プロローグ
電撃小説大賞、富士見ファンタジア大賞、GE文庫大賞の三大賞に複数回の改稿を加えながら投稿してきた作品です。
いずれも一次審査敗退となっておりますので、決定的に何かが足りなかったのでしょう。多分、作者の脳味噌。
90年代のオリジナルファンタジーを目指した作品でありますので、二十代で読んで頂いた方に、どこか懐かしさを感じてもらえていれば幸いです。
特筆して書くべきことは余りありませんが、敢えて申し上げるなら、90年代作品風の流れを感じて頂きたいということと、キャラの軽快な掛け合いがウリのギャグシーンとシリアスシーンの線引き、わざと濃く印象づけた中二病っぽさなど。
今世代と前世代の融合や、言葉の節々に込めたいろんなメッセージを吟味してもらえたなら、こんなに光栄なことはありません。
気づけば周りは真っ赤な火の海になっていた。
あらゆるものが焼け焦げて死臭まで立ち込め、傷ついた人々は体の至るところから血を流し、この世の全てを呪うように呻いている。
地獄と形容するに相応しい切り取られた世界の真ん中で、瓦礫に挟まれた少女が俺を見て泣いていた。どうしてこんなことになったのか、頭はまったく理解しようとしなかった。
『兄さん……、あたしはもう、だめ、だよ……。だから、一人で……逃げて?』
なにも悪いことなんてしていない。幼くして他界した両親の命日に、たった一人の肉親である妹と墓参りをした。そして、他愛のないお喋りをしながらランチをしていただけだ。
それだけだったのに、何故こんな風に――何一つ罪のない彼女が苦しんでいる?
『兄さん……、はや……く……。逃げ、て……』
二度目の彼女の警告で我に返り、同時に俺は叫んだ。
『ユズ!! ダメだ、置いていけない……。お前を置いてなんて、いけるもんかッ!!』
無我夢中だった。彼女を食い込もうとする軽い瓦礫を退かせ、重たい瓦礫も体を使い押しのけた。助け出すことだけしか考えられない。
だが、その必死は大きな壁の前にあえなく挫折という言葉を噛み締めさせた。
目の前には、十三になったばかりの少年にどうこうできようもない、大きく歪んだ鉄板をその身に食い込ませた瓦礫が、彼女の体を咥え込んでいた。
『分かった、でしょ……? これ体にね……刺さっちゃってるの……。どうせもう、だめなんだよ。だからね。逃げて、欲しいんだ……?』
そんな頼みを聞いてやれるほど、利口なつもりはない。例え利口だったにしても、聞けるものと聞けないものがある。
『なに、言ってんだよ。大丈夫だよ、お前は俺が助けてやるから。……必ず、助けるから!』
『気持ちは……嬉しいけど、あたしよりも……。ラエナお姉ちゃんを、ね……?』
『そう、か……。学校、近いんだ。ラエナと、クリオを呼んで来るよ! 三人でなら、この瓦礫だってどかせられる。すぐ呼んでくるから、待ってろよ? いいな、ユズ? 絶対、絶対に大人しく待ってるんだぞ!』
少し躊躇った様子のユズが勿体つけて頷くのを確認し、俺は背を向けて走り出す。
その刹那、後方からキュリキュリと無慈悲な機械の駆動音が聞こえた。キャタピラを回転させた無人の魔道戦車が向かって来る音だとすぐに理解できた。
『生きてね……? 大好きな、……兄、さ――』
ユズの絞り出すかのような声音が耳に届いたと思った直後、轟音と共に発射された魔法弾の鈍く重量感のある音に彼女の声はすぐにかき消され、俺は反射的に振り返った。
ユズは微笑んでいた。泥や埃で汚れくすんでしまった綺麗な金の髪を、涙でぐしゃぐしゃになった顔に張り付かせても、最後まで微笑みを失おうとはしなかった。
『ユ、ユズゥゥゥゥッ!!!!』
それほど大きくもないはずの魔法の力が込められた光の砲弾は、地面に着弾するや激しく発光し、目の前のものをすべて飲み込み炸裂した。
顔を庇った俺の腕は焼け、そのまま空圧を受けて吹き飛ばされる。
