畠山義英 義英の一生 前編
河内の武将。畠山義英の物語。分裂した名家の片割れに生まれた義英はどんな人生を生きるのか。
初めまして。初投稿なのでいろいろいたらないところがあると思いますが、生暖かく見守っていただけると幸いです。
なお登場人物の呼称は基本的に諱で統一します。あと言葉や名称などがおかしいと感じられたら報告してもらえると助かります。
歴史は大きな河のようで時に緩やかに時に激しく流れていく。そしてそれぞれの時代に生きる人々は流される小石であり、流れに逆らうことはできない。
時には流れに逆らっているように見える人もいる。でもそれは逆らっているように見えるだけで、そう見えるように流されているだけなのだ。
畠山義英は畠山総州家の当主、畠山基家の嫡男として生まれた。畠山家は管領のほか、河内や紀伊などの守護を務めた一族である。だがこのころ畠山家は上総介を代々襲名する総州家と尾張守を代々襲名する尾州家に分裂していた。この二家は畠山家惣領の座をめぐって争っている。
そもそも畠山家が分裂しているのは総州家の祖の畠山義就と、尾州家の祖の畠山政長が畠山家惣領を争ったことがきっかけである。この騒動は応仁文明の乱の一因ともなり、乱の終息後も両家の対立は続いた。さらにこの対立には室町幕府の内部抗争も絡み、泥沼化していく。
義英が生まれたのはそんな時代だった。そんな時代に生まれた義英の人生は平穏や安定とは程遠いものになる。
先にも記した通り二つの畠山家の抗争には室町幕府の内部抗争も絡んでいる。当時、義英の総州家は幕府から攻撃を受けていた。だが当時起きた明応の政変により幕府が方針転換する。その結果、義英の父の基家は畠山家惣領の座につくことができた。
ところがその立場も安定したものではなかった。畠山家内部では家臣の不協和音が生じ、さらには敵対する尾州家の畠山尚順も挙兵する。結果、明応八年(1499)基家は尚順との戦いで敗死ししてしまう。このころの義英はまだ幼く、領地であった河内から逃げ出すのが精一杯であった。
逃げ出した義英が頼ったのは管領の細川政元であった。政元は明応の政変の首謀者であり尚順とも対立している。義英に手を貸すことは政元の利益にもなった。
さて義英が助けを求めた細川政元は管領として幕府の権力を一手に握る人物である。だが、一方で修験道に凝る奇人でもあった。そして修験道に凝るあまり妻をめとらなかった上に、男色の気もあったと言われている。そんな政元の下に義英は駆けこんだのであった。
当時、義英は十代前半の少年であった。そんな義英少年をみる政元の目には何とも言えない怪しさが漂っている。
「随分苦労なされたようだな」
「はい。ですが辛くはありませぬ」
「ほう、そうか」
「父上の無念を晴らすまではどんな苦労もいといません」
義英の目には強い力がともっていた。まだ幼いながらに父の無念を晴らそうという気持ちでいる。そんな義英を見る政元の目はますます怪しい。だがそんなことを気にしている余裕は義英にはなかった。
義英は決意のこもった目で政元を見る。
「この上は政元様に力添えをいただきたいと存じます」
「ほぉぉぉぉ…… 」
幼いながらもしっかりと口上を述べ、平伏する義英。その姿にいろいろな意味で感じ入ったのか、何とも言えない声を上げる政元。
「(幼いのにけなげなものよのう。たまらぬわ)」
政元は平伏する義英をにやにやと眺めていた。義英はその間もじっと平伏している。そして満足そうに笑うと口を開いた。
「よろしい。手をお貸しよう」
「本当ですか! 」
「うむ。父上の無念に報いようというそなたの気持ち、痛く感じ入った」
「ありがとうございます! この恩は忘れません」
「うむ、うむ。よい心がけじゃ」
義英は涙を流し喜んだ。その姿を見て政元はより怪しい笑みを浮かべるのであった。
