第1話:日常の皮膚の下、前にのみ進む時間
俺は100%が好きだ。
もう少し言うと可能性、みたいなものが嫌いだ。
漫画とかで1%って言いながら成功するのは気に食わないし、ゲームの命中率98%で外れるのはもっと気に食わない。
ああいうのはよくない。信頼を裏切っている。
その点100%のブレの無さはすごい。
世の中には、絶対なんて無いとか言う奴が結構いる。
シュレなんとかの猫だとか。明日、世界が滅びない保証はないだとか。
確かに、0コンマに0が100も1000も付いた1%位はあるかもしれない。
ねーから。
そういうのは相手にしない方がいい。
断言してもいい。
明日も普通に陽が昇って、普通に沈んでる。
絶対。100%。
間違いなく、何事もなく一日が過ぎるから。
だから俺は寝坊した。
世界が滅びなかった所為だ。
あくびを噛み殺しながら洗面所へと行く。
寝坊したので飯を食ってる余裕はないけど、歯は磨きたい。
ネクタイはいいか、俺不良だし。
歯磨きついでに鏡を覗き込むと、一昨日剃った髭は特に問題なかった。
登校前、雄大との待ち合わせは7時55分に奴の家の前。
現在の時刻は7時56分。
絶対なんて無いとか言う奴は、こっから俺が遅刻しない方法を言ってみろよボケ。
そんな悪態をつきつつ家を出る。すると朝の陽光が突き刺さる。
灰になりそうだ。既に帰りたい。眠い。
秋の空が高いのは空気が澄んでいるからだそうで、つまり空気中の塵が少ない。
そして陽は丁度真正面。
影は道路と並行になり、塵ですら遮るものの無い陽光は容赦なく俺を焼く。
ここは普段、閑静な住宅街だが、今は出勤や登校でそれなりに人の多い時間帯。
周りには車や、歩くというよりも早歩きに近い人達がちらほら目に止まる。
そいつらも俺と同じく身体を焼かれ、嫌そうな顔をのぞかせていた。
もしかしたら陽光ではなく、会社や学校が嫌な人もいるかもしれない。
でも、行かないと。
帰りたい欲求を振り払い、重たい足を引きずってのろのろと歩き出した。
◇
「うーっす」
特に急がず歩いたので、結局10分近く遅れて着いた。
なのに俺は適当な挨拶をした。
「陽太、遅すぎ。事故か、体調崩したのかと思った」
「いや、ただの寝坊」
雄大が軽く怒ったような素振りを見せて、そこで初めて気がついた。
メールで遅れるって言っておけばよかったかも。
雄大は身長が180cm近くあるノッポだけど、ひょろっちい。
だから怒っても全然怖くない。
その細い身体は要らないけど身長は欲しいな。
半分ほど分けてくんないかな。
なんて馬鹿なことを考える。半分はもらいすぎだ。
『暁』と書かれた表札を尻目に、今日も学校へ向かって歩き出す。
「寝坊したって言うけど親、起こしてくれないの?」
幼稚園の頃からの付き合いをしている雄大は、当然俺の親のこともよく知っている。
逆もしかり。
これだけ古い付き合いだと、美少女だったらきっと幼馴染という関係だったはずだ。
だが、こいつは男なので幼馴染という言葉は使いたくない。こいつはただの腐れ縁。
「起こしてくれたけど二度寝した」
「起きてよ」
「ホントだよ」
「また人ごとみたいに」
アスファルトの上に転がった小さな石を蹴飛ばした。
蹴飛ばした石は道路脇の白線からすぐに飛び出して、どこかへ消えた。
ポケットから取り出した携帯を見ると8時6分。
片道20分で、30分までに着けばいいのだから、この調子なら学校の方の遅刻はないな。
「今度からはメールくらいは入れるから」
「うん」
「うん」だって。
この雄大とかいう男。これだけの肉体を持ちながら気が小さいというか内気だ。
一人称だって「僕」だし、さっきみたいに遅刻したって本気では怒らない。
しかし、俺みたいな適当な奴が付き合うには丁度いいのかもしれない。
「ボケ」
「なにさイキナリ」
「言ってみただけ」
「ひどい」
今日も中身の無い会話が冴える。
進学校一歩手前のこの高校は、家から近い上に学力的にも丁度よかった。
それは雄大も一緒。ただし"あいつ"は別。
そんな俺たちの通っている学校は、なんと雄大の家から3回曲がるだけで着く。
◇
ほら着いた。
靴を履き替え階段を上り、自分の教室を目指す。
