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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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北畠具教 剣命 中編

 父から家を継いだ具教は期待に応えるように北畠の家を栄えさせた。このまますべてが順調にいく。具教はそう思ったかもしれない。だが時代の寵児が具教の前に立ちふさがる。そしてそれが悲劇の始まりであった。

 永禄三年(一五六三)。具教の父の北畠晴具が亡くなった。享年六一歳である。

「もはや儂の役目は終わった。もうよかろう」

 すでに後のことはすべて具教に託してある。死に顔に何の憂いも感じさせず安らかに死んでいった。

 父の死を受けて具教はある決意をした。

「私はすべての官職を辞し家督を息子の具房に譲る」

 まさかの隠居宣言である。時に具教三五歳のことであった。

 この隠居宣言にはちゃんと意味があった。

「かつて父が隠居し私が一人前になるまで見守ってくれたように私も当主となった息子を後見しようと思う」

 いわゆる院政を敷こうという考えであった。

 この決断に北畠家は少し動揺した。というのにも訳がある。

「具教様のおっしゃることは分かるが具房様で大丈夫か」

「全くだ。晴具様や具教様とはまるで違う。全く頼りない」

 家臣たちは口々にこう言う。実際具教の息子の具房というのがいささか頼りない人物だったのである。

 この時具房は一六歳。しかしその体は十代の少年にしてはいささか肥えすぎていた。いわゆる肥満体である。祖父や父と違い武芸の心得どころか馬に乗ることも難しいという有様であった。

 性格は温厚だが臆病。頭が切れるかといえばそうでもない。どこかのんきで北畠家の嫡子としての責任を感じているとは思えなかった。何より父の偉大さに気圧されているのか覇気が感じられない人物である。

 こうした具房について誰よりも危機感を抱いていたのが具教である。

「(ここで私が隠居すれば具房もいくらか自覚を持つだろう。そうなれば一皮むけるかもしれん)」

 具教の隠居は具房への荒療治という側面もあった。

 隠居を決めた日に具教は具房に言った。

「これよりはそなたが北畠家の長だ。北畠の名に恥じぬよう奮起するのだぞ」

「は、はい」

 具教の言葉に具房は弱弱しく答えた。声が震えていて顔も青い。そんな息子の姿に呆れつつもこう言った。

「私は隠居こそするがお前を支えるつもりだ。政務もはじめは私が引き受ける。お前はそれを見て学んでいけばいい」

 そう具教が言うと具房の顔色が変わった。

「そ、そうですか。いや父上がまだ頑張ってくれるのなら一安心です」

 そう晴れやかな顔で言う具房。これには具教は落胆するほかなかった。

「(なんということだ…… 北畠家当主としての自覚があまりにもない)」

 具教は心底安堵した様子の息子の姿に先行きの不安ばかり感じるのであった。

 この後北畠家は停滞の時期を迎える。具教はあくまで具房を当主として経て後ろから支えた。しかし具房は一向に成長しない。

 こうして北畠家が停滞の時を迎える一方で伊勢に隣接するある戦国大名が巨大化しつつあった。その大名の名を織田信長という。


 具教は比較的早いうちから織田信長を警戒していた。これは永禄三年(一五六〇)に織田信長の家臣の滝川一益が尾張と伊勢の境に城を築く。この動きを具教は見逃さなかった。

「もしやすると織田家は伊勢に攻め入るつもりなのかもしれない」

 伊勢は縦長の形をしている。北部と南部ではまるで勢力が違い、北部には北畠家の勢力は及んでいなかった。したがって北畠家の勢力圏内ではない。しかし北部を抑えれば中部、中部を抑えれば北畠家の本領である南部にも来るかもしれなかった。

 そういうわけで具教は織田家を警戒した。さしあたってまずは伊勢南部と中部の平定。加えて志摩の支配権の確立を目指し父の晴具と行動した。これはうまくいくがそれが終わると晴具は死んでしまう。これを機に具教は息子に後を譲るがその結果如何なったかは前に見たとおりである。

 こうして停滞の時を北畠家は迎えた。この間織田家は伊勢方面に積極的な働きかけを行っていない。

 これについて具房はのんきにとらえていた。

「父上の考えすぎでは? 城は築いたけど何もしてきませんよ」

 しかし具教はこれを否定する。

「いや。城を築いた後は周辺の国人を手なずけ始めている。今は美濃(現岐阜県)を主に攻めているようだがこれが終われば次はおそらく伊勢だろう」

 この具教の懸念を具房は信じていないようだった。しかし具教の懸念は現実のものとなる。

 永禄十年(一五六七)の春に織田信長は家臣の滝川一益を北伊勢に派遣した。これに対して北伊勢の国人たちは個別に対応する。服属するもの抵抗するものそれぞれであった。この時はあくまで織田家の別動隊が攻めてきただけである。この時信長は美濃平定の仕上げとして美濃を治める斎藤家の居城稲葉山城を攻撃していた。

