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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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浦上宗景 因果 第一話

 備前の武将、浦上宗景の話。

 宗景は幼いころ父を失った。次男である宗景は兄を支える運命にある。しかしその運命はひょんなことから変わっていく。そしてそこから宗景の激動の人生が始まる。

 赤松家といえば室町幕府の時代に最大四ヶ国の守護を務めたほどの家である。そのうち備前(現岡山県東部)の守護代を任されていたのが浦上家であった。

 浦上家と赤松家のつながりは強い。かつて赤松家は幕府に背いたため滅ぼされた。そののち再興を果たすがこの時に尽力したのが浦上則宗である。そのため則宗は赤松家の内部で権勢を誇るようになっていた。

 やがて則宗の跡を継いだ村宗は赤松家の当主義村から警戒され中枢から排除されるようになる。もちろん村宗はこれに怒った。

「我ら浦上の家のおかげで赤松家は立ち直ったというのに」

 怒った村宗は家臣を連れ備前に入った。そして義村との戦いを始める。そして最終的には義村を暗殺し赤松家を牛耳るようになった。

 ところがこれがいけなかった。後年村宗は細川家の戦いに参戦し活躍する。しかし義村の息子で主君である赤松晴政に攻撃され討ち死にした。攻撃された理由はもちろん義村の敵討ちである。享禄四年(一五三一)のことであった。

 こうして浦上家は滅亡の危機に瀕することになった。

 さてこの時の村宗には息子が二人いた。虎満丸と与二郎の兄弟である。そしてこの二人に村宗討ち死にまでの経緯を話したのは村宗の右腕であった宇喜多能家であった。

「臣が君の恩義を忘れる。逆に君が臣の忠義を忘れる。これでは家が成り立ちませぬ。ゆえに若君たちには常に臣を思い君を截てるということをお忘れならないようにしていただきたい。これがこの老いぼれの最期の願いです」

 能家自身が語るようにこの頃もはや老齢であった。不自由な体を引きずり主君の遺児に訓戒を残しに来たのである。

 虎満丸も与二郎もうなずいていた。話の内容は理解できていないが大切なことだというのが理解できたのだろう。

 うなずく二人に能家はもう一つ言った。

「人の因果はこの世の理。今の世は敵であったものが味方になる。その逆も然り。しかしすべてが人と人との因果で決まりまする。これもゆめゆめお忘れないように」

 この言葉にも兄弟はうなずく。それを見て能家は満足そうに微笑むのであった。

 こうして主君の遺児に二言残した能家は隠居の身になった。しかし天文三年(一五三四)に同じく浦上家臣の島村盛実に攻撃されて討ち死にしてしまう。そして能家の嫡男の興家は息子を連れて城を落ち延びる。これで宇喜多家は滅亡してしまった。

 盛実は能家を攻撃した理由をこう語った。

「これは先君村宗様の遺命にございます」

 しかしその内容の詳細は明かさなかった。そもそもこの遺命が存在したかも不明である。だが誰も問題視しなかった。能家は浦上家内で活躍しすぎた。目障りに思うものも多い。ゆえにいろいろと不興を買ってしまったのである。

 皮肉なものでこの後浦上家はまとまり長男の虎満丸を盛り立てて浦上家を守っていこうという機運になる。与二郎も大切に扱われた。

 もちろんこの二人は能家攻撃に何もかかわっていない。しかしこの出来事は因果の鎖となって浦上家と宇喜多家をつなぎ続けるのである。


 村宗の死後も浦上家は赤松家に反抗し続けた。幸いといっていいか不明だが浦上家側につくものも多く赤松晴政を苦しめ続ける。結果赤松家は弱体化した。

 そうこうしているうちに虎満丸も元服する。その時期と前後して浦上家は赤松家と和し赤松家の傘下に戻った。もっとも赤松家は弱体化していたに対し浦上家はかつての勢いを取り戻しつつある。そいう言うわけで完全に従ったというわけではない。