こうして義英は政元の援助を取り付けた。政元は家臣の赤沢宗益を派遣し尚順を攻撃する。尚順は基家を河内で敗死させた後に和泉、大和を攻略し支配下におさめていた。
政元は宗益に大和を攻略させ、その隙に義英が河内に帰還する。宗益は政元の期待に良く応え大和を攻略した。河内と大和を失なった尚順は形勢のふりを悟る。そして自分の領地の紀伊に逃げていった。
「尚順殿は逃がしてしまったか」
「仕方ありますまい」
「そうです。ここは無理をなさらぬ方がよろしいかと」
義英は心底残念そうにつぶやいた。そしてそんな幼い主君を家臣たちは慰める。義英にとっては父の仇を逃がしてしまったのだから当然ともいえた。しかしこのことは後々まで義英を苦しめることになる。
父の敵を討てなかったことを気にする義英。それは家臣たちも同様であった。沈みそうになる家臣たちの雰囲気を察した義英は微笑んだ。
「だが、無事に河内に戻ることができた。まずはそれを喜ぼう」
「全くです」
「めでたい限りじゃ」
とにもかくにも無事に帰還できたことを義英は喜ぶことにした。それを見てここまで付き従ってきた家臣たちも安堵する。しかし、ここからが畠山義英苦難の人生の始まりであった。
義英は河内に帰還してからも政元の後見を受けていた。これは義英の幼さが理由ではあるが、それ以上に戦略的理由がある。というのも当時の情勢としては政元が擁立する将軍足利義澄の勢力と、明応の政変で将軍の座を追われた足利義稙の勢力が争っていた。
義英の仇敵の尚順は父親の代から義稙派で主要な戦力の一人である。また紀伊に逃亡した尚順はその後もたびたび河内に侵攻していた。そういう情勢もあってで政元と義英は尚順と対立している。そういうわけで義英と政元はお互いを必要としていた。幸いと言っていいのかわからないが、政元自身も義英を気に入っている。しかし、元号が変わり、明応から文亀を経て永正年間に入ると状況が変わってきた。
まず政元の家臣、薬師寺元一が謀反を起こした。なおこの時、元一と行動を共にしたのは義英の河内入りを助けることになった赤沢宗益である。しかしこの謀反は政元の迅速な行動で鎮圧された。
政元は修験道に凝るあまり不可解な行動をすることが多くあった。薬師寺元一の謀反はいまいち理解できない政元への不満ゆえの行動だと言える。そうした不満は細川家臣団の中でも常にくすぶっていた。特にこのころはそれが顕在化してきていて、政元の権勢に影を落としている。
さらに近年日本全体で異常気象が発生し、社会情勢も不安定になっていた。政元は管領としてこうした状況への対応にも追われている。
このように義英の後援者である政元の影響力は低下していた。まだ若い義英は日々不安な時を過ごしている。そして永正元年(1504)義英の許に驚くべき知らせが舞い込んできた。
「尚順殿が和睦したいと?!」
「はい。その通りです」
家臣からの報告を聞いて義英は驚いた。その報告の内容は、尚順からの和睦の提案だったからである。
「このところの政情不安に畠山両家一丸となって対応したい、とのことです」
「うーむ…… 」
尚順の言い分はわからないでもなかった。尚順は義稙側として戦い続けているがその義稙は今は周防(現在の山口県)にいる。一応義稙派は近畿にもいるが尚順は孤独な戦いを強いられていて消耗していた。
一方の義英も後ろ盾である政元の権力に陰りが出てきた。また若い義英が河内を掌握できているかと言われれば微妙で、政元の後見があってこその義英ともいえる。
そういうわけで両畠山家は微妙な状況に置かれていた。だからここで畠山家を一つに出来ればもしかしたら状況を変えれるかもしれない、という希望を持たないでもない。
この尚順の提案への対応は、総州家内部でも紛糾した。
「このような都合のいい申し出は論外である! 拒否するべきだ! 」
「いや待て。今は領内の安定を最優先すべきではないか。これ以上戦いを続ければ共倒れになってしまう」
