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みじかい前話

 気が付けば夏休みも残り半分、街中がこの蒸し暑い季節を乗り切る為にせわしなく動いている。少しでも涼しくなればと思い道路へ打ち水をしても真夏の太陽の元には微弱な抵抗にしかならない。からりと乾ききったコンクリートの上では陽炎が揺れている。

 ──かつてある少女が通い詰めていた図書館は、老化により物悲しく干からびてしまったその外装を修復する為に大きなシートを纏い風になびかせていた。

「ほらここだよ……あったあった、あれ?閉まってるや」

「ええーっ!せっかくお前がすずしい場所あるぜって言うからわざわざ着替えて出てきたのによー!」

「だって、だって俺だって知らなかったんだもん!俺のせいにするなって!」

 二人の小学生が図書館の前で立ち止まる。ここへ来ればクーラーが効いていると思い付いたのだろうが期待を裏切るようで残念。現在この四つ葉図書館は改装工事のため一部閉館していた。扉に貼られた手書きの張り紙には『改装工事期間 8月3日~8月中旬(予定)』と、あまり頼りないお知らせが風に吹かれている。

「もういいよ……どっか公園行ってセミ捕まえるのどっちが上手いか競争するか?」

「ええ~でもどっかから入れるかも……」

「いいよ、めんどくせー!読書感想文なんて後でいいから早く絵日記描いてアイス食いにいこーぜ!」

 当てが外れた二人は今日の絵日記を描くための題材作りに公園の方へと走り出した。夏の日差しを遮る帽子はすでに汗でじっとり湿っており、大きな虫取り網と肩からぶら下がった籠が軽やかな音楽を奏でる。

 もう少し、この少年達があともう少し走り出すのが遅かったなら、二人はほんのちょっとの風で不自然に開いた正面玄関の扉を見る事が出来ただろう。そしてさらに、そこから暗くひんやりとした空気を感じ取って、その図書館の中へと入る事が出来たかもしれない。






 閉館となった本館の中は全体的に暗く静寂が漂っていた。当然ではあるが時折小さな隙間から吹き込む風で揺れるカーテン以外に動くものの気配は無い。あったとしたら、つい二日前に塗装会社の人間が調査のために訪れた時のみである。正面玄関から本館へ続く通路も普段なら一面ガラス張りで日光を取り込んでいるのだが、今は灰色のシートに覆われ薄暗く影を落としていた。

 その静まり返った通路に、突然赤黒い影が現れる。靄の様に不明瞭だったそれは段々と形を変え、やがて影は一人の「人」を生み出した。

 その人は通路を迷いなく歩き、本館の大きな木製の扉へと手をかける。何を思ったか顔を伏せたがそれも一瞬、一気に重苦しい扉を開けた。




 ギギギ、とガタついた音を響かせながら扉が動く。

 目の前に広がる光景は初めてこの図書館に訪れた者全てを感動の域へと誘う。

 西洋の教会を思わせるような造りの高い天井に、視界の両脇に広がる本棚は数え切れないほど遠くまで見渡す事が出来る。

 歩くたびに舞い上がる埃が小さな天窓から注ぐ柔らかな光に照らされ、さながらスノーダストの様な幻想的な風景を生み出す。それを巻き起こしている本人は煙たがるように咳をした。しばらく人が出入りしないだけでこんなにも埃が溜まるものだろうか。いくら一般人が入らないとはいえ、管理を怠る者がいるものだ、とその人はちょっとした悪態をついた。

 色々と辺りを見渡しながら一番奥の大きな本棚の前まで来る。壁一面にずらりと並べられた本は一体何冊ぐらいあるのだろうと数えるのも億劫になる程多い。最上部の棚は地上から見るとかなりの高さだ。よくもまぁこんな大規模な図書館がこの街に出来たものだと感心が半分、未だに理解し難い部分が半分。ふ、と一つ息を吐く。その人は自分の目的を果たす為に辺りを見回し本棚の詮索を始めた。




「何か、お探しですか?」

 唐突に聞こえた声に勢いよく振り向き身構える。ゆっくりとした歩幅で、緩やかな影がその侵入者へと歩み寄り、天窓の柔らかい明かりがその声の主をほのかに照らす。

 腰のあたりまであるかと思われる程長い赤茶色の髪。かなり下側で軽く結んでおり、体が揺れると共に黄緑色のリボンがふわりと跳ねる。クリーム色のワンピースが微かな風に揺れ、歩くたびにブーツの底をコツコツと楽しむように鳴らしていた。

 手には何冊かの本がずしりとその存在を放っている。それらの中に自分の探すものが無いのを見ると、侵入者は後ろに飛び退きその人物と距離を取った。きつくその顔を睨みつけ相手を威嚇する。声の主、恐らくここの管理人かと思われるその女性は穏やかな顔で侵入者を見て言った。

「何かお困りのようでしたら、私に言ってくださいね。一緒にお探しすることぐらいはできますよ。一応ここの管理を任されている者です。ここの事なら、ある程度は分かりますから」

