三浦義同 文武二道ノ良将 第六話
宿敵、伊勢宗瑞をあと一歩のところまで追い詰めた道寸。しかし予期せぬ事態により勝利はつかめなかった。そして関東はまたもや混乱に陥る。そんな中で道寸にも最期の時が近づこうとしていた。
宗瑞との戦いが不本意な形で終わった翌年、道寸は息子の元服の儀を行った。
「これでお前は一人前。これからは義意と名乗れ」
「承知しました。父上」
かしこまって礼を言う義意だが非常に優れた体格をしている。道寸は別に小柄なわけではないが義意と並ぶと小さく見えた。
義意は体格だけでなく性格もおおらかであった。しかし体に負けない勇猛さと豪快さを持ち合わせている。いささか血の気が多いのが気になるところであったが人の話もちゃんと聞く性格であった。
「見た目も心もよくできた息子だ。三浦家を背負って立つには申し分ない」
道寸は家臣によくそう言っていた。そんな可愛い息子の待望の元服なのだから道寸の心も少しは晴れる。
「本当にめでたい。よき日だ」
「珍しいですね。父上がそんなに喜ぶとは」
「なに。このところ気が晴れなかったからな」
そう言って道寸はため息をこぼした。
道寸の心を曇らせていたのは先年から山内家の件である。山内家の家督争いは朝良が調停を行っていたが先日破談した。山内家は今でも内紛を続けており収まる気配を見せない。また古河公方の内紛も続いていた。しかも古河公方足利政氏の次男が挙兵し父とも兄とも対立する姿勢を見せている。関東はますます混沌の度を深めていた。
こうした状況の中で相模は不気味なほど平穏であった。それこそ道寸の息子の元服が行えるほどである。
「(私の思っている以上に宗瑞殿は消耗したのだな)」
相模の戦乱の原因といえる伊勢宗瑞はこのところ目立った動きを見せていない。以前は今川家の将としての活動も見られたがそれすらなかった。それは先年の戦いでの傷がまだ言えていないことの証といえる。
「(返す返す顕定様の戦死が響いたのだな。あと少しで小田原は手に入れられたというのに。本当に悔やむばかりだ)」
いくら心を切り替えても無念さが消えるわけではない。あの時のことを思い返すたびに道寸の心は苦しんだ。
義意はそんな道寸の心を察してかこう言った。
「これからはこの拙者が父上をお助けします。宗瑞殿の軍勢など追い払って見せましょう」
「そうか…… そうだな。期待しているぞ。義意」
「お任せください。父上」
別に義意は宗瑞を侮っているわけではない。元服前から道寸に伊勢宗瑞の手並みのすさまじさを聞きある種の敬意を抱くほどであった。
それでも敬愛する父の心を晴らすには宗瑞を倒さなくてはならない。義意はそれを己の宿願としている。
「(父上の足りぬ部分は拙者が補って見せる。そうすれば宗瑞殿にも勝てるはずだ)」
義意は元服を機に改めて決意するのであった。
永正九年(一五一二)この年、道寸は相模の岡崎城にいた。ここは小田原城をにらむ位置にある。
三浦氏の本拠地である三崎城は義意が守っていた。道寸は義意の元服を機に三浦家の体制を義意主体のものに切り替えようと考えている。
「扇谷家への奉公などは義意が行い私は宗瑞殿への対応に専念する。これが三浦家にとって最良の策だ」
これも義意の元服があってこその方策である。息子が一人前になったことで扇谷家臣としての役割を任すことができた。道寸としては宗瑞への対処をしやすい体制を整えておきたいところである。しかし悲しいかなこの行動は遅きに喫した。
「宗瑞殿が岡崎城に向かっているだと!? 」
驚く道寸。まだこの時の岡崎城は十分な防衛体制がとれておらず兵も十分ではなかった。
道寸の失策は宗瑞の体制の立て直しのスピードを甘く見ていたことにある。この二年で宗瑞は体勢を立て直すだけでなく勢力も増していた。
「いかんぞ。今の岡崎城では防げん」