リノリウムとかいう、よく聞くけどよく知らない素材で出来た廊下は上履きと相性がいいように思う。
水気がなければまず転ぶことはない。なので安心。
教室に入るとまず時計を見る。時刻は8時27分。セーフ。
「間に合ったね」
雄大がイヤミったらしくそんなことを言った。
おそらく悪意はない。けど、すいませんでした。
「陽太くん、雄大くんおはよう。今日は遅かったね」
日茉莉もすぐに寄ってくる。そして雄大と同じようなことを言う。
女友達。苗字は夏畑。そんでもって馬鹿女。
俺の美的感覚で、ちょっと甘めに評価すると美少女。
こっちは雄大と違って、小学4年からの付き合いと少し遅い。
でも、これも甘めに採点するとこいつは幼馴染になる。
俺、幼馴染って好きなんだ。漫画とかの影響で。義妹とかも結構好きだ。
日茉莉は馬鹿だけど、馬鹿と言っても勉強は出来る。
本来、こいつの学力なら2つ位上の学校に行ける。
つまり、進学校に行ける。
なのにこの学校に来た馬鹿女。
前はなんでかわからなかったけど今はわかる。
去年、告白をされたからだ。
いや、違う。ちょっと嘘付いた。
日茉莉が俺の事を好きなのはわかっていたけど、まさか学校を二つも落として付いてくるとまでは思わなかった。
告白の方はもちろん断ってやった。
なのに告白される前となんら変わらず友達をしている。
やっぱり馬鹿女だ。
「雄大の奴が寝坊しやがったんだよ」
「うん。嘘でしょ」
間髪入れずに言いやがった。
「あのさ、せめてもうちょっとくらい考えてから言えよ。大体――」
「陽太が寝坊したんだよ」
「ほら、やっぱり」
なんか色々言おうと思ったのに、雄大の一言で納得しやがった。
それって俺より雄大の方を信用するってことだろ?
……うむ。
俺も納得してしまった。
「嘘つき」
この女、追い打ちまでかけやがる。
こいつ、本当に俺に告白したんだっけ?
自信なくなってきた。
前はもっと大人しいというか、内気な女だったはずだ。
それこそ雄大よりも。
俺の影響か?
今だって俺以外には礼儀正しいし。
やっぱりそういう事か。うん。
なんだろ、この変な優越感。
そうこうしている内に、いつもどおりのチャイムが鳴る。
キーンコーンカーンコーンって。ドラマとかでも使われそうなありきたりなやつ。
もう始業の時間だ。
いつもより全然話してないけど、今日は俺が遅れたからな。
「じゃあ」
「また後でね」
二人と別れ、席に付く。
教師はまだ来ていない。でも多分すぐ来る。
寝たふりでも眠気は結構取れるので、机に突っ伏して待つ。
今日は体育がなくてよかった。
俺は去年、高校になったばかりの頃にすごく嫌な事があってグレた。
荒れていたのは二ヶ月ほどだったが、その間俺は不良という生き物に転職していた。
その時の設定が便利なので、以来俺は不良と言い張ることにしている。
ただ、その嫌なことは今でも続いている。
◇
気が付くと、カツカツと黒板を叩くチョークの音が聞こえた。
寝たふりのつもりが、いつの間にか本当に寝てしまっていたようだ。
壁に掛かった秒針のない時計を見れば、一限目も終わりに近づいていた。
今から黒板の内容をノートに写しても間に合わないので諦めよう。
代わりとばかりに、日茉莉の事を考えて時間を潰す。
クラスで一番長い髪。ストレート。プリン頭になるのを嫌がって染めてはいない。
目はそこそこ大きめだけど、睫毛がちょっと短くて、それを少し気にしてる。
背は153cm位とか言ってたかな。ちょい小さめ。
気持ち痩せてるけど、スタイルは平均的な感じだと思う。
性格は真面目。多分、今もしっかりノートは取ってるはず。
こう考えてみると結構な優良物件に思える。
冗談にも付き合ってくれるし、意外と喧嘩にもならないし。
次に、そいつが好きな男の事を考えてみた。
岡部 陽太。
17歳。高校二年生。AB型。
超イケメンって言いたいけど、客観的に言ってそこそこ。
もうちょっと鼻が小さかったら。とかその程度の事は鏡を見たときに思ってる。
身長は169cm。あと1cmが遠い。
体重は57kg。
性格は不真面目で去年は不良をしていた。
荒れる前だって小さな悪行は数しれず。雄大と日茉莉を何度も巻き添えにした。
