三浦義同 文武二道ノ良将 第四話
扇谷家を覆う混沌の中で道寸は三浦家に復帰した。そして実力で三浦家の当主の座に就く。新たに三浦家の当主となった道寸に待受けるのは新たな時代の風であった。
道寸は三浦家の家督を継承し、高救も扇谷家に戻った。しかしこれで順風満帆に事が進むわけではない。当時の扇谷家は苦境に立たされていた。
「ここまで押されているとは」
改めて状況を確認した道寸は悲嘆にくれる。現在相模で扇谷家の領地といえるのは三浦家が抑えている土地とほか僅かであった。大森家の領国もかなり山内家の手に落ちている。
こうした苦境の中で扇谷家は駿河の今川家と手を結ぶことにした。これに対して不安を覚える道寸。
「手を借りるのはいいとして返す当てがあるのか? 」
当然だが前提として同盟を結ぶのには利害の一致が必要である。そのうえで相手を動かすだけの見返りがなければ大して同盟を結ぶ意味もないだろう。しかしその見返りを出せる状況に扇谷家はあるのか。道寸はそこが気になる。
「朝良も朝昌も何か考えはあると思うが」
高救もそこが気になるようだった。扇谷家に復帰した高救は相模にとどまり道寸の手助けをしている。
道寸は父の発言にうなずく。
「それはもちろんのことでしょう。しかし一体何を見返りに出すのでしょうか」
「金や地位ではあるまい。ならば土地ぐらいしか無いが」
「土地…… いったいどこの土地なのでしょうね」
何やら道寸は嫌な予感を思えた。
ともかく扇谷家と今川家の間で同盟は結ばれた。そして明応五年(一四九六)にこの同盟の効果がさっそく発揮される。
明応五年に大森藤頼の籠る小田原城が山内家に攻撃された。この時援軍として伊勢宗瑞の弟の弥五郎が送られている。しかし山内家の攻撃はすさまじく藤頼達は追い詰められた。
この報せを聞いた道寸は自ら兵を率いて出陣した。
「かつての恩を返す時だ! 」
三浦家の家督を手に入れたときの恩義に報いるときである。道寸は急ぎ小田原へ向かった。しかし間に合わず小田原城は落城してしまう。
「間に合わなかったか…… 」
落胆する道寸。そんなときに同じく援軍に来ていた宗瑞から使者がやってきた。使者は宗瑞からの口上を述べる。
「敵は城を落とし安堵しきっております。ここは急ぎ城を攻めるべきです」
口上を聞いた道寸はすぐに気を取り直した。そして使者に了承の旨を伝えると直ぐに宗瑞と合流する。すでに藤頼や弥五郎も合流していた。
道寸は宗瑞に感謝した。
「此度の援兵。ありがたく思います。この上はともに山内を小田原城から追い出しましょう」
意気込む道寸。一方の宗瑞も気合十分の様子であった。
「勿論です三浦殿。ここで大きく勝ち今後の弾みとしましょう。ゆくゆくは山内の者どもを追い出して見せます」
そう意気揚々と言う宗瑞。その眼には燃えるような野心がともっている。
「(なんと精強な男か。こんな男が味方にいればいいが敵に回ったら…… )」
道寸の心に宗瑞への警戒心がともる。しかし今はそんなことを気にしている場合ではない。
「(今はまず小田原城の奪還だ)」
まずは当座の目的を果たすために三浦家と今川家の軍勢は小田原へ向かった。小田原城を制圧した山内家の軍勢はこんな早く奪還しにくるとは思っていなかったのか騒然となる。
「なんという事だ。これでは戦にならん」
山内家はすぐに小田原城を放棄し出ていった。
道寸はこれで一安心と小田原城に藤頼を入れる。
「これでご恩は返せましたかな」
「いやいや。むしろこちらに恩ができました」
そうにこやかに話す二人。すると宗瑞がやってきた。そしてこう言う。
「これより我らは敵を追撃します」
それを聞いた道寸は慌てていった。
「なんと。ならば我らも」
「いえ、お気になさらず。我らだけで十分です」
そう言って宗瑞は足早に去る。実際宗瑞の活躍はすさまじく山内家の兵を追い散らしていくのであった。
「なんと恐ろしい男だ」
道寸は宗瑞への畏敬と警戒心を強めるのであった。
ひとまず小田原城の奪還は成功し藤頼は帰還できた。また明応五年には道寸にも待望の男子が誕生している。更に相模で山内家に制圧されていた地域は扇谷家の手に戻った。
一見扇谷家にも三浦家にもいいことだらけのように見える。しかし道寸の気は重かった。そんな道寸に高救が声をかける。
「せっかく男子が生まれたというのに。何故そんな暗い顔をしているのだ」
高救の問いに道寸はこう答えた。
「息子の先を心配しております」
「何を心配する? 」
「此度山内家を相模から追い出したのは宗瑞殿の手腕のおかげ。扇谷家の力ではございませぬ」
道寸は苦々しく言った。実際相模を扇谷家の領地に復帰させられたのは宗瑞率いる今川家の援軍の力が大きい、というか頼りきりであった。扇谷家が全体的に劣勢の現状では道寸も自分の領地を維持するのに精いっぱいである。
