浦上宗景 因果 第二話
兄を倒し備前を手中に収めた宗景。しかしその野心は止まらない。そんな宗景の前に備中の雄、三村家親が立ちふさがる。いよいよ戦国大名としての戦いに挑む宗景。だがそんな宗景の下で蠢動する黒い影があった。
備前を制した宗景。しかしその野心が止まることは無かった。
「この上は美作(現岡山県北東部)も我らの支配下に手に入れたい」
さしあたって標的となったのは美作である。宗景は隣国である美作に多少影響力を持っていた。ここで一気に手中に収めたいということである。
しかし一つ問題があった。実は三村家も美作の制圧を目論んでいたのである。
「美作に勢力を伸ばせば三村家との戦いは必定。そうなれば三村家の背後の毛利家とも戦になるか」
宗景は悩んだ。毛利家は現在尼子家を抑え中国地方で第一の勢力になっている。そんな毛利家と戦はいささか危険度が高かった。
一方で毛利家と尼子家との戦いはいまだ続いている。さらに毛利家は西方にも目を向けていた。そういうわけで美作をめぐって争うのは三村家だけと考えてもよい。
「三村家ならば勝てる。幸いほかの敵は衰えているしな」
この時の宗景と敵対していたのは兄の政宗とその上司の赤松家。そして尼子家である。赤松家も尼子家も現在備前にちょっかいをかけられる状態ではなかった。
「毛利家もいろいろ我々のやることに口を出してくるからな。そろそろ縁の斬りどころだ」
宗景は毛利家との同盟の破棄を決めた。これは戦国大名として完全に自立するということでもある。そこに不安はない。
「直家をはじめ有能なものたちも多いからな」
そう考える宗景だが気になることもあった。実は島村盛実が死んだ後に謀反の証拠を調べてみたのだがそれらしい物がないのだ。そしてその情報は浦上家中に広がる。するとこんな噂が立つ。
「もしや島村殿の謀反のうわさは宇喜多殿が流したのではないか」
「確かに。謀反のうわさが立ってから盛実殿を討つまでの流れがいささかうまくいきすぎている」
そうした噂もたっている。さらに
「いくら敵討ちといえども殿もあっさり許したものだ」
「殿は島村殿を疎んじていたからな。存外そういうこと、かも知れんぞ」
「めったなことを言うな。くわばらくわばら」
といったうわさまでたっていた。
「冗談ではない」
宗景はそう言い張りたい気持であった。確かに盛実を疎んじていたがそこまでして排除しようとなど思ってもいない。しかし直家の手腕が恐ろしく鮮やかだったのは事実。そして今だ証拠は出ない。
「まさかな…… しかし…… 」
ここにきて宗景は直家に若干の疑念を抱いた。しかし直家は優秀であり自分に背くような様子は見られない。
「もし謀を用いたとしてもそれは敵討ちのためだろう。それを許してこその主君だ。大義は直家にあるのだから何も問題はない」
宗景はそう自分に言い聞かせた。しかし言い知れぬ不安は心の中に若干残っている。
永禄六年(一五六三)宗景は兄の政宗と和睦した。これは美作への介入を本格化させるためである。
「今は兄上と争っている場合ではないからな」
政宗も自身の劣勢を悟ってか素直に和睦に応じた。これにより宗景は後攻の憂いを断つ。実はこの和睦の前年に三村家の当主三村家親が美作の岩屋城を攻め落とした。岩屋城は宗景と友好的な勢力の居城である。これによりいよいよ三村家と浦上家の争いは本格的なものとなった。
三村家親は岩屋城を落城させた余勢を駆りそのまま同じく美作の三星城を目指す。ここも浦上家に友好的な勢力の城であった。ここまで落とされてはいよいよまずい。
「なんとしてでも三星城は守り抜く。出陣だ」
宗景は個の戦いに直家を連れて行った。直家の宇喜多家は浦上家でもかなりの大身となっている。浦上家の戦力の中枢を担っているといっても過言ではなかった。
「頼むぞ直家」
「お任せください殿。この直家必ずやお役に立って見せましょう」
直家は従順に言う。宗景もそれをみて満足そううなずくのであった。
さて浦上家が三星城に到着したときすでに三村家の攻撃は始まっていた。しかしこれは好機である。この状況で攻撃すれば三星城内の兵と共に三村家を挟撃できた。
「三村家の者どもが逃げる前になんとしてでも打ち倒すのだ」
宗景は急いで三村家の軍勢に襲い掛かる。一方の三村家も状況の不利を悟り撤退を始めた。三村家親もひとかどの将である。撤退は迅速に行われた。しかし宗景率いる浦上家の軍勢も勝利を確実にするために猛然と襲い掛かる。
こうして行われた三星城の戦いは浦上家の勝利で終わる。しかし三村家に致命的なダメージを与えることは出来なかった。
