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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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蒲生賢秀 臆病者 前編

 近江は京の目前にある要地。この半分を支配する大名が六角家であった。そしてその重臣の家が蒲生家である。蒲生賢秀は蒲生家に生まれ育つ。そんな賢秀は戦国時代を生きて何を得るのか。

 蒲生家は六角家の重臣だ。六角家は近江(現在の滋賀県)の南半国を治める守護大名である。十四代の定頼の時には畿内の情勢を左右するほどの強大な力を持ち、足利将軍家が頼ることもあるほどだった。

 現在の六角家の当主は定頼の息子の義賢。蒲生家の当主は定秀という。この定秀の息子が賢秀であった。賢秀の賢は主君の義賢からもらったものである。ここからもわかる通り六角家と蒲生家は強い絆で結ばれていた。

 さて六角家は畿内で強大な力を持つ勢力である。しかし一方で近江の国人たちの連合体という側面も持っていた。六角家は国人たちの連合の上に立ち主君として振舞っている。ともすれば崩壊しかけない微妙なバランスで成り立つ家であった。定秀は主君と国人たちの双方から信頼を得ていて戦にも政にも長けた名将である。

 そんな父を持つ賢秀だがもちろんプレッシャーを感じて育つ。

「父の名を汚さぬように生きよう」

 賢秀はこうした信条を胸に成長して行った。そういうわけだから万事慎重な性格になる。というか慎重すぎて臆病とも揶揄されるほどであった。

「定秀殿の嫡男はいささか臆病ではないか」

「そうだな。定秀殿が存命なうちはいいが、あの息子が継ぐとなるとどうなるか」

 そうした声が六角家中から聞こえてくる。

 一方で定秀は息子のことを心配していなかった。

「確かに慎重に過ぎるところはある。しかしこの時代少しぐらい臆病なくらいがちょうどよかろう。無理をすることは無いからな」

 むしろ定秀は息子のそういうところを評価している。だが別のところが心配であった。

 かつて賢秀が幼いころ定秀の大事にしている筆がどこかに消えてしまった。周りに話を聞いていると定秀が行方を知っているらしい。

 定秀は賢秀に尋ねる。

「私の筆はどこに言ったのだ」

 しかし賢秀はこういった。

「知りませぬ」

 そう言う姿は堂々としていて微塵の臆病さも感じない。それはともかく定秀は賢秀に尋ねるが絶対に口を割らなかった。

 その後よくよく調べると筆は賢秀の弟と妹がなくしてしまったらしいということが分かった。弟と妹はその後定秀に事情を話し、定秀もそれを許す。そしてそれを知った後で定秀は賢秀に尋ねた。

