蘆名盛隆 急転直下 後編
人質に入った家の跡を継ぐ。そんな数奇な運命に遭遇した盛隆。跡を継いだ盛隆は新たな戦いに身を投じる。そしてその果てに待つのは思いもよらぬ結末だった。
盛氏が死に盛隆は名実ともに蘆名家の当主となった。当主となった盛隆はまず自分の生家である二階堂家への支援を行う。
「家臣たちは俺を信頼していない。ここは父上の力を借りよう」
蘆名家中で盛隆の味方は残念ながら少ない。幸い表立って敵対しようというものはいなかったが、いささか心細いのも事実であった。
「父上も健在だし弟の行親も立派に育っているようだ。二階堂家を強化すれば俺の立場も安泰だろう」
盛隆には九歳年下の弟がいた。名は行親という。まだ幼いが自分と同じ血を引いているのだから立派な将になるに違いない。盛隆はそんな都合のいいことを考えていた。
こうした盛隆の心配りに母の阿南姫は大喜びした。
「他家を継いでも実家のことは忘れない。何と立派な子に成長したことか」
一方で父も盛義の方は不安げであった。
「あまり我々に肩入れすると家臣の心が離れてしまうのではないか」
阿南姫はそんな夫に反論する。
「自分の親を大事にするのは人の道。それに腹を立てるようなものは武士ではありませぬ」
「それはそうかもしれんが…… 盛隆個人ではなく蘆名家当主としてそうした振る舞いをするのはどうなのだろう」
「盛隆も心細いのです。我らが力にならなくてどうするのです」
「それもそうかもしれん。しかしならば家中の心をまとめ上げる方が先決ではないのか。それか己の子飼いの家臣を作るか。どちらにせよ家中をまとめ上げなければ盛隆も苦労しよう」
盛義は物憂げな顔でそんなことを言った。そんな盛義だが一年後の天正九年(一五八一)に病死してしまう。享年三八歳という若すぎる死であった。この時盛義がそんなことを知る由もないがこの懸念は当たることになる。
さて盛隆は盛義の考えているような懸念を当然持っていた。そのため比較的自分に素直に従っている家臣たちを重用し始めた。さらに
「蘆名の父上は家中の幼子を集め見込みのあるものを取り立てた。俺もそれに倣い見込みのありそうな者を集めようか」
ということを考えた。
やがて盛隆は蘆名家だけでなく従属する家からも何人か取り立てた。その中に大場三左衛門というものがいる。三左衛門は蘆名家に従属する二本松家の家臣であったが盛隆が気に入り引き取った。
「はじめは俺の小姓として。ゆくゆくは武将として取り立てよう」
「ありがたき幸せ。誠心誠意盛隆さまに仕えまする」
恭しく言う三左衛門。一見純粋そうに見えるその眼の奥には野心の炎が燃えていた。盛隆は残念ながらそれに気づかない。ともかく三左衛門を召し抱えたことが盛隆の運命を決めることになる。
蘆名家のさらなる拡大を目指す盛隆。さしあたって標的としたのは越後(現新潟県)の上杉家である。
「今の上杉にかつての勢いはない。ねらい目だ」
上杉家といえば軍神とも称された上杉謙信をいただき各地での戦いで勝利を重ねてきた家である。しかしその謙信も先年なくなり後継を巡って養子の景勝と景虎とで争いが起きてしまった。この御館の乱と呼ばれた戦いに勝ったのは景勝の方である。しかし上杉家を二分したこの戦いの後遺症は大きく上杉家の力は大きくそがれてしまった。盛隆はそこに目を付けたのである。
「越後を落とせば海が手に入る。それは蘆名家の財政を助けるのに大きく役立つだろう」
盛隆の言う通り蘆名家の領地に海はない。そういう意味では盛隆の狙いも悪くないものである。
しかし家臣たちは反発した。
「越後への介入は盛氏様も行っていました。しかしなかなか芳しい結果は得られなかったのですぞ」
「その通り。それにわが家の財政は厳しい。しばらくは動かないのがよろしいのではないか」
次々に反発する家臣たち。しかし盛隆はそうした声を退ける。
「何を言うか。父上の介入がうまくいかなかったのは負けた景虎に肩入れしていたからだ。だが今の上杉家は戦いの余波で弱っている。あのころとは違う」
「しかし盛隆さま。何度も言う通りこれまでの戦いで蘆名家の財政はいささか厳しいものに…… 」
「だからこそ領土を広げさらなる高みを目指すのだ。越後の地や海を手に入れれば財政も立て直せる」