 とはいえ赤松家としてはあくまで浦上家の主人としての立場を保ちたい。そういう意向も働き元服した虎満丸に自身の一字を与えることにした。ここから虎満丸は浦上政宗と名乗るようになる。

「これで浦上家の再興もなった」

 浦上家臣たちは泣いて喜んだ。弟の与二郎も兄の晴れ姿を喜ぶ。

「ご立派です。兄上」

「ありがとう与二郎。これからはお前も私を支えてくれ」

「はい。兄上」

 そんなほほえましいやり取りをする兄弟だが二人を、そして浦上家を取り巻く状況も変化しつつあった。

 赤松家が弱体化したのは先に記したとおりである。一方で逆に勢力を強くしている者たちもいた。出雲(現島根県)をはじめ多くの地域を支配する尼子家。そして安芸(現広島県)とその周辺を支配しつつある毛利家。この二家が西国の覇権を目指し行動し始めていた。

 特に尼子家と浦上家は領地を隣接している。しかしこの時期の浦上家の本拠地は赤松家の播磨(現兵庫県)と備前の国境付近にある室津城である。播磨にある室津城で備前での尼子家への対策も取りづらかった。

「ここは誰かに備前に入ってもらいたい」

 政宗はそう考える。そして名乗り出たのは与二郎であった。

「私が行きましょう」

「いいのか与二郎」

「せっかく皆が盛り立ててくれた浦上家です。これを守るためには私も努力しなければなりません」

「わかった。任せよう」

 こうして与二郎は備前に入ることになった。そして備前の天神山に城を作る。名もそのままに天神山城と名付けた。

「これが私の城だ」

 与二郎は意気揚々と天神山城に入った。そしてこれを機に元服する。名は宗景とした。

「これよりは浦上宗景。父の名に恥じぬよう戦い抜いて見せる」

 鼻息荒く言う宗景。ともかく宗景は兄の元を離れ城主として領地の運営を任されることになった。このことは宗景だけでなく政宗、そして浦上家の運命も変えることになる。


 こうして備前で活動することになった宗景。そんな宗景に仕える家臣たちは主に備前の中小の領主であった。主に明石氏や延原氏などである。彼らが浦上家に仕える理由は己の領地を守るためであり、庇護者として浦上家を選んだだけであった。また兄の家臣だった島村盛実も補佐役として送られている。

 そしてこの時期から宗景の家臣として活躍しだした人物がいる。その名も宇喜多直家。

「宇喜多直家? そうか。じいの孫か」

 宗景は宇喜多という名字を聞いてかつて自分に薫陶を残した老臣を思い出した。じいこと宇喜多能家の孫が宇喜多直家でえる。

 直家は宗景への目通りが叶うと恭しく言った。

「お初お目にかかります。宇喜多直家と申します。この度はお目通りさせていただきありがとうございます」

「おお。苦しゅうない」

「はい。ありがたき幸せ」

 宇喜多直家は穏やかそうな風貌の青年である。性格も同様に穏やかなのかあまり覇気を感じさせない。

「(なんとも頼りなさそうだな)」

 宗景はそう感じた。しかしそれを表に出さぬように努めて直家に声をかける。

「じいが死んだ後城を追われたそうだな」

「はい。父上につられて城を出ました。その父もだいぶ前に亡くなりました」

「そうか苦労してきたのだろう」

 直家の境遇に宗景は心底同情した。しかし直家は穏やかそうな雰囲気を崩していない。そこには一切の感情の動きは見られない。勘のいい人物なら直家の纏うある種異様な空気を察したのかも知れないが、残念ながらこの時の宗景はまだ気付かなかった。

