第6話:求めなかったけど望んではいた
一ヶ月が経った。
とりあえず入院はしなくて済んだけど、学校は休学。
自宅療養ってことになるのかな。
しかし次に発作が起きたら入院だそうだ。
それはつまり終身刑ってことだ。
「日茉莉ちゃん、ようやく学校に来たんだよ」
「月曜に聞いた」
週も半ば、季節はもう冬になったと言ってもいい寒さで。
外に出れば息も白いのに、厚手のTシャツにハーフパンツの俺と、制服姿の雄大。
エアコンもウンウン唸っている。
雄大は今日も俺の部屋に来て、毎度ご丁寧に学校の報告をしてくれる。
あれから不登校を決めていた日茉莉だったが、今週の頭からようやく顔を出し始めたらしい。
「日茉莉ちゃん、髪切っちゃったんだよ」
「それも、月曜に聞いた」
学校の方は新しいネタがないのか、同じ話ばかりだ。
主に日茉莉の話題。
それにしても日茉莉は髪を切ったのか。
ドラマみたいな事しちゃって。
もったいない。
でもまあ、長い髪よりもある程度短い方が艶を保ちやすいだろ。
長いのも捨てがたいが、手触りがいいのなら短いのも悪くない。
むしろ手触りさえよければなんでも良い。
「あれから日茉莉ちゃんとは会ってないんだよね」
「会ってない。日茉莉のおばさんは家に乗り込んできたけど」
発作を起こした次の日。
すごい剣幕で、日茉莉のおばさんが乗り込んできた。
日茉莉から情報が行ったらしい。そりゃ当然か。
実際は発作を起こした日にも来たそうなんだが、俺は検査入院で不在だったから会っていない。
一ヶ月も経って平常に戻ると、あの発作の恐怖とかはあっさりなくなってしまった。
今ではたまに思い出して不安になる程度で、それ以外は自堕落に生活している。
こうして雄大と遊んだり、母の買い物に付き合ったり。
こっそり一人で抜け出して、買い物に行ったり。
「日茉莉ちゃん、どうするの?」
「どうするって……」
つーかこいつ、日茉莉のことばっかりだな。
まあ、今一番ホットな話題だからしょうがないんだけど。
「どうしようかねえ」
「どうしようって……。ちゃんとしてよ」
「わかってるよ。とりあえず様子見だな」
「そんな無責任な」
俺が立ち直るのに2ヶ月掛かったんだから、日茉莉は4ヶ月位は掛かってくれないと。
とか、思うのは俺の安いプライドだな。
雄大は学校でも会うから気になるんだろう。
前は内気だった日茉莉だけど、中学あたりからはずっと明るかったし。
髪も切って、俯いた日茉莉を見るのは辛いのかもしれない。
「とりあえず俺の方から会うつもりはないぞ」
「日茉莉ちゃんは陽太のこと好きなんだよ?」
……それをお前が言っちゃダメだろ。
何を切羽詰っているのか知らないが、人の気持ちを勝手に代弁すんなよ。
「知ってるよ。ってか告白されたし。フったし」
「ええっ!? い、いつ?」
「去年」
俺が言ってなかったから当然かもしれないが、雄大は知らなかったようだ。
日茉莉も、多分言わないだろうなとは思ってたけど。
「知らなかった……」
「当たり前だボケ。一から十まで全部報告するか、気持ち悪い」
「……言葉がキツい」
雄大がキョロキョロと視線を彷徨わせた。
露骨に動揺しているのがわかる。
「そんなことよりアイス食いたい。奢ってやるから買いに行くか」
部屋に居てもやることない。って訳でもないけど、ゲームって気分でもないし。
とにかく外出したい。
幸い金を使う機会がめっきり減ったから、懐に余裕はあるんだ。
◇
「バナナ味がなかった」
バナナ。
なんで無いんだよバナナ。
バナナ美味いのに、中々売ってないのがむかつく。
「それでチョコ味?」
「まあな」
バナナがなかったら当然チョコだろ。
スイカバーも捨てがたいけど。
「陽太って結構子供舌だよね」
「アイスに子供も大人もないだろ」
「あずきバーとか大人の味だと思うけど」
「それは確かに」
コンビニの帰り、雄大と駄弁りながら散歩がてら歩くこういう時間は貴重だ。
発作が起きてから、外に出る機会がめっきり減ったから。
そりゃ、高校生にもなって親の買い物に付き合っちゃう程度には貴重だ。
ゲームや漫画で暇を潰すのにも限度がある。
「僕、バニラ好きでよかった」
「バニラって、子供の頃は牛乳味かと思ってたわ」
「僕も」
どのメーカーもバニラ味はあるのに、バナナ味は中々ない。
商売だから仕方ないのかもしれないけど、なんでこぞって同じものを作るんだろう。
需要ってやつか?
