戦国塵芥武将伝 特別編 その二
今年もやってきた特別編。だから何だという程度の内容ですがそこはご容赦を。構成は第一弾と同じです。では、どうぞ。
戸田忠次(1531~1597)
関わった事件 三河一向一揆 三方ヶ原の戦い 小田原攻め
来歴 徳川家家臣で三河の田原の生まれ。叔父の康光が幼少の頃の徳川家康(竹千代)を織田家に売り渡したため、今川家に家を滅ぼされる。その後は没落の一途をたどるも三河一向一揆を経て家康の家臣となった。その後は家康の様々な戦いに従軍し伊豆下田城主となる。慶長二年(1597)に死去。
作者の一言 秀吉に壮者の亀鑑と呼ばれたわけですが、要するによく働く男だと褒められたわけです。陪臣の、しかもさして名が売れているわけでないのに総称されたのはよっぽどエネルギッシュな人物だったのだなあと感じます。
豊田頼英(1403~1490)
関わった事件 大和永享の乱
来歴 大和の国人。大和永享の乱をきっかけに豊田家を発展させる。その後も続く大和の内乱の中で活躍した。晩年は僧としての出世も遂げる。
作者の一言 はっきり言って戦国時代の人物ではありません。もっとも戦国時代の定義もはっきりとしていないのですが。しかし乱世に生きた人物ではあるのでしょう。彼の生きた時代の大和は戦国時代を彷彿とさせる混沌ぶりです。
十河一存(?~1561)
関わった事件 江口の戦い 東山の戦い
来歴 讃岐国の武将。阿波の三好元長の4男に生まれる。のちに讃岐の十河家の養子となり家を継いだ。兄の三好長慶に従い畿内での戦いに参陣し活躍した。「鬼十河」とも呼ばれた勇猛な武将で十河家臣からの人望も厚かった。しかし永禄4年に急死してしまう。
作者の一言 三好四兄弟の戦闘担当。兄の長慶が畿内で権力者になるにあたって武の面で大いに貢献しています。それだけに急死したのが悔やまれる人物でもあります。しかもこれだけの猛将が戦死でなく病死というのもなんともやるせないものがありますね。
奥平信昌(1555~1615)
関わった事件 姉川の戦い 長篠の戦
来歴 三河国の武将で徳川家臣。妻は徳川家康の娘。奥平家は徳川家と武田家の領地の境にあり状況によって所属を変えた。信昌の代以降は徳川家に仕える。信昌は長篠の戦で奮戦し以後も家康に重用され初代京都所司代になった。
作者の一言 ある一つの事件で活躍することで名前を残す人は多くいます。この人もその一人でしょう。もちろん所々でいい仕事をしています。こういう家臣を多く抱えていたから家康は天下を取れたのかも知れません
竜造寺政家(1556~1607)
関わった事件 沖田畷の戦い
来歴 肥前の戦国大名竜造寺隆信の嫡男。父が戦死後は家臣の鍋島直茂に家の運営を任せる。豊臣秀吉もこれを支持し結果竜造寺家は鍋島家に乗っ取られた。嫡男高房の死後失意のうちに病死した。
作者の一言 暴れん坊の父親と違いなんとも消極的な人物です。しかも所所でやらかしてもいます。正直家を乗っ取られるのも仕方ないのかなと思わせる人物でした。
清水宗治(1537~1582)
関わった事件 備中高松城の戦い
来歴 備中国の武将。はじめは三村家に属していたがのちに毛利家に下る。その後は山陽方面の要地備中高松城を任された。織田家の大軍にもひるまず立ち向かったが羽柴秀吉の水攻めの前に敗れる。
作者の一言 水攻めにあった人ということで知っていましたがいざ調べるとなかなか激動の人生を歩んでいます。宗治の処遇は秀吉と毛利家の動きに大きくかかわりました。のちのことを考えれば彼の命が天下の行方を左右したといっても過言ではない、のかな?