道寸としてはこの現状が不安であった。
「扇谷家は今川家と宗瑞殿に頼りすぎている。この状態でどんな見返りを返すというのでしょうか」
「確かにそうだな。まさか我らの土地を差し出されると思っているのか? 」
「それも十分にあり得るかと。どちらにせよ扇谷家の未来は暗いと感じます。息子が大きくなるまでにどんなことになっているのか」
「そんなに心配するな。いざという時は私も力を尽くそう」
高救はそう言って道寸の肩をたたく。昔に比べてすっかり力は落ちているが不思議と心強かった。
「父上にそう言ってもらえるとありがたいです」
少しだけ安心する道寸だが、このあとで衝撃的な出来事が起こった。何と小田原城と周辺の領地が今川家に譲られたのである。
「何という事だ! 朝良さまは何を考えておられるのだ」
この朝昌は出家して朝良の後見から退いている。つまりこの件は朝良の意思であるのが明白であった。
道寸は朝良に尋ねた。
「長く扇谷家に仕えてくれた大森家の城を他家に渡すとはどういうことですか」
いつになく厳しい口調で言う道寸。それに対し朝良は苦しそうに答えた。
「道寸の言うこともわかる。しかし今川家に返せる礼がもはや小田原を譲ることしかないのだ」
「しかしそれでは藤頼殿が」
「それについては申し訳なく思う。すまんが三浦家で養ってやってくれ」
あまりに投げやりな対応に道寸は絶句した。しかしそれを拒否する気などない。
「分かりました。藤頼殿は三浦家に迎え入れます」
道寸はそう返答するしかなかった。
やがて小田原城が今川家に譲られると藤頼は三浦家にやってきた。道寸の前に姿を現した藤頼は相当気落ちしているようである。
「父上に一体何といえばいいのか」
開口一番に藤頼はこう言った。これに道寸は何といえばいいのかわからない。そんな道寸に藤頼はこう告げる。
「小田原城に入ったのは宗瑞殿のようだよ」
「やはり…… 」
不思議とそれは確信できていた。そして宗瑞との戦いが長く続くことも。
藤頼を保護した道寸は宗瑞との敵対を決意した。
「これ以上伊勢殿を野放しにすれば扇谷家の未来にもかかわる」
現在扇谷家と今川家の同盟はいったん解消されている。あくまで相模の山内家の打倒が扇谷家の目的であり、今川家としてもその見返りが入った以上扇谷家に手を貸す理由はなかった。
「まあお前の好きにしたらよかろう」
朝良は投げやりに言う。道寸は常々朝良の覇気のなさにあきれていた。
「(定正様はいささか血の気が多すぎた。しかし朝良様は血の気がなさすぎる)」
どちらかといえば線の細い朝良は定正と違い戦に積極的ではない。山内家との戦いでも押されっぱなしであった。一応それを補う方法を考えた結果今川家との同盟であるが結局領地を失う形になっている。
道寸は呆れつつも一応の許可が取れたことを喜んだ。
「ともかく小田原を奪還することを目指そう。小田原に藤頼殿を返すのだ」
そう心に決めて道寸は相模の宗瑞の領地に攻め込む。戦いは一進一退の攻防を繰り広げなかなか決着がつかなかった。
なかなか好転しない状況に藤頼は肩を落とす。
「やはり宗瑞殿は手ごわいな。味方の時は本当に心強かった」
「全くです。それに急がなければ山内家も動きましょう」
現在扇谷家と山内家の戦いも膠着状態に入っていた。また宗瑞は伊豆を領地としているがこの地は元々山内家の土地である。そのため今川家、というより宗瑞は山内家とも敵対していた。また山内家も宗瑞に攻撃を加えている状況である。三つ巴ともいえる状況であった。
「こちらも別の方法を模索しなければならないかもしれない」
考えられるのはどちらかの勢力との同盟である。しかし道寸の立場から考えると宗瑞との同盟は論外。しかし山内家と和睦も考えられなかった。他方で宗瑞と山内家が同盟するのも考えられない。
「(このうち一番実現できそうなのは…… )」
諸々の立場から一番現実的な手を道寸は考える。尤もその答えは明白であり、宗瑞も同じ考えであった。
明応七年(一四九八)伊勢宗瑞は扇谷朝良と三浦道寸に同盟を持ち掛けた。目的は山内家の打倒である。
朝良はこれをあっさりと受け入れた。
「ここはやはり伊勢殿や今川家と手を組むのが最良だ」
実際のところ宗瑞と敵対しているのは道寸であり朝良ではない。先の選択肢の中でこの同盟が一番現実的な案であった。
道寸はこの同盟に異議を唱えた。
「これまでの戦いを無に帰するつもりですか」
「しかしなあ道寸よ。戦いといっても二年もたってはいないではないか」
「それはそうですが」
「それに宗瑞殿は伊豆の所領をお前にやると言っているのだぞ」
宗瑞は同盟にあたって道寸に伊豆諸島の領有権を差し出した。ある意味道寸を買っているからこういう選択をしたのだと言える。しかし道寸は納得できない。
