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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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岩城貞隆 大逆転 前編

 人生は何が起こるかわからない。時に思いもよらぬ幸運に恵まれたかと思えば時に理不尽な不幸にさらされる。常陸(現茨城県)で生まれた能化丸は幸運と不運の二つの波にさらされる。その先に何が待つのかはまだ分からない。

 常陸(現茨城県)の佐竹家といえば甲斐源氏の血を引く武門の名家である。戦国時代も終わりに近づいた天正十一年(一五八三)の頃は「鬼義重」ともうたわれた佐竹義重が、その武勇と巧みな外交政策によってその勢力を広げていたころである。能化丸が義重の三男に生まれたのはそんな年であった。

 能化丸は素直で優しい少年であった。幼くも周りに気を配って手を差し伸べる。ある種の人徳というものが幼いころから備わっていたようである。

「能化丸様はお優しい方よ」

「うむ。武家の子息としてはどうかと思うがあのやさしさは人の上に立つ者の徳じゃ」

「そうだな。佐竹の家は徳寿丸様が継ぐとしてどうにか身を立てられるようにならんかのう」

 家臣たちは口々にこう言う。皆から愛される能化丸であった。

 先にも上がった徳寿丸とは能化丸の長兄である。徳寿丸は律儀でまじめ。しかして人の上に立つ将器の持ち主であった。能化丸とは十歳以上年が離れている。

 徳寿丸は幼い弟を殊更かわいがった。

「能化丸よ。いつか大きくなったらともに佐竹の家を盛り立てよう」

「はい。兄上」

 まだまだ幼い能化丸は兄の言っている意味がよくわからなかったが、大好きな兄の言うことに素直にうなずくのであった。

 さて能化丸の父の義重は二つの大きな敵に挟まれていた。一つは関八州を制覇しようとしている北条家。一つは奥州を制覇しようとしている伊達家。この二つの強大な勢力から佐竹家を守るため義重は様々な手を講じた。たとえば伊達家や北条家に圧迫される勢力同士で同盟を結び連合を作って対抗する。他にも自分の子を別の勢力に送り込んで乗っ取るという手も使った。現に能化丸の次兄の義広は蘆名家の養子になり家を継いでいる。そして佐竹家とともに伊達家に対抗していた。

 こうした事例もあり能化丸も他家に養子として送り込まれることになった。養子先は陸奥南部(現福島県)の岩城家。岩城家の現当主の常隆は義重の妹を母に持つ。家を継いだのは常隆が幼少の頃だったので義重の後見を受けていた。実質佐竹家に支配されたようなものである。しかしこれで義重は満足しなかった。

 義重は岩城家の支配を確固たるものにするために能化丸を養子に送り込むことにした。

「能化丸よ。お主はこれより岩城家の子になるのだ」

「わかりました。父上」

 能化丸は素直にうなずく。こうした素直さは美点でもあり難点でもあると義重は感じた。

「(この乱世も長くは続かんだろうがそれまでに能化丸は生き残れるか。岩城家には儂の家臣も送り込んであるが心配ではあるな)」

 義重は父としてそうした思いを抱く。しかし実際には佐竹家当主として佐竹家の為に動かなければならない。

「頼んだぞ。能化丸」

「かしこまりました。父上」

 能化丸は無邪気に答える。義重はそれが心苦しかった。

 

