1st FLT「スクランブルは突然に」②
ー同時刻 日本海上 航空護衛艦CV-001“あかぎ”ー
《ピッピー!ピー!ピー!ピー!ピー!》
航空護衛艦“あかぎ”の艦橋内にある応急出動待機室に緊急発進を告げるサイレンが突然鳴り響いた。
一瞬の“静”。
ルーム内の状況表示灯は、コクピット内で待機する”コクピットスタンバイ”、エンジンを始動しカタパルト上で待機する”バトルステーション”を越えて緊急発進を示す赤い”ホットスクランブル”が点滅した。
まだ若い女性自衛官の待機室管理海曹が赤い緊急直通電話の受話器を下ろして
「応急出動待機員緊急発進下令!!」
言い終わる前に、瞬時に“動”へと変わる。
右上腕に応急出動待機のワッペンを付けた、二組のパイロットと航法戦術士、そして様々な色の作業服を着た列線員達は、ルームを飛び出して弾かれるように飛行甲板に走りだした。
《ヤバイヤバイヤバイ…ついに…来た!》
心拍数を上げながら一番前を駆ける…フライトスーツの左上腕に3等海尉の階級章を付けている男。
矢倉 涼
海上自衛隊艦上戦闘機部隊の一つ、第77航空隊のF/A-18FJ戦闘機パイロット。航空学生あがりの25歳、どこにでもいそうな身長175cm。任務中の呼名は額の切り傷から付けられたPOTTER。
彼にとって初めての“実”任務だ。
対領空侵犯措置に僚機として任務に従事できる資格である”僚機任務資格”を取得して初めての応急出動待機、そして始めての緊急発進。
応急出動待機室から機体まで全力疾走で約30秒。訓練では、30秒を切れるまで何度ダッシュさせられたか覚えていない。
何度も練習したはずなのに、腹部から下に装着された耐Gスーツが身体を締め付けて上手く走れないが、それでも全力で走る。
艦橋から突き出た、飛行甲板全体を見通せる飛行甲板管制所では、背中に“MINIBOSS” と書かれたジャケットを着た飛行甲板作業指揮官、通称”ミニボス”が甲板上の艦載機落艦防止用ネットの開放ボタンを押し、パイロットや列線員、武器員、カタパルト要員が詰める待機所に緊急発進が下令されたことを周知した。
飛行甲板で作業する隊員達は様々な色の作業服を着用している。ジャケットは全部で七色あり、”レインボー・ワードローブ”と呼ばれ、騒がしい空母甲板上で誰が何をしているのかの状況判断を容易にするため(作業員同士や航空機に搭乗しているパイロットにとっても、周りの作業員達が何をやっているのか視覚的にすぐ把握できるという利点がある)着用している。
《応急出動機用意。航空機が発艦する、関係員配置につけ。第1カタパルト、23号機 。第2カタパルト31号機 応急出動機、準備でき次第発進!》
スピーカーからはミニボスの声…発進する2機に対して、1機づつ3名の列線員と1名の武器員
が各々の担当部署に就き最終チェック、またパイロットの乗り込みの補助や、梯子の取り外しを実施する。飛行甲板要員もカタパルトの最終点検や安全確認を実施する。
涼は機体に着くと梯子を蹴ってコクピットに滑り込み、その手で身体を固定するショルダーハーネスの装着にかかる。
息つく暇なんて無い。緊急発進は1秒を争う時間との勝負だ。
彼の操縦するF/A-18FJは2人乗りの艦上戦闘機だ。その後席…戦術の補佐や各種レーダーと搭載兵器管理及び航法を担当する航法戦術士機長の”藤城祐” 2尉、涼の航空学生2期上の先輩でTACネームは”GRAS”である。
海上自衛隊のF/A-18FJは、任務の多様化への対応、搭乗員の作業負担分散のため、全機複座のF型が採用されており、搭乗するパイロット、WSOどちらか先任の者が機長となる。
緊張からガチガチに震える手でハーネスをつけ終えると、耐Gスーツに繋がる送気用のGホース、ニーパッド、インナーの上からヘルメットを被り、酸素マスクを装着する。素早く全ての準備を終え、補助の列線員に敬礼し後ろを向くと、藤城は先輩らしい余裕あるサムアップで準備完了を知らせた。
「緊急発進チェックリスト!」
涼が告げると、藤城は緊急発進用の通常より短く簡略化されたチェックリストを読み始める。チェックリストとは各種操作や機器の作動を確実安全に実施するための手順書である。 普通、戦闘機のチェックリストは一人で読み、項目に従って手順を進めるフルメモリー方式が通常であるが、海上自衛隊では複座の航空機は基本的に後席がチェックリストを読み、前席が実施するチャレンジ&リプライ方式をとっている。
「了解!ALERT5チェックリスト。地上電源装置スイッチ1、2、3、4…」
「ON」
「慣性航法装置」