泣かせたことだって何度もあるし、傷つけたことだってある。今も。
ふと、暗い何かが胸から喉にこみ上げてきた。
ムカムカとする。
静かに、深く、ゆっくりと呼吸をすると不快感が肺を満たした。
俺は、やっぱり自分の事が嫌いらしい。
でも、だからといって、変わろうと思って変われるものでもなくて。
それに、それを深刻に思ってるわけでもなくて。
「陽太って一番前の席なのによく授業中に寝れるよね」
一限目が終わり雄大が寄ってくる。
日茉莉は? と見ると、まだ机の上を片付けていた。
「寝ようと思ったわけじゃなくて、気づいたら寝てたんだよ」
「朝も寝坊したし寝不足?」
「昨日、ゲームでちょっとムカついて遅くまでやってたんだ」
オンラインに繋ぐと対戦が出来るゲームで、自分のミスじゃない部分で上手くいかなくて昨日はヤメ時が見つからなかった。
っていうのは半分は本当だけど、半分は嘘。
昨日は少し気を紛らわせたかっただけ。
「夜は寝たほうがいいよ」
「おめーは母親か、気持ち悪い」
「何の話?」
心配症な雄大が、俺の睡眠時間にまでケチをつけた所で日茉莉も参戦する。
これは俺にとって嫌な流れだ。
でも俺の机に集まっている所為で、俺に逃げ場はなかった。
「陽太の寝不足の話」
「授業中も寝てたね、ワルだね」
「うっせ」
ほら見たことか。
こいつらは善人ぶっていながら、俺の粗を探しては叩く悪い奴らなんだ。
俺みたいなちんけな悪人と、悪いことをする善人ってどっちの方が悪いんだろう?
……そりゃ勿論ちんけな悪人だよな。
悪事の質も数も違うわ。
「例えば俺が悪い人間だったとして、お前らになんか迷惑かけたのかよ」
自分で言いながら「あ、これ違うな」って思ったけど最後まで言い切ってしまった。
案の定、非難の声が飛び交う。
「前に、陽太くんがピンポンダッシュしたのに、後ろ歩いてたわたし達が怒られた」
「なんか話してたら、知らないおばさんが出てきて急に怒られた」
「あれな。まったく意図した訳じゃないけど、ピンポン押して逃げたら日茉莉と雄大が怒られてて笑ったわ」
たしか中一の時の下校の時間だったと思う。中二じゃなかったはず。
テンションの上がった俺が、意味もなく30m位前を先行してて。
ピンポンダッシュをしたら、後ろで話し込んでた二人が気づかずその家の人に捕まって、怒られてるのを影から見守った心温かいストーリー。
「ひどい目にあったよ」
「大体ピンポンダッシュがその場に留まるわけないんだから、犯人違うってわかるはずなのにな」
「他人事みたいに言うけど陽太くんのせいだからね」
おっしゃる通りで。
俺達にはこんなエピソードがいくらでもある。
迷惑ばかり掛けている俺と、未だに友達をしてくれるこいつらはきっとMなんだと思う。
おっと。そうこうしている内に、そろそろ次の授業が始まる。
「とにかく、ちゃんと勉強はした方がいいよ」
去り際に注意を忘れない日茉莉。
真面目なはずの雄大も苦い顔をしていた。
◇
「あー、終わった終わった」
何の予定もない放課後。
一応、あれ以降の授業は全部受けたが身になったとは思えない。
いつものことだ。きっと今回のテストもズタズタだろう。
でも気にしない。
俺が考えるに、学校というのは勉強する為に来る場所ではなくて。
学歴が欲しいか、知人に会いたいか、レールから外れたくないが為だけに来る場所なのだ。
「高校になってから、宿題とか全然出ないから嬉しいね」
今、雄大がいい事言った。
確かに高校に入ってから宿題って全然ないな。
夏休みみたいな長期の休みにはアホほど宿題が出るが。
「日茉莉、今日は?」
「今日は一緒に帰れるよ」
「じゃあ帰るか」
「うん」
どうやら今日は、真綾とかとは一緒ではないらしい。
去年、俺ら3人がバラバラのクラスになっている間に仲良くなった日茉莉の友達。
……なんだけど、正直俺はそいつらが好きじゃない。
人といる時でも平気でスマホとかを弄り倒すんだ、そいつら。
まあ、そいつらの話はどうでもいいか。
「今日はどうするの?」
「どっか寄るのはいいんだけど、意外と娯楽施設ってないよな」
「陽太が楽しめるのは、じゃなくて?」
「じゃなくて」
カラオケに、ボーリングに、ビリヤードに、ゲーセン。……ほらもう思いつかない。