 ともかく宗景は直家の穏やかそうな雰囲気を気に入り過去に同情した。ゆえにこう直家に切り出す。

「これよりは私に仕えて助けてはくれないか」

「それはもったいなきお言葉。しかし私のような若輩者が助けになるかどうか」

「いや。今の私には信の置ける家臣はいない。お前がそうなってくれれば心強い。どうだ。宇喜多家を再興し私を助けてくれ」

 宗景は本心からそう言った。すると直家は額を畳にこすりつけて言う。

「なんとありがたきお言葉。ならばこの直家。身命を賭して宗景様に仕えまする」

「そうか。頼むぞ」

 そういって宗景は喜んだ。一方の直家は額を畳につけたままである。宗景から見えないその表情は能面のように無表情であった。

 さてこうして直家は宗景につかえることになった。しかしこれを喜ばない者もいる。能家を死に追いやった島村盛実であった。

 盛実は宗景にこう言った。

「政宗さまに断りもなく宇喜多家を再興させるとは。勝手なことをお決めになっては政宗さまもご不快でしょう」

 宗景はこうした小言を何度も言われた。ゆえに盛実のことは疎ましく思っている。ゆえにこんな嫌味を返した。

「なんだ。敵討ちされるのが怖いのか」

「何を申されますか。拙者は誠心誠意浦上家に仕えてきたのですぞ」

「ふん、まあいい。ともかく直家を召し抱えることは決めたことだ。兄上にも文句は言わせない」

 そういって宗景は去っていった。残された盛実は不満げな表情をしている。そしてそのやり取りを直家は冷たい目で見つめていた。


 この時期浦上家は宗景と政宗の兄弟が領地を分け合っている状況であった。もともとは兄の考えで弟が派遣されたわけであったが次第に状況が変わってくる。

 先にも記した通り近年尼子家が備前をはじめとした周辺に影響を及ぼし始めていた。宗景の役目は尼子家への対応である。そういうわけであるから尼子家との戦に備えていろいろと準備をしていた。

 ところがある時から政宗は尼子家との同盟を模索し始めた。これに宗景は怒る。

「兄上の命で尼子への備えを始めたのにそれを無視するとは。何ということだ」

 宗景の怒りはもっともである。しかし政宗の方にも切実な理由があった。この頃赤松家は弱体化が激しくなっており後ろ盾としてはあてにならなくなっていた。そのため浦上家としては新たな後ろ盾が欲しいところである。そこで選ばれたのが尼子家ということである。

 こういうわけで政宗には政宗の事情がある。しかし尼子家と敵対する領主を家臣として抱えている宗景にとっては呑み込めない話であった。

 こうして浦上兄弟の間での亀裂は深刻になってきた。そして宗景はある決断を下す。

「これより我々は兄上の元を離れ独自の行動をとる」

 宗景は兄の元から完全に独立し独自の勢力として行動をすることを決めた。そして天文二十二年(一五五四)先手を打って宗景の軍勢が播磨の浦上領国に侵攻する。この時、宗景は攻撃だけで去っていったが政宗も腹をくくる。

「これよりは兄弟ではない。敵として打倒してくれる」

 天文二十三年(一五五五)政宗は尼子家と同盟を結ぶと宗景と完全に縁を切った。そして尼子家と共に宗景の挟み撃ちを試みる。

 これにて対して宗景は早急に対応した。

「安芸の毛利殿と同盟を結ぼう」

 宗景は近年勢力を伸ばしつつある毛利家との同盟を選んだ。毛利家は尼子家と敵対している。敵の敵は味方という考えであった。

 この方針は毛利家にも利があった。備前の宗景と結べば山陽地方の東進をしやすくなる。実際この頃備中(現岡山県西部)の三村家も毛利家と同盟を結んでいた。これも備中に影響力を持ちたい毛利家と備中で勢力を伸ばしたい三村家の利害の一致である。

 ともかく浦上兄弟はそれぞれ毛利家と尼子家という後ろ盾を得ての戦いとなった。さっそく政宗は尼子家と共に天神山城を攻める。しかし天神山城は堅城であり容易には落とせなかった。

