蒲生賢秀 臆病者 後編
織田家に下った賢秀は信長の度量にほれ込んだ。そして旧主の六角家とも決着をつけ改めて織田家家臣としての道を歩む。その道の果てに待つのは苦しい選択肢であった。
鯰江城の落城から三年の月日が流れた天正四年(一五七六)。この年に賢秀に関わる二つの出来事が起きた。一つは上司であった柴田勝家が北陸方面軍の司令官に任命されたことである。
信長は天下統一を目指していた。そのため各地に敵を抱えている。それらに対応するため重臣を前線に派遣し領地と与力を与えて軍団を形成した。これが方面軍でありトップに立つのが方面軍司令官である。勝家はその北陸方面の司令官に任命されたのであった。
この際に近江で勝家の旗下になっていた者たちは離れることになった。もちろん賢秀もそこに含まれている。
賢秀は勝家との別れを惜しんだ。
「勝家殿ほどの名将と共に戦えたのはとても名誉なことでした。これからも共に戦い続けると思っていたのですが」
一方勝家も賢秀を手放すことが少し惜しいようであった。
「賢秀殿を手放すのは惜しゅうございますな。実直にして有能。そんな貴殿に某は助けられました」
「いえいえ。すべては我らを従える勝家殿の器量にございます」
「なんの。すべては殿の御威光にございます。これよりは賢秀殿もご子息も殿の御側に仕えるのでしょう。なんともうらやましくございますな」
勝家の言う通り賢秀達近江で所領を持つ武将たちは信長の直属に置かれることになった。ある意味で出世したと言えなくもない。
「勝家殿のこれからのご健勝をお祈りしますよ」
「賢秀殿もお元気で」
二人は固い握手を交わして分かれるのであった。
さて賢秀達近江の諸将は信長の直属の家臣となる。それに伴ってのことなのか信長は居城を近江に作ることにした。場所は琵琶湖の畔にある安土山である。
この場所だと知って賢秀は少し驚いた。
「観音寺城と近いな」
安土は六角家の居城であった観音寺城に近い。その観音寺城はすでに廃城になっていた。
「やはり要地だということか」
今回の建築予定地も観音寺城のあった場所も交通の要所である。信長の本領である尾張から京へと続く街道があり琵琶湖の水運も掌握できる地だ。また北陸にも街道が伸びており東西や北方へ向かうことも容易い。
「これからの信長様の天下取りのための城ということか。しかしどんな城になるのだろう。やはり観音寺城よりも立派な城になるのだろうな」
賢秀はそう考えていた。信長は自己顕示欲が強い。そういう意味でかつて近くにあった城を越えるものを作るだろうと賢秀は考えていたのである。
果たして賢秀の考えている通りのようだった。城の建築予定地である安土山には資材がすさまじい勢いで運び込まれていき大量の人夫が動員されていく。その規模は賢秀の記憶にないほどの大きさであった。
「いったいどんな城になるのだ?! 」
思った以上の大工事に驚く賢秀であった。
やがてそれからさらに三年の月日が流れた。この間賢秀は信長の直属の武将として各地で息子ともども奮戦している。安土の城も完成が近づいてきた。
この天正七年(一五七九)の三月に悲しい出来事が起きた。賢秀の父の定秀が亡くなったのである。享年七二歳。当時としては大往生である。
晩年の定秀はすっかり隠居となって平穏に暮らしていた。
「息子も孫も立派に家を守っている。もはや老いぼれがどうこう言う必要はない」
そう言って家のことには何も口出しせずに蒲生家を見守ってきた。往生の際も安らかな表情であったらしい。
「父上の守った蒲生の家。私の代で潰すようなことは絶対にしません」
そう決意も新たに賢秀は言った。定秀の葬儀は非常に立派なものが行われ織田家にいた旧六角家家臣などゆかりの人々が多く集まっている。その人々たちも賢秀の言葉に深くうなずくのであった。
こうして賢秀が父の葬儀を終えてから二か月がたった。安土山の城、安土城の天主が完成しついに信長が住むことになる。安土城の外観も内装もいよいよ完成して琵琶湖のほとりに絢爛豪華な城が出来上がった。
賢秀は城の完成を祝うため安土城に向かう。そしていざ目の当たりにしてそのすさまじさに驚くばかりであった。
「なんという城だ。私の想像をはるかに超える素晴らしい城だ」
驚く賢秀は興奮もそのままに信長に謁見する。
「この度は安土城の完成おめでとうございます」
「うむ。よく来たな賢秀」
「はい。息子もつれてきたかったのですが今は出陣しておりまして」
「ああわかっている。帰ってきたら顔を見せろと言っておけ」
「承知しました」
現在賦秀は畿内の方面に出陣していた。だからこの場にはいない。
賢秀は挨拶もそこそこに言った。
「しかしながらあまりにも立派で驚くばかりです」
「そうだろう。この城は余に相応しいように作った。この日本のどこにもないしこれからもできることのない城だ。この城を越える城はこれから先も存在せん」