 稲葉山城は永禄十年の八月には織田家の激しい攻撃に会い落城する。すると斎藤家の当主斎藤竜興は稲葉山城を脱出し伊勢の方面に逃亡した。

 すると信長は竜興を追撃すべく兵を引き連れ追撃してきた。そしてそのついでとばかりに北伊勢に侵攻する。信長の本隊までやってきたとあってはどうしようもない。北伊勢の国人たちはそろって信長に降伏した。

 この情報を聞いた具教はいよいよかと覚悟を決めた。

「恐らく次は中伊勢。具藤の長野家も攻撃されるだろう」

 悲しいかなこの予測も的中してしまう。年が明けて永禄十一年(一五六八)に再び信長が襲来してきた。この時の信長の標的は中伊勢の主だった国人たちである。具体的には関家と神戸家。そして具教の息子が養子に入った長野家である。

 信長は各国人の居城を包囲した。そしてそのうえで講和を持ち掛け従属させるという方法をとる。

「分断したうえで各個を懐柔するということか。やってくれる」

 具教はこの動きに対して援軍を送ろうとする。ところが神戸家が早々と降伏してしまった。降伏した神戸家は信長の三男を養子に受け入れて織田家に従属する。一方関家は講和を拒絶し一戦交えたが敗退した。

 こうした流れの中で長野家は降伏する道を選んだ。条件は信長の弟を養子に受け入れること。この結果具藤は追い出されてしまう。

「なんということだ…… 私がもっと早く動いていれば」

 後悔する具教だがもはやどうすることもできない。できることは養子先から追い出された息子を迎え入れるぐらいである。

 こうして伊勢中部も織田家の手に落ちるのであった。


 織田信長は伊勢の中部まで支配下に置くといったん伊勢侵攻の手を止めた。そして助けを求めてきた足利義昭を擁して上洛。義昭を将軍に据える。

 こうした動きに対して具教は各城の防備を固め迎撃態勢をとる。

「ここは痛手を与えて有利な条件の講和を目指すべきか」

 そういう方針で行くことにした。しかし永禄十年の侵攻以来北畠家は悉く後手に回っている。

「これでは師に顔向けできん」

 後悔する具教だがさらに悪い知らせが届く。具教の弟に具政という人物がいる。具政は北畠領国の北端を守る木造家を継いでいた。そんな具政が信長に降伏してしまったのである。

「なんだと! 具政め。なんということを」

 まさかの事態に具教は驚いた。これには北畠領国でも動揺が走る。具教はすぐに具藤の木造城を攻撃した。しかしこれは滝川一益や信長に下った伊勢の国人たちに阻まれ失敗する。

 具教は態勢を立て直そうとするが信長はすぐに動いた。何と七万の兵を引き連れてきたのである。

さらに具教に志摩を追い出された九鬼喜隆も信長に従っていた。喜隆は配下の海賊を率いて水上から北畠家に攻撃する。

「やはり禍根になったか」

 具教は後悔するが今更どうにもならない。今は信長の軍勢への対応が急務である。具教は居城の大河内城に籠城しての持久戦を選んだ。大河内城は周囲を谷川に囲まれ複雑な地形をしている。堅城と評判であるが今回は敵の数が多すぎる。

「あれだけの大軍。維持するのにも苦労するはずだ」

 多分に希望的観測を抱いた計画である。籠城戦の場合は援軍を期待するものだがどこも助けには来てくれないだろう。さりとて野戦で勝てるはずもなかった。

「兵糧は早くに持ち込んでおいた。これなら数か月でも保つはずだ」

 わずかな希望を胸に具教は籠城を選択する。具房をはじめ皆不安そうだったがここはやるしかない。

 こうして北畠家の籠城戦が始まった。織田家は七万の大軍を四手に分け完全に包囲する。アリのはい出る隙間もない完璧な包囲であった。

 また信長は包囲が完了するや否や手勢に大河内城を攻撃させる。これに具房は恐れおののいた。

「こ、こんなに数に差があってかてるはずがない」

 しかし具教は違った。

「焦っての力攻めなら問題ない。むしろ痛手を与えるいい機会だ」

 具教は敵が搦手口から攻めてくると考えた。そこで弓や鉄砲の兵を搦手口に集める。さらに精兵を集めて門内に待機した。

 果たして織田家の軍勢は搦手口から攻めてきた。具教は敵が攻撃に移る前に叫ぶ。

「いまだ。撃て! 」

 号令が響くと矢と弾丸が織田家の軍勢に降り注ぐ。不意を討たれた織田家の軍勢は混乱した。具教はすぐさま門を開けて兵とともに飛び出す。

「行くぞ! 」

 具教は織田家の軍勢に向かって切りかかる。そして先頭にいた雑兵を一刀のもとに切り捨てた。さらにもう一太刀で別の兵も切り捨てる。織田家の兵は具教のすさまじい剣の冴えに戦慄するのであった。そこに北畠家の兵も具教に続いて突撃する。これに織田家の軍勢はたまらず退却を始めた。