「まあいい。これで美作での地盤は守られた」
ひとまずの目標を達成できたので宗景は備前の天神山城に戻った。
この後宗景は暫く大きな動きを見せなかった。三村家との戦いに備えてということでもあるがいずれは毛利家とも戦わなければならない。そのために力を蓄えておこうということである。
このため浦上家は永禄八年(一五六五)まで動きは見せない。しかし二つ重要な出来ことがあった。
一つは毛利家と完全に断交したことである。三村家との交戦で毛利家とも剣呑な雰囲気になったが断交には至ってない。しかし三星城での戦いからしばらくのちに改めて断交を通達した。毛利家もそれは分かっていたようで三村家への支援を行い浦上家との戦いを始める。
そしてもう一つは政宗の死であった。ただの死ではない。暗殺である。永禄七年(一五六六)に政宗は嫡男の清宗ともども暗殺されてしまった。
これには宗景は仰天した。そして直家に尋ねる。
「いったい誰がそんなことを」
「どうやら赤松晴政殿の意向のようです」
「なんということだ」
この時晴政は強制的に隠居させられ家督を嫡男の義祐に譲っていた。これを画策したのが政宗であり、それへの報復という側面もあった。
宗景は一時驚くもののすぐににやりと笑う。
「まあいい。これで播磨に攻め入る名目もできた」
つまり兄の領地であった室津の周辺を奪いうという目論見もできたと言うことだった。この時の宗景は領地を広げるという野心にとりつかれている。
永禄八年になると三村家は積極的な攻勢に出た。毛利家の後援を受けた三村家親は美作だけでなく備前にも攻め入る。この積極的な攻勢に宗景は難儀した。
「これではこちらから打って出ることもできん」
家親の戦いぶりに舌を巻く宗景。家親は備前にある岡山城や船山城を攻め落とし備前の一部も支配するようになった。
さらに再び三星城にも攻撃を仕掛けてきた。これは援軍に向かった直家の活躍で落城は免れる。しかしこのままでは浦上家の支配にも支障が出そうであった。
「三村家親。侮りがたしと思っていたが。ここまでとは。あやつをどうにかしないといかん」
焦る宗景であるが敵の総大将をどうにかするというのは非常に難しい。総力戦でぶつかっても地力はほぼ同じだが、毛利家の後援がある分三村家の方に分がある。
「何か一手を打たなければ」
宗景はそう考えるが妙案は浮かばない。浦上宗景という人物はどちらかというと謀略に長けている方ではなかった。しかし浦上家にはそれを補って余りあるほど謀略に長けている人物がいる。宇喜多直家だ。
「お呼びでしょうか。殿」
ある日宗景は直家を呼び出した。宇喜多家は三村家との戦いでは主力として戦っている。宗景としては直に戦う直家に何か妙案はないかと呼び出したのである。
「直家よ。三村家親は手ごわい。何か策はないか」
「策にございますか…… 」
考え込む直家を見て少し落胆する宗景。
「(さすがに何も思い浮かばぬか。まあ仕方ない。家親には私から見ても隙は見られないからな)」
そんな宗景の考えを知ってか知らずか直家はこう言った。
「いささか準備がいりますが手はあります」
「本当か? 」
「はい。これが成功すれば三村家は衰えましょう」
「してどうするのだ」
「三村家親を暗殺します」
それを聞いて宗景は仰天した。確かに実行できれば三村家は衰えるだろうがそんな簡単な話ではない。
宗景は半信半疑で直家に尋ねる。
「そんなことができるのか」
「はい。すべてわたくしにお任せくだされば」
「そうか…… ならば任せる」
あっさりと宗景は了承した。直家の話は鵜呑みにできないが宗景の直家への信頼は厚い。
「(うまくいけばよし。うまくいかずともなにがしかの成果は出すだろう)」
そういうつもりの宗景であった。
その後年あがけて永禄九年(一五六六)になった。家親はまだ生きており直家から特に変わった報告もない。
「やはり無理だったか」
宗景はそう考え始めた。そんな折家親が自ら美作に侵攻してきたと言う情報が入る。
「この上は私自ら出て雌雄を決しよう」
そう考える宗景のもとに直家から書状が届いた。内容は
「この度の出陣は無用にございます」
というものである。これには宗景も怒る。
「いまだ成果も出せんというのにどういうつもりか」
しかしすべてを任せるといった以上は引き下がるしかない。宗景は出陣を取りやめ直家の報告を待った。
やがて二月になった。そこで直家から書状が届く。その内容は驚くべきものだった。
「三村家親の暗殺に成功しただと…… 」