カラオケはこの間行ったから歌いたいの無いし。
ボーリングもビリヤードも微妙。
この中だったらゲーセンか。メダルゲームもあるし。
そういや、遊園地とか水族館も娯楽施設に入るか。
でも、そういうのは遠いしな。
本屋とかその辺で時間潰すのならできるけど長時間は無理だし、やっぱり気分じゃない。
「ゲーセンでも寄ってくか」
「わかった」
「わたしもいいよ」
今日はゲーセンで決まりのようだ。
◇
ゲーセンの中に入るとものすごい音が流れている。
二階建てで、一階手前がUFOキャッチャーなどの景品タイプ。
奥の片側がレースゲームやガンシューティングなどのデカイ筐体タイプ。
もう片側が格闘ゲームなど。
二階がメダルゲームのフロア。
その全てが爆音を鳴らし、ご近所もびっくりなオーケストラとなっている。まあ普通のゲームセンターだ。
これ、一台一台の音を二段階位下げればいいのにと、いつも思う。
ここで働いてる人って、耳悪くなったりしないのだろうか。
「何するの?」
何しようかね。
「雄大は何かしたいのあんのか?」
「とくに。格闘ゲーム以外かな」
格闘ゲームは俺も好きじゃない。
というかあのコントローラーが苦手だ。
普通のゲーム機での格闘ゲームなら雄大とはたまに、更に稀に日茉莉とやるけど、それもゲーム用のコントローラーだから。
それにゲーセンで格闘ゲームをやるような奴は上級者ばかりだ。
例え雄大と対戦したとしても、後ろから上級者に見られるのはなんか嫌だし。
多分、雄大も似たような理由だろう。
「UFOキャッチャーでもないしな」
「陽太くん取るの下手だもんね」
「おめーはもらう側じゃねーか」
日茉莉が鬼の首をとったように舐めた事を言う。
こいつこそ一番下手なクセに、調子に乗りやがって。
と、悪態を付きつつも女連れでゲーセンに来るのはちょっと気分がいい。
周りの奴らもチラチラと日茉莉を見ている。
日茉莉も散々俺らが連れ回した所為か、こういう場所にも抵抗がない。
多分。少なくとも表面上は。
なので、気兼ねなく連れてくることが出来る。
あと、日茉莉はどのゲームも雑魚いので結構ストレス発散にもなる。
逆に、雄大は結構上手かったりするのでストレス発散にはならない。
俺の方が上手いゲームでも気を抜くと負けることもあるから、それはそれで楽しいのだが。
実力的に近いってのは対戦する上ではいいものだ。
「にしても、ゲームに幅がないよな」
「幅?」
雄大がオウム返しのように疑問の声をあげる。
どう言ったらいいかな。
「例えば、ここにレースゲームが2つあるだろ?」
「あるね、割と有名なのが」
2つ、というよりは4つで1つのレースゲームが2種類。
大抵のゲーセンに置いてあるだろう有名なもの。
コースを選択してタイムアタックをする本当に普通なもの。
「日茉莉、やるとしたらどっちがやりたい?」
「わたしはどっちでもいいよ」
つまりそういうことなのだ。
どれも似たり寄ったりなので、こだわりがないと「どっちでもいいやー」ってなるんだよ。
「これが、例えば戦車と戦闘機のゲームだったら、どっちがやりたい?」
「どっちでもいいよ」
「……お前はクソだ」
「なんでよー」
マジ話になんねえ。
主体性ってもんがねーのかよこいつ。
「僕、言いたいことがわかったよ。僕だったら戦車の方がいいかな」
「どうして?」
日茉莉が首を傾げる。
雄大は戦車推しのようだ。アニメかなんかの影響だろうか。
「戦車のゲームの方が動きがゆっくりそうだから」
なるほど。
確かに戦闘機の方はゲームスピードが速そうで大変そうだ。
ある意味それが醍醐味かもしれないが。
俺は戦闘機のゲームがしたいな。
操縦席もそっちの方が楽しそうだし、空を駆け巡るのは楽しそうだ。
メーカーさん、マジよろしく。早急に。
「でも、そうだね。確かにそういう幅が欲しいよね」
「昔は空飛ぶ自転車のゲームとかあったらしいのにな」
「わたしはそういうゲームの方がやりたいかも」
「おめーには聞いてねーから」
「なんでよー」
しかし、なんでそういうの作らなくなったんだろうな。
前は色々あったらしいのに。
今の画質とかなら面白そうなの出来そうなのに。
