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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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北畠具教 剣命 後編

 天下を狙う織田信長に対抗した具教。しかし善戦したものの敗れてしまう。そして父祖から受け継いだ城を追い出された。

 失意の具教は隠居を決意する。だが具教の戦いはまだ終わりではなかった。

 具教は大河内城を茶筅丸に譲った後は三瀬の御所に入った。三瀬は風光明媚な地ではあるが伊勢の中核からは離れている。要するに隠居所というわけだ。

「これよりは剣と学を修めて静かに暮らそう」

 もはや具教にかつての覇気はない。それだけに降伏したことが堪えているということである。

 一方息子の具房も大河内城を追い出され別の城に入った。もっとも具房は隠居したわけではない。養子に入った茶筅丸はまだ十一歳である。まだ政務が取れないので具房が当主のままであった。もっとも織田家に監視されているのだから具教より苦しい立場といえる。北畠家の兵は織田家の戦力の一部として戦い死んでいった。

 具教は三瀬で北畠家の苦境を知る。旧北畠家臣の一部は具教を訪ねてくるからだ。

「具房様は織田家の者どもにただ従うだけ。我々はいいように扱われています」

 時折こうした嘆願が具教のもとに届けられるのである。具教なら何とかしてくれるかもしれない。そうした淡い期待を抱いて皆三瀬にやってきた。

 だが具教はこういうだけである。

「もはや私にできることは何もない」

 三瀬の奥深くに押し込められた具教には何もできない。それは具教自身が一番理解しているし家臣たちも理解している。

 具教は訪ねる家臣たちにこうも言った。

「茶筅丸殿に仕えていればそなたたちの家は安泰だろう。もはや北畠家のことは忘れて織田家に尽くすのだ」

 旧主にこう言われればどうしようもない。家臣たちはみな肩を落として帰っていく。一度訪ねた者が二度と訪ねてくることは無かった。それが具教への失望だからか現状へのあきらめだからかはわからない。

 ともかく具教が三瀬に移ってから一年も経つ頃には訪ねてくるものはほとんどいなくなった。

「これでいいのだ」

 具教は自分に言い聞かせるように言う。

 この後具教は一緒に三瀬に移った幼い子らに和歌などを教えて過ごした。また柳生宗厳などの剣客と交流したり、ほかの剣客同士の交流を助けたりした。

 皮肉なことに隠居になったことで剣に打ち込む時間は増えた。

「我ながら誰と戦うというのだ」

 剣を振りながら自重する具教。そんな具教を幼子と妻は優しく見つめていた。

「(そもそもが己と近くの者を守れればいいと始めた剣術だ。これでいいのかもしれん。あとは師のように剣を学ぶことにだけ人生をささげるのもよいかもしれんな)」

 具教はそんなことを考えていた。

 思いもがけぬ平穏を手に入れた具教。しかしその平穏も周りから目をそらしたものでしかなかった。


 鳥屋尾満栄という男がいる。彼は晴具の代から北畠家仕えていた。知勇兼備と称された将で、北畠家への忠誠心も強い。現在は具房の家臣であるが織田家の為に戦わされている立場にある。そしてそれに不満を抱えていた。

