第3話:善意に含まれた孤独
善意っていうのは、毒素を含んでいる。
病気になってからは、つくづくそう思う。
週末に迫った文化祭。今週は頭からその準備に追われていた。
うちの学校は少し特殊で、秋のど真ん中におこなわれる。
近所の学校のように夏休み明けを利用しない。
なので、準備をする為に一週間ほど授業が休みになるのだ。
もちろん出欠は取る。しかも朝夕の二回。脱走は不可。
それで、今週はその準備期間。学生は皆、準備に追われている。
廊下も、階段も、あちこちで文化祭の準備に追われた生徒たちの喧騒が聞こえる。
ちょっと違うか。
追われているのは俺以外の奴らで、俺はほとんど何もしていない。
手伝おうとすると断られるんだ。
大丈夫だからって。
それが善意なのはもちろんわかってる。
本当は心臓だけど、膝を心配してのことだっていうのはこっちだってわかってる。
たださ、な? もうちょっと位俺にもなんかさせろよ。
俺が手伝ったのなんて看板の色塗りくらいだぞ。
そんだけ? そんだけ。
しかも、こういう時って何故か男が力仕事で、女が他の仕事みたいな感じで割り振られることが多い。
ようするに力仕事の出来ない男に用ないのよ、と。
いや、流石にそこまでじゃないけど。
そこで俺が出来そうな仕事を探すと、どっかのグループに割り込む形になるのだ。
女子達のやっている看板塗りとか、買い出しの計画とか。
気まずいったらありゃしない。
「暇なんだけど」
そういう訳で俺は暇だった。
「だからって僕に愚痴らないでよ」
やることのない俺は雄大の後を付いて歩いていた。
物置から外へ向かう途中の廊下。
雄大はなんかベニヤの板を運んでいる。重そうだ。
当然のように、俺に手伝わせてはくれない。
こんなことなら、クラスにも友達を作っておけばよかったと思わなくもない。
が、それはそれで負けた気がする。
去年は雄大や日茉莉が居なかったから、逆にもうちょっとクラスのやつとも距離が近かった。
友達と言うほどではないが、準備に参加させろ程度のことは臆面もなく言えた。
「日茉莉は友達増えたよな」
中心という訳ではないが、女子達に混じってなにかをする日茉莉を見ると、強くそう思う。
小学4年の頃は――知り合った頃は日茉莉に友達はいなかった。
いじめられていた時だ。
それから例の事件があって、いじめはなくなって。
俺の後をついてくるようになり一人、雄大を入れて二人。
学年が上がるまでは日茉莉の友達というのはそれだけだった。
中学にもなれば、俺や雄大の友達とも何人かは友達になって。
高校に上がってからは、日茉莉の方が友達と呼べる人間が多くなった。
俺がこんなんになって友達を作らなくなったから、ってのもある。
雄大は元々友達作るの下手だし、あまり多くの人と付き合うタイプじゃないからノーカン。
「じゃあ……」
「だからと言って、日茉莉の所に混ぜてもらうのはプライドが許さん」
「陽太って変なプライドがあるよね」
だって日茉莉だぞ?
ビービー泣きながら、俺の後ろをついてくるひよこだぞ?
あの友達の居なかった日茉莉に、頭下げて混ぜてもらうとか無理だろ。
無理無理。
なんか日茉莉は保護の対象って感覚あるし、みっともない所は見られたくない。
見栄なのはわかってるけど。
「じゃあどうするの?」
「お前が手伝わせてくれれば一発だろ」
「これ重いよ? こんなの持ったら心臓爆発しちゃうよ」
しねーよ。
どんだけビビってんだよ。
雄大のやつ、内気っていうより小心すぎだろ。
ベニヤ板持つくらいで心臓おかしくなるなら、日常生活に支障をきたすわそんなん。
「まあいいや。俺、教室に戻って、なんか仕事探してくる」
暇だし。よくわからんプライドがあるし。
なんでもいいから仕事を探そう。日茉莉の目を盗んで。
◇
ほい、残念。
結局、文化祭当日になった今日まで本当になんもなかった。
別に真面目をきどる訳じゃないけど、やらないのとやれないのは全然違うみたいだ。
精神的にしんどい。
まだ白くはならないため息を吐きつつ、ぶらぶらと校内を練り歩く。
自由行動になった瞬間、隙を見て逃げ出した俺は一人だった。
最初から――今日だけじゃなくて準備の時からこうすればよかったのか。
そうすれば雄大も、もっとクラスの連中と仲良くなるチャンスだったろうに。
ただ、一人になるなって親に言われてるんです。
倒れた時に困るからって。
心配の言葉。でも、自由を奪う言葉。世知辛い。
石でも転がっていたら蹴りたい気分だったけど、廊下に転がっているはずもなかった。
一般客の入場はまだだけど、お祭りはもう始まっていた。
俺のクラスも、今頃はとうもろこしを焼いているはずだ。
看板を塗る作業とかしなかったら、俺のクラスが何をするのかも知らなかったかもしれない。
なんてのは流石に言いすぎか。
とりあえず目についた教室に入る。
出し物をしてるとは思えないほど広い。人も居ない。
この町で採れたという化石が飾ってあった。
教室を出る。嫌な気持ちになった。
なに、この……なに?
