上杉定実 傀儡 第四話
定実は家臣の宇佐美房忠に擁立され為景に戦いを挑む。しかし為景の迅速な動きの前に敗れ房忠も戦死した。そして定実は幽閉されてしまう。それから二十年近くの時が流れ、定実がすべてをあきらめかけたとき事態は再び動き出す。
享禄三年(一五三〇)。この頃になると為景は幕府の有力者である細川高国の後ろ盾を得て越後を統治している。尤も越後国内の国人たちにはまだ為景への反感は残っており、定実の弟の上条定憲も反抗的な姿勢を取っていた。
こうした状況を定実もそれなりに把握している。幽閉されているのに異例といえた。尤もこの頃には定実もすべてをあきらめている。
「越後に関しては為景がうまく治めればよかろう」
もはや為景と戦う気も起きないようだった。こうした事情もあってか為景も定実にそこまで厳しい態度を取らなくなっている。幽閉されているのはそのままだが監視は緩み情報もそれなりに入ってきた。しかし上条家や国人たちとの連絡は封じられている。為景としても房忠の挙兵の時のようなことは何としても避けようと考えていた。
「念入りなことだ」
今の定実は越後が安定するなら為景が支配してもいいと思っている。何なら自分から委任することを伝えてもいいと思っていた。しかしそれでも定実を警戒しているのは懸念していることがあるからである。
「恐らく為景に逆らうものも多いのだろうな」
定実を生かし幕府の後ろ盾を得る。ここまでしなければ越後は治まらない。為景の動きはそうした状況を如実に示していた。
さて越後は忠房の敗死から二十年弱安定していた。しかしこの享禄三年に為景と定憲の間で抗争が起きる。これは為景と定憲がある家臣の対応について意見を対立させたのが原因であった。
この抗争は為景が勝利した。しかし重要なのは勝利したことではなくその内容である。定憲は抗争にあたって揚北衆などを味方につけようとしたが失敗した。これは揚北衆が為景との対決を嫌ったからである。つまり内心はどうであれ揚北衆は為景に従う姿勢を見せたのだ。
定実は驚きつつも納得した。
「戦えば損害が出る。しかし不服でも従っていれば損はしない。ましてや幕府の後ろ盾を持つ守護代に反発する意義はあまりにも少ないか」
為景も揚北衆や国人たちを無理に取り潰そうとはしていなかった。ならばわざわざ戦う必要もないということである。
この件は時の将軍足利義晴の調停という形で決着がついた。為景は定憲を討とうと考えていなかったのである。生かしておくのは厄介だが主家筋の人間を討つ方が損だと判断したのだろう。そしてそれができるほど為景の権力は安定しつつあった。
「これで越後も治まるか」
定実は名状し難いさみしさを感じていた。それは自分が乱世の動向に関われないことへのさみしさである。
しかし事態は思わぬ形で急変する。
享禄四年(一五三一)に機内で大物崩れと呼ばれる戦いが起きた。これは幕府の実権をめぐって行われた戦いである。
この戦いの結果、為景の後援者であった細川高国は敗北して自刃した。当然為景の権力にも動揺が生じ始める。しかし為景は堂々と言った。
「確かに高国殿の死は俺に不都合だ。しかし俺に反発している連中も大人しくなっている。ここは動じている姿を見せないことの方が正しかろう」
為景としてはこういう考え方であった。実際先年の戦いでは定憲に味方するものは少なく為景への反発心も薄まっているのだろうと考えられた。またもし合戦になっても勝てるという自信が為景にはある。そういう理由もあって為景は動かなかった。
一方で定実はこの為景の動きに懸念を覚えた。
「定憲の為景への怒りは大きい。先年の合戦もそれが消えていないからだ。今まで勝ってきたからとはいえ為景は定憲を少し甘く見ているのではないか」
今の定実としては為景が越後の平穏を保つのならばそれでいいと考えている。しかし定憲の、というか上条家の越後上杉家への忠節も否定できない。
「何事も起きなければいいのだが」
そう不安を感じる定実。しかし高国の死後も越後は平穏を保っている。定憲も挙兵するということは無く、楊北衆をはじめとする国人たちも大人しかった。むしろ不気味なほどに。
この不気味さを定実は強く感じていた。
「何か大掛かりなことでも起きそうな雰囲気だな」
実際幽閉されている春日山城はなんとも言えない剣呑な雰囲気になっている。このところ人の出入りが激しく合戦の準備を進めているようにも思える。しかし合戦前のある種の浮ついた、高揚感のようなものは感じられなかった。ただ名状し難い不安に抗おうという空気を出している。春日山城全体がそういう雰囲気なのだから、一番剣呑な雰囲気を出しているのはこの城の主だ。むろん定実ではない。為景である。
「為景も定憲が動かなすぎるのが気になるのだろうな」
為景は動かないことで自身の盤石さを見せつけようと考えていた。しかしあまりに回りが無反応なのでかえって不安を感じているのだろう。