「藤頼殿にどういえばいいのだ」
「ああ。藤頼にはもう話を付けてある。構わんとのことだ」
道寸は絶句した。今藤頼は道寸に与えられた城にいる。あらかじめ別に使者を送って納得させたようだ。
もはやこうなればどうすることもできない。
「承知しました。しかしこの盟も長くは続きませぬでしょう」
「その時はその時だ」
朝良は気楽な感じで言った。そんな朝良の姿に道寸は肩を落とす。そして大森藤頼は失意のまま数年後に病死した。
結局小田原を奪還することもできず扇谷家と今川家の同盟は成立した。肩を落とす道寸だがさらに不幸が訪れる。父の高救が死んだのだ。
「父もこのところの扇谷家の動きに心を痛めていたようだったな」
自分を頼ってきた藤頼だけでなく最愛の父まで道寸は失った。もはや粛々と父の葬儀を進めることしかできない道寸である。
一方で主君の朝良の意気は高かった。
「この同盟を機に山内家との決着をつけようぞ」
今川家も乗り気のようで宗瑞を中心に扇谷家へ援軍を送った。これにより扇谷家は徐々に盛り返していく。そして永正元年(一五〇四)に戦況は一気に動いた。
山内家の当主の山内顕定は扇谷家との決着をつけるべく古河公方に援軍を要請した。更に越後(現新潟県)で守護を務めている実弟の上杉房能にも援軍を要請する。そして一気に扇谷家の本拠地の河越城を落そうとした。
これに対し朝良も今川家に援軍を依頼。今川家は宗瑞だけでなく当主の今川氏親自身も出陣する本気度であった。
そして永正元年の九月に両軍は激突する。この時越後からの援軍はまだ到着していなかった。また山内家は長期にわたり河越城を包囲していたので疲労もたまっている。そこに扇谷家と今川家の連合軍が襲い掛かった。
この戦いで山内家と古河公方の連合軍は大敗を喫し山内顕定は命からがら本拠地の鉢形城に逃げ帰ったのである。
この大勝に朝良はおお喜びした。
「これも今川家との同盟を選んだ私の策のおかげ。われながら大した大計じゃ」
この勝利に自信を深めたのか朝良は今川家の援軍を帰してしまう。
「これよりは私たちだけで充分だ」
これを氏親も宗瑞も了承し今川家の援軍は帰っていた。
一方これを相模で知った道寸は不安を覚える。
「まだ越後からの援軍が残っている。果たして朝良様だけで大丈夫なのだろうか」
危惧を覚えた道寸は出陣しようと考える。しかし朝良から不要といわれてしまう。
「これが過信でなければいいのだが」
ますます不安を覚える道寸。そして道寸の懸念は当たった。
鉢形城に逃れた顕定は援軍にやってきた越後守護代の長尾能景の軍勢と合流する。一方の朝良は鉢形城を攻撃すべく河越城で兵を休めていた。これが命取りになる。
能景は顕定に今が好機だと説き顕定も了承した。そして一転河越城に向かって兵を進める。これに対し朝良は慌てて出陣した。両軍は永正元年の十二月に激突する。この戦いで扇谷軍は山内家の将を一人討ち取るが敗退し一時進軍を止めるのがやっとであった。
この後山内家と越後の軍勢は次々と扇谷家の城を落していく。その勢いは相模まで波及しついには扇谷家と今川家の連絡をも遮断した。
「これはいけないな」
道寸は急ぎ領内の守りを固める。この甲斐あってか道寸の領地が侵されることは無かった。
一方で大敗を喫した朝良は河越城に籠った。顕定は能景と共にこれを包囲する。もはや朝良に抵抗する力はなく年あがけて永正二年(一五〇五)に山内家に降伏した。これで長く続いた扇谷山内両上杉の戦いも幕を閉じる。
「なんとあっけないものだな」
相模で決着を聞いた道寸はあきれ果てた。しかしこれで長い戦いも終わったかと安堵もする。
「これよりは少しは平穏になるか」
そうつぶやく道寸。しかしそんなわけないというのもわかりきっている。道寸の見つめる先には小田原があった。そしてそこに住む男の野心が不思議とよく見える。
道寸の親戚の大森藤頼は伊勢宗瑞に小田原城を追われました。これについては諸説入り乱れていて決定的な説も存在しません。そのため今回はいろいろな情報を筆者が判断し想像で補ったものとなっております。その点についてはご容赦を。
さて今回の話の重要な点は宗瑞が関東の情勢に深く入り込んできたことでしょう。彼は今川家の家臣であるのですが扇谷家との同盟を機に関東に勢力を伸ばしていきます。道寸はそれらに立ち向かわなければならないのですが主君の動きに翻弄されてしまいました。しかもその主君も最後は降伏する有様です。なんとも気の毒ですね。
さて次はいよいよ宗瑞との戦いも本格化してきます。そして戦いの先に何があるのか。お楽しみに。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では