なんでこんな展示物にしたんだろう、このクラス。
飲食とか、お化け屋敷とか、人気の出し物が取れなかったからって、これはあんまりじゃないだろうか。
誰が見に来るんだろうか。
ここにクラスの関係者が来たとき、どんな気持ちになるんだろうか。
謎の同情をしつつ、嫌な気持ちのまま廊下を歩いた。
化石展示の静けさと、廊下の賑やかさのギャップがすごい。
普段、こんなに人がいたのかと思うくらい廊下に密度がある。
こんなに混雑しているのは避難訓練の時くらいだ。
普段なら、下級生は上級生の居る階を敬遠するのだが、今日に限ってはお構いなしといった感じに人々が行き交う。
上履きの色で学年がわかる。
色とりどりの足が、異なった速度で足踏みをしていた。
中にはスニーカーの人までいた。
……ん? スニーカー?
「岡部か」
「どうも」
先生だった。しかも生徒指導の。
よく考えたらそうか。
一般開放してなくても上履き以外の人って居るよな、そりゃ。
「どうだ?」
「ぼちぼちですね」
まるで親戚のおじさんみたいな聞き方。
それに習って俺もよくわからない返しをする。
上から俺を見下ろす生徒指導の先生はでかくて威圧感がある。
太っているわけではない。
背も雄大よりは小さいが、体格が良いというかなんというか。
服も、スーツなんかよりも道着の方が似合いそうだ。
生徒指導の先生というのは、そういう見た目とかで選ばれているんだろうか。
「そうか」
それにしてもこの先生、言葉が短い。
言葉足らずな感じ。
それが余計に威圧感を出している。
こんなんでよく先生ができるな、とか余計な心配をしてしまう。
「あれー? 先生どうしたのー?」
そこに女子生徒が声を掛けてきた。知らない人。お目当ては俺じゃないようだ。
上履きを見ると3年生だった。
ちょっと活発そうな感じの人だ。髪は長くないが、束ねてポニーテールとかいうのにしている。
やっぱり動きやすいんだろうか。
日茉莉のポニテもたまに見るけど、髪が短いと印象が全然違うんだな。
「不良少年に指導だ」
「ふーん。そうなんだー」
にしても馴れ馴れしい人だ。
たまに居る、教師とも仲いいですよーって感じの生徒。
媚を売っているみたいで、俺はあまり好きじゃないタイプ。
ジロジロとこちらを見る。
何故か笑顔で。
「がんばってね」
その3年生は、明らかに先生ではなく俺に向かって言った。
そして、そのままパタパタと駆けていく。
忙しない。
それに馴れ馴れしい。
なるほど、嫌いじゃないタイプだ。
「ここじゃあアレだな、移動するか」
「ですね」
どうせ病気の話になるし、ここは人が多いから。
◇
コポコポと先生がお茶を淹れる。
部屋に備え付けの電気ポットと急須に、普通の緑茶。
高いとか安いとかはわからない。
「生徒指導室じゃないんですね」
連れ込まれたのは何故か生徒指導室ではなく、一階のカウンセリングルームだった。
別に初めて入った訳じゃないけど、普段使わない部屋なので物珍しく感じる。
「あそこはお茶がないからな」
「なるほど」
体格に似合わず、普通な理由だった。
いや、体格は関係ないんだけどさ。
お茶を差し出され「どうも」と礼を言うと、先生が向かいに座る。
茶請けはないの?