火薬の使われない魔道戦車は土煙と埃以外を撒き散らすことはない。だからか、数十秒も経てば、這い蹲らされた角度からの視界は元通りになった――そう、視界だけは。
じっと立ち尽くしていた。どれほどの時間をそうしていたのかは分からない。
分かっているのは、何時の間にか雨が降り出していて、何も考えられない自分が、かつて子供向けメニューで人気を博した食堂の――あったはずの場所で佇んでいることだ。
ほんの少し前に、綺麗な金の髪を揺らせていた女の子の花のような笑顔は、多くの人の未来と共に握り潰され、今はここに代わりにポッカリと大きな穴が口を空けている。
すでに魔道戦車はいない。卑しく絶望を吐き散らして、気が済んだのか去っていった。
『ユズ? 返事しろよ……。声、出さないと助けられないんだぞ……?』
穴の周囲を回りながら声を掛けても返答はなかった。ユズの声はいつも小さい。ちゃんと耳を傾けていないと聞き取れないこともままあった。なら、と大きな声を出そうと息を吸った。
そんな俺の耳は近づく足音に反応し、蓄えた肺呼吸は驚いた拍子に吐き出された。妙に研ぎ澄まされていた感覚が気配を掴み、体を小刻みに反応して振り向かせようとする。
『サトル……』
振り返り終わる前に、背中に酷く掠れた少年の声が届いた。
『クリオ、か? 驚かせるなよ。……見てくれ、こんな大きな穴なかなか見れない。すごい、だろう?』
『…………』
『黙るなよ。ユズを探すから手伝って欲しい。二人じゃ大変だな。一緒じゃないのか、ラエ――』
クリオは問いかけに一切の反応も見せずに、抑揚のない声で遮った。
『ラエナは、死んだよ』
俺の耳は魔法弾の轟音で少し遠くなっている。だから自分の耳を疑った。顔はそれ以上に疑って掛かっているだろう。聞き間違いに違いない、そう思って首を傾げて見る。
『ごめん、何て言った? 魔道戦車のせいで、ちょっと耳が悪くなってるみたいだ』
落ち着いた声にイラついたのだろう、クリオは息を荒くして胸倉に掴み掛かって来た。
『死んだって言ったんだよ! ラエナが!! 学校に魔道戦車が来て、皆を逃がすために、最後まで校舎に残ってさ! そこに魔法弾が……っ! 何でだよ。何でこんな、ことが……』
クリオというやつは、悪友を絵に描いたような男だ。人をからかうのも好きだった。
その悪癖を治させようと、昔からラエナやユズと努力してきた。こんな時に冗談を言うつもりなら、今日という今日は真剣に怒ってやりたい。のに、二人分が足りなくて心許ない。
『いくら何でも、そんな無粋な冗談はよせよ。今はそれどころじゃないんだ……ッ!』
『こんな時に、冗談を言うと思うのか!? 本当に、ラエナはもういない! あの元気な声で俺たちを叱り飛ばす声はもう、聞けなくなったんだよッ!!』
俺に向けられた訳じゃない。どこにも誰にも向けられないからこそ、やり場のない強い怒りの感情に肩を震わせたクリオは吐き捨てるように声を張り上げ、その場で両膝を崩れさせた。
彼の所作を目の当たりにしてようやく感情が理解し、穴の中にもう一度視線を投げる。
ユズは魔法弾の中に消えていった。火薬の爆風で吹き飛ばされただとか、そんな生易しいものじゃない――何も残らず。溶け、消えたのだ。
そしてそれは、ずっと俺たちを見守っていたラエナも同じに違いない。頭の中に青い髪を靡かせ笑いかける快活な女の子の笑顔が過ぎった。
『そうか、もう? もう、いないんだな……?』
小さく独白して自分の心に確認を取る。彼女らが俺の名前を呼ぶ日は二度と来ない、そう心が応えるのは、意外にも早かった。
二つも年下なのにしっかりして、心の支えになっていた最愛の妹のユズ。親のいない俺たちのために、色々と世話を焼いてくれていた幼馴染のラエナ。
大切などと、一言で言い切れてしまえるような関係ではなかった。二人のためならば、喜んでこの命を賭すことだって出来たろう掛け替えのない存在。
――そんな二人を、何も出来ずに同時に失くし、どうして俺だけが助かっている?