「そうなる前に叩き潰せばいいのだ。このような申し出を言い出すのは奴らも疲弊している証拠でもある」
「確かにそれはそうかもしれんな。だが、政元様からの援軍も今は期待できそうもないな。それが心配だ」
「そう、それよ。それに先の公方さまの動きも気になる…… 」
家臣たちからは様々な意見が飛び出る。それを義英は黙って聞いていた。
しばらくして家臣たちの意見も出尽くした。それを見計らって義英は重々しくげに口を開く。
「私は尚順殿の申し出を受けようと思う」
口から出たのは尚順の申し出を受け入れるという言葉であった。これを聞いた家臣一同はざわめいた。
「しかし、それは」
「いや、仕方あるまい」
「ですが奴らは御父上の仇なのに」
ざわめく家臣たちの声を義英はしっかり受け止めた。その上で話し始める。
「皆の思いは重く受け止めた。だが今の我々に尚順殿を打ち倒す力はない」
自身の窮状をぶちまける義英。もっとも家臣たちもそれはわかっているのか苦しげに沈黙する。
「この上は畠山家を一つにし、今後の苦難に挑もうと思う」
「殿、それは。奴らは御父上の仇ですぞ」
家臣の一人が憮然とした表情で言った。義英は悔しげな表情を浮かべる。
「その通りだ。だが尚順殿の父上は私の父上に討たれている。要するにやり返されたという事なのだ」
「ですが…… 」
「今は、察してくれ」
うなだれる義英。それを見て家臣も義英の思いを察した。義英だって本当は尚順を討って父の仇を取りたい。だが、それができるほど現状は甘くはないのである。家臣たちは一同頷きあい義英に向かって平伏した。
「かしこまりました。家臣一同、義英さまに従います」
「わかってくれたか。ありがとう」
家臣たちは皆そろって義英の考えを受け入れる。それを受けて義英も思わず涙してしまった。
後日、河内の某所で義英と尚順の会見が行われた。いろいろと因縁のある二人だが、顔を合わせるのはこの場が初めてである。
初めて見る尚順の姿に義英は内心驚いていた。
「(思った以上に老けているな…… )」
尚順は義英より年長ではあるがその差は一回りもない。この時の尚順は三十になるかならないかぐらいのはずだ。だが、義英の目の前にいる男はもっと老けて見えた。
「畠山尾張守尚順でござる」
尚順は笑ってあいさつした。その姿は武将というよりも農家のおやじといった感じである。どこか緊張感に欠ける感じであった。
「畠山上総介義英でござる」
一方の義英は緊張した面持ちであいさつした。それも当然であろう。何せ目の前にいるのは父の仇であり、祖父の代から戦い続けている家の長だ。こういう状況では緊張するのが普通で、尚順の態度の方が異常である。
「(何を考えているのだ。この男は)」
尚順に苛立ちと不信感を抱く義英。だがそれを努めて面に出さないようにする。一方の尚順は変わらずに緊張感のない雰囲気であった。
こうしてある種の異様な空気のまま会見は進んだ。もっとも何か問題が起きるわけでもなく起請文は交わされる。そして両畠山家の和睦は無事に成立した。
和睦が成った以上は長居する必要もない。義英はそそくさとその場を立ち去ろうとする。すると
「若いなぁ」
背後から尚順のつぶやきが聞こえた。それは義英のことを差しているのだろう。義英はまだ若いから当たり前である。だが義英はどこか引っかかるものを感じた。
義英は振り返って尚順を睨む。対する尚順は相変わらず緊張感のない様子だった。
「何か? 」
「いや、なに。その若々しさがうらやましいなぁ、と。それだけですよ」
義英にはその言い方がまた気になった。棘があるわけでもなければ軽んじているわけでもない。なのに、なぜか気になる。
「それはどういう意味ですか」
「どうという意味はありませんよ。しかし某にもそんな時代があったなあ、と。思っただけですよ」
「そうですか…… 」
尚順は本当にそう思っているだけのようだった。正直、義英はまだ引っかかるものを感じている。だが、これ以上はもしかすると和睦に悪い影響を及ぼすかもしれない。そう考えた。