なんでもいいから、俺の需要も満たせよ。
「日茉莉はミント味が好きだよな」
「女の子ってミント好きなイメージあるよね」
「それ、日茉莉のせいだろ」
一番身近な女だし。
そいつが好きなものが刷り込まれてるだけだろ。
「…………」
急に雄大が無口になった。
冬の冷たい空気が急に気になりだす。
秋は空気が澄んでるって言うけど、冬も同じようなものだと思う。
雄大は覇気がないし、俺はやることがないし、日茉莉はいない。
寂しい季節になったもんだ。
「……また3人で遊びたいな」
「……そうだな」
俺の言う通りだっただろ?
日茉莉は弱いんだ。
お前とは違って俯いてばかりなんだろ?
学校でも酷い状態なんだろ?
ただ、それでも俺は日茉莉を突き放すつもりだ。
ここで俺が日茉莉に手を差し伸べたら、日茉莉はもっと未練が出来ると思う。
そんな日茉莉は、立ち直るのにどれだけの時間が必要になるのか。
高校や大学で立ち直れればいいけど、大人になってからじゃ遅い。
ような気がする。
そして、そうなった時に俺は居ない。何も出来ない。
「困ったなあ」
先の事がわかるのに、問題はわかっているのに、何も出来ない。
閑静な住宅街のど真ん中で、二人して立ち尽くしていた。
……いっそ嫌われてしまえば楽なのに。
◇
結構な時間をそうしていたらしい。
冬なのにアイスが溶けた。
甘い汁が滴って、手を汚す。
「困ったなあ」
もう一度、同じ言葉を口にしてみる。
雄大も困った顔をしていた。少し猫背になっている。
残りのアイスを急いで食べると頭が痛くなった。
雄大の方はいつの間にか食べ終わっていたようだ。小生意気にも。
「暗くなるのも早くなったな」
雄大と合流してからまだ時間も立っていないのに、もう西の空が朱に近づく。
授業の終わりが3時半だからしょうがないか。冬だし。
「学校に居る時間って実は長いよね」
「8時半から3時半までだからな。お勤めご苦労さまです」
「また他人事みたいに」
「俺にはもう他人事だし」
だからこうやって暇してるんじゃないか。
「もしドナーが見つかったら、また学校来るんでしょ?」
どうだろ。
たとえ今ドナーが見つかっても、リハビリとかありそうだし留年は免れないと思う。
まだ一ヶ月程度の不登校。
それから入院して手術して傷が塞がるの待って、それからリハビリ?
そうなった場合、何月からの復帰になるんだろう。
去年の夏休みの補習の時も大変だった。
二ヶ月もプラプラしてた俺が悪いんだけど。
「学校か……嫌だな」
「えっ? 嫌なの?」
「留年はほぼ確定だし。……それにクラスメイトの好奇の視線もあるし」
「ああ、うん、そっか。そういうのもあるんだ」
この間の発作の時はかなりキツかった。
視線にさらされながら日茉莉を連れ出すのも、学校辞めるって前提がなかったら多分できなかったと思う。
「クラスの連中に、見舞いとか来ないように言ってるの雄大なんだろ?」
今のところ誰もそういうのが来てないのは雄大のおかげのはず。
もし単純に俺に友達がいなかったから、とかだったら泣ける。
「陽太はこういうの嫌がるかと思ったから」
やっぱりそうか。よくわかってんじゃん。
親しい人間以外の見舞いってかなり嫌だよな。
好奇心って感じで。
俺はやはりひねくれものなんだろう。
◇
「あ、日茉莉だ」
遠回りをしていたら、公園で日茉莉を見つけた。
漕いでもいないのにブランコに乗っている。
「もしかしてお前、日茉莉がここにいるの知ってた?」
適当に散歩しているつもりだったけど、もしかして誘導されたのか。
「…………」
返事がない所を見ると図星のようだ。
俺は雄大らしからぬ、この行動にけっこう動揺しているよ。
いつからこんな行動力のある奴になったんだ。
発作を見て意識が変わったか?