自信満々に盛隆は言い切った。その姿に家臣たちは呆れつつも納得する。すると家臣の一人、金上盛備が進み出た。それを見て盛隆は喜んだ。
「おお盛備かどうした」」
盛備は数少ない盛隆に従順な家臣である。手腕も巧みで盛氏時代の対上杉の諸事にもかかわっていた。
「盛隆さま。此度の戦についてお耳に入れたいことがございます」
「ほう。なんだ」
「まず伊達輝宗さまも越後へ介入しようと考えているようです」
「そうか叔父上が」
伊達輝宗は阿南姫の弟である。彼も伊達家の代々の手法を踏襲し周辺の勢力との外交や謀議に力を入れていた。盛備はそれを承知したうえで盛隆に提案する。
「ここは輝宗さまと歩調を合わせて行動すべきかと。下手に対立すれば我らに不利となりまする」
盛備の言葉に家臣たちはうなずいた。盛隆もそこは納得したようである。
「わかった。盛備の言う通りにしよう」
「ありがたき幸せ。それともう一つお耳に入れたいことが」
「なんだ? 」
「実は新発田重家殿が処遇のことで上杉家に不満を抱いていると…… 」
「なんだと! 真か」
驚く盛隆と家臣たち。新発田重家は御館の乱で景勝方につき活躍した。特に蘆名家の介入を悉く阻んでいる。蘆名家からすればもっとも厄介な男であった。
しかし盛備が言うには重家に与えられた恩賞は少なかったという。重家はそれに不満を感じているとのことだった。
「これはよいことを知った。これならば上杉に勝てる」
盛隆は獰猛な笑みを浮かべる。まさしく獲物を狩る狼の表情であった。
盛隆はさっそく重家に接触する。
「貴殿はわが父、蘆名盛氏をも苦しめた名将。それなのにこれ程の不遇とは敵ながら悲しく思います。しかしもし貴殿が主君の非に立ち向かうというのなら私も手助けしましょう」
この盛隆の接触に重家はいい返事をしなかった。これには盛隆も怒る。
「こちらが気にかけてやろうというのに」
「仕方ありませぬ。こうしたことは勝ちが見えなければなかなか動けぬもの。それに表向き我々は上杉家とも誼をつないでいます」
焦れる盛隆を盛備が諫める。盛備の行っていることはもっともであった。それに上杉家との関係は表向き良好というのも事実である。盛隆もそれは分かっていたようで落ち着いた。そのうえで盛備に尋ねる。
「何か策はあるか」
「敵の敵は味方。上杉と敵対しているものとの連携も視野に入れては。北条家などはいかがでしょうか」
「北条家はだめだ。佐竹家との関係にひびが入る。だが敵の敵。上杉家と敵対しているものといえば」
盛隆は考え込んだ。そして思いだす。
「そういえば叔父上は中央の織田家と誼を通じていたな」
「その通りです。織田家の勢いは今やこの日本全土を制覇せんとの事です。輝宗さまは早くに誼を通じ奥羽での覇権を確固たるものにしようということらしいです」
「なるほどな。それで織田家と上杉家は…… 」
「先代謙信殿の頃より敵対しております」
盛備の答えに盛隆はにやりと笑った。
この少しあとで盛隆は織田信長の下に家臣の荒井万五郎を送る。そしてそこで重家も対上杉の為に織田家と通じていることを知った。
「これは面白い。これならばことはうまくいく」
盛隆は信長に対し名馬などを送る。それに対し信長は朝廷に働きかけて盛隆に官位を与えた。こうして蘆名家と織田家の間で良好な関係が構築される中で重家は上杉家に反旗を翻す。
もちろんこれは蘆名家や織田家、さらには伊達家の後援を受けての行動である。
重家の反乱に上杉家は動揺した。御館の乱の傷も癒えないうえ織田家との戦いが続いている。そんな状況では鎮圧に動くことすら難しかった。また織田家は重家の反乱に連動して攻勢を強める。上杉家は一気に窮地に立たされた。
「上杉は慌てているようだな」
天正十年(一五八二)の二月。上杉家から蘆名家に重家への攻撃を要請する書状が届いた。この要請は何度も来ていたがうまくごまかしてやり過ごしている。
「これでは上杉も相当弱っているようだな。まだ我々を当てにしているとは。哀れな連中だ」
盛隆は鼻で笑った。しかしそんな盛隆を盛備が諫める。
「もう気づいてはいますでしょう。しかしあてにできるものがもうありません」
「だから哀れだというのだ」
「とはいえ上杉のことはともかくこのまま動かなければ別の信頼もなくしかねません」