信長は上機嫌ですさまじいことを言った。しかし信長と安土城の迫力に飲まれた賢秀はただうなずくばかりである。
「しかし惜しいことが一つあります」
「ほう、何だ」
「もう少し生き永らえていれば父もこの見事な城を見ることができたというのに」
賢秀はしみじみといった。そこには一切の二心はない。信長もそれは感じたのでしんみりと言う。
「そうだな。この城を見ればもう少し命も長らえたかもしれん」
「はい。全くその通りでございます」
「しかし生きている者には見せることができる。賦秀と冬姫にも見に来るように言っておけ」
「重ね重ね承知しました」
信長の言葉に賢秀は深々と頭を下げる。そんな賢秀に信長は言った。
「お前は本当に素直だな」
「はい。父からも昔から言われております」
「しかしゆえに実直だ。勝家もそこがいいところだと申しておった」
「それはありがたきことです」
そこまで言って信長は何か考え始める。そしてこう言った。
「今後安土城の留守はお前に命じるか」
こういわれて賢秀は驚いた。そして震えながら言う。
「それはもったいなき事。しかし某に務まるか」
「ふん。お前だからこそ務まる。まさかこの城を焼くようなことは起きんだろう」
「それはもちろんでございます」
賢秀は震えかしこまりながら言う。それを見て信長は大笑いするのであった。
安土城の完成から再び時は流れて天正十年(一五八二)。信長の天下統一もいよいよ大詰めを迎えた。この時の信長の主な敵は越後(現新潟県)の上杉と中国地方の大部分を支配する毛利家である。上杉家の方は柴田勝家を中心に攻撃を仕掛けており勝利は目前であった。毛利家との戦いも羽柴秀吉を方面軍司令に置き戦いを有利に進めている。
信長は秀吉に援軍を要請されていた。尤もこれは最後に信長の手で毛利家を倒したと周囲に見せつけたい秀吉の政治的配慮によるものである。信長もそれは承知の上で援軍として出陣することにした。
そして留守となる安土城を預かることになったのは賢秀である。
「まあお前なら問題なかろう。留守は任せたぞ」
「承知しました。信長様」
まさかいつぞや言っていたことが現実になって恐縮する賢秀であった。
「毛利を討ったら安土で宴だ。その時は息子夫婦もつれてこい」
「かしこまりました。留守のことはご安心ください」
緊張したようで言う賢秀。しかしその眼に映る実直な意思に安心する信長であった。しかしこれが二人の最期の会話となる。
信長が安土を発ってから数日後信じがたい情報が賢秀のもとに届く。
「信長様、本能寺にて討ち死になされたとのことです」
賢秀は発言の意味が解らなかった。あまりにも急な話である。賢秀は使者に対して努めて冷静に尋ねた。
「いったい、どういうことだ」
「は、はい。何でも明智光秀さまが謀反を起こし本能寺に攻め入ったそうです」
「なんだと……」
明智光秀は織田家の重臣で畿内に領地を持っている。今畿内近国で一番強力な軍勢を抱えているのが光秀であった。しかも信長は少ない兵力で本能寺に入ったという。そんな状態で攻撃されたらひとたまりもないに決まっている。
賢秀は膝から崩れ落ちそうになった。しかしそこをぐっとこらえて使者に言う。
「すまんがこれより日野城に向かい息子の賦秀にも同じことを伝えてくれ。そしてこちらに向かうようにと。貴殿は日野城で休んでくれ」
「承知しました」
そう言って使者は安土城を出ていった。残された賢秀は考え込む。
「(確か明智殿も羽柴殿の援軍に向かう予定であった。おそらくその軍勢で信長様を討ったのだろう。何ということを…… )」
賢秀は頭を抱える。今状況はかなり悪い。
「(明智殿が何を考えているのかはわからない。だがおそらく畿内や周辺の制圧に臨むだろう。もちろん安土城も含まれる)」
これから光秀がどう動くかはわからない。しかし決まっていることは一つだけある。
「明智殿と戦わなければならんな」
光秀が信長にとって代わろうと考えているのかはわからない。しかしどうするにせよ周辺の諸将を味方につけなければ生き残ることすらままならないだろう。その少々の中には賢秀も含まれる。だが賢秀は主君を討った男に味方するような男ではない。
「まずは賦秀と相談してから。それにしても殿…… 」
賢秀は一人黙とうするのであった。
それからしばらくして賦秀がやってきた。もはや立派な青年になり豪胆な勇将として知られている。しかしこの時ばかりは青い顔をしていた。
「父上…… とんでもないことになりましたな」
「そうだな…… とにかく今後のことだ」
蒲生親子は今後のことを話し合う。ともかく決まっていることは光秀に従わないということだけであった。
「しかし戦うのならば安土城では厳しいな…… 」
苦しげに言う賢秀。それに賦秀もうなずく。