「なぜ私に言わなかったのだ」

 すると賢秀はこう答えた。

「二人に父上には言わないでくれといわれました。そして自分から言うと約束もしました。だからその約束を守って父上に何も言わなかったのです」

 定秀は驚いた。まだ幼いのに何たる律義さである。そして少しきつく問い詰めたときも口を割らなかった頑固さにも驚く。

「(幼くしてこれとは。律義さは美点でもあるが、後々色々と苦労するだろうな)」

 息子の律義さを嬉しく思いつつもその頑固さにいささかの不安も感じる定秀であった。


 少し時は流れて賢秀も立派な武将に育った。臆病とも慎重とも取れるところはあまり変わらないが。

 一方、六角家の当主も義賢から息子の義治に移っている。この義治の時代に六角家の運命を決める事件が起きた。

 時は永禄六年(一五六三)六角家の居城の観音寺城で起こる。事件当日観音寺城に呼び出されたのは六角家の重臣の一人、後藤賢豊とその息子であった。

「息子ともども急な呼び出しとは。一体なんなのだ? 」

 疑問に思う賢豊。しかしその答えは義治の近臣からの襲撃という形で答えが出る。

「馬鹿な。これで六角家は終わりだぞ」

 そう言って賢豊は息子ともども殺されてしまった。

 この暴挙は当主義治と近臣に計画されたものであった。六角家は所属する国人たちの影響力が強い。それを改革しようと思った義治は思い切った行動に出たのである。

 この事件の報せは定秀や賢秀の元にもいち早く届く。

「賢豊殿を無礼打ちしただと!? 殿もなんということを」

 義治の暴挙に定秀は呆れ返るばかりであった。そんな定秀に賢秀は尋ねる。

「この後どうなりましょうか。さすがにほかの方々は黙っておられないでしょう」

 賢秀は青い顔をして言った。これから起きる混乱を恐れているようである。そんな賢秀に定秀は言った。

「間違いなく混乱するだろうな。それに浅井も動くだろう」

 浅井というのは近江の北半分を支配する浅井家のことである。六角家と浅井家は義賢の代から対立していた。この混乱を好機とみて動くのは間違いないだろう。

 心配そうに賢秀は言った。

「ひとまずわれらは動かず守りを固めるべきでは」

「まあそうだな。最悪単独で浅井にあたらなければならんかもしれん。何より誰が敵になるかもわからんからな」

 定秀は賢秀の提案を受け入れることにした。いささか慎重すぎる提案であったが何が起こるかわからない以上賢明な判断でもある。

 こうして蒲生家は居城の日野城を中心に防備を固める。同時に情報も収集した。しばらくして新しい情報が入る。

「どうやら進藤殿や永井殿たちが観音寺の屋敷を焼き捨てたそうだ。そして自分の領地に帰って行ったらしい」

「何ですと?! それで殿はどうなりましたか」

「城を捨てたらしい。こちらに向かっているそうだ」

 義治は家臣たちの思い切った行動に動転して城を捨てたようだった。そしてとりあえず敵対する様子のない蒲生家を頼ろうということらしい。ちなみに隠居の義賢は別の家臣を頼ったようだった。

「さて、どうするか」

 定秀は思案する。ここで義治を迎え入れるということは義治方という立場を明確にすることになる。そうなればほかの家臣たちの反発を買うかもしれない。かといって追い返すのも今後に禍根を残しそうである。ついでに浅井家も混乱のスキを突くべく出陣したようだった。どうやら一部の家臣は内通しているらしい。

 一方賢秀は腹を決めているようだった。それに気づいた定秀は賢秀に尋ねる。

「お前はどうするつもりだ」

「私としては殿を迎え入れようと思います」

「周りが敵になるかもしれんぞ」

「それはそうかもしれませんが…… しかし主君を見捨てたとあっては武士の名折れとも思います」

 賢秀は周りが敵になった時のことを想像して震えていた。しかし義治受け入れの覚悟はしっかりとしているようである。

 定秀は値踏みするように賢秀を見た。それを知ってか知らずか賢秀はこう言いだす。

「とりあえず殿を迎え、我らで進藤殿たちと殿を和解させる道を探るべきかと。そのためにはまず殿に落ち着いてもらわなければ」

「ふむ、そうだな」

 賢秀の意見に定秀はうなずいた。そして義治を受け入れることにする。

 その後定秀と賢秀は奔走し義治と進藤ら家臣団とを和解させた。条件は殺された賢豊の家を存続させるというものである。この条件を義治は飲み父親ともども観音寺城に帰還することができた。また六角家の内紛がひとまず収まったのを見て浅井家も引き上げる。これでのちに観音寺騒動と呼ばれる事件は一応の終息を見るのであった。