ここで盛備が言ったのは織田家と重家のことである。今までは陰ながらの支援や工作程度であったがそろそろ動く時期ではあった。
「ふん。そうだな。任せられるか? 盛備」
「承知しました」
盛隆は盛備を重家の援護に出陣させた。さらに越後に城を作り支援のための拠点も作る。本腰を入れて重家を援護する体制を整えた。
「さてこれからが面白いぞ」
盛隆は自分の勝利を疑っていない。実際情勢は盛隆の思う通りに進んでいる。そこに落とし穴など見えなかった。
天正十年六月。本能寺にて信長は横死した。これには盛隆も衝撃を受ける。
「なんということだ。一寸先は闇とはこのことか」
急転直下の出来事であった。これに伴い日本各地で情勢が激変していく。それだけ信長の影響力は強く天下統一の目前まで迫っていたのであろう。当然奥羽の諸将も影響を受けたが盛隆はあまり気にしなかった。
「上杉の衰えは決定的だ。もはや織田家がおらずとも戦いは優位に進められる」
現状の上杉家は周囲を攻められ風前の灯火であった。そんななかで信長の横死に伴う織田家の混乱は上杉家に当然利する。しかしそれも所詮寿命が少し伸びた程度の事である。
「我々は変わらず重家殿を支援し上杉家の領地を侵せばいい」
盛隆は余裕しゃくしゃくと言った感じで言うのであった。しかし上杉家も黙ってやられていたわけではない。
現在蘆名家は盛隆の意向に従い運営されている。しかしこれに対して反感を抱く家臣たちも依然多くいた。上杉家はこれに目をつけ離反工作を行う。盛隆の反対勢力はこの誘いに乗り幾度となく盛隆に反旗を翻した。
「馬鹿者どもが」
怒る盛隆は反乱を次々と制圧していく。しかしこれで蘆名家の財政にさらに負担がかかり重家の支援も滞った。
重家は上杉家に有利に立ち回っているが単独で上杉家の打倒は不可能である。一方上杉家も度重なる戦いの負担で蘆名家の内部を錯乱させることと重家へのけん制がやっとであった。そして蘆名家は度重なる戦いの負担と内情の不安定さで思うように動けない。戦況は剣呑な膠着状態に陥った。
この事態に盛隆は焦れる。
「上杉に惑わされおって。何とか家臣どもを黙らせなければ」
そういってイライラする盛隆。そんな盛隆に寄り添うものがいた。大庭三左衛門である。三左衛門は盛隆の言葉に大げさにうなずく。
「全くです。蘆名家臣として恥ずかしくないのでしょうか」
「そうか。お前もそう思うか」
「はい。私がもっと大身ならば殿をお助けできるのに」
三左衛門の言葉に機嫌を良くする盛隆。こうしたことは三左衛門が来てからよくあった。三左衛門は巧みに盛隆に取り入りその寵愛を受けている。当然蘆名家臣たちの評判は悪い。
このことについて金上盛備も盛隆に苦言を呈するほどであった。
「大庭をあまり重用しすぎるのはどうかと」
しかし盛隆は聞き入れない。
「なぜだ。三左衛門は腕もたつ。戦場で功をあげることもあったではないか」
実際三左衛門は武辺物の面もあった。こうした面は盛隆に気に入られるし武功をあげることもある。そうなると三左衛門は益々増長し家臣からの反発も強くなった。しかし盛隆は相変わらず三左衛門を可愛がる。するとますます盛隆と家臣の溝も広がった。盛備の懸念もそこにある。
「このままでは何やら大変なことになるやもしれませぬ」
盛備はそう盛隆に言った。すると本当に大変なことになった。
天正十二年(一五八四)六月に盛隆は出羽の東光寺に参詣した。これは三左衛門の発案である。
「ここは東光寺に参詣し戦勝を祈願してはどうでしょうか」
「それはいいな」
盛隆はせっかくだから自分と近しい家臣を引き連れて参詣することにした。ただ盛備は同行しない。
「越後のこともありますので。それに城内で何やら不穏な動きがあるとの報告も入っています」
「不穏な動きだと」
「はい。私としてはこの動きが把握できるまで参詣は控えていただきたいのですが」
そういって盛備はそれとなく盛隆を押しとどめた。盛隆も情報通の盛備からの話なので少し考え込む。だが三左衛門は盛備を嘲るように言った。
「金上殿は意外と臆病なのですな。第一そんな噂我々や殿のもとには聞こえてきておりませぬ」
「謀議とはそういうものでしょう」