「逃すな! 可能な限り敵を討つのだ」

 具教たちは逃げる織田家の軍勢を追撃する。織田家の軍勢は複雑な地形に足を取られて逃げることもままならなかった。一方の北畠家の軍勢は勝手知ったる自分の土地である。すぐに織田家の軍勢に追いつき多数の兵を打ち取った。

 織田家の軍勢が散り散りに逃げていくのを確認すると具教は後退を指示する。

「深追い無用。ひとまずはこれでいい」

 こうして具教たちは悠々と撤退していった。初戦は北畠家が勝利したといっても過言ではない。


 織田家の軍勢を撃退したことで北畠家の士気は上がった。特に具房は興奮した様子である。

「流石父上です! 織田家の者どもなど相手になりませんね」

 具教はそんな具房をたしなめた。

「油断するな。まだ手勢の一部を追い返したに過ぎない。ここからが本番だ。おそらく敵は包囲を厳しくし持久戦に移るだろう」

 険しい表情で言う具教。実際その通りで織田家は包囲を徹底し持久戦に移る。さらに大河内城周囲の村落を焼き討ちした。さらに焼き討ちから生き残った村人たちを大河内城の方に追い立てる。

「そう来るか…… 」

 具教は信長の意図を理解した。大河内城内には十分な兵糧がある。しかしこれは将兵の食い扶持である。そこで村人を追い立てて場内の人口を増やすことで兵糧の消費を増やそうと考えたのだ。

 信長の意図は理解できた。しかしここで村人たちを見捨てるようなことはできない。

「代々受け継いできた領地に暮す民を見捨てられるか」

 具教は村人たちを受け入れた。もちろん兵糧の減りは早くなる。そして城兵たちも弱っていく。

 北畠家の将兵が弱っていくのを見て信長はたびたび力攻めを行った。しかしそのたびに具教たちに迎撃される。北畠家の将兵の心はまだ折れてはいない。

「我々はまだ戦えるぞ」

 具教の執念はすさまじく織田家も手を焼くのであった。

 一方の具教たちも困っていた。いよいよ兵糧が尽きようとしている。

「如何するのですか父上…… 」

 具房はやつれ切った顔で言った。それでもほかの人々より太っているように見えるのは元々太っているからである。

 具教は周りに目をやる。具房はともかく皆まだ心はおれていない。しかし肉体的には限界が近いのが見て取れる。

「(これまでか…… )」

 ここにきて具教は決意した。そして織田家に使者を送る。降伏の使者だった。ここに伊勢の名門北畠家は織田家に降伏したのである。

 織田家は降伏の条件を出した。条件は二つ。一つは具教と具房の親子が大河内城を出ること。もう一つは信長の次男、茶筅丸を具房の養子にすることである。二つ目に関しては中伊勢の領主たちと同じ条件であった。

「旧家の名前は使えるということか」

 かつて自分も長野家に同じことをした。その時は言った息子は出戻ってきて一緒に降伏する羽目になっている。

「因果応報か。いや私の力量不足か」

 具教は肩を落として条件をのむ。こうして北畠家と織田家の戦いは終わった。

 後日茶筅丸が大河内城に入った。一応父になる具房と面会している。一方の具教は一足早く城を出た。父から受け継いだ城が他家の者に渡るところなど見たくもない。

 意気消沈する側近たちとともに具教は歩く。急なことで馬さえない。途中ふと振り返った。

「申し訳ありません。父上」

 そう一言つぶやくと具教はまた歩き出した。

 こうして北畠家は織田家の支配下にはいった。具教と具房はそれぞれ別の城に入る。しかし北畠家の悲哀はこれで終わりではなかった。


信長の伊勢侵攻はあまりメディアでも取り上げられない部分です。というか現在の三重県にあたるこの地域の戦国時代について知っている人は少ないのでしょうか。前の話のあとがきでも言いましたが具教の知名度が低いのもそうしたことが原因なのかもしれません。

 さて今回の話で具教は破れ隠遁生活を強いられました。これだけでも悲劇ですがこの後戦国時代でも屈指の悲劇が具教を待ち受けています。ご期待ください。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では

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