4.ベアトリクス
ラムドールの街は今、非常事態だった。
アーヴ家の軍に攻め込まれている訳ではなかったが、アーヴ家の手の者が入り込んで暗躍しているらしいのだ。相手は魔術師らしく、巧みに隠れて兵站や伝令に工作して、ブラームス家の軍を苦しめているらしい。
ブラームス家も一応魔術師を何人か確保していたのだが、元々魔術師嫌いの家であり、厚遇されないためあまり優秀な者はおらず、ラムドールに従軍してきた魔術師は既に全て殺されていた。ライデンであれば、対魔術結界等も充実しているためこのような問題は起きないのだが、ラムドールは比較的新しい街で、その手の設備は充実していなかった。
そういう事態であり、またライデンからの伝令すらまともに伝わらない状況であるため、俺もラムドールへの潜入にすら難儀した状況。ベアトリクスどころかベアトリクスへの繋がりが期待できるような高官との接触すら出来ずにいた。迂闊に接触しても、それがアーヴ家の工作員に繋がっていたら折角の計画が台無しになってしまう。
埒が明かないので、無理やり会いに行くことにした。
魔術師のいないラムドールであれば、俺も遠慮なく魔術が使えた。といっても、俺に出来る魔術で、ここで役立ちそうなのは飛ぶことだけだったが。
もちろん、アーヴの魔術師には用心しなければならない。
ケイオス同様、夜陰に紛れての侵入。ケイオスのときより若干雲が薄く、あまり長い時間は月も隠れてくれなさそうではあったが、もとより敵地という訳でもない。誤解を解く前に殺されさえしなければ、多分何とかなる。
侵入先は、明るいうちに当たりをつけていた。ラムドールの外縁にある通商に使われる建物から内部を伺って見れた範囲内で、ではあったが。建築物の配置と人の流れから、ベアトリクスとやらが滞在しているであろう建物に見当をつけた。大きな建物で、おそらくその最上階付近の部屋を使っているだろう。建物の前に広場があり、その面に結構広いテラスがある模様。演説などに使うのだろう。
直接そこを目掛けて飛ぶのは街の明かりで見つかりそうだったので、いくつかの建物を経由して飛ぶことにした。休み休みではあったが、魔術をひけらかすかの様な、我ながら大胆なやり方だ。一番高い建物から目的のテラスに向かってゆっくりと降り、伏せる。そろそろ月が雲から顔を出しそうだ。
テラスに伏せたまま、の戸口を見る。雲で星明りも少なかったが、暫くして目が慣れてきた。扉は外されているのか、無かった。内部に明かりも無く、真っ暗で何も見通せない。静寂ではあったのだが、その雰囲気から、猛獣の棲家を覗き見ているような気分になった。大貴族ブラームス家の大軍を率いる娘だ。猛獣と考えても差し支えは無いかもしれない。そういや年齢すら聞いてなかったな。
戸口まで足音を立てずに近づき、壁に背を預ける。中の方が暗いため、うかつに窺うこともできない。
気配を探っても、何も感知できない。だが、何かがいる予感はしていた。
暫くそうしていると、何かの花のような匂いを感じた気がした。
──まずい!?
慌ててテラスに転がる。
一瞬遅れて、ガキッ! と音がした。振り向くと、今しがた自分が居た場所に、大剣らしき刃があった。反対側から突いたのではない。戸口からその位置まで石壁が切り裂かれている。切れ味が凄いのか馬鹿力なのか。
カリカリと音を立てて、刃が壁の向こう側に引っ込む。
ちょうど月が雲から顔を出し、テラスに月光が満たされた。
戸口から悠然と現れた大剣の持ち主は、予想に反して、若い女だった。女性としてはまぁ大柄な方かもしれないが、それでも俺と大して代わらない。とてもあの大剣を振り回せるようには見えなかった。だがその女は、大剣を軽々と扱っている。
「警備を外したら早速鼠が掛かったわね」
女は悠然と大剣を構え、俺ににじり寄る。
「心外だな。俺は伝令が麻痺している軍に代わって、ベアトリクスって人に伝言を頼まれて来たんだが」
影になってよく見えないが、女は笑みを浮かべている様子。
「あらあら。外から来た新参の鼠かしら。当人に対してその発言、言い逃れにしても間抜け過ぎるわよ」
女は俺に詰め寄ると、下手から斜めに切り上げ、避ける俺を追って更に切り掛かる。俺は辛うじて小剣の入った鞘でそれを受け流す。間違いない、この女馬鹿力の持ち主だ。いや、そんなことより。