安土城はすさまじく立派な城である。しかし街道に面しているうえ広い道がまっすぐにつながっていた。これでは敵の侵攻を防ぐのは難しい。石垣は立派で巨大ではあるのだが守りがたい城ではあった。
現状周辺のだれが味方でだれが敵かも分からない。更に城には信長の妻や仕える女性たちも多数残っていた。その状況で明智の軍勢を軍勢に対応するのは安土城では難しい。ゆえに賢秀は決断した。
「安土城を出て日野城に移ろう」
日野城ならば持久戦もできる。何より土地勘はこちらにあるのだからいろいろと手も打ちやすい。
「それでよいと思います」
賦秀も納得したようだった。
「そうと決まればすぐに準備だ」
「承知しました。しかし父上、一つよろしいですか」
「なんだ? 」
「…… この城はどうしましょう」
重苦しい口調で賦秀は言う。賢秀もそこは悩んでいるところだった。
賢秀達が城を出れば安土城は空になる。すると光秀の軍勢は何の苦労もなく城を手に入れられた。いくら守りがたい城といっても使いようはいくらでもある。故に城を出るのならば火をつけるなりして拠点としての機能を破壊しておかなければならなかった。
だがそこが賢秀を悩ませているところだった。賢秀は信長がこの城をどれだけ愛していたか知っている。さらに城の中には信長が集めた様々なそれに火をつけるということに賢秀はどうしても抵抗があった。
しかし決断に時間をかけられる状況ではなかった。賢秀はこう決断する。
「城も財宝もそのままで日野に向かう」
これに賦秀は驚いた。
「本気ですか? 」
「本気だ。責任は私がとる。すべて私の判断でやったことだ」
「…… わかりました」
賦秀はこの決断を尊重した。こうして賢秀と賦秀は信長の妻たちを連れて日野城に向かう。
その途中賢秀はこんなことを信長の妻に言われた。
「宝物をそのままにしておいていいのですか? 」
それに賢秀はこう答えた。
「それでは欲をかいているように見える。それでは神仏の加護を失います」
これが本気かどうかは分からない。ともかく賢秀達は無事に日野城までたどり着くことに成功した。
日野城に退いた賢秀。そこに当然のように光秀からの誘いが来る。そこで提示された条件は破格のものであった。
「味方すれば近江半国を与えよう」
当然賢秀の答えは決まっている。
「お断りします」
その後光秀は中国から引き返してきた秀吉と戦い敗北。逃走途中に落ち武者狩りに襲われ落命した。
光秀が死んだことで信長の死から始まる一連の騒動も収まった。ここで賢秀はある決断をする。
「家督を賦秀に譲ろうと思う」
これに賦秀は難色を示した。
「まだ織田家中は混乱しております。ここで父上が引退するというのはどうかと」
「いや、お前はもう立派になった。それに臆病者が当主では評判も悪かろう」
賢秀は自嘲気味に言う。この時安土城から引き揚げた際のことを臆病だと評価する声が多かった。これについて賢秀は否定も肯定もしない。賢秀にとって重要なのは賦秀が悪しく言われていないということである。
「あとはお前に任せる。信長様が亡き以上織田家も大きく変わるだろう。これからはお前の時代だ」
そこまで言われては賦秀に拒否する理由はなかった。こうして蒲生家の家督は賦秀に譲られる。
賢秀は隠居した後は表舞台に決して現れなかった。そして二年後に静かに死ぬ。享年五一歳。当時としては平均的な享年である。死に顔は満足げなものであったという。
賦秀は信長の事業を引き継いだ羽柴秀吉に従い賢秀の死後に名を氏郷に改めた。そして会津九二万石の大名となる。信長が認めた器量は本物であった。
臆病者と評された賢秀だがその律義さからこんな異名がついた。「日野の頑愚どの」と呼ばれたらしい。愚かなまでに頑なな律義さだということであろう。臆病者につけられる異名ではない。
蒲生賢秀という人物の評価はあまりよくありません。それは安土城を放棄したことが理由です。この時代城を敵に無傷で明け渡すのは悪手です。そのうえ数々の財宝も残していってしまったのですから賢秀が非難されるのも無理からぬことです。臆病者と称されてしまうのの仕方のないところがあります。
ですが賢秀は六角家が信長に攻撃されたときも最後まで抵抗し、本能寺の変後に光秀から破格の条件での勧誘も断りました。これらのことを考えると単純に憶病だったと言っていいか疑問に思います。しかし史料のない以上その時賢秀が何を思ったかは一生不明です。
筆者は賢秀は何か決意をもって安土城をそのままにしたんだろうと思います。しかし悲劇なのは結局安土城は焼け落ちてしまいます。なんとも無情な話です。
さて続いての主人公は安房(現千葉県南部)の武将です。ある家の初代なのですがなかなか面白い生い立ちの人物です。お楽しみに。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では