「では。私は失礼する」
「ええ、某ももう行きますよ」
そういうと尚順は立ち上がった。そして義英の隣を通り抜けていく。その時見えた横顔を義英は一生忘れなかった。
「(なんだ? )」
その横顔は怒りも悲しみも感じられた。だが一番感じたのは大きなあきらめであった。
義英はそれが気になってもう一度声をかけようとする。だが尚順はそのまま行ってしまった。声をかけられなかった義英は呆然と立ち尽くす。
「殿? 」
家臣に声をかけられて義英は気を取り直した。
「いや、なんでもない」
家臣にそう告げると義英もその場を去った。心の内にはまだ何とも言えないものを感じていたが、考えても仕様がないと義英は歩いていく。
こうして応仁文明の乱から続く総州家と尾州家の抗争は幕を閉じる。義英と尚順は河内を二つに分けて統治することにした。これにて義英も一安心できたかと思ったが事態はさらに悪化していくのである。
義英と尚順の和睦。これを知って怒ったのは政元であった。
「あの小僧め! 私から受けた恩を忘れおって」
今回の義英の行動は政元との手切れともとれる行動であった。政元からすればいろいろと面倒を見ていたのに裏切られたという気持ちにもなる。だが、政元が怒っているのはそれだけではない。
近年、周防に逃げていた前将軍足利義稙が密かに動き始めた。その動きとはもちろん将軍職への復帰のためのものであって、政元から見ればは面白くないものである。ただでさえ政元の現状は苦しいのだ。この上で義稙が上洛でもしてくれば自分の立場がどうなるか分かったものではない。
畠山尚順と義稙は非常に近い間柄であった。最近耳にする義稙の動向に尚順が関わっている可能性は高い。そういう時に義英を尚順にぶつければ牽制にはなるのだが、こともあろうに義英は尚順と和睦してしまった。
「絶対に許さん。二家まとめて葬り去ってくれる」
政元は河内の義英、そして尚順を攻撃することを決めた。義英と尚順の講和が成立してから一年ほど経った頃の事である。こうして義英は恩人でもある細川政元の脅威にさらされることになった。
畠山義英は居城で頭を抱えていた。その理由はもちろん細川政元である。
義英の許には政元は軍を編成し河内に侵攻してくるという情報が入っていた。
「ここまで怒るとは…… いや、それ以上にここまで迅速に動けるというのが問題か」
義英も今回の講和を政元が快く思わないだろうというのはわかっていた。だから秘密裏に進めて成立させたのである。
実際にこの一年の間に政元から何かあるというとこはなかった。義英としては事実上の黙認と受け取っていたのだが、認識が甘かったようである。
「尚順殿の動きはどうだ」
「準備万端という感じで。防備を固めているようです」
「そうか…… 援軍は期待できそうにないな」
別に期待していたわけではないが現状の義英に頼れるのは尚順しかいない。もっとも尚順だって政元の攻撃を受けるわけなのだから、こちらの手助けをする余裕なんてあるはず無いのだが。
義英は家臣たちの顔を見渡す。皆、不安そうな顔をしている。不安なのは義英も同じであるが怯えているでいる場合ではない。義英は家臣に尋ねる。
「我々の方はどうだ」
「防備に関してはでいる限りのことは出来ています。しかし厳しい戦いになるかと」
「ああ。そうだな」
「それに敵将は赤沢殿と聞き及んでおります」
沈んだ表情で報告をあげる家臣。それを聞いた義英は大きなため息をついた。
「まさか自分に背いたものを将に据えるとは」
「仕方ありますまい。それだけ赤沢殿の武勇はすさまじいのですから」
ここで名前が出たのは赤沢宗益の事である。宗益が先年政元に謀反を起こしたのは記したが、敗北後許されて再び政元に仕えていた。ちなみに同時期に謀反を起こした薬師寺元一は捕えられ自害させられている。