「あんたがベアトリクスか。いや、あの爺さんの娘って言うから、もっと年嵩なものと思ってさ」
「レディに対して失礼なやつだな。死んでいいよお前」
いやいや、さっきから殺そうとしているだろうに。
左右に連戟を繰り出され、後ろに飛んで転がって避ける。
「そういやレオンも結構若かったな。お前の一族って精力旺盛なんだな」
焦って逃れているせいか、我ながら考えなしの発言。
俺の言葉に、ベアトリクスの動きが止まった。
「──なるほど。お前が叔父様を手にかけたのだなっ!!」
一気に間合いを詰められ、鋭い突きを繰り出される。辛うじて避けたところでショルダータックルを食らう。俺は吹っ飛ばされて無様に転がった。
立ち上がろうとしたら腹に鋭い痛みを感じたかと思うと壁際まで転がった。どうやら蹴飛ばされたようだ。
朦朧としていると、再び腹に痛みが走った。目を開けると、俺はベアトリクスに腹を踏みつけられていた。
「あっさり殺してもらえるとは思わないことね」
大剣を目の前に突きつけられる。どうやら俺が、ベアトリクスを知らずにレオンを知っている工作員、イコール俺がレオンを襲ったものと短絡的な勘違いをしているのだろう。
「……レオンは……」
息も絶え絶えに、なんとか事情を説明しようと思ったが、アーヴ家の者がどこで聞いているか判らないので言葉に詰まる。
「まだ何か言う気か」
俺を踏む足に力が加わる。内臓大丈夫かな。
そのとき。仰向けで夜空を見上げている俺の目に何かが映った。ベアトリクスの頭越し、この建物の屋上付近に人影。弓らしき物を構えている様子。
俺は腹を踏むベアトリクスの足を両手で掴み、横を向いてテラスの手摺りを見て、
「目標確認、全速飛行!」
急いで呪文を唱えた。
俺の抵抗を感じたベアトリクスが慌てて剣を突きたてる。既に横方向に移動を始めていたので、横を向いている俺の後頭部付近を掠めただけで済んだ。あぶねぇ。
俺に引きずられて、ベアトリクスも手摺りにぶつかる。
直後、元居た場所に矢が突き刺さった。石製のテラスに深々と刺さるほどの強力な一撃。異変を感じたベアトリクスは、矢を見て、瞬時に上に目を向ける。
屋上では既に次の矢を番えていた。それはベアトリクスに向けて放たれたが、ベアトリクスは難なく大剣で払う。
屋上にいる刺客と思しき人物は、無理を悟ってかどこかに去った。
「イライザ! 屋上だ!」
ベアトリクスは屋内に向かって叫んだ。
「……そろそろ足を退けてくれませんかね?」
恐る恐る問う。
ベアトリクスが俺に向き直る。
「今のは助けられたのだろうが、お前自身への嫌疑が晴れた訳ではないぞ」
そう言いながらも、先ほどのような語気の強さは無く、大剣も向けられはしなかった。
「見てもらいたいものがある」
迂闊に動くと在らぬ疑いを掛けられそうなので先に言葉にする。
「……見せてみろ」
許可が出たので、懐から手紙を二通取り出し、差し出す。
ベアトリクスは手紙の表裏を確認するように見るのだが、中身を取り出すこともせずにため息をついた。
「これではよく見えないな」
月明かりだけじゃちょっと厳しいだろうな。
部屋に入り明かりを点けて。
「すまなかった」
俺が渡した手紙を読んで、ベアトリクスは素直に詫びた。
「状況が状況だけに、ある程度のことは覚悟していた。気にしなくていい」
死にそうだったけどな。
「う、む……。何を言っても言い訳にしかならないが、お前が剣を避けてくれてよかった」
「まぁそんなことより。手紙の内容について話をする前に、ここの状況をどうにかしないとな」
先ほどの刺客には逃げられてしまっていた。
「そうだな」
今の状況ではレオンが生きていることやクレアのことを大っぴらに話す訳にはいかなかった。アーヴ家に漏れたら折角のチャンスがふいになってしまう。
「当主殿にも、ここの窮状を何とかするようにお願いされている。まずは現状を説明してくれ」
「そう言われても、実のところ判っていることは少ないのだ。敵には魔術に長けているものがいることは判っているのだが。随伴していたうちの魔術師どもは、全て暗殺された。警護をすり抜けて犯行に及んでいるから、内通者がいるか、内部の人間に化けているか、元から内部に入り込んでいたのか。主だった連中はライデンからの直参ばかりだから、簡単に入り込めるとは思えないのだがな。それでも、伝令が殺されたり、成りすまされて偽の情報を掴まされたり。食料に毒を盛られて、行軍にも支障が出る始末」
