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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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藤掛永勝 三蔵戦記 第四話

 主君秀勝を失った吉勝は、羽柴秀吉に仕えることになる。だが羽柴家は吉勝の力を必要としないほど強大になっていた。

 秀勝に羽柴家の行く末を見届けてほしいと託された吉勝。そんな吉勝の目に豊臣家と名を変えた羽柴家はどう映るのか。

秀勝が死んだあとその家臣たちは羽柴家に吸収された。そんな家臣の中でも優秀な人材は秀吉に取り立てられる。吉勝もその一人であった。

 このころは秀吉の天下取りも順調に進んでいる。また秀吉はまだ秀勝が生きている頃に関白に任官されていた。これにより秀吉は日本全国を統治する大義名分を得る。

 そうなると政治のスケールも必然的に大きくなり、より多くの家臣が必要になったという事情がある。吉勝が取り立てられたのもそういう事情であった。

 吉勝は秀勝の領地であった丹波の一部を与えられた。石高は一万石を越える好待遇である。なかなかいい評価を受けているという事であった。

 こうして吉勝は秀吉の直臣になった。そして目通りすることになる。

 驚くほど広い部屋で吉勝は平伏している。部屋にはまだ秀吉はいないがその周りには秀吉の奉行衆が並んでいた。

 平伏する吉勝は自分を見つめるたくさんの視線を感じる。今更そんな視線に怖気づく吉勝ではないが、いささか居心地は悪い。

「(値踏みでもしているつもりか? )」

 そんな悪態をつきたくなるような雰囲気であった。

 やがてその場の空気が変わった。それと同時にずかずかと足音が聞こえる。足音の主が秀吉なのは言うまでもない。足音が止まると勢いよく座り込む音が聞こえた。そして

「藤懸吉勝! よく来たな! 面を上げい! 」

 耳が痛いくらいの大音声であった。秀吉の声は昔から大きいことを吉勝も心得ている。吉勝は静かにゆっくりと体を起こした。そして秀吉を見る。そのとき吉勝は違和感を覚えた。

「(なんだ? )」

 目の前にいる小柄な男が羽柴秀吉なのはわかる。だが以前見た時とはだいぶ雰囲気が違う。まとっている雰囲気か着飾っている服か、どちらにせよ今までの秀吉とはちぐはぐなものを感じさせた。

 吉勝が戸惑っているのを秀吉は勘違いした。

「吉勝よ。周りの者どもは気にするな」

 秀吉は吉勝が緊張しているのだと思った。吉勝は秀吉の勘違いに落胆したがすぐに気をとり直す。とりあえず秀吉の勘違いを肯定することにした。

「はい。申し訳ありません」

「まあ、こやつらは儂をしたってくれるがゆえ、お前を睨んどるんじゃ。許してやれ」

「いえ。気にしてはおりません」

「ほう。そうかそうか」

 秀吉は満足げに笑った。一方で吉勝は別の違和感も覚えている。今までとは何かが違う。

「(そうか。距離感か)」

 吉勝は気付いた。初めて会ったときや秀勝と共に面会した時、秀吉は自分からこちらに寄ってきた。しかし今は腰を下ろしたまま動かずこちらを見下ろしている。なれなれしいとも親しげとも取れる口調は相変わらずだが根底の部分が変わっているようだった。