今の岡崎城ではとてもではないが宗瑞の猛攻を防げそうになかった。
「ここは退くしかあるまい」
道寸は急ぎ撤退の準備をする。岡崎城と三崎城の間には住吉城があった。ここの兵力と岡崎城の兵力を合わせれば対抗できる。道寸はそう判断した。
急いで撤退の準備を始める道寸。ところが宗瑞はいち早く調略の手を伸ばしており岡崎城周辺の勢力を味方につけていた。この結果岡崎城への侵攻はスムーズに進み宗瑞の率いる兵力も増強される。
「扇谷家の権威もここまで落ちたか」
諸勢力がそろって宗瑞に協力したのは相模を支配する扇谷家の権威が低下したことが背景にある。この時代各地域を治める諸勢力は自分たちを庇護してくれる存在を求めていた。もはや扇谷家はそうした存在ではなく、扇谷家に従う三浦家も同様である。そして今川家という強力な後援者を持ち勢いに乗る伊勢家が新たな庇護者として求められるのは当然の帰結であった。
道寸が岡崎城から逃れる準備ができたときにはすでに伊勢家の軍勢が目の前に迫っていた。何とか兵を率いて岡崎城から脱出するも敵に進路を阻まれてしまう。
「これはいかん。しかしここで死ぬわけにはいかんのだ」
兵をまとめ強行突破を試みる道寸。敵もまさか真正面から突撃してくるとは思わなかったのか動揺したようだった。道寸はそのすきを突き敵陣を突破する。だが損害も大きい。
「これでは住吉城に言ったところで凌げるはずもない」
そう思う道寸だが他に策もない。住吉城を失えば主な城は三崎城だけになる。道寸は残りの兵と共に住吉城に籠った。そして襲い掛かる宗瑞の兵を迎え撃つ。
「たとえ援軍が来なくともやるしかない」
扇谷家は山内家と古河公方の内紛に巻き込まれ身動きが取れない。援軍など来るはずもなかった。それでも長期戦に持ち込めば敵の勢いは削げる。そうすれば宗瑞に従う勢力の中に消極的な気持ちになるものも出てこよう。そうすれば何とか状況を打破できるかもしれない。
これらの考えは希望的観測を多量に含んでいる。しかし今の道寸はそれに縋ることしかできないほど追い詰められていた。
「やるしかないのだ…… やるしか」
そして住吉城に宗瑞率いる伊勢家の大軍が押し寄せてきた。道寸は住吉城の兵と共にこれを迎え撃つ。結果は見えていた。
「生き残ることしかできんとは」
道寸は生き延びた兵と共に住吉城から落ち延びていた。住吉城は伊勢家の大軍を防ぎきれず落城する。
宗瑞も長期戦の不利を悟っていたようだった。そのため兵力に任せた力攻めを行ったようである。ともかく住吉城は落城し相模の大半は伊勢家の手に落ちるのであった。
三崎城に戻った道寸は義意に迎え入れられた。
「父上…… よくぞご無事で」
「無事ではない。兵を多く失ってしまった」
そう言ってうなだれる道寸。義意はここまで打ちひしがれる父親の姿を見たことがなかった。
「(これからだという時にこの有様だからな。拙者も何もできなかった)」
義意も現状を苦々しく思う。これから父子力を合わせて反抗だという時にこの事態だ。義意もうなだれるしかない。
しかしへこたれている場合ではない。義意は一応手を打っておいた。
「父上。朝良様に援軍を要請しておきました。先ほどすぐに援軍を送るという返事も来ました。我らは城に籠り後詰を待ちましょう」
「そうか。援軍を送ってくれるか」
義意は道寸が岡崎城から撤退した時点で扇谷家に援軍を要請しておいた。朝良もここに至って三浦家の窮地を見過ごせないと判断したのか即座に援軍の派遣を決定したという。
「この状況でよく…… いや、ありがたいことだ」
「その通りです。三崎城は堅城。兵も十分にいます。うまくいけば宗瑞殿の軍勢を挟撃して殲滅できるかもしれません」
三崎城は三浦半島の先端にあり周囲を海に囲まれている。義意はここに敵兵をひきつけて凌ぎやってきた援軍と共に挟撃すれば、逃げ場のない伊勢家の軍勢は殲滅できると判断したのだ。