直家からの書状は家親暗殺成功の報告であった。書状には暗殺に至るまでの経緯、用いた手段などが書かれている。
「鉄砲を使ってだと? 信じられん」
書状に書かれている経緯によれば直家はまず家親の軍勢を美作まで引き入れた。また家親の顔を知るものをあらかじめ家臣に加えておく。その後うまく三村家の軍勢に紛れ込ませ軍議の最中に家親を狙撃した、と書かれていた。
この報告を宗景はにわかに信じられなかった。
「鉄砲の威力は聞き及んでいる。しかし三村家はさした動揺もなく引き上げていったと聞くが」
三村家が美作から引き上げていったという情報は宗景の元にもある。しかし特に変わったところもなく整然と引き上げていった。
「本当に成功したのか? 」
宗景は直家を直接読んで問いただそうと考えた。しかしすぐに宗景のもとに家親死亡の報告が入る。
「三村家親殿。お亡くなりになられたそうです」
「そ、そうか。そうなのか」
仇敵の死を宗景は素直に喜ばなかった。宗景の心には直家への畏怖の気持ちが芽生えている。
三村家親の暗殺は成功した。むろん三村家は滅んでいない。家親の息子の元親が跡を継ぐ。そして父の敵討ちを果たさんと備前の明善寺城を攻め落とした。
この報告を聞いた宗景は急ぎ出陣しようとする。
「今度こそ三村家と雌雄を決する時だ」
しかし直家はこれを制止した。
「三村家との戦は我々にお任せくださったはず。出陣は無用です」
これには宗景は怒った。
「あくまで任せたのは家親の始末だけのはずだ。それを三村家との戦すべてを任せたと受け取るとはなんと傲慢なのだ」
怒った宗景は出陣を取りやめた。
「そこまで言うのなら一人でやってみるがいい。どうなろうと私は助けんぞ」
こうして直家と三村元親の戦いが始まった。すると直家は三村家に味方したほかの城主を調略で味方につけ三村家の軍勢の到着を待った。そして元親率いる三村家の軍勢が備前に入るや否や明善寺城を迅速に攻略。さらに三村家の軍勢を三方向から攻め立て壊滅させてしまった。
戦いは直家の圧勝で終わる。三村元親は何とか生き残るが多くの将兵を失った。
この勝利をきっかけに備前での直家の声望は高まった。
「宇喜多殿の用兵は見事なものだ」
「左様。それに調略もうまい。大した知恵者だ」
「我々は宇喜多殿に従っていれば何も心配は要るまい」
備前の武将たちは口々にそういうのであった。
一方の宗景は面白くない。
「私は苦心して備前を手に入れた。兄上と敵対してまで手に入れたというのに皆直家を主のように扱う。何故なのだ」
実際の近年の戦いで活躍しているのは直家である。また直家の立場は浦上家に従属的な立場の勢力といったところであった。確かに再興を助けはしたが近年は独立的な行動をとっている。特に三村家との戦いはほとんど宇喜多家が主体となって行ったものだった。
宗景はここにきて直家が自身の制御を離れつつあることに気づいた。
「直家め。家を再興させてやったことを忘れおって」
そこで宗景はいろいろと手を打つ。まず美作は自分の意を受けた在地の勢力に任せ直家の影響力を排除した。さらに浦上家から与えられた宇喜多家の領地の一部を宗景の直轄管理に切り替える。ともかく宇喜多家の勢力を削ごうと考えた。
「これで直家も好き勝手は出来まい」
そう考える宗景だが宇喜多家はすでにそれなりの勢力を保持していた。それらは直家が自力で手に入れた土地で、これ以上は干渉できない状態にある。
「ああ、歯がゆい」
嘆く宗景だが今更どうしようもない状態であった。
宇喜多家の肥大化を嘆く宗景だが備前の毛利家や三村家の影響力の排除には成功する。これで一応備前は浦上家の物となったといってもよかった。
しかしその過程で宗景は別の問題を抱えたことになる。この問題は宗景の運命に大きく干渉していく。
今回の話に出た明善寺の戦いは以前清水宗治の話を書いた時にも出ました。明善寺の戦いに限ったことではありませんが一つの戦いが多くの人々の人勢を狂わせる。それが戦国時代なのだと今回改めて思い知りました。
さて今回三村家親が鉄砲で暗殺されます。これは日本史上初めての鉄砲による暗殺といわれています。もっとも当時の鉄砲で可能だったのかという疑問もないわけではありません。しかしまあ事実ならば宇喜多直家恐るべしというほかありませんね。
ともあれ今回の話で宗景はさらに飛躍しました。一方で直家との関係は微妙なものになりつつあります。二人の関係は次回更に動きます。お楽しみに。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では




