前に嫁いでいった。そのため定実には積翠院の記憶はほとんどない。それでも定実は何とか覚えている限りの情報を思い出す。

「姉上は…… 確か陸奥南部(現福島県)の伊達家に嫁いだはずだが」

「その通りでございます。幸い子にも恵まれ無事に過ごしておいでだと」

「そうか。伊達家は大大名。そこで無事に過ごせるのならば幸いだろう」

 伊達家は近隣でもかなり大きな勢力を誇っている。越後にも多少影響力があるほどで会津の蘆名家など多数の勢力の上位に君臨していた。

「なるほど藤資。姉上から養子をもらおうというのだな」

 定実はそう考えた。一応姉の息子なら自分の甥。ちゃんと上条家の血と上杉家の血を持っている。ならば不足はないだろう。

 しかし藤資はこれを否定した。

「いえ。少し違います」

「少し? どういうことだ」

「積翠院様は子に恵まれましたが養子に行けるものはもうおりませぬ」

「何だと。ならばどうするのだ」

「今伊達家は積翠院様の子の稙宗様が当主となっております。実は稙宗様には某の妹が嫁いでいまして。といっても側室ですが」

「なるほどな。わかったぞ」

 ここで定実は藤資の意図に気づいた。

「その妹の子を養子にしようというのだな」

「その通りでございます。妹の子で稙宗さまの三男の時宗丸様がちょうどよろしいかと」

 定実の指摘に藤資は大げさに平伏した。つまり藤資は自分の縁戚の子を主君の養子にすることで影響力を持ちたいと考えていたのである。

「(なるほど目ざといな)」

 藤資の意図に定実は怒らなかった。この時代これぐらいできないとやっていけない。定実はそう考えている。

 定実は一応思案する。しかしほかに名案もない。

「分かった。お前の策で行こう」

「ありがたき幸せ」

 藤資はこれまで無私に定実に仕えてきた。少なくとも定実にはそう見えている。

「(まあ構わんだろう。どちらにせよほかに道はないのだろうし)」

 定実は気楽に了承するのであった。


 定実は伊達家から養子をもらうことを決心した。もちろんこれには家臣たちの了承も必要である。

「まあ皆納得してくれるだろう。問題は為景か」

 ここでも気になるのは為景の存在であった。隠居後も為景は長尾家の実権を握っているらしい。上杉家のことには極力関わらないようにしているらしいが、今までのことを考えると定実としては気がかりである。

「うまく晴景を通じて説得したいところだな」

 とりあえず家臣に伝えてからだろう。そう考えた定実は宇佐美定満をはじめとした家臣たちに今回のことを伝える。その場には晴景もいた。

「私はこの期に及んで嫡子がいない。このままでは上杉家が断絶してしまう。そこで伊達家の稙宗殿の三男、時宗丸をもらい跡継ぎとしたい。藤資がそう提案してくれた」

 定実は素直に言った。すると定満が進み出て言う。

「伊達稙宗殿は定実様の甥。その子ならば上杉の血も引いているというわけですね」

「その通りだ」

「ならば反対する理由もありますまい。我々はこれに従います」

「そうか。ならばこれよりは藤資を中心としてこの話を進めていこうと思う」

「承知しました」

 定満が代表としてそう言った。家臣たちも不服はなさそうである。それもそのはずで上杉家が無くなれば困るのは彼らであった。養子の取るのはやや遠縁の上他国の国主の息子である。ともすれば反対されるとも定実は考えた。しかしそれも取り越し苦労であったと言える。