道寸もそれは分かる。しかし
「そううまくいくか」
とつぶやいた。そして続けて言う。
「宗瑞殿もそれは分かっているはず。我らが三崎城に籠れば確実に取る戦略だろう」
「しかし…… 宗瑞殿はこちらに向かっているのでしょう? 」
「そうだな…… いやいい。ともかく我らは体勢を立て直すことを急ごう。どうなろうとも城から出られる状態でなければ意味がない」
「分かりました。父上」
義意は道寸の懸念が分からなかったが素直に従った。一方の道寸は宗瑞が進軍しているであろう北の方角をにらんでいる。
道寸が三崎城に帰還したころ扇谷家の援軍は道寸たちを救援すべく進軍していた。大将を務めるのは太田資康。道寸の娘婿であり義意の義兄弟でもある。
「大恩ある義父上を助けるのだ」
資康は扇谷定正に謀殺された太田道灌の息子である。それゆえに扇谷家から離反していたが道寸の手引きで扇谷家に復帰した。資康は、定正はともかく扇谷家には恨みはない。むしろ父の跡を継ぎ盛り立てたいと思っていたので本心では扇谷家に復帰したいと考えていた。それを手助けしてくれたのが道寸である。資康からしてみれば道寸は舅である以上に大恩人であった。
「ここで伊勢殿を打ち倒し相模を取り戻す。そうすれば扇谷家の権威も復活するだろう」
この一戦に道寸たち三浦家や扇谷家の行く末もかかる。それが資康の心を燃え上がらせた。
「恐らく伊勢殿は三崎城に攻めかかるだろう。そうなれば我らが退路を防ぎ義父上が三崎城から出陣すれば挟撃できる。そうなれば勝利は確実だ」
資康は義意と同じ作戦を考えていた。確かにそれができれば勝利は確実だろう。しかし悲しいかな現実はそう甘くない。そもそもわざわざ死地に行くようなことを伊勢宗瑞ともあろうものがするはずもなかった。
宗瑞は撤退する道寸を追撃する為に三浦半島を南下し始めた。しかしこれはフェイクでありタイミングを見計らって三浦半島を北上。ちょうど半島に入ろうとしていた資康の軍勢を迎え撃った。
驚いたのは資康である。軍勢も動揺した。
「馬鹿な!? 何故伊勢家の軍勢がこんなところに」
もし兵を率いているのが資康の父の道灌なら宗瑞の動きを見破ったかもしれない。しかし資康の資質は父に及ばなかった。
結局資康率いる扇谷家の軍勢は動揺している隙に宗瑞の攻撃を受け壊滅した。更に資康もこの戦いで討ち死にしてしまう。
道寸たちは三崎城でこの報告を聞いた。
「なんという事だ…… 」
肩を落とす義意。一方の道寸は沈痛な表情でこの報告を受け止める。
「資康殿…… すまん」
道寸は資康に謝った。もし三崎城から兵を出せれば一応挟撃は出来る。そうれができれば資康が死ぬこともなかったかもしれない。尤もそれができないほど道寸たちは消耗していたのだが。
「ここからが苦しいだろう。しかしあきらめんぞ」
この悲劇にむしろ道寸の心は沸き立った。こうなった以上は何としてでも宗瑞に煮え湯を飲ませる。そう誓う道寸であった。
扇谷家の援軍が壊滅した以上、道寸たちに取れる手段は籠城しかない。だが援軍の期待はできない。
「今回の敗戦で扇谷家は甚大な被害を受けましたからね」
「それでも我らにできるのは籠城ぐらいだ」
まだ立ち直れていない義意に対し道寸は覚悟を決めていた。義意もそんな父の姿に腹を決める。
「この上は宗瑞殿を三崎にくぎ付けにして見せましょう」
「当然だ。宗瑞殿の思うようにはいかせないさ」
決意も新たに道寸と義意は動き出す。幸い三浦家には優秀な水軍がいた。彼らを生かせば兵糧に問題はなさそうである。また地形の関係で戦力を一点に集中させられるのも三崎城の利点であった。
「さあ来るがいい」
永正十年(一五一三)三崎城は伊勢家の軍勢に包囲された。そして攻撃を受けるも道寸たちは撃退する。宗瑞は三崎城の攻略が難しいと判断し長期包囲する構えを見せるのであった。