 こうして能化丸は岩城家の養子になった。岩城家はこれについて複雑な感情を抱く。

「これで佐竹家との絆も強まった。いいことではないか」

「いやいやこのところの伊達家の勢いはすさまじい。もし佐竹家が伊達家に敗れでもしたら我々の立場も危ういではないか」

 岩城家家臣たちの中からはこうした意見が噴出する。しかし最も複雑な立場だったのは能化丸を養子に迎えた岩城常隆である。

「まさか従弟を養子に迎えるとは」

 常隆はまだ子がいない。しかしこの間二十歳になったばかりの青年である。子供だっていつかはできるだろう。それでも養子を受け入れたのは佐竹家との外交の都合である。

 そういうわけで従弟の能化丸を迎えた常隆。もっとも幼い能化丸は常隆の内心など分かるはずもない。

「よろしくおねがいします。父上」

 幼いながらも立派に挨拶する能化丸。こうした能化丸の姿に少しは常隆の心も救われるのであった。

 さてこうして絆の深まった佐竹家と岩城家。ところが情勢は佐竹家の不利に傾いていく。

 佐竹家は周囲の勢力と連合を組んで伊達家と戦っていた。しかし徐々にその連合にもほころびが出てきた。すると地力で勝る伊達家が優位に立ちまわるようになる。

 そして蘆名家と伊達家が天正十七年(一五八九)に激突した。この結果蘆名家は滅び能化丸の兄の義広は佐竹家に避難する。そして岩城家も伊達家に圧迫されるようになった。

「もうこれはいかんな」

 常隆は伊達家に降伏することを決意する。このところ常隆は病がちであったから戦うのは不可能だと考えたからだ。そして何より岩城家を残すための決断である。

「能化丸はいい子だ。見捨てることはできん」

 この頃には能化丸は持ち前の素直さで岩城家の人々の心をつかんでいた。例えば病がちになった父を案じ寺社仏閣に祈願に行っている。

「岩城の家は何とか残すぞ」

 そんな常隆の執念が通じたのか天正十八年(一五九〇)情勢が一変する。豊臣秀吉が天下統一の総仕上げとして関東の北条家を征伐にやってきたのだ。また秀吉は東北の大名たちを支配下にすることも視野に入れている。秀吉は先年から東北の戦乱にも介入していて伊達家の勢力拡大を快く思っていなかった。

 秀吉は自身への忠誠の証として東北の諸将に小田原への参陣を求めた。

「これは好機だ。すぐに言って岩城家の存続を認めてもらわなければ」

 そういう常隆だがこの時病気の身であった。

「お体に障ります。父上」

 能化丸はそんな父のことを心配した。一切の打算のない心の底からの心配である。

 常隆はそんな能化丸に微笑んだ。

「心配するな。必ず帰る」

 そういって常隆は小田原に向かった。秀吉は病気の身でありながら参陣した常隆を褒めた。

「病を押して参るとは。よき心がけじゃ」

「ありがたき幸せです。これからも岩城家をよろしくお願いします」

「うむ。安心するがよい」

 常隆の執念が実ったのか岩城家は豊臣政権に領地を安堵された。これに常隆は喜んだ。

「これで岩城家は安泰だ」

 ところが帰国する途中に常隆の病状が悪化してしまう。

「故郷で死ねんとは…… 」

 そして領地に帰ることなく死んでしまった。享年二四歳という若さである。

 幸い秀吉は常隆の忠義を認め能化丸の岩城家相続を許す。こうした不幸はあったものの岩城家は存続し能化丸は岩城家を継ぐことになった。


 岩城家を継ぐことになった能化丸は元服することになる。まだ齢七歳であり異例の速さであった。これは対外的な配慮もある。ともかく能化丸は名を貞隆と改め岩城家の当主となった。

「わたしは父の跡を継いで立派に岩城家を守って見せる」

 幼いながら貞隆にも常隆の思いは通じたようである。そしてこの貞隆の誓に岩城家臣たちも心を打たれたようで一丸となって貞隆を支える決意を固めた。

 特に若い家臣たちは幼い主君のひたむきな姿に心を打たれた。佐久間総右衛門と大舘帯刀の二名はその筆頭だった。

「帯刀よ。若君のけなげな姿を見たか」

「もちろんです総右衛門。何とけなげでひたむきな。あのようなお方に岩城の家を継いでもらえるとは我らにとっては僥倖でしょう」

「全くだ。さればこそ我らが何としてでも支えなければならないではないか」

 総右衛門は興奮気味に言う。素晴らしい体格の男が興奮して言うのだから暑苦しいことこの上ない。細身で身長もそれほどではない帯刀は少し暑苦しくなって総右衛門から離れた。