そう思った瞬間、頬を生暖かい雫が一筋伝った。次いで、止め処もない熱いものが込み上げ、体の器官という器官を哀しみの尖兵が支配した。
「おい、いつまで寝てるんだ? 起きろよ、サトル!」
頭をパカンと軽い音を立ててはたかれる。少し気だるい肩と首を捻って身を起こすと、目頭からツゥとこそばゆい感覚を伴って、しょっぱいものが口に流れ込んだ。
声を掛けた主に気づかれないように拭き取ると、げんなり声で挨拶する。
「クリオじゃないか。おはよう?」
「おはよう、じゃない。お前、こんな大衆が利用するカフェでよく寝れるよな」
「眠いから、ね」
当たり前の返事をして辺りを見回せば、デッキテラスに白のテーブルが並び、同じ色合いの鉄製の柵で囲まれたカフェの様子が目に入る。場所は駅前、蒸気機関の軽やかな警笛が鳴り、道行く人々の靴底が石畳を忙しく叩いている。一定のリズムのそれは、子守歌だった。
天気はとても良い。日光浴まで出来るのだから、寝るなという方が無理な相談だろう。
そう思いつつも、相手が情報誌を丸めて仁王立ちする理由を考える。徐々に戻って来る記憶の断片と照合してみた結果、一つの答えに辿り着き反論の言葉が浮かんだ。
「ああ、そうだ。クリオが余りにも遅いから寝たんじゃないか?」
「ほう、そうか。お前が早すぎなんだと思うが、まぁ悪ぃな?」
相手を責める反応は、すぐさま悪びれた様子もない謝罪を交えて切り返される。
こういう手合いにこれ以上は四の五の言っても事が進まない。もういいとばかり、手をヒラヒラさせて終わらせて置こうとしたが、時計を確認すれば待ち合わせ時刻の十分前である。特別クリオが遅いわけでもなく、確かに俺が早すぎたらしいのはよくわかった。
「行くところは覚えてるだろうな?」
眠い目を擦って、欠伸をする。何をしに来たのかを思い出すため、頭の中の引き出しに釣竿を乱暴に投げ込んだ。数秒もすると、その答えは針の先に釣られて出てくる。
ハンター試験の実技課題『ミドラの生態把握』に必要なミドラの好物である蒸気晶石を採集するというもの。クリオも偶然に同じ試験とのことで、一緒に行く約束で待ち合わせていた。
「一応は思い出した。けど、眠っ――」
俺が怠惰にもぐだーっと伸びるのを見て、クリオは盛大に溜息をついた。
「昔は優等生、今は授業中も寝る劣等生。酷い変わり様に先生も泣きそうな顔、してたぜ?」
クリオは世話を焼いているつもりだろうか。本人にその気はなく、ただ心配なだけかも知れないが。生憎と意見を取り合うほどの前向きさを持ち合わせてはいない。
「勉強して何になる? 何一つ変えられないよ。今は平和なここだって、明日には先の見えない濁流に飲まれるかも知れないんだ。最低限の実力こそ生きる術と言い聞かせて来て、戦うことを覚え、それでどんな安穏に出会えた?」
肩を竦め、目を細めて無感情に言ってやると、クリオは向かいの椅子に腰を下ろして目を細め返した。視線にも口先にも猛る様子は見受けられない。
俺の問いの真意を図りかねているように見えた。
「お前をそうさせんのは、五年前のこと、か?」
「何度も夢に出て来るしな。けど、ユズもラエナも顔が真っ白なんだ。イメージできない。笑った顔を知ってるはずなのに、最初から二人を知らなかったみたいに、どうしてだろうな……」
悲しみとも後悔ともつかないものが込み上げてきそうだった。顔は比例して歪む。
俺の言にクリオが掛ける言葉をもたなくても仕方のないことだ。
十年前に帝国と共和国の間で起こった激しい戦争は激化の一途を辿り、帝国の本土侵攻戦で俺は両親を亡くし、クリオもまた二親を失っている。戦災孤児というものだった。
そして五年前にもまた同様の侵攻戦があり、ユズとラエナ、そして多くの命が奪われた。
帝国よりの町にいた俺たちは、辛い記憶と戦争から逃げ出すように、首都に逃れハンターになった。心に偽りのナイフを突き立て、前途することを忘れて生き永らえている。
「そういや、今日は命日だったな……。行くよな? 二人の墓参り」
「ああ、そうだな。行こう、かな。……いや、行きたい、か」