「ON and CV」
「バッテリースイッチ」
「ON」
「補助動力装置」
「ON」
「衝突防止灯」
「ON」
「警報灯」
「Checked」
「右&左エンジン…」
「HOLDチェックリスト。」
グラスがチェックリストの項目を進める度に、復唱と共に自然とスイッチに手が伸びる。緊張しているとはいえ、教育航空隊の”実用機課程”で、初めてF/A-18FJを操縦して既に3年目。教空から徹底的に叩き込まれた手順の一つ一つが身体に染み付いていた。
エンジンスタート直前の項目で、チェックリストを止めると隣の第1カタパルト上で射出準備を進める編隊長機のコクピットに向かって、エンジンスタート準備良しのサムアップをする。
編隊長は、機長”植田 圭一”3佐、タックネーム”SURF”、防衛大学校出身の34歳で、フライトの時は常にクリアバイザーの下に黄レンズのスポーツグラスをかけている。その後席は、毒舌な関西人”白岡 泰”2尉、涼の航空学生3期上の先輩でタックネーム”YASU”のベテランコンビである。
『Deckcontrol,DRAGOON01 with2.SCRAMBLE .CAT1 Startup UP.
(飛行甲板管制、こちらドラグーン01編隊2機。緊急発進のフライトプランにチェックイン。第1カタパルトでエンジンスタートする。)』
『2 SCRAMBLE.CAT2 Start UP.
(2番機チェックイン。第2カタパルトでエンジンスタートする。)』
リーダーのサーフに続いてチェックインする。平然を装いつつも、涼の出すボイスには緊張の色が隠しきれていない。
『DRAGOON01,Deckcontrol.laud and clear.Start UP approved.set squark 2103.QNH2997.
(ドラグーン01、こちら甲板管制。無線感度は良好。エンジンスタートを許可する。識別符号を2103にセットし、高度計規制値を2997に補正せよ。)』
『DRAGOON01 Roger.squark2103,QNH2997.
(01了解。識別符号2103にセット、高度計2997に補正する。)』
『2 Roger.2103,2997.
(2番機了解。識別符号2103、高度計2997に補正。)』
デッキコントロールとの交信を終えると、機体の左斜め前に位置する茶ジャケットを着た列線員にエンジンスタートの手信号を送る。
「チェックリスト再開。」
「了解。コンテニューチェックリスト。右&左エンジン」
「右側、左側周囲障害物なし。
右クランク!右エンジン始動!」
発動機の”エンジンクランクスイッチ”を右に倒すと補助動力装置が作り出す圧縮空気が右エンジンに送り出され、F414-IHI-EPEターボファンエンジンが低い唸りと共に目覚め始めた。
「N2ローテーションインジケート、スロットルアイドル。3…4…5…着火18%…ユーハブモニター。NEXTレフト、レフトクランク!スタートナンバー1!」
着火と共に回転数を上げる右エンジン計器の監視を後席に任せ、左エンジンをスタートさせる。
キュィーーーーーン
左エンジンも徐々に回転を上げ始めた。その間にもエンジン計器と周囲の状況を確認しながら、故障発生時の対処に備える。
「両エンジン、始動時異常なし!クランクスイッチ、カットオフ!」
列線員にエンジンスタート異常なしのサムアップをする。チェックリストを進める。
「FCSリセットボタン」
「PUSH」
「外部補助電源」
「ディスコネクト」
「自己診断装置」
「ノーマル」
「TAKEOFFチェックリスト」
「完了」
「ALEART5チェックリスト イズ コンプリーテッド!」
「ラジャーコンプリート。キャノピー閉めます。」
「了解。」
風防を閉じると外の喧騒が少し静かになりエンジンの唸りと自分が吐き出す息の音が耳にこだまする。
赤ジャケットの武器員は両翼のAAM-5赤外線ミサイルの安全ピンを抜き、コクピットに向ける。同じくして、茶ジャケットの列線員が離陸重量と離陸最低出力、兵装の種類と数を記したホワイトボードを掲げてくる。
(実)AAM-5×2 (実)GUN 曳200 普300
T/O 15234LB LOW PWR 73%
(実)は”実弾”の意味である。つまり、いざとなれば対象機を”撃墜”させる能力を持っているということだ。
涼は確認すると、列線員にサムアップし、そのまま編隊長機に向かって離陸準備良しのサムアップをする。
『Deckcontrol,DRAGOON01.Ready at CAT1・2.
