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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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岩城貞隆 大逆転 後編

 岩城貞隆は思わぬ不運で自分の家をつぶされることになった。さらには売り言葉に買い言葉で実の兄とも絶縁してしまう。あまりに多くの物を失った貞隆。しかしここから貞隆の大逆転が始まる。

 岩城家は潰れたが貞隆は生きている。となれば貞隆の願いは一つだ。

「こうなればお家再興を目指すしかない」

 そう考える貞隆だが特に手段が思い浮かぶわけではない。そんな自分に貞隆はがっかりする。

「自分がこれほどまで無能だとは…… 私は本当に周りの人々に助けられてきたのだな」

 そこに気づく貞隆であった。

 ともかく貞隆は家臣たちに告げた。

「私はこれより御家の再興を目指していこうと思う。しかしこれは私の悲願であって皆は気にする必要はない。他家に仕えようと考えているものは名乗り出よ。私もできるだけ手助けする」

 貞隆には大した縁はない。さらには義宣とも絶縁しているので佐竹家に家臣を頼むこともできなかった。そもそも佐竹家も減俸されているので新たに家臣を雇う余裕など存在しない。

 岩城家の家臣たちは自分たちの生活の為に次々と去っていった。貞隆はそれを責めない。仕方のないことだと理解している。

「皆には皆の人生があるのだ。それを私には止められない」

 そうしているうちに居城を明け渡す日が近づいてきた。今残っている家臣は四二人まで減っている。

 貞隆はそのうちの一人の好間兵部大輔に尋ねた。

「兵部よ。そなたはどうするのだ」

 兵部は貞隆より二十歳ほど年長で岩城家の家老であった人物だ。貞隆が養子に入るとともに岩城家に入ってきた元佐竹家家臣である。貞隆を長い間後見してきた。

 貞隆の問いに兵部は決意のこもった表情で答えた。

「拙者は貞隆さまとともに御家の再興を目指そうと思います」

「なんと…… だがいいのか? 」

「もちろんです。苦境の主君を助けられずにどうするのか。何より貞隆さまを助けよという義重さまの命は今でも続いております」

「兵部…… ありがとう」

 兵部の手を握り貞隆は泣いた。正直家臣が次々と去り心細かったのである。

 泣く貞隆とそれを温かく見守る兵部。すると二人の耳に大音声が聞こえた。

「貞隆さま! どこにおられますか」

 貞隆と兵部はびっくりする。

「あの声は…… 」

「確か佐久間総右衛門の声ですな」

 二人は声の聞こえた方に向かう。するとそこには総右衛門と大舘帯刀の姿があった。

「貞隆さま! それにご家老も」

「やかましいぞ総右衛門。いったいなんだ」

 兵部は総右衛門を怒鳴りつけた。しかし総右衛門は気にしていないようである。そんな総右衛門に兵部は説教を始めようとした。

「まあ、いいではないか兵部」

 貞隆は兵部を止めようとする。するとそこに帯刀が進み出てきた。

「殿。御覧に入れたいものがございます」

「? なんだ」

 帯刀と総右衛門は二人を詰めの間に案内する。そこには残留している家臣三九人の姿があった。これには貞隆も兵部も驚いた。