赤沢宗益は政元の主力として多くの戦いに参加し、武功をあげてきた。その武功の一つが大和に攻め入り尚順を打ち破ったものがある。この大和攻めのおかげで義英は河内に帰還できたといってもよい。そういう意味では恩人の一人ともいえる。
「此度は敵に回るか」
義英はまたため息をついた。しょげていてもどうしようもないが思わずため息は出てしまう。
迫るは当代随一の権力者の兵。そしてそれを率いるは歴戦の猛将。勝てる道理が見える戦いではなかった。
「それでもやるしかないのだな」
義英は一転、顔を引き締め立ち上がる。その眼には強い力がともっていた。家臣たちもその姿に感じ入っている。
「せっかく落ち着くことのできたこの地は誰にも渡さん。皆もそう思うであろう」
「その通りです! 殿」
「目に物見せてやりましょう!」
気勢を上げる家臣たち。それを義英は満足げに見渡した。
「よし。我々の力を見せてやろうではないか」
「「おぉぉぉぉぉぉぉ」」
息をあげる義英と家臣たち。この数日後、宗益率いる政元軍が河内に侵入する。こうして義英と政元の戦いが始まった。
政元軍が河内に侵攻してきてからしばらく経った。河内の片隅に義英と家臣たちの姿が見える。彼らはみなボロボロで全員顔に疲労が色濃く浮かんでいた。
この通り義英たちは命からがら落ちのびていた。それはもちろん政元の軍勢に屈したということで、彼らにかつての覇気はない。
結局、義英は政元の軍勢に手も足も出ず、赤沢宗益の猛攻の前にあっという間に屈服した。同盟者の尚順も同様に敗れたようである。義英たちは最後に残った城を包囲され、逃げ出すのがやっとであった。
ふと、義英が立ち止った。そして振り返る。
「殿?」
家臣の一人が不思議に思い義英に声をかける。だが、義英はどこか遠くを見つめたまま動かない。家臣たちは困ったように顔を見合わせた。
「殿。ここにとどまっては危険です」
「その通りです。急いで逃げなければ」
家臣たちの言う通り急いで安全な場所に逃げなければ、どうなるか分かったものではない。しかし義英は動かない。家臣たちの表情が緊迫しはじめた。すると
「またか…… 」
いよいよ家臣たちが無理やりにでも引きずろうとしたとき義英が口を開いた。
「殿。どうなされましたか」
「私はまた城を追われるのか…… 」
悲しげにつぶやく義英。よく見れば義英の目線の先には少し前まで寝起きしていた城があった。今はもう政元軍に制圧されている。
かつて自分たちを助けてくれた者たちに今度は追い出される。それが戦国の世だとしてもどうしてもやりきれなかった。
「私は…… 」
「殿。今は辛抱の時ですぞ」
「その通りです。今は耐え、再起を目指しましょう」
「……そうだな」
家臣に促されて義英は歩き出した。義英は城が言えなくなるまで何度も何度も振り返り、そのたびに家臣に促される。
悲しき義英の一団は落ちのびていった。
こうして城を追われた義英たち。彼らは河内に潜伏し再起を図る。だが敵対している相手が当代随一の権力者であってはどうすることもできない。
「ああ…… 私にもっと力があれば」
嘆く義英はただ機会をうかがうだけの日々を漫然と送ることしかできなかった。ともかく己の力のなさが恨めしい。無力感にさいなまれる義英の心身は徐々に消耗していった。
「私はこのまま終わるのか……」
そんなことが頭の中をよぎり始めた。だがこの後起きる大事件が義英に再起のチャンスを与える。しかしそれが義英にとって幸福だったかというのはまだわからない。
というわけで前編終了です。前編だけでも二回城を追われている義英ですがこの後もひどい目にあいます。まあ義英の生きた時代の近畿地方は将軍や権力者の入れ替わりが激しく、とばっちりでひどい目に合う武将が大勢いるんですが。
なお後編は来週に投稿しようと考えています。今後もできるなら毎週投稿をしていきたいと思っています。
ここまで読んでいただきありがとうございました。