 ある日満栄が具教を訪ねてきた。元亀二年(一五七一)の初旬のことである。この頃には具教を訪ねる北畠家臣も減っていた。そんな中で満栄は訪ねてきたのである。

 具教は満栄を歓迎した。

「久しいな。満栄」

 かつてはともに戦場を駆け抜けた仲である。具教は素直に喜んだ。

 一方の満栄は緊張感のある顔をしている。具教もそれに気づくと小姓の佐々木四郎左衛門に言った。

「しばらく二人きりにしてくれ。誰も近づけるな」

「かしこまりました」

 そういって佐々木は部屋を出る。そして二人きりになると具教は尋ねた。

「それで、何を考えているのだ」

 満栄はまだ周りを警戒しているようだったが、具教に近づくと言った。

「実は大殿に伝えたきことが」

「なんだ? 」

「大殿はこのところの織田家の窮地をご存じですか」

「ああ。聞いている」

 この頃織田家は周囲を敵に囲まれていた。そしてその対応に忙殺されて身動きが取れなくなっている。北畠家の兵たちもたびたび動員されていた。

 三瀬には具教を訪ねて流浪の剣客なども来る。そうした人々は様々な情報を具教にもたらした。皮肉にも今の方が世情に明るいありさまである。

 それはそれとして具教が気になるのは満栄の様子であった。こんなことを伝えに来たわけではないのは雰囲気でわかる。

「いったいなんだ? 満栄」

「実はこの度の織田家の窮地。さるお方が画策したものであります」

「さるお方? いったい誰だ。申してみろ」

「将軍。足利義昭さまでございます」

 具教は驚いた。足利義昭といえば信長の力で将軍になった男である。それが信長を討つために策動しているとは。

 驚いている具教に満栄は言った。

「実は甲斐(現山梨県)の武田信玄殿もこの策に加わるそうです」

 武田信玄といえば天下に名高き名将である。

「まさか信玄殿も取り込んでいるとは」

「はい。そして義昭様は我々もこの策に加われとのおおせです」

 そういって満栄は書状を取り出した。それは義昭が具教にあてた書状で内容は義昭の策に加わり信長を追い詰めよというものである。

「そうか…… 」

 具教はまだ呆然としていた。それだけに衝撃的な知らせである。満栄は呆然とする具教に言った。

「これは天啓でございます。この機に北畠家を我らの手に取り戻しましょう」

 威勢よく言う満栄。しかし具教は黙ったままだった。

 具教はしばらく考え込む。

「(もしこの策が成れば織田家は追い詰められよう。もしやすると滅ぶかもしれん。そうなれば北畠家を取り戻すことも夢ではない)」

 具教は熟慮の末に一言言った。

「義昭様に承知したと」

「かしこまりました! 」

 満栄は勇躍して飛び出していった。

 この後元亀三年(一五七二)に武田信玄は上洛の兵をあげた。具教はこの動きに呼応し信玄への協力を約束する。

「信玄殿が来れば織田家も終わりだろう」

 具教はそう考えたし当時の多くの人々も同様だった。ところが信玄は上洛の途中で病死してしまう。さらに織田家を包囲していた多くの勢力が織田家に滅ぼされてしまった。

「なんという運のない」

 最後は足利義昭が追放されてしまい織田家を苦しめていた包囲網は消滅した。

結局具教は何もできなかった。

「知ったのは我が身の無力さだけか」

 そう嘆く具教にかつての覇気は存在しない。


 天正三年(一五七五)北畠家の家督が茶筅丸に譲られた。茶筅丸は名を信雄と改め大河内城から田丸城へ移る。

 信雄の名に北畠家で代々受け継ぐ「具」の字はない。名からもわかるように完全に織田家の人間の名である。さらには大河内城も廃城となった。もはや北畠家の痕跡はほとんどなくなっている。