 吉勝のそんな思索を気にせず秀吉は話を続ける。

「それにしてもお主とは縁があるのう」

「その通りでございます」

「お主がこうして儂の直臣になったのもまさしく運命じゃ。よいことじゃ」

 秀吉は笑ってそう言う。だが吉勝は納得できなかった。

「(それでは長政さまや秀勝さまが死んだのも運命とでもいうのか)」

 吉勝には今まで以上に秀吉が軽薄な男だと感じられた。だがそんな気持ちもおくびに出さず秀吉を見据える。

「さて、これが領地の安堵状じゃ。受け取れ」

 秀吉がそういうと小姓が安堵状を受け取った。そしてそれを小姓が吉勝まで届ける。吉勝は受け取った安堵状に軽く目を通すとまた平伏した。事務的な流れである。

 本来ならこれで終わるところだが、吉勝はあることを思いついた。

「秀吉さま」

「なんじゃ」

 吉勝は再び体を起こす。そして言った。

「直臣になれたのを機に、名を変えたいと思います」

「ほう、そうか」

 秀吉は興味なさげに言った。明らかに早く帰りたがっている。

「新たに永勝としようと思います」

「それはどうしてだ」

「秀吉さまの、羽柴家が永く勝ち続けるようにという意味にございます」

 そこまで吉勝、いや永勝が言うと秀吉は笑った。永勝は再び平伏している。

「なるほど。よい心がげじゃ」

 秀吉はこの改名をおべっかだと受け取った。そして気にせず笑う。自分がそうしたものを受けるのが当たり前だと思っているからだ。だから永勝の本心に気付かなかった。

「(永は父の一字。それを継いだだけだ。なにより)」

 永勝は体を起こす。もうすでに秀吉の姿はなかった。秀吉が去っていったであろう方向を永勝は見つめる。

「(同じ字が入っているのはいい気分じゃない)」

 永勝はため息一つつくとその場を去った。

 

 秀吉の配下になっても永勝のやることは特に変わらない。主君を助けて仕事をこなすだけである。変わったことがあるとすれば、主君との距離が遠いことと秀吉には永勝の助けがいらないということぐらいだ。

「すさまじいものだな」

 永勝は大阪から出陣しようとしている軍勢を見下ろしている。それは天正一五年(一五八七)秀吉が九州の島津家を討伐するために編成した軍勢であった。その兵力は圧倒的で十万を超えるほどである。しかもこれから九州への途上で毛利や宇喜多などの軍勢も合流するのだからすさまじい。

 またこの時点で秀吉は豊臣の姓を名乗るようになった。新たな姓と巨大な軍勢は秀吉の権力のすさまじさを象徴するものだった。

 九州平定のために出向する軍勢に永勝は外された。それは何か考えがあるという事ではなく、単純に必要ないという事だけである。

 永勝はこの軍勢に加われないことを悔しいとは思わなかった。不思議と秀吉に尽くそうという気持ちはあまりない。せいぜい所領を失わないように努力しようかとかそういう程度のことを考えるくらいであった。

 しかし目の前の軍勢は圧倒的で秀吉の権力を象徴するものであった。

「これは、圧倒される」

「全くその通りですな」

 永勝の独り言に誰かが反応した。驚いて振り向くと年老いた男がいた。尤も体格はよく風格もある。

「貴殿は? 」

「拙者、細川藤孝と申します」

「貴殿が…… これは失礼しました」

 永勝に声をかけたのは細川藤孝であった。藤孝は武将でありながら当代随一の文化人として知られる人物である。このころは息子に家督を譲り隠居の身であったが、その能力から今でも重用されている。

 永勝はあまり文化的なことには興味がなかったが、藤孝の名前は知っていた。

「細川殿の高名は耳にしていたもののお顔は知らず…… 」

「気になさるな藤懸殿。今は隠居の身ですので」

 藤孝は本当に気にしていないようだった。

「それにしてもすさまじい軍勢ですな」

「全くです。しかし」

 二人は軍勢を見下ろす。だが永勝はどこか物憂げな顔をしていた。

「永勝殿? 」

 永勝の様子に気付いた藤孝が声をかけた。

「いえ。これほどの力…… 頼もしさより恐ろしさを覚えます」

「ふむ…… 」

 永勝の物言いに藤孝は感心したようだった。そして

「藤懸殿」

「はい? 」

「これからも仲良くしていただけますかな」

 永勝はびっくりした。

「いえ。恐れ多いことです」

 永勝は驚きながらもうなずいた。藤孝はそれを見て優しく微笑んだ。

 この出会い以降、永勝と藤孝は親しい付き合いをしていく。それがある大きな出来事の分岐点になるとはだれも知らなかった。


 大阪から発った豊臣軍は島津家を打ち破り支配下に置いた。これにより西日本は完全に秀吉の支配下に納まる。さらに秀吉は京都に自身の政庁である聚楽第を立てた。この豪華絢爛な政庁は豊臣氏の権勢を象徴しているかのような建物であった。