「これは…… 」

 貞隆は帯刀に尋ねる。帯刀は総右衛門と共に三九人の前に座った。そして全員そろって貞隆に平伏する。そして顔を上げた総右衛門は叫んだ。

「我ら四一人は殿の御家の再興をお助けたしたく存じます。なにとぞお許しください! 」

 そう言って再び平伏した。彼らは総右衛門と帯刀が以前から募っていた同志たちである。彼らはみな貞隆についていくつもりであった。

 貞隆は感動のあまり声も出ない。そんな貞隆の肩に兵部は手を置く。

「殿。お声を」

 兵部に促された貞隆は高らかに言った。

「皆ありがとう。これ程までに心強いことは無い。こちらこそ頼むぞ」

「「ははっ! 」」

 貞隆の言葉にみな一斉に答える。その力強い姿に貞隆の眼にまた涙があふれるのであった。


 岩城貞隆は居城が接収されたのち家臣たちと浅草に移り住むことにする。とりあえず手当たり次第に徳川家臣に働きかけ、岩城家の再興を目指すことにした。

 さしあたって必要になるのは金である。これに兵部は頭を抱えた。

「居を構えるにも生きていくにも岩城家再興を働きかけるにも金子入りまする」

「確かにそうだな」

 貞隆も頭を抱えた。領地を召し上げられる際に岩城家の資産はほとんど取り上げられている。したがって金もほとんどない。

 そう言うわけで頭を抱える貞隆と兵部。そんな二人に帯刀は言った。

「些少ではありますが金子はあります」

「本当か! 帯刀」

「はい。好間様。以前より皆で蓄えていた分がいくらか」

 帯刀の言っているのは総右衛門同志たちともしもの時にと蓄えていた貯蓄である。

「もしものことを思って貯えを作っておきました」

「そうか…… よくやってくれた。帯刀」

「いえ。これも貞隆さまのご人徳にございます」

「そんなことは無い。皆の志の高さのなせるものだ」

「貞隆さま…… 恐悦至極にございます」

 そういって帯刀は深々と頭を下げるのであった。

 こうしてとりあえず当座の金は問題がなかった。しかしいつ終わるかわからない再興運動をするのだからこれだけではとてもではないが金は足りない。

 貞隆たちは浅草に屋敷を構えそこで今後のことを話し合うことにする。主な議題はどう金を稼ぐかだ。

皆が頭を抱える中で総右衛門はこんなことを言った。

「拙者や体の頑丈なものは人夫でもすればいい。帯刀のような知恵が立つものはそれを生かして金を稼げばいいではないか」

 この時期浅草だけでなく江戸は再開発が行われていた。これは天下に覇を唱えんとする徳川家康が天下人の町として威容を整えようとしていたからである。したがって人夫の雇手は多くあったし看板を書いたりなどという仕事もたくさんあった。

 この総右衛門の発言に貞隆は少し顔をしかめる。

「しかしお前たちにそんな苦労を掛けるわけには」

「何を言いますか殿。我らは岩城家再興のためにこの身をささげる所存。それに戦場に比べれば力仕事など何の問題もありません」

 総右衛門はこういった。それにほかの皆もうなずく。これを見て貞隆はまた泣きそうになるがここはこらえる。

「わかった。皆の思い受け取った。必ず岩城家を再興して見せる! 」

 貞隆は力強い言葉で言った。それに家臣たちは歓声を上げるのであった。

  