ベアトリクスはため息を吐いた。
今の話を聞いて、敵の工作範囲が広すぎると感じた。
「その状況だけ聞くと、敵は姿を消した状態で行動できるのか、もしくは内部の人間に自在に化けれるかのどちらかに思える」
「自在に?」
ベアトリクスは俺の言っていることがピンと来ない様子。
「ああ。敵の工作が多岐に渡り過ぎている。工作員が多数いるのなら難しい話でも無いかもしれないが、もしそうなら逆にどこかで誰かしら何かに気付く。いくら大所帯の軍団でも、大人数が入り込んだらどこかでばれるだろう。その全員が誰かに化けれるのであれば別だが。なので、実際に入り込んでいるのはごく少人数ではないかな」
ここに拠点を構えるまでの状況など知らないが、ライデンから入り込むのは困難に思える。魔術抜きでライデンの諜報員を出し抜けたとしても、大人数を送り込めるとは考えにくい。だとすれば、後から潜り込んで直参の誰かに成りすまして行動していると考えた方が簡単だ。そして、工作が多岐に渡っているため、特定の誰かに化けただけでは難しい仕事だろう。
「そしてもし姿を消して行動できるのであれば、被害はもっと大きくなっているだろう。ベアトリクス相手じゃ無理かもしれないが、見えない相手が本気で暗殺に動けば大抵の人間はやられる。現状そうなっていないのは、やはり必要に応じて誰かに化けて行動しているものと推察する」
ベアトリクスは目をつぶって俺の発言内容を吟味していた。
「単独犯なのか複数いるのかは別にして。誰かに化けて行動しているとしたら、どうやって対処する?」
そうだな。後は俺次第か。
「俺も、これでも一応魔術の心得はある。目の前で魔術が発動しているなら感知できると思う。俺が工作員を見つけるさ。まぁ、先に俺が殺されなければ、だがな」
俺の場合は本当に心得程度なので、正直魔術師相手に正面からどうこう出来るかは怪しい。相手がどういう術を使えるか、次第ではあるが。だが、見つけることくらいは出来るだろう。もし出来なくても、出来るかもしれないと敵に思わせておけば最悪囮にはなれる。
「情けないことを言うな。まぁ確かに敵のこれまでの行動を見れば、まず目であるお前を始末しようとするだろうな。仕方ない、お前のことは私が守る。敵を始末出来るまで、お前には私と行動を共にしてもらうぞ。寝食に至るまで、な」
ベアトリクスの男前な発言に当惑する。お前、自分が女だってこと忘れてないか?
刺客の捜索を断念し、警備兵やら直参の騎士連中やらが集まり、状況の確認と指示を行うのだが、さすがにベアトリクスの発案は問題になった。それはそうだろう、一応手紙にて当主が俺を味方であると保証したことは周知されたが、直参連中からすればどこの馬の骨とも判らん輩だ。特に、さっきの襲撃時に近くの部屋で待機していたイライザと呼ばれた女騎士は猛反対していた。ブラームス家当主の年頃の娘が、若い男を傍に置くこと自体を。だがベアトリクスは取り合わなかった。
正直、俺がベアトリクスの貞操を脅かせるとは思えないのだが、一応口には出さずにいた。
「もう私が決めたことだ。今日のところは皆もう休め」
ベアトリクスは話を打ち切り、俺を寝所まで引っ張っていった。
寝所に入ったところで、
「いたか?」
と俺に耳打ちしてきた。もちろん、工作員のことだ。
「判らん」
俺も顔を寄せたまま小声で話す。
「俺には感知できない能力なのか、或いは発動時以外は感知が難しい場合も考えられる。だが、もし工作員があの中に居たとすれば──敵は直ぐに動くかもな。俺という外因があって、皆の注意が逸れている。ベアトリクスが俺を傍に置くという異常事態、俺を理由に普段と違うことをしても不審に思われに難いだろう」
敵工作員にいてあれこれ言い合っていると、寝所のドアがノックされた。
「何事だ?」
ベアトリクスが誰何する。
「イライザです。レト殿の寝具を持ってきました」
ベアトリクスと顔を見合わせる。疑って掛かるのは当然だが、ここで拒否しても始まらないので頷いてみせる。
「判った。入れ」
ドアが開き、イライザが一礼して布団の束を持って入る。
「間に合わせで悪いが、今日はこれで我慢してくれ」
布団の束を手渡される。
「いや、俺は床で寝ても構わんのだが」
「そんなことをしてみろ。お嬢様は自分の隣で寝ろ、なんて言い出しかねん」