 ますますの繁栄をしていく豊臣氏。一方で永勝は自分の領地の繁栄に腐心している。別に永勝は豊臣政権の中枢で仕事をしているというわけではないし、重要な役目を持っているわけでもない。そういうわけで領地経営に重点を置けた。また永勝の領地は一部だけではあるが旧主、秀勝の領地である。そういう事情も永勝にやる気を出させた。

 そんなある日、永勝は秀吉から聚楽第に呼び出された。

「(何用だ? )」

 永勝は呼び出される理由がいいものも悪いものも思いつかなかった。とはいえ呼び出された以上向かわないわけにはいかない。そういうわけで永勝は丹波を経ち京都の聚楽第に向かった。

 聚楽第で永勝は秀吉と目通りした。

「よく来たな。永勝」

「はっ」

 秀吉は相変わらず小柄な体に豪奢な着物を着ている。このところうまくいっていることが多いからか機嫌は非常に良かった。

「実はお主に合わせたいものがおってな」

「私に、ですか」

 あいにくと永勝に心当たりはなかった。秀吉は永勝の困惑顔を面白そうに眺めていた。

「お主も驚くぞ」

「左様ですか」

「よし。入れ」

 秀吉がその人物を呼び出した。入ってきたのはうら若い女だった。絹のような肌に美しい黒髪の美女である。女は穏やかな笑みを浮かべている。

 秀吉はにやにやと笑って永勝の反応を待っている。しかし永勝には目の前の女に見覚えがなかった。

 始めは面白そうにしていた秀吉だが、永勝の反応が鈍いことに苛立ち始めた。

「なんじゃ。まだ気づかんのか」

「申し訳ありません」

 永勝は素直に謝る。一方の秀吉は苛立ちを隠せないでいた。そんな時女が口を開いた。

「殿下。仕方ありません。藤懸さまと私が出会ったのはもう十年以上前なのですから」

「むう、じゃが…… 」

「お怒りになってはなりません。殿下」

 そう言って女は永勝の方を向き微笑んだ。

「改めて、お久しぶりです。私は市の娘、茶々にございます」

 それを聞いた瞬間永勝の動きが止まった。そして、声も発せずただ茶々の方を見つめる。相変わらず微笑んでいる茶々。秀吉は予想以上の永勝の反応に機嫌を直していた。

 永勝はしばらく固まっていた。無理もない。それだけ衝撃的な再会である。

 改めて冷静になって茶々を見れば親子だけに市と似ている。だがどうにも違和感を覚えた。

「(顔の造作は似ている、が)」

 永勝には茶々の浮かべる微笑みがなぜか作り物のように感じられた。市は比較的感情を表に出していたが、茶々は微笑みの仮面ですべてを封じ込めているように見える。そこの違いが永勝に茶々の正体を気付かせなかった。