「しかし総右衛門。そうはいっても我らはまだまだ若輩の身。できることは限られます」

 帯刀はため息まじりに言った。実際二人とも元服したばかりで父も健在である。帯刀の言葉に総右衛門は大仰にうなずいた。

「その通りだ。しかしまだ若造の我々でも何かできないかとお前に相談をしに来たのだ」

「なるほど。それでしたら同士を募るというのはどうでしょうか」

「同士? 」

「ええ。我々のような若輩であっても若君に尽くしたいと思っているものを募るのです。そうすれば我々が家を継いだ時に家中一丸となって貞隆さまの為に働けます」

「なるほど。さすが帯刀。知恵者だ」

 総右衛門は豪快に笑いながら帯刀の背中をたたく。その力は思いのほか強く帯刀はむせそうになるが我慢した。そして息を整えると惣右衛門に言う。

「まあまずは自分の家の者に見放されないようにすることですね。家を継げなければどうしようもありませんし」

「そうだな。まずは己の家を大事にすることが若君の助けになるということか」

「その通りです。それといくらか銭をためておくのもいいでしょう。危急の時に役に立ちます」

「なるほど。いやあ流石帯刀は知恵者だ」

 そういって総右衛門は帯刀の背をたたこうとする。しかし今度は躱されてしまう。

「どうしたのだ? 」

 惣右衛門は不思議そうに尋ねた。それに対し帯刀はため息まじりに言う。

「貴方の力は強すぎるのです」

「そうか…… すまんなぁ」

「わかっているのなら直してください。この忠告も四度目です」

 帯刀はさらに大きなため息まじりに言うのであった。

 こうして岩城家の若い家臣たちは貞隆を支えるべく結束し始めた。これがのちに大きく貞隆を助けることになる。


 貞隆の家督継承にあたり佐竹家も岩城家と貞隆を支援していく方針をとる。もっとも貞隆が養子に入る以前から佐竹家は岩城家を後見してきたのだからあまり変わらない。

 この時の佐竹家の当主は貞隆の兄の徳寿丸改め佐竹義宣である。義宣は後年に「世にもまれな律義者」と称された人物である。真面目な好人物なのだがいささか頭の固いところもあった。

 それはさておき貞隆と義宣は仲のいい兄弟である。ある時義宣は貞隆を招いて言った。

「これよりは佐竹家と岩城家は手を携えて進んでいこうではないか」

「はい。兄上」

 貞隆は相変わらず素直に聞き入れるのである。しかしこの佐竹家の後見を受けるという体制は、佐竹家の動向に立場を大きく左右されるということでもあった。

 

 貞隆が岩城家を継いだ後は国内では大きな戦乱もなかった。そのため貞隆は家臣と兄に助けられながら岩城家を守っていく。

 そして暫くは平和な時が流れたが慶長三年(一五九八)に豊臣秀吉が亡くなると豊臣政権内に軋轢が生じた。特に豊臣政権で権勢を誇る徳川家康と、政権の実務を担う奉行集の石田三成が激しく対立し始める。

 やがて慶長五年(一六〇〇)に関ヶ原の戦いが起きる。この時佐竹家は家康に会津の上杉景勝の攻撃を命じられたが動かなかった。これには理由がある。

「私は三成殿を見捨てられん」

 義宣は家康と対立する石田三成と懇意な仲であった。また上杉景勝は三成と歩調を合わせて行動している。こうした理由もあって義宣としては三成に味方したいと考えていた。

 岩城家はこの義宣の行動に同調することになる。

「兄上はこの後どうするつもりなのだろう」

 この時貞隆は十七歳になっていた。まだまだ若いがもう成人したといってもいい年齢である。

 貞隆は兄の指示に素直に従い動かなかった。そして義宣からの次の指示を待つがなかなか来ない。

「一体どうしたのだろうか? 」

 不安になる貞隆。実はこの時佐竹家は方針をめぐって混乱していたのである。

 現当主の義宣は三成に協力したい。ところが隠居していた父の義重がこれに待ったをかけた。

「石田では徳川殿に勝てん。ここは徳川殿につき佐竹の家を守るべきだ」

 実際徳川家康と石田三成では格に大きな差があった。ここで三成に付くのは少し分の悪い賭けである。また北条伊達の両家と争い佐竹家を守った義重の発言力はまだまだ強い。こうしたこともあって佐竹家は二つに割れ方針が定まらなかった。