 義治と義賢が観音寺城に戻ったことで表面上、六角家は安定を取り戻している。しかし六角家と家臣である国人たちの間にできた溝はやすやすと埋められるものではない。

 この状況下で賢秀は父の定秀ともども事態の収拾に奔走することになる。ここで積極的に行動したのは賢秀の方であった。

「今殿と皆の間に立てるのは我ら蒲生の家をおいてほかはありませぬ。もしこの状況が続けば敵対する者の利になるだけです」

 強い決意で言う賢秀。定秀はそんな息子に黙って従った。

 こうして蒲生親子の奔走もあり六角家内に生じた亀裂も修復し始める。こうした中で定秀は進藤家らとともに協議して分国法を作り上げた。これが六角氏式目である。

 賢秀は定秀に尋ねた。

「これには殿の名前がないのですが」

「ああ。殿にはこの式目を承認してもらうだけでいい。それでこれまでの騒動も終わりだ」

 一般的に分国法は大名が制定し自分の領地に発令するものである。しかし六角氏式目は定秀をはじめとする家臣たちが起草し主君の義治や義賢が承認するという特殊なものであった。こうした形式になるあたりに六角家での主君と家臣の微妙な関係が分かる。

 定秀は六角氏式目がある適度出来上がると賢秀に言った。

「お前は式目のことを殿に伝えて承認を得られるようにしてくれ」

「私がですか!? 」

 賢秀は驚いた。そこは主君からの信頼も厚い定秀の仕事だと思っていたからである。

「ああ、そうだ。お前もそろそろ蒲生家の当主としての仕事をやってみるべきだろう」

「そ、それは…… 私にできるかどうか」

「大丈夫だ。観音寺騒動のおりにお前の奔走で事なきを得たところもある。お前ならできる」

「わかりました父上。何としてでも殿を説得して見せます」

 そう言って賢秀は義治の説得に向かった。すると義治かあっさり受け入れる。

「定秀の考えたことなのだろう。ならば何も心配することはあるまい」

「そ、それはありがたき幸せ」

 受け入れてくれたのはうれしいがこうもあっさりだと戸惑いも大きい。ともかく永禄十年(一五六七)に六角氏式目は承認され成立した。

 

 六角氏式目の制定で六角家は一応の安定を見せる。ところが制定の翌年に六角家に危機が訪れた。

 事の発端は永禄八年(一五六五)に起きた将軍足利義輝の暗殺事件である。この事件で義輝の弟の足利義昭は落ち延びて様々な大名を頼った。だがその中に六角家は入っていない。何故なら六角家は義昭とは別の将軍を擁立している畿内の三好三人衆と同盟関係にあった。ゆえに敵対する六角家はスルーされたのである。尤も六角氏式目が制定されていない頃なので義昭を助けることなどできないのだが。

 それはともかく足利義昭は最終的に尾張(現愛知県)と美濃(現岐阜県)を治める織田信長を頼った。信長は義昭を庇護し上洛を始める。そしてその上洛の道中にいるのが六角家であった。

 永禄十一年(一五六八)信長は義治に対し義昭の上洛を助けるよう要請した。この情報は賢秀と定秀の元にも入る。

「殿はいかがなさるつもりなのでしょうか」

「まあ拒否するだろうな」

「やはりそうですか」

 少し前に三好三人衆がやってきて信長の侵攻に対する協議をしている。そこで決まったのは信長との敵対であった。

 賢秀としては次期将軍を擁する勢力と戦うのはいかがなものかと思う。だから一縷の望みをかけて父に尋ねたのだがこの答えでは希望は持てなさそうだった。

「やはり戦になりますか」

「だろうな。お前だってそう考えて準備は進めてきたのだろう」

「そうですが戦にならぬに越したことは無いでしょう」

「まあそうだな。それと聞くところによると織田家の信長殿は戦上手らしい」

「はい聞き及んでおります。それに浅井と婚姻を結んでいると」

 これより前に織田信長は妹を浅井家に嫁がせて同盟を結んでいた。つまり浅井家とも戦う羽目になるだろう。

 賢秀と定秀は肩を落とした。これから始まる戦いが相当困難になるだろうと。しかしその予想は残念な形で裏切られることになる。

 

 六角家は信長の侵攻に対し重臣たちを各地の城に配して対抗した。また当主の義治と父の義賢は観音寺城に籠っている。義治たちはまず観音寺城の前方の城で敵を防ぎそこで動きを封じられている織田家に攻撃を仕掛けるという作戦を取った。