まあいい。
それよりも日茉莉だ。
今日が木曜日だから月曜日からずっとこんなだったのだろうか。
この公園は日茉莉の家から近いし、学校帰りにそのまま寄っている感じか。
「それにしても日茉莉のやつ、リストラされたサラリーマンかよ」
日茉莉は本当に髪を切っていた。
腰まであった長い髪が、今や肩のあたりにまで短くなった日茉莉を見ると、胸が締め付けられる。
ような気がする。罪悪感のようなものはある。
間違いなく俺の所為だろう。
髪を伸ばしたのも俺の為なら、髪を切ったのも俺の所為。
こういう所で好意よりも重い依存を感じる。
「陽太」
「わかってるよ。声かけろってんだろ」
ここで会ったら余計に悪化しそうな気もするんだけど、しょうがない。
こんだけお膳立てされたらな。
俺も話くらいはしたいと思ってたし。
それに、こんな日茉莉を直接見てしまった以上、そのままに置いておくのはちょっと難しい。
いじめから見捨て続けた小4の頃とは違って今はもう、友達だ。
……友達か?
以上とか未満とか考えると面倒だから友達ってことでいいか。
「よう」
近づいてから声を掛ける。
雄大は二人で会って欲しいとか言って、小走りにどっか行ってしまった。
「……陽太くん」
明らかにテンションの低い日茉莉。
なんか哀愁漂わせてるし。
「久しぶり」
「……うん」
一ヶ月程度なのに、すごく久しぶりなようにも錯覚する。
友達になってからは3日と空けずに会っていたからかな。
隣のブランコに座るとキィ、と音がした。
古いブランコだからか、鎖がなんか鉄臭かった。
「ダメそうか?」
「……わかんない」
そうか、わからないか。
うん、俺もわからん。
なんか思っていたより全然話ができない。
気まずい空気に視線を公園に移す。
おもちゃも転がっていない砂場、変哲のない滑り台、渇いた水飲み場。
それから俺と日茉莉だけのブランコ。
「ガキの頃は砂場にいつもおもちゃが落ちていたよな」
赤と白のおもちゃのスコップとか、ブルドーザーのおもちゃとか。
誰が持ってきたものなのかは知らないけど、半ば共有財産になっていた。
砂場が荒れてない日なんかなくて。
水飲み場はいつも水浸しで、人が居たら近づくだけ濡れそうな感じがしていた。
「わたし、子供の頃に陽太くんと公園で遊んだことないよ」
「そういやそうだ」
日茉莉と遊ぶようになったのは小学校の高学年だから、もう公園で遊ぶ歳でもなかったか。
そういや公園で遊んだ記憶は雄大とかその辺のガキ共で、日茉莉は居なかったな。
「みんな無くなっちゃうのかな」
呟いた日茉莉。
俺が子供の頃は、この位の時間ならまだ平気で子供が遊んでいたのに。
今は二人きりだった。
ここじゃないもっと大きな公園は、遊具も一新されプラのようなポリのような遊具になった。
ここもいつかそうなるんだろう。
そうしたらまた遊ぶ人が増えるのかもしれない。
増えないかもしれない。
日茉莉はそういう事を、多分俺のことも含めて言っているんだろう。
「さあ、どうだろうな」
無くなるといえば、俺のことはそうだろう。
他は、どうかわからん。
俺も流されるような感傷にやられて少しだけブランコを漕いだ。
キコキコと小さく揺れる。
◇
結局、たいしたことは何も言えずに公園を後にする。
日茉莉の求めているものはおおよそわかる。
自分が意固地になっているのもわかる。
「陽太」
「……驚かすなよ、帰ったんじゃなかったのか」
公園を出た陰の所に雄大が居た。
待ち伏せていたようだ。
少し驚いたが、俺もテンションが低かったせいか動揺はしなかった。
「ごめん、聞いちゃった」
「は? 何を?」
「日茉莉ちゃんとの会話」
ああ。
「垣根のとこか」
ブランコの裏の垣根の所。
気づかれずに会話を聞くならそこしかない。
「雄大」
「……ごめん」
何も言っていないのに謝られた。
悪いことをしている意識があるんだろう。
雄大が企んでるのはさっきのことでわかっていたけど、盗み聞きなんてするとは思わなかった。
「お前と、俺の温度差がすごい」
「ええっ!?」
雄大の盛り上がりについていけない。
と、いうかなんだって今日に限ってこんなに盛り上がってるんだこいつ。
「それは……だって、陽太が……どこか、諦めたような態度を取るから……」
ふーっとため息を吐く。
雄大には悪いが、正直こいつ酔ってるな。この状況に。
日茉莉もだけど。