 ゆったりと優しげな口調でそう話しかける女性は、本来ここには入れないはずの人間の存在をどうとも思っていないようだ。というよりは、現在この図書館が一般開放していないのを承知の上でこの謎の人物を普段通りに出迎えているように見える。

「……お前、私を見て何とも思ってないわけか」

 その侵入者は図書館に入ってから初めて口を開いた。さすがに関係者に見つかってしまっては黙って見過ごしてもらうのは難しい。この一見ぼけっとした女も、あとで上に報告するかもしれない。別にそうなった所で困るわけではないが手間が増えるのは勘弁だ。

(最悪、記憶を吹っ飛ばす位はしておくか)

「何とも思ってない、とは?」

「何で誰もいないはずの図書館に人がいるのか、とか。関係者でもないやつがどうして勝手に入れたのか、とかかな」

「ああ、そんな事ですか」

「……そんなって、無防備すぎるな。お前」

 呆れた、という様子でため息をつき、侵入者はさらに女性を小馬鹿にした態度で話しかける。

「お前、これでもし私が強盗だとか、殺人犯とかだったらどうするつもりだったんだ?曲がりなりにも侵入者だぞ?今ここでお前を襲うことだって私には出来るんだ……口封じの為に、とか」

 少しばかり脅迫めいた言葉と歪んだ笑みで相手を睨みつける。それはよからぬ事を企む悪人以外の何物でもない。自身としてはもちろん本気だし、冗談を言っている訳でもない。向こうの出方を伺いつつ、侵入者はどうやって目当ての物を持ち出そうかと考える。そんな思考を遮るかの如く、その女性はまたのんびりした口調で答えた。

「うーん……?まあ、そうですねぇ。でも元々こんな辺鄙な図書館に強盗が入るものですかね?そこまで重要な文献があったとしてもそれは厳重に保管してありますよ。それに、あなたにはそんな悪い事が出来るようには見えません」

 ――出来る。

「ましてや、殺すなんて」

 ――絶対出来る。

 確信を持った声でそう言われた。私がそんな甘い奴だと思うのか、あまりにも生っちょろいやつだと憤慨する。

(……初対面でアレだが、こいつには少し分からせてやらないといけない)

 あまり人前でむやみに力を使いたくはなかったが、危機管理能力の浅いこの無防備な人間に少し世の怖さを分からせてやりたいと思った。ついでに記憶も飛ばそう、と侵入者が身構える。

「なあ、お前。名前何だ」

「えっ、私……?あ、すみません。そうですね、言ってませんでした。私、ここの司書を任されております花阪はなさかという者です。以後、お見知りおきを」

「そうか。ハナサカ、花阪……じゃあ、もうさよならだな。花阪」




 瞬間、侵入者の背後に大きな鉄の音が響いた。赤黒い闇から生み出された鎖が重力を無視し侵入者の後ろに浮かぶ。頭上のサングラス(かどうかはよく分からないがあえてそう呼ばせてもらう)が淡く光り、その光景は侵入者が「人間」でない事を物語るのに十分な破壊力を兼ね備えていた。

 その一連の流れを花阪は少し驚いたような顔をして見ていたが、それもすぐにやんわりとした笑顔に変わり……大して驚いてもいないという感じで眺めていた。その余裕さにまた苛立ちが勝つ。

「へぇ、驚かないのか。ずいぶん余裕だな……もしかしてお前も人間じゃないのか?こんな所に仲間がいたとはびっくりだ」

 感情を隠さずに皮肉を込めて話す侵入者。花阪はその問いに対し何も返さず、ただ黙ってこちらを見たあと顔を伏せ小さく呟く。

「……いえ、何だか、おかしいなぁと思って。そんな感情的になるなんて、覚えてないのかなぁ……って」

 痺れを切らした侵入者は右腕を限界まで後ろへ振る。腕そのものが重い鎖になり大きくしなり、勢いよく振られた右腕──もとい鎖が、花阪へその切っ先を向ける。女性の身体なら軽く吹き飛んでしまうくらいの威力をもったそれをためらう事なく振るい、そして次の瞬間には花阪の身体は大きく飛んで壁に打ち付けられてしまう、はずだった。

「……本当に、覚えてないんですか?ノイズ」




 ぴた。




 原動力を失った鎖は空中で動きを止め、そしてそのまま地面へと落ちた。ガシャガシャ、と騒がしい音が図書館の中で余計に響き、いつ誰が気づいてもおかしくない程だった。

 『ノイズ』と呼ばれた侵入者は、そこだけ時が止まってしまったかのように身動き一つしなかった。見開かれた瞳はただ一点、揺れ動き花阪だけを見つめている。疑惑の表情。それは花阪への無言の問いかけ。

 なんで、私の名前を知っているんだ?

「適当に言ったんじゃないですよ。あなたはどうか知りませんが、少なくとも私はあなたの事、知っている……覚えています」

 そう言い放つ花阪の目には先程までの柔和な雰囲気は無く、確信と自信を持った強い意志だけが見えた。




「私を、覚えていませんか。花阪絵梨香、えりかの名前を。この顔を。あれからもう何年も経ちましたから、忘れてしまったでしょうか。……随分と長い間ご無沙汰していました。お久しぶりです、ノイズさん」






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