ありそうで怖い。
「反対側の壁側で寝たまえ。くれぐれも妙な気は起こさない様に」
言い捨てて、イライザは出て行こうとする。
「あ、ちょっとだけ質問いいかな?」
イライザを呼び止める。さきほどの直参連中との会合時にふと思いついた疑念について試そうと思ったからだ。
「何か?」
イライザは立ち止まって振り返る。
「ああ、そのままそこで待って」
俺はイライザを直視したまま、ベアトリクスに問う。
「ベアトリクス、イライザって最近髪型変えた?」
ちょっと遠まわしだが、何気ない質問。だが、イライザの目つきが険しくなる。
「うん? いや、昔からずっとロング──」
ベアトリクスが言いかけたころでイライザは翻ってドアまで走ろうとして──ベアトリクスに薙ぎ倒された。鞘ごと振り回された大剣によって。
「イライザに化けていやがったのか。髪の長さすら全然違うじゃねぇか」
工作員が意識を失ったせいか、今はベアトリクスにも俺と同じように見えている様子。
「よく気付いたな。魔術は検知出来てなかったのだろう?」
「ああ。俺にはこいつの魔術が『見えていなかった』のさ。皆が見えていた様にはな。ずっとこの素顔が見えていた。本物のイライザの顔を知らないから気付かなかったが。だが、こいつの仕草に違和感を覚えた」
「……後学のために教えてくれ」
「なに、大した話じゃない。俺にはショートヘアにしか見えていないのに、こいつは時々、髪が邪魔になっているような仕草を見せていた。ずっとロングにしていたのを最近ショートにした、とかなら癖が残っているのかなとも思わないでもないが、それを考慮してもまだ不自然に見えたのさ。単にロングの演技をしていたのか、それとも自分の術の影響を自分も受けるタイプの物だったのかは知らないが」
「……なるほどな。それで、こいつはどうしようか?」
転がっている工作員を睨む。
「魔術師を無力化して拘束する手段を持ち合わせていないのなら──」
言いかけるが、
「それもそうだな」
途中でベアトリクスが行動に移した。大剣を鞘から抜く。
「……うぅ……」
工作員は意識が戻ったのか、苦しげにベアトリクスを見上げた。
ベアトリクスは、一瞬動きを止め、
「……」
恐ろしい形相で大剣を振り下ろした。
恐らくまた誰かに化けたのだろう。俺には見えないから誰に化けたのかは知らないが。
「本物のイライザは無事なのだろうか……」
ベアトリクスは独り言のように呟く。
「申し訳ないが、無事か否かは微妙なところと思う。工作員にとって利用価値があると思えるならどこかに監禁されているかも知れないし、どこかで行動不能な状態に陥っているだけでまだ生きている可能性だってある。ただ、工作員としては自在に化けれはしても、当人と鉢合わせする可能性は低い方が得策だろう」
「──そうだろうな」
ベアトリクスは目を閉じ、天を仰ぐ。
「ただし、実際に生きている人間と時々入れ替わった方が、より混乱は引き起こせるし、鉢合わせさえしなければ特定は逆に難しくなるとも考えられる」
無駄な期待を煽るようなことは言うべきではないかもしれないが、見ていられなかった。
ベアトリクスはじっと俺の目を覗き込んだ。
「……気を使わせてすまんな。イライザは、私が小さい頃からずっと一緒に育ったものでな」
落ち込んでいる様子を隠そうともせず、肩を落とす。
「そうか。──俺も、イライザと同じような立場だったよ。俺の親父が騎士として使えていた主君に息子がいてな。俺と歳が近かったから一緒に育てられていたんだ」
大きくなる前に、死に別れてしまったが。
「そうなのか……。その方は今はどうしている?」
特に意味があって聞いた訳では無いのだろう。ただ、そこに至るような話題にしてしまったのは失策だったな。
「俺が小さい頃に死んだよ」
誤魔化してもよかったのだろうが、なんとなくこの件で嘘を吐きたくなかった。
「……そうか。すまない……」
逆に気を使わせてしまう未熟さに我ながら呆れる。
「気にするな。──俺の親父が仕えていたのは、ディラム家なんだ」
一瞬の逡巡の後、ベアトリクスは目を大きく見開いた。アーヴ家との戦争に際し、相手について可能限り調べていたのだろう。
「なるほど。では、お前が我々を助けてくれたのは──」
「ごく個人的な理由だ。ワーレンの評議会は関係ない。この件で手を貸してくれてはいるがな」