 家督を譲った具房も三瀬に引っ込んだ。もう用済みということだろう。先年の行動がどこから漏れていたのか近年織田家の目線も厳しくなっていた。

「もう親子そろって静かに暮らすしか無かろう」

「そうですね。父上」

 具房はむしろ安堵した様子であった。それを見て具教は複雑な気持ちになる。

「(もともとこの乱世には向かない心向きだったのだろうよ。しかし少しは悔しさを感じないのか)」

 具教はそう思ったが口には出さなかった。

 こうして三瀬にて親子そろって暮らした。世の中は織田家が武田家との戦いに快勝し織田家の天下になりつつある。

 こうして具房の隠居から一年と少しが経過した天正四年(一五七六)。具房は信雄に田丸城に来るよう呼び出された。具教は呼ばれていない。

「いったい何の用向きだ? 」

「なんでも北畠家の人々を招いて宴を開くとか。具藤も呼ばれているようです」

「そうか…… 」

 具教はいぶかしげな顔をした。具房はそれをどう解釈したのかこう言う。

「しかし父上を呼ばないのは無礼ですね。私や具藤を呼び出しているのに」

 そんなことを言う具房。

「具房よ」

「はい? 」

 いきなり名前を呼ばれて驚く具房。そんな具房に具教は言った。

「気を付けるのだぞ」

「は、はあ」

 具房は具教の言っている意味が分からなかったがうなずくのであった。そして後日具房は田丸城に向けて出発した。これが親子の今生の別れになる。

 

 具房が田丸城に向けて出発してから数日後、具教を訪ねてくるものがあった。訪ねてきたのは具教の旧臣の滝川雄利、長野左京亮、軽野左京進の三人である。

 具教は三人が訪ねてきた理由がなんとなくわかった。

「来るべき時が来たということか」

 そんな具教のつぶやきに小姓の佐々木四郎左衛門が反応する。

「如何なされましたか」

「いや、何でもない。それより三人をここに通してくれ」

「かしこまりました」

 佐々木は三人を迎えに行く。具教は刀掛けを近くに寄せ愛用の刀を置いた。

「(悪いがただでは死なんぞ)」

 具教は三人が自分を討ちに来たのだということに気づいている。

「(おそらく周りは包囲されているだろう。しかし滝川たちを切り捨てて私が立ち回れば妻や子等の逃げる時間ぐらいは稼げるな。佐々木はできた男だ)」

 もはや自分が討たれるのは仕方がない。しかし幼い息子たちや妻まで巻き込むのは耐えられなかった。

 具教は落ち着いた心で三人を待つ。やがて佐々木が襖の向こうから呼びかける。

「滝川雄利様。長野左京亮様。軽野左京進様。参られました」

 襖の向こう側には佐々木以外に三人の男の影が見える。どこか緊張しているのがまるわかりであった。

 具教は笑いをかみ殺しながら言った。

「通せ」

 その一言で襖が開く。すると長野が入るや否や槍を突き付けてきた。これには具教は驚く。

「何!? 」

 そこは優れた剣客でもある具教。突かれた槍を見事にかわす。しかしこの部屋に入るや否や槍を突く、つまり部屋の外で槍を持っていたという状況が何を意味するのかまでは思い至らなかった。