……そう。
「で、どうだ?」
それにしてもこの先生、やっぱり言葉足らずだ。
しかも、さっきも聞いたのにまた同じ事を聞いてる。
「特に進展はないです」
この間の病院で診断された結果を言った。
進展がない、ってことは緩やかにだが悪化しているということ。
良くはならないのだから悪化するしかないのだ。
「そうか」
ほとんどの先生は俺の病状を知っている為、よく気にかけてくれる。
それが申し訳ないと思う。
人は支えあって生きている――とか言うがアレは嘘だ。
支えられる側の人間が、支える側に回ることはまず無い。
俺も支えられる側の人間に落ちてしまった。
善意を踏みにじって生きている。
例え感謝をしていても、返せるものが何もなければ踏みにじってるのと同じだ。
俺はそう思う。
出されたお茶に口をつける。
まっず。
「お茶、まずいですね」
率直な感想を言う。
だってまずいし。
「大人になれば、これが美味いんだ」
そう言って先生がお茶を飲んだ。
よく聞くオトナの常套句。
その主張によれば、大人になると野菜が美味くなって、ビールが美味くなって、お茶が美味くなる。
……らしい。
でも、先生。
先生は気付かなかったみたいですけど、俺にそれが分かる日は来ないんですよ。
もう一度、お茶を飲む。
やっぱりまずかった。
「どうだ、文化祭は」
どうだ、って聞かれても。
まだ始まったばかりだし、化石しか見てないし、すぐ捕まってしまったし。
それに準備だって参加してない。
「よくわからないです」
だからそう答えた。
そもそも文化祭というのがわからない。
「縁日の真似事をするのが文化ってのがよくわからないです」
これは準備の時から思っていた。
下手な屋台を作って、暗いだけのお化け屋敷を作って、喫茶店の真似事をして。
それの何が文化なのか、全然わからない。
その辺のバイトの方が、マシな事をしているだろ。とか思ってしまう。
そんなことを考えるのは多分、俺が乗れてないからだ。
楽しめてない。
「そうか」
答えは返ってこなかった。
先生がまた、お茶を飲んだ。
ふー、とかため息をついている。
……いや、なんか言ってよ。
◇
迂闊だった。
喋らない先生だと思っていたら、どこでスイッチが入ったのかペラペラと解説が始まってしまった。
文化祭の歴史は60年前に始まったとか、学生運動がとか。
それはもうペラペラと。
教師に余計なこと聞くもんじゃないわ。と改めて実感した。
うんざりと開放された頃には、学校の方も一般開放されていた。
つまりそれだけの時間拘束されていたのだ。
そんなわけで、腹がすいた。
お茶を飲んだからだろうか。朝飯が足りなかったんだろうか。
パンフも持っていなかったので、どこに何があるかわからない俺は外に出た。
外ならなんか食べ物の屋台があるはずだから。
焼きとうもろこしは要らないけど。
廊下も人が多かったけど、外はもっと人が多かった。
広いし、一般開放されているのもある。
外は暖かいのか、熱気の所為なのか、ワイシャツを脱いでいる生徒が多い。
下は制服で、上は謎のTシャツ。
この謎のTシャツもよくわからない。
なんかわざわざ業者に頼んで作ってもらうらしい。
表には本当によくわからない絵が書いてあって、裏には多分クラス全員分の名前が書いてある。
きっとみんなでする事に意義があるんだろう。
俺も、中学の頃ならきっとわかっていた。
今はもうわからない。
つい人に向いていた視線を戻すと、すぐに見つけた。
食べ物の屋台の看板。
でっかく『焼きそば』って書いてあった。
◇
「ありあしたーっ!」
雑に切ったキャベツと、少しの豚肉。大盛りの麺に紅しょうが。
とてもシンプルで安上がりそうな焼きそば。
紙皿ではなく、透明なプラの容器に入っていて、これはありがたい。
これなら持ち運びしやすい。
それに文化祭で売ってる物の中じゃ、それなりに腹も膨れる。
そのままの足で屋上を目指した。
4階と屋上の間のバリケードを乗り越え、階段を登る。
楽しめていない俺には、周りの声が煩わしくて、とにかく一人になりたかった。
屋上の扉は前に誰かが鍵を壊したらしく、誰でも簡単に出れるようになっている。
一応、机を並べたバリケードがあるけど、こんなの有って無いようなもんだ。