思い出すことは拷問でもあり、見えない何かに追われ、背を向け続ける生活の唯一のオアシスでもあった。ユズとラエナに会える日、二人を救えなかった俺への免罪符。
その場所にいるわけではないのに安らぎを感じられた。笑って彼女らが立っていてくれる錯覚を共にすることで、真っ直ぐに歩くことを忘れないでいられた。
「唐突だけどよ。俺は帝国が憎らしいし復讐したい。何の力もねぇくせに、そう思っちまう。けど、割り切ってる部分もある。投げやりになってどうする、ってな。……お前は?」
クリオは立ち上がりつつに、どこか寂しく覇気のない声で問いかけてきた。
「憎いよ。でも、憎んだってどうにもならない。クリオの言う通り力がないのもあるけど、二人がそんなのを嫌がるかも知れないだろう? ユズもラエナも優しい子だった気がするんだよ」
「そうか、ならいい。……って、気がする? まさか、お前……」
「まさか?」
オウム返しの問いかけにクリオは躊躇いの表情をまとったが、すぐに首を横に振った。
「いや、いい。……まぁ、お前が疲れてるのはよく分かった。ただな? 今回みたいな楽勝の試験逃したら、次いつ受けられるか分かんねぇんだ。試験だけは、頑張ろうぜ?」
「分かってる。クリオの足を引っ張る気なんて、これっぽっちもないつもりさ?」
笑んで見せると、クリオの表情筋からも少し力が抜けたようだった。
「よし、じゃあお前の分の切符も買ってきてやるから、列車来るまでゆっくりしてろ。んで、終わったらあいつらのとこ行こう」
「ああ。ありがとうな……、クリオ」
彼なりの優しさなんだろう言葉を快く受け取り、駅舎の方に向かって後ろ手を挙げて遠ざかる背中を眺め、飲み忘れていたコーヒーのカップに手を掛けた。と、その時のことだった。
ゴオオ、と機械の動力音がすぐ近くで耳に届く。性質が違う魔道車であるはずのその音に恐怖を呼び起こされ、俺の体は強張って動かなくなった――また、誰かが消されるのか。
目の前がゆっくりと動いた。慌てて振り返ったクリオが何かしらを叫び、こちらに手を伸ばしたかと思うと、時の流れは急に早まった。
「サトルーーー!!」
クリオの叫び声が届くとほぼ同時に、後ろから体を斜め上に突き上げられる衝撃が走り、宙に浮いたのは数瞬のことだった。すぐに地面に叩きつけられ、熱いものが口から吹き零れた。
居眠り運転かなにかの魔道車に突っ込まれ直撃を受けたのだろう。全くツキがない。遅れて情報が届いた頃には当たり所が悪く、もうピクリとも体を動かせなくなっていた。
こうなってしまっては、もって数分が関の山だ。駆け寄ったクリオがしきりに何かを言ったが、耳までが聞き届ける役目を終えようとしている。
愛する二人の命日に偶然にも命が絶たれるとは、それが運命だったか。それとも彼女らを見捨てたことへの報いだったのか。死期に至っては無駄な考えに違いなかった。
唯一、動く目を空に向けると――そこには、五年前にユズと見上げた美しい蒼穹が絶え間なく続いている――彼女の笑顔のようだと、思い出せなくなって久しいそれになぜか納得した。
命が尽きることに未練や後悔の類も襲ってこない。むしろ、これで彼女たちに会えるのなら、不幸ではなく神様のプレゼントという方が正しいとさえ思える。
まもなく、目の自由も奪われた。闇色に混濁する意識の海の中、銀色の少女の形を模した何者かが、微笑んで思い出語りをしてくれる。
それは永遠に続くことを願った豊かな時間の会話に、すごく――似ていた。
『あ、兄さん。今日は久しぶりの快晴よ。祈り日和っていうのかな?』
『本当だ。今回は何十日も魔道廃物で汚染されていたから珍しいな』
『皆が幸せに笑える日が、いつか来ますように……』
『祈るの早いな。ていうか、そんな願いでいいのか? もっと欲張ればいいのに』
『いいのよ。だって、そこには兄さんとあたしも入っているんだもの』
『そっか、そういうことなら。俺もそれにしようかな?』
『ホント? 嬉しいな。二人分の願いならきっと、叶うよね?』
――そんな世界が来たら、皆で一緒にお茶がしたいな。ねぇ、兄さんもそう思っていてくれるでしょう?