 具教はそばに寄せておいた刀をとる。そして引き抜こうとした。だが引き抜けない。

「(謀られたか…… )」

 刀には細工がしてあって抜刀できないようになっていた。こんなことができるのは具教のそばに仕える人物。つまり佐々木四郎左衛門である。

 具教は佐々木を見た。佐々木は青い顔をして目を背けている。具教は佐々木に向けて叫ぼうとするができなかった。槍に突かれたからだ。

 槍は具教の体に吸い込まれるように刺さる。急所はかろうじて外したが重傷であった。具教の体から血が流れる。具教は太刀を持ったまま前のめりに倒れた。

「悪く思わないでくだされ」

 長野の声が頭上から聞こえる。やけに遠く聞こえる声だった。


 徐々に体が冷たくなるのを具教は感じていた。

「(ここで終わりか)」

 このまま死んでいくのか。不思議と悲しみも怒りもない。体が動かなければどうしようもないではないか。そう思って刀を握る手に力を籠める。すると

「(なんだ。まだ動くではないか)」

手は刀をしっかりと握りしめた。他の体も動く。頭上からは刺客たちが何やら話し合っている声が聞こえた。それはどうでもいい。

 目線を刀の方にやると刀身が少し鞘から出ていた。細工が甘かったようである。

「(ならば)」

 具教はゆっくりと立ち上がった。滝川、長野、軽野の三名はそれを見てすぐに後ろに引く。だが具教に背を向ける形だった佐々木だけは出遅れた。

 不審に思った佐々木が振り向いた時、具教は刀を上段に構えていた。佐々木の顔が恐怖にゆがむ。そして刀が振り下ろされた。

 佐々木は恐怖にゆがんだ顔をたたき割られて死んだ。具教は佐々木を切り伏せると滝川たちの方を見る。その顔は人とは思えないものだった。

滝川は叫んだ。

「来い! 者ども」

 滝川の叫びに呼応して兵が駆け込んでくる。具教は一歩早く滝川に切りかかった。滝川は思い切って後方に飛び退く。しかし具教の打ち込みはすさまじく槍を切られて傷を負った。具教は滝川にもう一太刀入れようとする。しかし長野と軽野の槍がそれを阻んだ。

「滝川殿。さがれ」

 長野がそういうのと同じくらいで長野と軽野の槍は切り落とされた。軽野はそれに驚嘆しつつも兵たちに言う。

「何をしている。一気に襲い掛かるのだ! 」

 軽野の叫びと同時に兵たちが具教に襲い掛かる。具教は襲い掛かる兵たちの方を見て笑った。そして向かってくる兵を一太刀で切り倒す。

「まだだ。まだ」

 具教はそう言った。そして自ら兵たちに切りかかっていく。そこから具教はただただ刀を振るった。一太刀で切り倒されるもの。腕を切り落とされて退くもの。切られながらも具教に槍を突きいれるもの。様々であった。

「そうだ。敵が動くよりも早く…… 」

 そのつぶやきは誰にも聞こえない。ただ具教は刀を振るった。やがて具教の周りには十数名の死体が転がっている。手傷を負っていたものは数えきれないほどだった。

 滝川たち三人も手傷を負っている。彼ら三人も兵たちも具教を恐れ遠巻きに囲んでいた。

 具教は死体の転がる庭で立ち尽くしていた。何かつぶやいている。

「これが剣の極み? いや違うか…… 」

 その姿を見て滝川たちの恐怖もさらにあおられる。

「如何する? 」

 滝川は二人に尋ねた。しかし長野も軽野もどうしたらいいかわからない。すると具教が滝川たちの方を見た。それに気づき驚く滝川たち。

 具教は笑っていた。しかしその表情はさっきまでの人外の者のものではない。どこか安らかな笑顔だった。どこか満足げな様子である。

「と、具教様? 」

 滝川は思わずそう言った。すると立ち尽くしたままの具教の手から刀が落ちる。驚いた滝川たちは具教に恐る恐る近づいた。そして気付く。

「死んでいる…… 」

 具教は死んでいた。その死に顔は笑っていた。享年四九歳。最期に具教が何を思ったかは分からない。


 具教が討たれた同じ日に田丸城に招かれた北畠一族のほとんどが殺された。また田丸城に行かなかった北畠一族もほとんど殺されてしまう。兵を集めて反抗した者もいたがすべて制圧された。

 三瀬の御所にいた具教の幼子たちも殺された。具教の妻は混乱の最中で行方をくらませる。

 唯一生き残ったのは具房であった。なぜ殺されなかったかは分からない。しかし一連の粛清ののち幽閉され数年後に死んだ。

 この粛清を持って北畠家は織田家に完全に乗っ取られる。こののち北畠家が歴史の表舞台に出ることは無かった。


 北畠具教の最期は二通り伝えられています。一つは「刀に細工されて戦うこともできずに殺された」もう一つは「刺客の兵と戦い十数人を切り倒し百人近くに手傷を負わせた」この二つです。

 実際のところは分かりません。というのも北畠家やこの時期の伊勢に関する資料というのは少なくはっきりとわかっていないのです。故の知名度の低さなのでしょう。どこか悲しいものを感じますね。

 さて次の話の主人公は戦国時代末期の人物です。なかなかに元気づけられる人生を歩んでいる方なので明るい話になる予定ですのでお楽しみに。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では

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