「(皆も上杉あってのということなのだろう。一応は我々もまとまりができてきたと言うことか)」

 ともかく定実は家臣たちから養子の件の了承を取り付けた。しかし定実にとっては重要なことが一つある。

 今回の発表が終わると家臣たちは仕事に戻っていった。定実はすかさず晴景に話しかける。

「晴景よ」

「はい。何でしょう」

「そなたはこの件を急ぎ為景に伝えるのだ」

「父上に、ですか」

「そうだ。そしてなんと言ったかすぐに私に伝えるのだ」

 少しばかり必死な様子を見せる定実。晴景はそれに疑問を抱きつつもうなずいた。

「承知しました。すぐ父上に伝えます」

 晴景はすぐに自分の城に戻り今回の件を為景に伝えた。そして数日後に定実に報告する。

「父上は大層良いことだと申しておりました」

 にこやかに言う晴景。しかし定実はまだ信じられなかった。

「ほかに何か言っていなかったか? 」

「いえ。何も。ただただ定実様が跡継ぎを得られることに喜んでおられました」

「そ、そうか。それならいいのだ」

 定実はやっと安心する。正直為景は反対すると思っていた。根拠はないのだがこれまでずっと自分のやろうとしていたことは、為景に潰されていたからである。

「(やつも上杉家臣ということか。そもそも私を殺せなかったのは上杉家が途絶えるのを嫌っていたからだ。そんな為景が反対するはずもないか)」

 やっと安心した定実は晴景に言った。

「つまらん用事を頼んで悪かったな」

「いえ。ほかならぬ定実様のお頼みです。何も問題ありません。では失礼します」

 そう言って去る晴景。残された定実は安心した。

「これで上杉が絶えることもなく家も一体となった。やっと私も報われるか」

 一人笑う定実であった。

 

 為景の了承も得たところで養子取りの話は飛躍的に進んだ。そもそも為景はこの話に乗り気だったようである。

「実は先だって為景殿に相談したところ良い考えだと言われました」

 後日藤資はそう定実に話した。それを聞いて定実は胸をなでおろす。

「何だそうだったのか。ならばもう少し早くいってほしかったが」

「いえ。てっきり為景殿はすでにその旨を定実様に伝えていたのだと思っていたので」

「そうか…… まあいい。これで何の問題もなくなった。これで私も安心できる」

 定実もここでようやく安堵するのであった。

 一方為景は晴景にこう言った。

「領地から臨時に税を取り養子取りの費用に充てるのだ」

「定実様のためですか? しかしそのようなことをすれば民に負担が」

「多少ならば問題ない。頸城郡ならば多少の余裕はあるだろう」

「承知しました。それにしても定実様の為に身を切られるとは。流石父上。臣の鏡です」

 晴景はそんなことを言った。為景はそんな晴景の物言いを聞いて呆れ返る。

「(そんなわけあるまい。ここで動いておけば今後も長尾の家の存在感は消えん。それに定実にもその養子にも恩を売れる。そうすれば後々役に立つというものだ)」

 為景はそう考えていた。しかし晴景は全くそんなことは思いもよらぬ様子である。それに為景はあきれるばかりであった。

「(儂は影から上杉家を動かそうと思ったが、表の晴景がこれではどうしようもない。儂の息子とは思えんのんきさだ)」

 ため息をつく為景。一方の晴景はそんな為景の気持ちに全く気付かなかった。

 そんな長尾家の内情はともかく養子をとる話は着々と進んだ。この件については稙宗がかなり乗り気で積極的に動いているようである。これは自身の息子を通じて上杉家へ影響力を強めたいという稙宗の思惑があった。これまで稙宗は婚姻や養子を駆使して自分の勢力を広げている。今回の件もその一環であった。

「時宗丸が養子に入れば伊達家の力は奥羽だけでなく越後にまで及ぶ。そうなれば伊達家は東国で上杉をもしのぐ大名になるのだ」

 伊達稙宗という人物は相当の野心家であった。伊達家が東国に覇を唱えることを夢見て今まで生きてきたのである。野心家といえば為景と同じだが少しばかりスケールが大きかった。

「越後にも油断ならぬ男がいるようだが何も恐れることは無い。上杉自体が弱まっているのだから家臣の身では何もできまい」

 稙宗は為景のことも把握していたが何も恐れていない。それだけ修羅場くぐってきたのである。

「待ち遠しいな」

 稙宗は時宗丸が養子に入る日を今か今かと待ちわびるのであった。

 こうして三者三様の思いを抱え養子入りの話は進んでいった。しかし思いもよらぬ形で事態は急変していく。そして越後に再び混乱の日々が訪れる。


 今回の話は次の話の前振りだけの内容です。それだけにここで語ることも少ないのですが、やはり伊達稙宗のことは語らなければなりません。

 稙宗は有名な伊達政宗の曾祖父にあたります。稙宗は周辺勢力と婚姻関係を結びその上位に立つことで勢力を広げました。しかしこのつながりは政宗の時代までいろいろと影響を及ぼすことになります。今回の件も稙宗の得意の策というわけですがこれが越後に混乱を及ぼすことになります。その果てに何があるのかは次の話で。お楽しみに。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では

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