 永勝としてはいろいろ言いたいことはあるがとりあえず挨拶する。

「ご健勝で何よりです。しかし立派に成長なされた」

「いえ、これもあなたが命を賭けて逃がしてくれたおかげです。ありがとうございます」

 恭しく茶々は頭を下げた。だが永勝はますます違和感を覚える。

「(あんな幼いころのことを鮮明に覚えているものか? )」

 いささか気になるがそこは口に出さないでいた。幼い頃の事でも覚えていることもあるだろう。そういう事だとして追及しなかった。

 しばらく二人のやり取りを見ていた秀吉だが、そこで自慢げに口を開いた。

「今の茶々は儂の妻じゃ」

 その言葉に衝撃を受ける永勝。いつぞやの懸念が形を変え実現したことになる。しかし茶々かしてみれば両親の仇の妻になったことになるのではないか。

 永勝はちらりと茶々を見た。茶々は相変わらず微笑んでいる。そして言った。

「殿下のご厚意を賜り恐悦至極ですわ」

「いやなに、そなたの気立ての良さに惹かれたのじゃよ」

「いやですわ。殿下」

 そう言って二人は笑いあった。一見すると中の良い夫婦の姿である。だがその内心は違っているのだと永勝は感じとった。

 しばらく平伏していた永勝だが顔を上げた。

「殿下」

「おお、なんじゃ」

「拙者これにて失礼しようかと」

「む、そうか。もう下がってもよいぞ」

 秀吉は本当に茶々を見せびらかすためだけに永勝を呼んだのであった。

「もう帰られるのですか。名残惜しいですわ」

 茶々はそういう。だが、それが社交辞令なのだということはよくわかる。

「では、失礼します」

 永勝は一礼するとその場を去った。二人はそれを見送りもしない。

 丹波に帰る永勝の心中に虚しさでいっぱいだった。

「(市様も長政様も、そしておそらく柴田さまも。茶々様にあんな風に生きてもらいたいとは思わんだろうな……)」

 それは茶々の父母への哀悼であった。どうにもやるせない気持ちでいっぱいになる。だが永勝に出来ることなど何もない。

 虚無感と言葉に出来ぬ悲しみを抱えながら永勝は丹波に帰っていった。


 茶々を側室に迎え、九州征伐の事後処理も終えた天正一八年(一五九〇)。秀吉は次なる目標へ動き始める。目指すは関東の雄、北条氏が治める関東であった。

 秀吉は北条氏が犯した違反行為を口実に関東へ兵を進めた。その数は総勢二十万を超え大軍である。

 この軍勢には永勝も参加した。尤も何か重要な役割が与えられたわけでもない。あくまで一部隊の将としての務めのみである。

 この秀吉の圧倒的な軍勢の前に北条氏はなすすべもなかった。関東の各地にある城は次々に落とされ本拠地の小田原城も包囲される。この包囲のさなか秀吉は陣中に茶々を招いた。他にも茶会などの催しをしたりして自身の余裕を敵方に見せつけている。

 これを見て永勝は呆れつつも感心した。

「(これが今の秀吉さまの戦か)」

 かつ永勝が秀勝と共に従軍した時とはまるで違う戦であった。圧倒的な力を見せつけるこの戦い方はまさしく天下人、といった雰囲気である。そして秀吉は自分が天下人なのだということを見せつけようとしていた。そうしたことも永勝は強く感じていた。

 結局のところ北条氏は秀吉の圧力に屈して降伏した。そして北条当主氏直の父氏政とその弟の氏照が全ての責を負って切腹し北条氏は滅亡する。

 その後、秀吉は東北地方も平定しここに豊臣家による天下統一が実現する。そして永勝をはじめとする豊臣諸将はそれぞれの領地に帰っていった。

 永勝も丹波の自領に帰ったがその時藤孝も一緒であった。藤孝は今息子の忠興が治める丹後で暮らしている。永勝の領地は京都から丹後への途上にある。そういうわけでせっかくだから一緒にという事であった。