 貞隆の岩城家再興運動が始まった。貞隆は兵部など一部の家臣を連れて手当たり次第に徳川家臣の家を回る。残りの家臣は働きに出て金を稼ぐ。そういった暮らしを続けた。

 苦しい生活をつづけながら貞隆は奮闘する。これに心を痛めていた人がいた。貞隆と義宣の母である。

「貞隆はあんなに苦労している。私にできることは無いのでしょうか」

 そう思った貞隆の母が相談したのは息子の義宣であった。

「義宣。いつまでも喧嘩をしていないで、貞隆を助けることはできませんか」

「母上…… そうですね。弟の苦境を黙ってみているわきにはいきません。何よりそもそもは私の不徳の至りが始まりですから」

 義宣も喧嘩別れしてからも貞隆を気にしていた。

 幸い近いうちに江戸に向かう用事があった。義宣は江戸での用事を済ませると何とか時間を作って貞隆と面会する。

 義宣はまず頭を下げた。

「すまん貞隆。私の不徳で苦労を掛けた。本当に済まない。母上にも諭された。許してくれ」

 これには貞隆も驚いた。

「兄上。頭をお上げください。あの時は私もどうかしていました。本当に申し訳ありません」

「いやそもそもは私の不徳が原因だ。お前が謝る必要はない」

 義宣は再び頭を下げた。そしてこんなことを提案する。

「母上もお前を心配している。ここは佐竹家に仕え私を助けてはくれないか。もちろん今お前とともにいる家臣たちも一緒だ」

 その言葉に貞隆の心は揺れ動いた。しかし首を横に振る。義宣は残念そうな顔をした。

「そうか。あくまで岩城家の再興にこだわるか」

「はい。兄上のお心ありがたく思います。しかし皆は私が岩城家を再興するのを信じてついてきてくれました。ここで兄上の提案を飲めばそれを裏切ることになります」

「いや分かった。ならば何も言うまい」

「ありがとうございます兄上」

 貞隆は頭を下げる。そんな貞隆に義宣は言った。

「私も何か手助けをしよう。少ないが金子も出せる」

「兄上。ですが佐竹家も財政が厳しいのではないのですか」

「心配いらん。この義宣、新たな地を常陸より栄えさせるつもりだ」

「流石兄上ですね」

 そう褒められて義宣は照れくさそうな顔をした。そこで何か思い出す。

「そうだ。確か家康殿に重用されている天海僧正は確か蘆名家と縁があると聞く。義広を通じて頼めば家康殿に働きかけてくれるかもしれん」

「本当ですか! ありがとうございます」

「うむ。皆がお前を信じている。頑張るのだぞ」

「はい! 兄上」

 そういって義宣は帰っていった。貞隆はその後ろ姿が見えなくなるまでずっと見送っていた。

 