金属で出来た重たい扉を開く。
その金属は、ギィーーと鈍く錆びたような音を鳴らした。
「ふう」
屋上に出ると、空が近い気がした。
コンクリートの床。背よりも高いフェンス。
椅子も、花壇も、何も無い。
たった4階分、地上を離れた。天国に近づいた。なんつって。
「あ」
俺ではない誰かの声がした。
誰も居ないと思っていた屋上には、先客が居た。
開いた扉の陰の、気づきにくい微妙な死角。上履きの色は赤。
「一年か」
「どもっす」
一人になれると思ったがダメだったか。
まあ、しょうがないよな。こんな日だし。
先客が一人だけだった事を喜ぼう。
そう思って、空いてる場所へ向かう。
「先輩もサボりっすか?」
そう思ったのに声を掛けられた。
正直、無視しようかと思ったが、先客の持つどこか暗い雰囲気に何かが惹かれた。
明るいものにではなく、暗いものに惹かれたのがちょっと笑えた。
俺は虫よりも上等なのだろうか。下等なのだろうか。
「どっこいしょ」
後輩の横に座る。
流石に真横は嫌だったので、ちょっと距離は開けて。
「先輩はどうしてこんな所に?」
それはお前がさっき聞いただろう。
「サボりだよ」
一人になりたかったんだ。
先客が居て叶わなかったけど。
そういや先生といい、今日はなんかよくわからん対談が多いな。
暇つぶしにはなりそうだが。
とりあえず焼きそばをすする。
まだ時間も経っていないはずなのに、既に少し冷め始めていた。
「ダルいっすよね文化祭」
「そうか?」
「だからサボってるんじゃないんすか?」
まあ、そうだな。
ただ、サボるだけなら別にその辺うろついてるだけでいいんだけど。
「一人になりたかったんだ」
「あ、わかります」
それはそうだろう。
同じような考えじゃなきゃ、こんな所には来ないはずだ。
「一人の所をクラスの人に見られたくなかったんすよ」
さっきからこの少年、す、すって面白いな。
割とよくある謎の敬語なんだけど。
俺も、先輩とかと交流があったら、こんな喋りをするのだろうか。
「仲間外れにされてんのか?」
後輩に釣られて、俺もなんか饒舌になる。
遠慮のない言葉が抵抗もなく出る。
「いえ、単純に友達いないんす」
「そか」
普通で切実な内容だ。
まあ、俺と同じような理由を持っていたらそれはそれで驚くが。
「高校デビューに失敗しちゃって」
「よくある話だな」
「ですよね」
本当によくある話だ。
「俺、これでも中学ん時は結構、友達居たんすよ」
「俺もだ」
高校に入ってから増えた友達は一人も居ないが。
それに、連絡を取らなくなった中学の時の友達も多い。
「でも、高校に入ってからなんかクラスの人とかに声掛けられなくて」
「あるよな、そういうの」
俺も健康診断を受けるまでは同じだったから、その気持ちはわかる。
なんか声を掛けづらいんだ。中学の時は全然平気だったのに。
周りに知り合いが居ないからかもしれない。
それでも、初日に近くの席の奴と会話位はしたけど。
友達にはならなかった。
「先輩もっすか」
「似たようなもんだ」
嘘だけど。
「ひとりって辛いっすよね」
「そだな」
それはわかる。
俺も、準備期間とか今日とか居心地が悪くて仕方がなかった。
なんか変な孤独感があるんだ。
きっと、集団の中に一人だから寂しいんだ。
善意が壁を作って、距離を作るんだ。
これが本当の意味で一人だったら逆に平気だったと思う。
群れをはぐれた一匹狼の寂しさと、元々一匹だった野良猫の寂しさはきっと違う。
って例えはちょっと違うか。
どっちかってと、スイミーとかみにくいアヒルの子とかの方が近いかな。
……まあ、どっちにしても――
「やってらんねえよな」
「やってらんないっすよね」
後輩が笑った。俺も笑った。
多分、今日初めてちゃんと笑った。
「来年――」
「はい?」
「来年、クラスが変わったら頑張るんだな」
きっと一度出来上がった空気は簡単には振り払えないから。
そんな事が出来るならきっとこの後輩も、普通に友達位は作れていた。
でも、学年が上がれば空気も変わる。頑張る機会がある。
俺とは事情が違う。
「頑張るっす」
「がんばれ」
また、後輩が笑った。
俺も、少しだけやる気が出た。
見上げた空には、やっぱりソフトクリームも、ドーナツもなかった。