 藤孝は永勝の勧めで永勝の領地に一泊した。永勝は藤孝を手厚くもてなして歓迎する。一方の藤孝も手厚く行き届いたもてなしに満足した。

 一通りもてなしが終わり永勝と藤孝は一献傾けていた。

「この度はこれほどのもてなしありがたく存じます」

「いえ。なにぶん無骨者故大したもてなしもできませんで」

「いやいや…… 」

 そんなふうに穏やかにやり取りをする二人。しばらくお互いの身近なことなどを話していたがふと、永勝は難しい顔になった。

「いかがした? 永勝殿」

「いえ。ふと思ったのですが。殿下はこの後どうなされるのでしょうか」

 つぶやくように言う永勝。それを聞いた藤孝も難しい顔になる。

「永勝殿。それはどういう意味ですかな」

「いえ、殿下は日ノ本のすべてを治められただけで満足されるお方なのかと」

 永勝は不安そうにつぶやいた。秀吉のここまでに至る野心と行動力はすさまじい。それが日本を統一した後でどうなるのかが永勝には心配であった。

 永勝の物言いを聞いて藤孝は押し黙った。永勝も黙り二人の間に無音の時が流れる。

 しばらく黙っていた藤孝だが静かに口を開いた。

「私の聞くところによると、どうも殿下は明に興味があるらしい」

「興味、ですか」

「うむ。どうも明をも手に入れようとお考えのようだ」

 それを聞いて永勝は愕然とした。あまりにも壮大な計画である。

「そんなことが可能なのですか」

「わからぬ。だが近年そのための準備を進めているという話は聞く」

「なんと…… 」

 藤孝の話をいくら聞いても永勝には現実感がなかった。しかし現に秀吉は準備を進めているようだ。

「この日本だけでは満足なされぬのか…… 」

 呆然とつぶやく永勝。藤孝は何とも言えない顔でうなずく。


 果たして秀吉は明への出兵を決めた。小田原の役の翌年にその宣言をして諸将に戦いの準備を始めさせる。

 この秀吉の計画に諸将は悲喜こもごもの様々な反応を見せた。永勝は悲寄りで不穏なものを感じていた。

「今は家の安定を目指すべきではないのだろうか」

 永勝はそう思った。というのも豊臣政権にとって痛手となる出来事が続いたからである。

 まず秀吉の弟の秀長と秀吉の嫡男の鶴松が死んだ。鶴松は小田原の役の前年に茶々が生んだ待望の嫡男である。しかしそれが夭折してしまった。嫡男を失った秀吉は甥の秀次を後継者とし関白の座を譲る。しかし、これものちに新たな悲劇を生んでしまう。

 また秀長は豊臣政権に置いては秀吉につぐ立場で諸大名と秀吉の重要な調整役であった。その秀長が死んだことの意味は非常に大きい。これにより豊臣政権下の大大名たちの影響力が増すからだ。

 さらに秀長の死後、茶人であり豊臣政権にとっても重要な人物である千利休が切腹させられた。藤孝の息子の忠興は利休の弟子で助命に奔走するものの受け入れられなかった。

「忠興殿は肩を落としているでしょうな」

「いかにも…… 」

 利休死亡の報を聞いたのち、永勝は藤孝にそう言った。藤孝も利休の死には衝撃を受けているようだった。

 このように豊臣政権の重要人物が相次いで死んだ。こうなれば不安定化は避けられないのだが、それでも秀吉は明への侵攻を表明した。

 秀吉は主要な家臣や近辺を治める領主たちを集めて高らかに言った。

「此度余は日ノ本を制した。だがこれで終わりではない。この豊臣の意向をもって明を始め天竺南蛮をも収めて見せようぞ」

 そう気を吐く秀吉であったが永勝にはその姿がどこか痛々しく見えた。

「(秀勝さま。羽柴、いや豊臣はどこに行くのでしょうか)」

 今は亡き秀勝も思いもよらぬ方向へ進む豊臣家。永勝は秀勝に託された「羽柴家の行く末を見届ける」ということが成し遂げられるか不安でしょうがなかった。


 まず秀吉は明の前に朝鮮を制圧することにした。これは朝鮮に服属と明への道案内を拒否されたからである。この文禄元年(一五九二)に始まった文禄の役では永勝も海を渡った。この時永勝は藤孝の息子の忠興の指揮下に入っている。