 この後義宣の支援を受けて貞隆は再興運動に一層取り組んだ。そうしているうちに徳川家康は征夷大将軍となり江戸に幕府を開く。これで名実ともに天下人となった。

「我々もどうにか道が開けないものか」

 そんな貞隆の祈りが通じたのか幕府の老中、土井利勝と接見することができた。

 この千載一遇の機会を逃すわけにはいかない。貞隆は必死で訴えた。

「私は他家より岩城の家に養子に入った身です。それゆえに私の代で岩城家を途絶えさせるのは無念の至り。どうか公方様に岩城家再興を働きかけてはもらえませんか」

 土井利勝はじっと貞隆を見た。利勝は三一歳の若さであるが幕府の老中を任される切れ者である。

「(この男は恩を感じれば従順になるだろう。それにこの意志の強さ。ここで取り立てておけば上様の役に必ず立つだろう)」

 利勝はそう感じた。そしてこう貞隆に言う。

「大名としての復帰はすぐにはできん。しかししかるべく幕臣のもとで扶持をやろう。そこで功をあげれば大名に復帰できるかもしれん」

「なんと…… ありがとうございます」

「うむ。期待して待っていたまえ」

 実際利勝の言う通り貞隆は幕臣の家臣として召し抱えられた。しかも徳川家康の側近中の側近本田正信の旗下である。

「これは一層奮起しなければ」

 ここまでくれば岩城家再興もあと少しである。しかしここからが長かった。

 天下は家康が幕府を開いたことで収まりつつあった。したがって貞隆たちが功をあげる機会もない。しかし貞隆は待った。

「必ず機会は来る。ここまでくれば信じ続けるほかあるまい」

 そして慶長二十年(一六一五)に徳川家と豊臣家の戦が起こった。のちの大坂の陣である。冬の陣夏の陣との二回行われた戦いで貞隆は夏の陣に参戦した。

「この機は絶対に逃がせん。皆、ここが踏ん張りどころだ」

 貞隆は家臣たちに言った。正信の旗下に入って家臣は増えたが中核となるのは苦楽を共にした四二人である。

 戦いは兵力で徳川方が勝っていた。しかし豊臣方も死に物狂いで戦い家康が指揮する本陣に攻め込まれる事態まで起こる。

 貞隆は本格的な戦に臨むのはほぼ初めてといってよかった。それだけ平穏の時代が長かったのである。しかし貞隆はひるまなかった。

「なんとしても武功をあげる! 岩城家再興の時は今ぞ」

 家臣たちも貞隆に続いて奮闘する。貞隆もこれが最期の戦と暴れまわるのであった。

 やがて戦いは終わった。徳川家は勝利し豊臣家を滅ぼす。これで徳川家の天下が決まった。

 翌年の元和二年(一六一六)貞隆にうれしい知らせが舞い込んだ。

 知らせをもたらしたのは幕府からの使者だった。

「岩城貞隆。先年の戦での功を賞し信濃国(現長野県)中村一万石を与える」

 それは待望の大名復帰の報せであった。これには兄の義広を通じての天海僧正の働きかけもある。ともかく岩城家の再興が決まった。

「つ、謹んでお受けいたします」

 貞隆はこの報せを泣いて喜んだ。貞隆だけではない。四二人の家臣たちも皆涙した。

「本当に…… 本当におめでとうございます。殿」

 一番泣いているのは兵部だった。もう老境に差し掛かりだいぶ白髪も多い。

「流石は殿だ! 本当に素晴らしいお方だ! 」

 変わらず大きな声を出すのは総右衛門である。総右衛門も年を取ったが相変わらず素晴らしい体格をしている。

「我らが殿の人柄は天下人をも動かす。私たちにはもったいないくらいの素晴らしいお方です」

 いつも冷静な帯刀も泣いている。いろいろとあったのか少し髪に白いものが混じり始めていた。

 彼らだけでなく家臣一同皆泣いている。

遠い地の義宣もこの報せを大いに喜んだ。

「よくやった貞隆。本当に大した男だ」

 義宣は遠い地の弟に思いをはせる。

 貞隆は周りで泣く家臣たちにこう言った。そしてのちに義宣に向けて書いた手紙に同じことを書いた。

「本当にありがとう。天地人のうち私ほど人に恵まれた者はいない。本当にありがとう」

 こうして貞隆の長い戦いは終わったのである。


 貞隆は大名に復帰した四年後の元和六年(一六二〇)に三八歳でこの世を去った。

「よき父によき兄。そしてよき家臣。本当に私は素晴らしい人たちに恵まれた」

 早すぎる死ではあったが貞隆に後悔はなかった。息子の吉隆は当時十二歳。まだ幼かったが家臣たちも義宣も吉隆を支えた。

 特に義宣は吉隆をとても気に入った。そして義宣には跡継ぎがいない。

「貞隆に勝るとも劣らない器量だ。これならば後を託せる」

 貞隆の六年後の寛永三年(一六二六)。義宣は吉隆を後継者に選び、佐竹家を継がせる。岩城家は貞隆の弟の宣隆が継いだ。

 この後佐竹家は明治維新まで存続した。岩城家も明治維新まで存続している。貞隆の奮闘は佐竹岩城両家を生き残らせたのである。

 なお貞隆の死後に書かれた岩城貞隆浅草御浪人中随身諸士名元覚には貞隆に付き従った四二人全員の名が記されている。


 岩城貞隆という人物は本当に不思議な人物です。こういうのもなんですが戦上手だったとか勇ましい逸話があるとか築城など秀でた技能があるとかそういうエピソードがまるでありません。ですが家を再興し大名に復帰することができました。

 貞隆と似たような立場だった人物に立花宗茂と丹羽長重という人物がいます。直茂は西国無双といわれた優れた武将で長重は高い築城の技術を有していました。彼らが大名に復帰できたのはそうした点を認められたからということなのでしょう。しかし貞隆にはそういったところはありませんでした。

 一方で宗茂、長重に共通した点が人柄がよかったという点があります。二人とも誠実で実直な人柄をしていたと言われています。貞隆は家がつぶれた後も四二人の家臣が付き従いました。おそらく貞隆もいい人柄だったのでしょう。徳川家康はそうした人物を気に入っていたのかもしれませんね。

 さて次なる人物は戦国時代においてかなり特異な立ち位置の人物です。またデリケートな話題に少し突っ込むことになるのでそこは心配ですがお楽しみに下さい。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では

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