内容が内容だし、しょうがないといえばしょうがないのだが、面倒くさい。
俺としては波風立てず、平常運転してもらえるとありがたいんだが。
「ちょい、話でもするか。ジュース飲むか?」
「さっきアイス食べたから平気」
「それもそうか」
公園にはまだ日茉莉がいるはずなので少し距離を取る。
雄大は後ろめたいのか背筋の曲がったままだ。
「現実的なこれからの話をしようか」
ある程度歩いてから話を切り出す。
いや、切り出すというのは少しおかしいか。
別に大層な話でも、何かを打ち明けるわけでもない。
現状確認のような話だ。
「お前はさ、諦めて欲しくないって言うが、仮に俺が諦めずに足掻くとするだろ? 内心はどうあれ」
相づちを入れようとした雄大を止め、話を続ける。
只でさえ温度差が気になるのに、いちいち相づちを入れられるとうっとおしい。
「でも、結局は何も起こらず、何も出来ずに死ぬんだよ」
何かできたとして、じゃあ順番待ちしている先の患者を殺すか、とか。
おれに合う心臓を持っている誰かを殺してドナーを量産する、とか。
そういう非現実的な手段ばっかりだ。
医者にすらできることがほとんどないのだから、俺らにできるのは基本的に待つことだけだ。
それでも抗うなら。ある日ポックリと発作で死ぬか、それか心臓が弱っていって、衰弱して、それでも何も出来ずに死ぬか。
そうしたら何も出来なかったって気持ちばかりが残る。
「普通に考えたらそうなる」
「そう……かも、しれないけど。でも、だって……」
なにも出来ずに岡部陽太は死んだ。
でも、諦めていたから、最後までそれなりに明るかった。
だから、周りの人もそれなりに。それなりに、気落ちせずに見送れた。
いま、俺がしようとしてるのは結局そういう次善策だ。
「お前らからしてみれば、生きてる間の俺を見るのはもどかしいだろうけどな」
何もできないからって何もしないんだ。
生に執着していないように見えるのはもどかしいだろう。
していないわけじゃ、ないんだけどな。
「陽太の言いたいことはわかったけど。でも、だったら日茉莉ちゃんに優しくしてあげても」
「だって、なあ。ただでさえ俺に依存してるんだぞ、あいつ」
さっきだってそうだった。
どこかすがるような目をしてた。
死ぬってわかっていて、それでも優しくして、俺が死んだ時あいつはどうする。
「僕が、」
背筋の伸びた雄大の上から見下ろす目をみた。
相変わらず覇気はない。
けど、静かに熱を感じる。
「――――から」
最後まで聞かなかったけど、気づいてしまった。
雄大の言葉の意味に。
自分の失敗に。
「……雄大」
「うん」
「任せた」
「うん」
「任せろ」
「……うん」
雄大が強くうなずいた。
◇
雄大への別れの挨拶もおざなりに、俺は公園に戻ったが、日茉莉はもう公園にはいなかった。
電話をかける。
『……もしもし』
「日茉莉、もう家か?」
ここと日茉莉の家の距離なら、雄大と話してる間に着いていてもおかしくない。
相変わらず暗い声だが、それはもういい。
『いま家に着いたところ』
「なら家の前で待っててくれ。いまから行く」
『えっ、あの――』
電話を切り、はやる気持ちを抑えつつ日茉莉の家へと向かう。
もどかしい。
こんな時なのに、走ることすら出来なくなってしまった自分の身体がもどかしい。
雄大に言われてはっとした。
俺に出来ないなら誰かに任せてしまえばいいんだ。
死んだあとの事は残された人に任せればいい。
こんな簡単なことに気づかないなんて。
ちょっと考えればわかることだった。
なのにわかってなかった。
こんなに考える時間があったのに。
直接会って伝えたいことがあった。
日茉莉に伝えたいことがあった。
雄大の方はもう大丈夫。
高ぶった気持ちで曲がり角を曲がると、日茉莉は家の前にいた。
どこか心細そうにひとりでポツンと。
その姿を見ると、発作が起きてしまいそうなほどに胸が締め付けられる。
さきほどの比ではないくらいに。
俺は馬鹿だ。
いつも考えが少し足りないんだ。
余計なことをしてばかりだ。口だって悪い。傷つけてばかりだ。
ついこの間実感したばかりなのに、もう忘れてる。
いつ終わってもおかしくないのに。
いつの間にか明日を信じてた。
たとえ明日死んでも、伝えておかなきゃいけない事があったんだ。
「日茉莉――」
恋とか愛とか、そういうのは置いといて。
やっぱり俺は、ずっと前からこいつの事が好きだった。