 陣中で忠興と永勝は面会した。二人はこの時が初対面である。

「藤懸殿。この度はよろしく頼む」

 忠興は真面目で礼儀正しい青年だった。しかしその色白の顔立ちと鋭い目つきは抜身の刀身のような冷たさを感じさせる。

「藤孝さまからお噂はかねがね」

 永勝の返答に忠興は面白く無さそうな顔をする。永勝はそれを不思議に思った。

「何か」

「父上は私のことを何と言っていた? 」

 忠興はそう問いかけた。刃物で刺すような冷たい声色である。

 永勝はすぐにかつて藤孝が言ったことを答えた。下手に考えてもいいことはないと思ったからである。

「諸事文武に通じ、よくできた息子だと」

「そうか」

 忠興はその返答に満足したようだった。永勝はそっと胸をなでおろす。

「よろしく頼むぞ。藤懸殿」

「かしこまりました」

 こうして永勝と忠興の初対面は終わった。

「(おとなしい方だな)」

 この時の永勝が抱いた印象はそういうものだった。しかしこの印象はすぐに覆される。


 忠興率いる部隊は朝鮮で転戦した。戦いはおおむね豊臣軍が優勢で勝利を重ねていく。だが

「少しばかり血を流しすぎではないだろうか」

 忠興の部隊は勝てば必ず大量の血を流した。永勝も戦ならば血は流れるものだと理解していたが、これは少しやりすぎのようにも思えた。

「仕方ありません。これが忠興さまの性懲りです」

「そうなのか…… 」

 忠興の家臣の一人が永勝にそう言った。尤もそう言われてもはいそうですと呑み込めるものではない。

「殿は気が短い。しかも奥方様のことがご心配のようで」

「奥方の? 」

「ええ。殿の奥方への御執心はすさまじい。かつては奥方に見とれていた庭師を切り殺したこともある」

 それを聞いて永勝は絶句した。そう言えば藤孝はあまり忠興の話をしたがらないし、よくできた息子と言った時もなんだか言いたいことはあるようだった。

「(大丈夫なのか…… )」

 永勝は今更ながら自分の身が心配になった。

 とは言え永勝を含む朝鮮侵攻の軍は初戦で勝利を重ねていく。そして首都である漢城を陥落させ、朝鮮の南部を制圧した。しかし制圧された地域で朝鮮民兵が反抗し、さらには明が軍勢を派遣したことで戦況は膠着状態となる。

 異国の地で長期に在陣することになった諸将には不安や不満の声が上がった。永勝のいる部隊もそうした空気が流れていた。

 ある日忠興の家臣が肩を落とし歩いていた。それを見た永勝は心配になり声をかける。

「どうなされた」

「これは、藤懸殿」

「何か気落ちしているようですが…… 」

 細川家臣は乾いた笑いを浮かべた。

「最近殿の機嫌がことのほか悪く…… 」

「…… 左様で」

 永勝もこの前忠興と顔を合わせた。その時の表情は初めて会った時とはまるで違う血の気の上った表情をしていた。

 家臣は話を続ける。

「なかなか御国に帰れませんで。奥方のことが気になってしょうがないようです」

「そうですか」

「しかも奉行の石田さまとの折り合いも悪く…… 」

 奉行の石田というのは秀吉の子飼いの石田三成の事である。三成は朝鮮奉行として派遣され全軍を監督していた。しかし忠興やほかの将と折り合いが悪くうまくいっていないらしい。永勝はそう聞いている。

「これ以上は忠興殿の気が持たんか」

「はい。正直、私も早く国許へ帰りたく思っています」

「そうか…… 」

 先ほどまでとは違った切実な表情であった。永勝もその思いを感じとりため息をつく。

 結局、この後日本と明の間で講和がなされ、この時の朝鮮出兵は終焉する。しかしこの講和は秀吉の意向を全く無視したものであった。そしてまた秀吉は朝鮮に出兵するのだが、そこまでにいろいろなことがあった。


 とりあえずの講和が成ったのち秀吉を歓喜させる出来事があった。それは茶々が第二子の拾、のちの秀頼を生んだことである。

「これで豊臣は安泰じゃあ! 」

 秀吉がそう叫んだかどうかは知らないが歓喜したのは事実である。だがこのことにより豊臣は安泰とは言えない状況になっていく。

 この時、秀吉は関白の座を甥の秀次に譲っていた。これは豊臣家の跡継ぎとして認められたという事である。しかし秀頼の誕生で秀次の立場は無くなった。そして秀吉と秀次の関係は悪化し始める。そして最後には秀次は謀反の疑いで切腹。さらにその一族の粛清という結果に終わってしまった。