(飛行甲板管制、こちらドラグーン01。離陸準備完了)』
『DRAGOON01 Deckcontrol roger.Scramble order vector290 climb angel30 by buster contact OWLEYE CH AB.readback.
(こちら飛行甲板管制、了解。緊急発進命令。離陸後方位290、最大速度で高度3万ftまで上昇し、オウルアイ(早期警戒管制機)と周波数 アルファブラボーで交信せよ。復唱せよ。)』
『01,vector290 climb angel30 by buster contact OWLEYE AB.
(01、離陸後方位290、最大速度で高度3万ftまで上昇し、オウルアイと周波数アルファブラボーで交信する。)』
『DRAGOON01 readback is corect.F corpen 310.speed10kt.relativewind300at5.truewind 320at11.pitch2,roll3.QNH2997.CAT1and2cleared for LAUNCH TAKEOFF.
(ドラグーン01、復唱はその通り。艦の進路は方位310度。速力10kt。相対風方位300度から5ノット。真方位風方位320度から11ノット、艦の縦揺れ2度。横揺れ3度。QNHは2997。第1及び第2カタパルトから射出離陸を許可する。)』
『DRAGOON01,F corpen300.QNH2997.CAT1 cleared forLAUNCH TAKEOFF.
(ドラグーン01、艦の進路方位300度。QNH2997。第1カタパルトより射出離陸する。)』
『2,CAT2 cleared for LAUNCH TAKEOFF.
(2番機、第2カタパルトより射出離陸する。)』
『コクピット、グランド。ケーブル取り外します。お気をつけて!』
『了解ディスコネクト。いってきます。』
ブツッという音と共に緑ジャケットを着た海曹の安全管理員によって、列線員との交信を行うインターコムの有線が外される。
警報盤の「IN COM」のライトが消え、列線員は外した有線をコクピットに見せる。
了解のハンドシグナルを送り、黄色ジャケットの発艦装置士官にサムアップする。
シューターは了解のサインの後、JBDアップ完了と周囲の安全を指差しで確認し、バイザーダウンのサインを送ってくる。
「ディフレクターアップ。オン バイザー」
「了解」
ヘルメットのサンバイザーは射出直前まで列線員とのアイコンタクトの為上げておかなければならないので、ここで初めてバイザーを下げる。
「コントロール、リチェック…クリアー」
操縦桿とラダーペダルを踏み、操縦系統に引っかかり等の異常が無いかを再確認する。
続いてシューターは左腕を上げ、手首を振る。出力を上げろのサインだ。
右手でキャノピーの取っ手を掴み、左手でスロットルを最低出力の73%に進める。エンジンの回転がコクピットにも伝わり、機体が前進しようと前屈みになる。
「ローテーション、スタビライズ チェックグリーン、ホールド73%」
エンジンの回転に異常がないことを確認しその73%で保持してシューターにサムアップ。
シューターも了解すると、もう一度周囲の安全を指差しで確認し、前方注視のサインと共にその場に屈む。
『CAT2エジェクション、レディ…』
シューターの射出用意のボイスに従い前方を注視する。鼻筋に汗が流れる。スロットルを握る手に力が篭る…
『CAT1ローンチシークエンスコンプリート。CAT1クリア、エジェクション!!』
シューターの声が隣の第1カタパルトの編隊長機の射出を下令し、間髪を入れず編隊長機が大海原へ放たれた。
射出の振動が隣のCAT2にも伝わってきた。
編隊長機が飛行甲板を離れると同時に、CAT2の射出信号灯が”緑”に変わる。地上側の射出準備完了の合図である。
『CAT2発艦シークエンス完了。CAT2クリア、エジェクション!』
シューターが片足を伸ばしてかがみ、その指を甲板につける。射出のサインである。シューターとその他列線員に敬意を込めて右手で敬礼とサムアップ。
もう一度キャノピーフレームを掴み、身体とヘルメットをシートに密着させると同時、ドンっという衝撃と共に凄まじい加速重力が体に伝わり、体がシートに吸い付けられる。
周りの景色が一瞬にして過ぎていく。
次の瞬間、発艦に必要な150ktが与えられ、空に放たれた。
右手を操縦桿に持ち替え、左手で脚を上げゆっくりと右緩旋回に入れる。
『ポッター!グッドショット!HAVE A NICE FLIGHT!』
シューターの褒め言葉がGに耐える涼の耳に心地よく響く。
激しいGから解放されると、そこには限りない大空が広がっていた。
AFTER TAKEOFFチェックリストを実施しつつ上昇を続け、編隊長機に合流すべくその後を追う。
応急出動が下令されてからここまでたった5分のことである。