 蒲生家は日野城で待機し状況によって打って出るということになった。

「勝てますかね」

「さあな。まあやることをやるだけだ」

 蒲生親子は城に籠って戦いの時を待つ。そしてついに織田家の軍勢が進行してきた。その軍勢は援軍も含めておよそ五万。すさまじい大軍である。

「防ぎきれるのか……? 」

 賢秀の不安通り観音寺城の前方にある城は一日で落城してしまった。これで義治の立てた作戦は完全に破綻してしまう。

 この事態に義治は父ともども観音寺城から逃れて甲賀地方へ逃走した。尤もこれは六角家の定石ともいえる戦法である。一度山深い甲賀に逃れ追撃してきた敵をゲリラ戦で迎え撃つ。これが六角家伝統の戦法である。

 尤も義治や義賢が勘違いしていた点があった。今回の織田家の侵攻の目的は六角家の討伐ではなく足利義昭の上洛である。つまり織田信長からしてみれば義治を無理にうち必要はない。むしろ城に立てこもる六角家臣たちの処分が重要であった。

 織田家にとって幸いだったのは、六角家臣たちは義治が逃走すると直ぐに降伏したことである。ただ一つの城を座いて。

 ここで降伏しなかったのが賢秀であった。賢秀はあくまで織田家に抵抗する姿勢を見せる。

「主君が戦い続けている以上六角家の家臣として降伏することは出来ない」

 そうかたくなな姿勢を見せる賢秀。これに対し定秀は何も言わなかった。

「(まあこうするだろうな。賢秀なら)」

 息子の律義さと頑固さは知っている。主君が降伏したわけでないのなら抵抗し続けるだろうというのは予測していた。

「(あとは信長殿の心持次第か。どちらにせよここでやすやすと従っては領地も失いかねんからな)」

 定秀としては勝つのは無理でもある程度の抵抗は示しておこうと考えていた。信長に下るにせよ蒲生家の存在感を見せておくのは必要なことである。

 こうして蒲生親子は抗戦の姿勢を見せた。これに対して織田家は懐柔策をとる。

 織田家は賢秀説得のための使者を送り込んだ。使者となったのは賢秀の妹の婿の神戸具盛である。具盛は賢秀を説得した。

「織田家はこれから大きくなりましょう。我々神戸家もそれに気づき下りました。ここで従っておくことが蒲生家の将来に為になりましょう」

「しかし神戸殿。まだ義治さまが戦うおつもりである以上、六角家臣として降伏するわけには」

 賢秀は具盛の言っていることも理解できている。しかし頑固な賢秀としてはそうそう降伏することは出来ない。そこで口をはさんだのが定秀である。

「賢秀よ。お前の言うことはもっともだ。しかし義治さまから何の連絡もない。これでは共に戦いようがないではないか」

「それはそうですが」

「お前は不本意だろうがここは具盛殿の顔を立ててやってくれないか」

 そういわれて賢秀は悩んだ。確かに義治からの連絡はなく周りの家臣たちは皆降伏してしまっている。そして降伏するなら今しかないというのもわかっていた。

 結局賢秀はこう決断した。

「降伏しましょう。もし命を奪うなら私のだけにしてもらえるよう言っておいてください」

 賢秀は降伏を選んだ。そしてこれが賢秀の人生を大きく動かすことになる。


 信長にあっさりやられてしまったっためか六角家はあまり話題にならない勢力です。ただ全盛期は本当に強力な勢力でそれを維持できていれば信長もやすやすとは上洛できなかったでしょう。ある意味信長は幸運だったと言えますね。

 さて蒲生家は近江の国人の中でもかなり有力な勢力だったようです。しかし六角家への忠誠心は非常に強く最後まで六角家の為に戦いました。しかし先に主君が逃亡してしまったというのは少しかわいそうですね。ただこの奮闘が信長に気に入られたのか織田家で蒲生家はなかなかの厚遇を受けます。それは次回の話のお楽しみに。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では

 

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