 この秀次の事件は多くの大名に影響した。幸い永勝はあまり関わりのない立場であったが、朝鮮で行動を共にした忠興は秀次と縁があったため影響を受けた。

 秀次に関わる様々な事態が収束したのち、永勝は久しぶりに藤孝と会った。

「この度は災難でしたな…… 」

「全くです」

 藤孝の表情には疲労の色が濃く出ていた。短い付き合いだが藤孝のこんな姿を永勝は見たことがない。藤孝は大きく息をつくと口を開く。

「一応は何とか難を逃れました」

「それは良いことです」

「しかし、殿下のこの度のなされようはあまりにも……」 

 藤孝はそこで黙り込んだ。永勝も藤孝の言いたいことはわかる。

 今回処断された秀次の一族は妻を始め幼い子まで及んだ。そこには秀吉が秀次の痕跡を完全に消し去ろうという強い執念を感じる。

 黙り込む藤孝に永勝は尋ねた。

「殿下の所業に不信を抱くものも多いそうで」

「はい。その通りで」

 以前の朝鮮出兵や今回の件で豊臣政権への不満の声が多くなったような気がする。永勝はそう感じていた。

「これだけ御一門を減らされては豊臣の家にも悪影響が出るのでは」

「それはまさしく。しかしそのあたりを徳川殿と前田殿に補ってもらおうと殿下は考えているようです」

 藤孝が挙げたのは豊臣政権内の有力者二人であった。永勝はその片方の徳川家康が気になった。

「徳川殿ですか」

「今回の件で忠興も助けていただきました」

「なるほど…… 」

「これからは徳川殿の声望が高まるのでしょうな」

 藤孝はしみじみと言った。しかし永勝の目には藤孝に別の考えがあるように映った。

「この後、豊臣の世はどうなりますかな」

 永勝は藤孝にそう訊ねる。藤孝は笑った。

「よきようになるでしょう」

「よきように、ですか」

 藤孝の言ったことを反芻する永勝。正直この時点で二人には豊臣の世は長く続かないだろうという漠然とした感覚があった。

 やがて秀次の事件は収拾してみんな平和になったと思った。だが実際そうはいかなかった。


 慶長元年(一五九六)秀吉は明の講和の使者と謁見した。そこで秀吉は自分の意向が全く無視されたことを知る。当然秀吉は激怒した。

「ならば戦じゃ! 」

 慶長二年(一五九七)秀吉は再び朝鮮に出兵した。今回永勝は従軍せず日本に残った。

「(いよいよ豊臣も終わりか…… )」

 日本で兵たちの出兵を見送る永勝。その耳には出兵に伴う負担に苦しむ大名と兵、そして民衆の怨嗟の声が聞こえるようだった。

 この度の戦いでも幸か不幸か豊臣軍は勝ち続けた。そして朝鮮に勢力を伸ばしていく。しかしそのさなかで秀吉は死んだ。慶長三年(一五九八)の事である。これにより朝鮮侵攻軍は撤退し、二度にわたる朝鮮出兵は幕を閉じた。

 永勝は丹波で秀吉死亡の報を聞いた。

「そうか。亡くなられたか」

 永勝に悲しみは生じなかった。今まで仕えてきた主が死んだときは悲しくてしょうがなかった。だがそれが今回はまるでない。

「(それだけの付き合いだったのだろう)」

 そう考えると驚くほど納得できた。それだけ永勝と秀吉は浅い関係であった。

 永勝に悲しみは生まれなかった。しかし代わりに浮かんできたものがある。それは不安だ。

「本当に豊臣の行く末を見ることになるのかもしれん」

 一人永勝はつぶやいた。秀吉を失った豊臣政権と幼い主君に残されたのは、対立する家臣団と強大な力を持つ大大名たちである。波乱が起きるのは時間の問題と言える。

「私は私の仕事をやるだけ、か」

 自分の信条を口にしても何も救われない。だがそれでも亡き主君に託された役目を放棄するつもりなどない永勝であった。


 というわけで豊臣家編でした。今回は諸事情により説明を省いたところが少しあります。そこら辺についてはご了承ください。

 さて今回遂に永勝となりましたが、彼が名を変えた正確な時期は不明だったりします。この話では秀吉の直臣になったのを機にということにしました。理由はあの通りですが実際のところは不明です。

 最後に誤字脱字などがありましたらご報告ください。では。

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