 そしてそうこうしているうちに関ヶ原の戦いが終わり徳川家の覇権が確定した。この間貞隆は何もしていない。

「とにかく兵も家臣も失わずに済んだのはよかった」

 貞隆はそう気楽に考えた。ところがこの時の行動が貞隆と佐竹家に災いをもたらすのである。


 関ヶ原の戦いから二年後の慶長七年(一六〇二)。天下の覇権を握った徳川家康は、佐竹家は突如として転封、岩城家は改易を命じられた。理由は関ヶ原の戦いのときに旗幟を鮮明にしなかったからである。

 この突然の処分に貞隆は怒った。素直な貞隆も受け入れられない話である。

「我らは徳川殿に刃向かってはいない。なぜこのような処罰を受けなければならないのだ」

 普段大人しい貞隆からは考えられない怒りようである。

「このような理不尽で父上から受け継いだ岩城家をつぶしてはいけない」

 貞隆が怒っているのは岩城家の消滅の危機にあったからだ。この焦りが貞隆の怒りに拍車をかける。だが若い貞隆は血気に逸った考えに至ってしまう。

「こうなれば兄上と共に挙兵して徳川殿に抗議しよう」

 この考えは全くの無謀な考えである。本来なら家康に近い人物や徳川家の重臣なりに仲立ちを頼むものだが、貞隆にはそうした考えも人脈もなかった。

「ともかく兄上に会いに行こう」

 逸る貞隆は義宣に会いに行く。そして自分の考えを打ち明けた。

「今回の処遇は全くの理不尽。こうなれば兵をあげて抗議するほかありません」

 自分の考えを必死で訴える貞隆。しかし義宣は首を横に振った。

「そんなことをすれば佐竹家もつぶされてしまう。ここは抑えて処遇を受け入れるべきだ」

 義宣も本心は悔しい。しかし佐竹家のことを考えれば受け入れるしかない。そう考えて内心を押し殺しているのである。だが若い貞隆はそこら辺を理解しなかった。何より義宣の物言いは岩城家をないがしろにしている。

 貞隆は怒った。

「兄上は岩城家がどうなってもいいのですか! 」

「そういうわけではない。しかし佐竹家がつぶれれば元も子もないではないか」

「岩城家にも家臣はいます。彼らはどうするのですか」

「お主も含め佐竹家の家臣として扶持をやる。全員は無理だがそれで勘弁してくれ」

「何を言うのですか! そもそも我々は兄上の失策に巻き添えを食ったのと同じではありませんか! 」

 ついつい口を滑らせてしまう貞隆。これには義宣も怒る。

「なんだと! そもそも岩城家だけでは生き残れないから佐竹家もいろいろと骨を折ってきたのだぞ! それをなんとするか! 」

「それはそれ! これはこれです! 」

 二人は頭に血を登らせて怒りをぶつける。そして最後にはこうなった。

「もはやお前とは縁を切る。お主たちだけで挙兵でも何でもするがいい」

「ええ。私ももはや佐竹家のことなど知ったことではありません。さらばです」

 最終的に貞隆と義宣の兄弟は絶縁してしまった。

 肩を怒らせて帰る貞隆。その後ろ姿を見ながら義宣はつぶやく。

「馬鹿者が…… すまん」

 冷静さを取り戻した義宣は悔しそうに顔を伏せるのであった。

 この後貞隆は挙兵を試みるが家臣たちに制止されてあきらめる。冷静に考えてみれば挙兵したところでどうしようもないことに貞隆も気付いたからだ。

「申し訳ありません父上」

 こうして岩城家は取り潰されてしまった。ここに岩城家は滅亡してしまったのである。しかし物語はここで終わりではない。貞隆はまだあきらめていなかった。その思いが奇跡を起こすのである。


 戦国時代は数奇な運命の宝庫です。これまでの主人公もそうでしたが今回の主人公の岩城貞隆もなかなか数奇な運命をたどっています。

 おいおいわかるのですが岩城貞隆という人物はなんとも愛される人柄だったようです。それが貞隆を助けることになるのですがそれは次回の話に。お楽しみにしていてください。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では

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