自嘲気味に種を明かす。だが、ベアトリクスは逆に気を良くした様子。
「お前がワーレンの指示で動いていたのならあまり信用できた話では無かった。情勢次第ではどう動くか判らんからな。だが、そういう理由なら、お前は対アーヴ家限定かもしれないが、どこまでも我々と力を合わせてくれそうだな」
そう言うと、ベアトリクスは右手を差し出してきた。
「もちろん」
俺もそれに手を合わせ、力強く握った。
強く握り返されて涙目になったのだが。
工作員が一人とは断定できない。今倒した工作員の所在は伏せたままにして、動向を見ることにした。
イライザに化けた工作員が持ってきた寝具は何が仕込まれているか不安だったので、隣の部屋の収納に放り込んで。代わりにカーテンの予備を使って工作員の死体を包んでベッドの反対側の壁付近に置き、俺はベッドと外側の壁の間で床に転がって寝ることにした。
どこまでも疑っていては限が無いが、当面は警戒を続けた方がいいだろう。
ベアトリクスもそう思ったのか、ベッドの中に毛布を丸めて詰め込み、当人は俺の横で床で寝るなどと言い出した。
それもどうかと思ったが、色々と思うところもあるのだろうと、何も言わずに見守ることにした。
部屋の明かりを消し、静かに横になる。
そのまま夜が更けて。
歩哨以外寝静まっているであろう頃、ベアトリクスの寝所に訪れた者が居た。
いつもなら常時絶やさぬ廊下の明かりも消えており、扉が開いても闇のままだった。辛うじて、壁に穿たれた人も通れぬサイズの採光用の窓から、薄い雲から漏れる月の光が差し込んで、部屋の中の物をシルエットだけ浮かび上がらせていた。
その人影は殆ど物音を立てなかったが、ベアトリクスのベッドの手前で微かに音を漏らした。弓を引き絞る音、そして矢を放つ音。直後、ベッドの上の膨らみに矢が突き刺さる。更に、立て続けに二本の矢が放たれた。
その後、長剣を鞘から抜き、壁際に敷かれた布団の膨らみに向かって思い切り突き立てた。
二度三度と突き立てているところに、手元のランタンに灯を点け、闖入者に投げつけた。
闖入者はそれを軽々と避ける。
ランタンは壁にぶつかって、割れて油が飛び散る。それに引火して部屋を明るく照らした。
「……イライザ……」
燃えあがる炎に照らされた闖入者を見て、ベアトリクスが呟く。
俺が寝ている筈の布団に長剣を突き立てていたのは、先ほどとは別人だった。ベアトリクスには、またベアトリクスが知るイライザに見えているのだろう。どこまでも下種な連中だ。
間合いを見て、闖入者は長剣を捨て弓を構えなおすが、ベアトリクスにとってこの距離は無いに等しかった。番えた矢が引かれる前に、ベアトリクスの大剣は深々と敵の胸に突き刺さっていた。
石造りの建物なので火災が広がる心配は殆ど無かったのだが、工作員の死体を包むカーテンに延焼してそれなりに激しく燃えて。ランタンの油以外にもこの工作員どもが何か身に帯びていたのだろうか、布団の中に入っていた工作員の死体も派手に燃えて、部屋の中は凄い状態になっていた。
騒動を聞きつけて警備の者たちが駆けつけ、ベアトリクスは砂を持ってくるように指示を出す。部屋の半分が砂まみれになる頃、火の手はようやく治まった。直参の騎士連中も駆けつけてきたが、全員ではなかった。何人かは敵工作員の手で殺害されていると報告が入る。ここで始末した二人にやられていたのか、それとも他にもまだいるのかは判らなかった。
どうしたものかと思案していると、
「ベアトリクス様! ご無事ですか!?」
女騎士が飛び込んできた。
ベアトリクスが憤怒の表情を浮かべる。
「待て!」
大剣を抜こうとするベアトリクスの手を押さえる。相手の女騎士に対しても反対の手でその場に留まるよう制止の合図を送った。
ベアトリクスを見れば、また敵がイライザに化けていると思っているのが直ぐ判った。
「本物かもしれないだろう?」
その女騎士が長髪だったことと、飛び込んできたときの表情が自然に見えたので、本物かもしれないと咄嗟に思って止めたのだ。
「ベアトリクス、本物のイライザについて教えてくれ」
ベアトリクスから、髪の長さや色、顔つきや骨格、瞳の色、黒子などの特徴を聞き出し、そのどれも当てはまることを告げた。
そして暫く本人同士しか判らないような会話を交わして、ようやくその相手が本物であるとベアトリクスは認め、喜びの涙を流したのだった。