「長尾為景とあろう男が情けないな。いや、やつも老いたということか」
定実はこの二十年ほどで自身が良くも悪くも変わったことを自覚している。長い年月というものはいやがおうにも人を変えるものだ。定実は為景もそうなのだろうとそこで理解する。
「変わらぬのは定憲の怒りのみ。ならば次に起こるのは…… 」
この時定実の中であることに確信が持てた。しかしそれを口に出す気はない。かえっていたずらに混乱を招くだろうし、いつそうなるのかは分からないからだ。
しかし定実は確信していた。
「(定憲は挙兵する。そして越後はこれまでで一番大きい内紛に陥るだろう)」
こう思うと同時にこんなことも思い浮かんだ。
「(案外為景も同じようなことを考えているのかもしれんな)」
この時為景が定実と同じことを考えていたかは分からない。しかし天文二年(一五三三)に定実がおもっていた通りの事態が起きた。そして定実と為景の運命を大きく変える事態が起きるのである。
天文二年。上条定憲は挙兵した。これは今までにない規模のものとなった。
まず定憲に味方した勢力だが、やはり揚北衆は参戦した。これに加えて上田長尾家も定憲に味方する。
上田長尾家はその名の通り長尾家の一族である。越後長尾家の分家の存在にあたるが為景とはいささか仲が悪かった。
「こちらは一族で争うか。しかし今回は定憲方につくのか」
これまで上田長尾家は為景と行動を共にしていた。これはやはり為景の力量を恐れて従っていたからであり、本心は別のところにあったのであろう。そして今回敵対したのは定憲に勝機を見出したとがんが得られる。
事実定憲は必勝を期して越後国外の勢力にも協力を求めた。具体的には会津(現福島県)の蘆名家。出羽(現山形県及び秋田県)の砂越家などである。彼らは越後の北部に隣接した地域の勢力であった。越後の南部に隣接している越中は為景の勢力が及んでいる。しかし北部は揚北衆の存在もありなかなか影響力を及ぼせなかった。定憲はそこをついて越後北部に強力な反為景勢力を作り上げたのである。
「これで越後は二分されるか。しかしもはや私も気にせず攻めかかってくるとは」
定実は定憲がそこまで為景打倒に執念を燃やしているとは思わなかった。しかし今回の陣容には定憲の本気がうかがえる。
こうして始まった戦いは一進一退の攻防を繰り広げた。為景は越後南部の勢力を結集して定憲を迎え撃つ。戦況は為景が若干有利だが定憲も死に物狂いで戦った。そして戦いはなかなか終わらず二年が経過し天文四年(一五三五)になった。
この戦の中で定実は放っておかれた。これについてはさすがに定実も不機嫌になる。
「まあいい。もはや私が死のうと関係ないのだろう」
少しだけ定実は投げやりに気持ちになっていた。ところがそんな定実を驚かせる事態が起きる。何と春日山城に詰めていた上杉家臣の一部が定実を解放しに来たのだ。
その筆頭であったのが今は亡き宇佐美房忠の息子の定満である。
「定実様。今は亡き父に代わりお助けに参りました」
「なんと…… まさか房忠の息子が現れるとは」
これには定実の感動もひとしおであった。ともかく定実は定満や家臣に連れられ春日山城を脱する。更にこれと時を同じくして為景に従っていた上杉家臣の一部や国人たちが離反し定憲方に就いた。
「そなたの謀か? 」
定実は定満に尋ねた。すると定満はこう答える。
「いえ。定憲さまが前々から進めていたことです。私はそれにわずかながら助力しただけのこと」
「そうか。定憲はひそかに機をうかがっていたのだな」
「はい。しかし為景殿の威光は大きくなかなかに事を運べず…… 」
「いや、気にするな。何もできなかった私とは大違いだ」
しみじみと自虐を言う定実。それに対して定満は苦笑いするしかなかった。
こうして春日山城を脱出した定実。これにより定憲方の意気は上がる。
「この機に為景を討ち滅ぼしてくれる」
そう言って攻勢を仕掛けるが為景もそんな簡単に敗れる男ではない。戦況は徐々に膠着していった。
そして天文五年(一五三六)四月、越後の三分一原において決戦が行われる。この時定実は後方で待機していた。定憲いわく
「大将というものは後方で控えるものです」
という事らしい。
定実は素直にこれに従った。
「(まあ私が前に出ても足手まといであろうからな)」
こうして定実は後方に置いたまま定憲と為景の決戦は始まった。定実は後方で時折やってくる伝令から事細かに情報を伝えられる。
「まずは御味方が優勢の御様子」
「そうか。優勢か」
「はい。宇佐美様のお働きが大きいようです」
「そうか定満は頑張っているか」
「ただ柿崎様はいささか槍働きが鈍いとのことです」
ここで名前の挙がった柿崎というのは上杉家に仕える国人の柿崎景家のことである。景家は猛将と評判だったので定実は不思議がった。
「槍働きが鈍い? どうしてだ? 」
「いえ、それは分かりませぬが」