三崎城を包囲する伊勢家の軍勢は大軍であった。しかし道寸は伊勢家の攻撃を三年にわたって防ぐ。結果宗瑞の動きは三崎に釘付けとなった。
「あとは朝良様が扇谷家を立て直せるかどうかだが」
この三年の間で山内家の内紛はひと段落した。しかし古河公方の内紛はまだ収まらず扇谷家の立て直しも順調ではない。
一方で宗瑞は道寸に動きを制限されながらも相模の支配を固めていった。もはや扇谷家の付け入るスキがないほどである。
「もはやこれまでか」
こうなった以上道寸はいよいよ覚悟を決めた。また伊勢家が総攻撃の準備に入ったという情報も入っている。
「三年。我ながらよく守ったものだ」
道寸としてはやるべきことはすべてやった。思った以上に悔いはない。
一方義意も覚悟を決めているようだった。
「もはやこれまでということですか。父上」
「そうだな。しかし悪あがきはさせてもらおう」
「勿論です。三浦家の勇名を後世に残して見せましょう」
そして伊勢家の総攻撃が始まった。いくら三崎城が堅城でも兵力に差がありすぎる。伊勢家の力攻めは激しく城もどんどん制圧されていった。
「これまでか」
道寸は主だった家臣を集めた。こうなった以上潔く切腹するつもりである。
「義意。お前はどうする」
「拙者は考えがありますので」
義意は切腹するつもりはないようだった。道寸も無理強いしようとは思わなかったので何も言わない。そして静かに腹を切った。
「お見事です。父上」
父の切腹を見届けると義意は残った家臣を連れて城を出た。そして伊勢家の軍勢に突撃する。
「源平の頃からの名家。三浦家の武士が意地を見せてくれようぞ! 」
義意はそう叫ぶと敵兵の海に飛び込み暴れまわった。そして兵をなぎ倒して言ったという。恐るべきことに討たれた兵は五百に上った。
しかしそれも限界が来る。義意は限界を悟ると自害して果てた。
こうして三浦家は滅亡したのである。
三浦家の滅亡で扇谷家は相模での勢力を完全に失った。ただでさえ弱体化していた扇谷家は益々衰退していく。また衰退していったのは扇谷家だけではない。山内家も古河公方も内紛の傷がいえず勢力を弱めた。
こうして関東の旧体制が瓦解していく中で宗瑞は関東へ本格的に進出していく。そしてこの氏綱の代に姓を北条と変えた。そして扇谷家を滅ぼし山内家や古河公方の領地も支配下におさめる。しかしその北条家も遠い未来には天下統一の流れの中で滅亡した。
さて道寸は「文武二道ノ良将」と呼ばれた。武は言わずもがな、文に関しては当代一の歌人の東常縁の指導を受け優秀であったという。
そんな道寸の辞世の句が残っている。
「討つ者も 討たるる者も 土器よ
くだけて後は もとの土くれ」
おそらく道寸は乱世の無常さをよくわかっていたのだろう。それをよく感じさせる歌である。
戦国時代関東に覇を唱えた北条家の初代が北条早雲こと伊勢宗瑞です。彼ら北条家は旧勢力の内紛で混乱し続ける関東に新し風を吹き込み関東統一の一歩手前まで行きました。そんな北条家の最初の強敵が今回の主人公の三浦道寸だったわけです。道寸は扇谷家の家臣として関東にやってきた宗瑞と戦い続けました。しかし戦いに敗れやがて扇谷家も北条家に滅ぼされます。しかし北条家もまた天下統一を目指す豊臣秀吉に滅ぼされました。そして豊臣家も徳川家に滅ぼされて戦国時代は終わります。それが歴史の流れというものなのでしょうがやはり切なさを感じずにはいられませんね。道寸の辞世の句は本当にそう言った切なさを感じさせます。
さて次ななる主人公ですが越後上杉家の人物です。越後、つまりは新潟の人物ですが彼の行動はいろいろな場所に影響を及ぼします。お楽しみに。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では