家庭用ゲームにすら負けてんじゃん。
「とりあえず3人で出来そうなレースでもする?」
「いいな。日茉莉ボコって気分転換しよっと」
「すぐそういうこと言うんだから。雄大くんはいじめないもんね?」
「う、うん」
おい、雄大。コラ、ひよってんじゃねーぞ。
◇
「ただいま」
6時ちょっと前、我が家に到着。
高校生とは思えない、健全な帰宅時間だ。
ゲーセンもそこそこ遊べたけど長時間は無理だったな。
飽きたわけじゃないんだけど。
「おかえり」
台所に顔を出すと母が居た。
まだ料理を作り始めているわけではなく、椅子に座ってテレビを見ていた。
別にせんべいは齧っていない。
うちには何故か、台所にも小さいテレビが置いてある。
母が料理を作ってる最中に音を聞きたいから、と置いたのが始まりだ。
炊飯器の予約は7時半になっているから、あと一時間以上あるのか。
「雄大くんと一緒だったんでしょ。外で食べてきた?」
「日茉莉も居た。それに食べてない」
「なら心配いらないわね」
たまに外で食べて帰ることもあるのでそれを聞いたのだろう。
高校生ともなれば小遣いで外食位は普通にする。
俺も雄大や日茉莉とラーメンとか食べに行くこともある。
ちょっと日茉莉には可哀想なメニューかもしれないが、仲間はずれはもっと可哀想だ。
それに日茉莉の希望で、俺らの入りにくい店に行くことだって普通にある。
スイーツとか。
「今日は麻婆豆腐にしようと思うんだけど、いい?」
「いいよ。ってかもう買い物行った後なんだから変更できないでしょ」
「そんなことないわよ。余ってる材料とか使えば他のだってできるわよ」
言われてみればそうか。
シチューの材料でカレー作るのなんか楽勝のはずだ。
作ったことないからわからないけど、多分ルーさえあれば出来るはず。
「広東風よ」
「広東風ってどんなのだっけ?」
「辛くないやつ」
「辛いのは?」
「四川風」
「なるほど」
確かに言われてみるとそんなイメージだ。
ただ辛いから四川風、辛くないから広東風って言われるとそんな簡単な話なのかな? って思う。
本当はもっと細かい違いがあるような。使う調味料とか。
「あとは春巻きとか作ろうかなって」
「今日は中華な感じだ」
「そうね、出来たら呼んであげるから」
「わかった」
そういう話らしいので自室へと戻る。
今日も父は、夕食には間に合わないのだろう。
◇
「うげーマジかよ」
変な声が出た。
相手のキャラの攻撃でクリティカルが入り、こちらのキャラのHPが1/4にまで削られた。
夕飯も風呂も済ますと後は寝るだけなのだが、花も恥じらう高校生がそんな早い時間に寝るわけもなく。
昨日と同じようにゲームをしていたら、昨日と同じような展開になってしまった。
それは、インターネットを通じて相手と対戦する最近のゲーム。
ターン制のゲームで1ターンごとに技を選択して、キャラクターが交互に殴り合う。
丁度今、相手の攻撃が終わったのだが、今のHPの減り具合を考えると次は耐え切れない。
だからこちらも最後の攻撃になるのだけど。
相手のHPは半分よりちょっと少ない。
命中100%の技を使うならあと二回は必要。
命中80%の技が当たればこちらの勝ち。
俺は100%が好きだ。
というか偶然に左右されるのが嫌いだ。
偶然に邪魔をされるのが嫌いだ。
偶然にすがるのも嫌だ。
ただ今の状況ではそういうわけにも行かず、命中80%の技にカーソルを合わせた。
「ふう」
電気を消してベッドに潜る。
今は0時手前。もう日も変わる寸前。
今日もなんの変哲もない日常だった。日記でも書いたら5行で終わりそうな位。
部屋の中に灯りと呼べるものはなく。携帯の充電のランプや、虫除けの緑のランプが点灯しているくらい。
目も慣れていないので、この暗闇の中で見えるものは殆どない。
ベッドの中で顔を傾けると、見えないけど視線の先に机がある。
小学校に入学する時に用意してもらった頑丈な学習机。
その一番上の引き出しに裏返しに閉まってある、一枚の紙。
一番見たくないのに、つい見返してしまう紙。
岡部陽太様――なんて堅苦しい言葉が書いてあって。
――特発性分類不能型心筋症。
ようするに、俺が死ぬって書いてある書類。