伝令もその理由は分からないようであった。しかしそれからしばらくして駆け込んできた伝令がその理由を語ってくれた。
「柿崎景家様! 寝返りにございます! 」
これが景家の動きが鈍かった理由である。定実は溜息をついた。
「為景め。やってくれる」
伝令が言うには景家の寝返りで戦況は為景の有利に傾いたそうだ。定憲や定満をはじめとした面々は奮戦しているようだが苦しいようである。
伝令から報告を聞いた定実は家臣に指示を出す。
「いつでも撤退できるように準備しておけ。それとどうにか定憲たちに撤退するように伝えてもらえるか」
「かしこまりました」
家臣たちも敗北を悟ったのか迅速な行動を始める。定実はじっと待った。
「(私がバタバタ動いても皆を困らせるだけだからな)」
この頃の定実はこんな悲しい悟りまで開いている。
それはそれとして定実のもとに再び伝令が駆け込んできた。
「定憲さまは殿になると申しております」
「分かったならば我々はここに残り定憲を待つ。他の皆は撤退させろ」
「承知しました」
この伝令が戻った後で次々と味方が敗走してくる。定実は撤退してきた者たちにこう言った。
「ともかく生き延びよ」
こう言われて皆自分の兵と共に必死で逃げていく。定実のものととどまったのは定満とその兵たちだけであった。
「そなたは逃げんのか」
「私も定憲さまを待ちます」
「そうか…… すまん」
やがて定憲の軍勢も後退してきた。その数は出陣したときの四分の一以下にまで減っている。定憲も負傷していた。
「申し訳ありませぬ。兄上」
「気にするな。ともかく急いで逃げるぞ」
定憲を収容した定実は共に上条家の城まで逃げ延びるのであった。
こうして三分一原の戦いは為景の勝利で終わった。しかしこの後思いもよらぬ展開が定実を待ち受けていたのである。
三分一原の戦いは為景の勝利で終わった。こうなった以上定実は覚悟を決める。
「最悪私の命で納めてもらうしかあるまいな。もはやそれぐらいしか私の命の価値はない」
なんとも悲惨な想像をする定実。ところが為景から驚くべき申し出があった。
「和睦したい、と」
「はい。為景殿はもう戦は終わりにしたいと申しております」
「それは本心だと思うか? 定満」
「恐らくは。先の戦で我らは負けましたが為景殿も大層な痛手を被ったようです」
実際三分一原の戦いでは定憲の奮戦もあり為景方は相当の損害を被ったらしい。景家の寝返りがなければ負けていたほどだそうだ。
「為景殿もこれ以上の消耗は避けたいと考えているのでしょう」
「それはこちらも同じだがな」
この時定憲は戦の怪我がもとで寝込んでいた。もはや再起できないほどのダメージを負っているようである。
定満は定実に尋ねた。
「いかがいたします? 」
少し考えてから定実は言った。
「…… 為景の隠居。これが条件だ」
定実としては何の条件もなしに和睦するのは定憲への侮辱だと考えた。とはいえ相手が飲めそうな条件は限られる。
隠居というと引退をさせると思われそうだがそのまま家の実権を握ることは出来た。というか為景ならそうするだろうという目算が定実にはある。
この定実の条件を為景は飲んだ。この結果定実は春日山城に戻り為景は隠居する。
この時定実と為景は顔を合わせた。久しぶりに会う為景の顔つきはだいぶ変わっている。なんだか疲れ切っているように見えた。
「ずいぶんと顔つきが変わったな」
この定実の皮肉とも素直な感想とも取れる言葉に為景は何も言わなかった。そして疲れ切った表情のまま自分の屋敷に戻っていく。
こうして越後の内乱は終結し定実は守護に復帰した。しかしこの立役者ともいえる弟の定憲はもうこの世のものではない。
定憲は為景の隠居を知ったすぐ後に死んだ。安らかな表情だったという。
「これから生きなければいかんというに」
定実は守護の復帰したこれからこそ定憲に生きてほしかった。しかし定憲は為景打倒に命を燃やして死んでしまう。安らかな死に顔はそれがすべてであったと雄弁に語っているようであった。
「何のための戦いだったのか」
戻してもらった守護の座で定実は名状し難いむなしさを感じるのであった。
この話を書くにあたって驚いたのですが定実は二十年間にわたって幽閉されました。権力闘争に負けた者が都合があって幽閉されるというのは戦国時代では所々で見受けられます。しかしそれでも二十年というのはそうそうない話です。尤も殺してしまえば誰かが新し守護を立て刃向かってくるので為景としてはそうするしかなかったのでしょう。この二十年は定実だけでなく為景も苦々しい思いをしていたのかも知れませんね。
さて為景の隠居で定実は一応権力を回復させました。しかし再び越後で騒動が起きてしまいます。定実はどうなるのか。お楽しみに。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では