畠山義統(?~1497)
関わった事件 応仁の乱 加賀一向一揆
来歴 出身は能登畠山家で能登守護。在京の守護で畠山本家が分裂した後は畠山義就に就き、応仁の乱では西軍に属した。応仁の乱後は能登に下向し領国の統治に努める。加賀や越中の一向一揆と戦いつつ畠山家の戦国大名化への土台を作った。
来歴 なんだか話を書いていて楽しかったのを覚えています。前半生は畠山本家の内乱、および応仁の乱。後半生は能登畠山家の自立と戦国大名への転換、と人生の前後が分かりやすいからでしょうか。しかし戦国時代の能登畠山家は大して活躍できず滅んでしまうのが悲しいところですね。
足利義明(?~1538)
関わった事件 永正の乱 第一次国府台の合戦
来歴 古河公方足利政氏の次男で初代小弓公方。真里谷武田家の支援を受けて小弓城で独立。小弓公方を名乗り兄の高基や甥の政氏と対立する。第一次国府台の戦いで北条家と交戦。打ち取られる。
作者の一言 小弓公方の滅亡後、北条家は関東で影響力を強め里見家は房総半島に覇を唱えます。そのきっかけになった人物ですが最後は怒りに任せて突撃したため戦死というどうしようのないものです。一応北条家に包囲網を敷いて追い詰めたりはしたのですがねぇ。
斎藤義龍(1527~1561)
関わった事件 長良川の戦い
来歴 美濃国の戦国大名。斎藤道三の嫡男として生れたが父には疎まれた。のちに道三が弟たちに家督を譲ろうとしたのを機に弟を殺害。父を殺して斎藤家を掌握する。その後は幕府と親交を結びながら織田家と戦った。
作者の一言 話を書いているうちにものすごく同情してしまいました。いまだ道三に嫌われた理由は分かっていません。しかし義龍の代で斎藤家は戦国大名として成立したので優秀な人物だったのでしょう。それだけに早死にしたのが悔やまれます。余談ですが今度の大河ドラマではどう描かれるのかが若干楽しみです。
北畠具教(1528~1576)
関わった事件 大河内城の戦い 三瀬の変
来歴 伊勢国司兼伊勢守護の北畠家の出身。北畠家の勢力を最大にした。しかし織田信長の侵攻に合い降伏を余儀なくされる。その後は隠居していたが反抗的だと判断され織田家に粛清される。新当流剣術を納めるだけでなく和歌にもたけた文武両道の人。
作者の一言 剣術の達人であったというエピソードを持ち最後は粛清されてしまうという悲劇も持つ。知名度が上がれば一気に人気が出そうなものですが知名度は上がらない。なんともやるせない話です。基本織田信長のドラマではあまり伊勢方面の戦いの話はやらないのですよね。何故でしょう。
岩城貞隆(1583~1620)
関わった事件 関ヶ原の戦い 大坂の陣
来歴 常陸国の戦国大名佐竹義重の子。のちに岩城家の養子に入り家を継ぐ。兄の佐竹義宣が関ヶ原であいまいな態度をとったため転封されたとき岩城家は改易された。その後家臣に支えられ岩城家の再興を試みる。そして岩城家は信濃国の大名として復帰できた。
作者の一言 おそらく相当いい人だったのだろうという感じがします。改易されても家臣がついてきてくれたり喧嘩した兄も仲直りして支援してくれたりとともかく周りの人に愛されています。本当に不思議な人物です。
松前慶広(1548~1616)
関わった事件 九戸政実の乱
来歴 蝦夷蠣崎家の出身。はじめは安東家の家臣として活動していたが、豊臣秀吉、徳川家康に通じ大名として独立する。その際にアイヌとの交易の独占という特権を得た。慶広の代に松前に改称し松前藩の初代となる。
作者の一言 強いものの傘下につき己の利益を成す。それを徹底して家を独立し特権も得たという人物です。ただそのために北海道から何度も本州に行き、果ては九州まで行ったバイタリティ見習うべきところだと思います。
高山友照(?~1596)
関わった事件 白井川の戦い 有岡城の戦い
来歴 摂津国の武将。キリスト教の洗礼を受けキリシタン武将となる。初めは三好家に仕え松永久秀の旗下に入る。のちに和田惟政、荒木村重の旗下に入った。キリシタン武将としてキリスト教の振興に努めた。のちに荒木村重の謀反に追従したため越前に蟄居となる。
作者の一言 戦国時代の畿内は激動に次ぐ激動でした。友照もそこに巻き込まれた人といえるでしょう。いろいろと心労がありそうな境遇でしたがだからこそキリスト教に惹かれたのかも知れませんね。蟄居となった晩年はなんだかんだ言って平穏に過ごしたのだと思います。
今年もどうにか無事終わりそうです。話もついに百話を越えましたが今までとやることは特に変わりません。趣味的な内容をマイペースに続けていきますので今後もよろしくお願いいたします。今年の投稿はこれで最後となりますが来年も応援していただけるとありがたいです。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。ではよいお年を