「どちらにせよ金上殿の思い過ごしに違いませぬ。殿。ここは我らの結束を固めることこそ蘆名の為になりますぞ」
三左衛門は強い口調で言った。そうなると盛隆の心境も変わる。
「そうだな。何を恐れることはあるか。家のことは心配ない。参詣に行くぞ」
こうなると止まらないことを盛備は知っている。ゆえにそれ以上は何も言わなかった。
はたして盛備の懸念は当たった。家臣の栗村盛胤と松本行輔が謀反を起こして黒川城を占拠してしまったのである。
「なんだと! 」
盛隆は驚嘆した。しかしすぐに取って返すと黒川城に戻る。幸い兵もつれていたことと行動の迅速さにより黒川城はほどなく奪還できた。そして盛胤の実父である新国貞通も降伏させ迅速に反乱を鎮圧する。
何とか無事に事を終えた盛隆。しかし一時的にとはいえ居城を奪われた怒りは容易には収まらない。そしてその矛先は三左衛門に向かった。
「貴様が参詣などのんきなことを言い出すのがそもそもの間違いなのだ! この大馬鹿者! 」
三左衛門は怒り狂う盛隆に気圧されて青い顔になる。そして何も言い返せずになじられ続けた。そして盛隆はこんなことを言ってしまう。
「この場で手打ちにしてやろうか! 貴様など俺の家臣にはいらん! 」
この言葉に益々青い顔になる三左衛門であった。
結局この場は盛備が盛隆をなだめたので収まった。しかしこの出来事で三左衛門の中に盛隆への異常な恐れと自身の立場への不安が芽生えてしまう。
一応反乱を鎮圧した蘆名家はひとまずの平穏を保っていた。盛隆も混乱を何とか収集し何とか落ち着く。そして天文十二年の十月になった。
「(そういえばこのところ三左衛門の様子がおかしいな)」
ふとそんなことを思う盛隆。確かにこのところの三左衛門は情緒不安定であった。どこか不安げで常に何かにおびえている。もっともそうなったのは半分盛隆のせいであるのだが。
「まあいい。ここらで鷹狩りにでも行き気分転換でもしよう。面倒な家臣たちの始末はそのあとだ」
盛隆は今回の一件を機に家中の反抗的な勢力の一掃を考えた。そのうえで越後に討ち入り上杉家に決定打を与えるつもりである。
「(それが成せれば俺は蘆名の父上を越える)」
そう思ったとき背後に気配を感じた。盛隆は鷹に餌をやりつつ背後の人物に問いかける。
「誰だ」
それが蘆名盛隆の最期の言葉となった。その瞬間盛隆は背後の人物に斬りつけられる。痛みと斬りつけられたことに驚き振り向くとそこには幽鬼のような表情をした三左衛門がいた。三左衛門は刀をもう一度振り上げる。そして盛隆が何か言う前に振り下ろした。真っ向から一太刀食らった盛隆は絶命する。享年二十四歳。あまりにもあっけなくあまりにも早い死であった。
盛隆を殺した三左衛門はその後逃走を図るも補足され殺害される。殺害の理由は不明である。
当主を急に失った蘆名家は今までの戦の負担もあり急激に衰退した。盛隆の後は嫡男の亀王丸が跡を継ぐが二年後に急死してしまう。亀王丸の跡は伊達家と佐竹家がそれぞれ自分の家の子を養子に入れようとした。そして佐竹家から養子が入る。これをきっかけに蘆名家と伊達家の関係は悪化してしまった。
その後蘆名家は佐竹家と組んで伊達家と戦うも敗北。黒川城も落城し蘆名家は滅亡した。あまりにもあっけない幕切れであった。
大庭三左衛門が盛隆を殺した理由は今も不明です。男色関係のもつれという話もありますがそこらへんははっきりとしていないので今回はこういう流れにしました。その点はご容赦を。
盛隆の急死は周囲に大きな影響を及ぼしました。特に新発田重家は後ろ盾を失い最終的には討伐されてしまいます。また蘆名家の後継者争いから佐竹家と伊達家の争いが始まり東北の勢力図を大きく塗り替えることになります。自分の死がこれほど様々な影響を及ぼすとは盛隆も思いもよらぬことでしょう。もっとも本人は生きている間に影響を及ぼしたいと思っているでしょうが。ともかく戦国時代の東北において蘆名家の存在は大きいということです。
さて次に話の主人公は備前の武将となります。詳しく調べてみるとなかなかに激動の人生を歩んでいました。いったい誰の話なのか。お楽しみに。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では