「私の天神山城がそんなやわなものか。むしろ返り討ちにしてくれる」

 その言葉通り宗景は政宗と尼子家の連合軍を撃退する。こうして血を分けた兄弟の熾烈な戦いが始まった。


 政宗と宗景の兄弟対決の序盤は政宗の攻勢が続いた。天神山城の攻撃の後も宗景方の城に攻撃を仕掛けていく。しかし宗景は悉くこれを防ぎ続ける。この結果逆に政宗が疲弊することになった。

「この機を逃すわけにはいかん」

 宗景は兄の弱体化を見て積極的に出兵する。毛利家や三村家からの援軍もあり宗景は徐々に政宗の勢力をそいでいた。

 こうした中で身の置き所をなくしている者もいる。島村盛実だ。

 もともとお目付け役として派遣された盛実だがこの戦いでは宗景方についた。盛実は浦上兄弟が決裂するのを防ごうといろいろと働きかけている。結局それは実らずに浦上兄弟は抗争をはじめてしまった。ここで意外にも盛実は宗景方につく。

「政宗さまからはいろいろと無理を命じられました。今後は宗景様の家臣として働きたいと思います」

 盛実は兄弟間の調整をいろいろと行っていた。その中で政宗に色々と難題を吹っ掛けられたのかも知れない。そうした事情が本当にあったかどうかは置いておいて盛実は宗景方についた。

 しかしもともと兄の家臣だったということで宗景からはあまり信頼されなかった。盛実もそこは分かっていたので大人しくすることにしている。そのため盛実の居場所はあまりなかった。

宗景は政宗との戦いを優位に進めていく。すると益々盛実は居場所をなくす。そんな中で宗景の耳にこんな報せが届く。

「盛実は謀反を図っているだと」

 それは島村盛実が謀反を企てているという情報であった。宗景が聞くには盛実が謀反を企てているという噂があり、どうも真実であるという話であった。この話はにわかに持ち上がった話なのだがそれはこれまではうまくごまかしていたそうだ。

 宗景はこの話を信じた。

「盛実め。どうしてくれようか」

 知った以上は迅速な対応を取らなければならない。宗景がそんなことを考えていると来客があった。やってきたのは宇喜多直家である。

 目通りが叶うや否や直家は宗景にこう言った。

「此度の島村殿の謀反のうわさ、聞き及びました。もし島村殿を成敗成されるのでしたらこの私にお任せくだされるようお願いに参上しました」

「なるほどな…… 」

 盛実は直家の祖父の仇。さらには直家を苦境に追いやった原因でもある。

「(敵討ちなら大義名分は立つ。それにこの機にこうして来るとは間のいいやつだ)」

 実際は間が良すぎると言えるほどのタイミングである。しかし宗景は深く考えなかった。

「わかった。お前に任す」

「ありがたき幸せ。このご恩は忘れません」

 こうして宗景の許可を得た永禄二年(一五五九)に直家は盛実を殺害した。手段は謀略を用いての暗殺である。その鮮やかな手段に宗景も戦慄した。

「恐ろしき男よ。わが旗下に加えておいて正解であった」

 宗景は直家の手腕を認め褒美として盛実の領地と城を与えるのであった。

 こうして内内での騒動もあったが政宗と宗景の戦いは宗景の優勢で進む。そしてついに備前の政宗方の勢力を放逐し備前を手中に収めるのであった。

「これより浦上家の当主はこの宗景だ」

 喜ぶ宗景であった。だがこれは宗景の激動の人生の序章に過ぎない。


 浦上宗景は知る人ぞ知るといった知名度の人物でです。もっともその知名度もある人物の出世譚の登場人物の一人といった立場です。そんな宗景ですがその人生は戦国武将らしい激動と戦乱に満ち溢れたものとなっています。今後の展開を大まかに知っている人もいるでしょうが、宗景から見た展開というのはあまりないのではないでしょうか。ぜひお楽しみに。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では

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