準備
――フィルレシア国城下芝生公園――
――……ぃ……バ……アァ……
「 ……何か世にも奇妙な雄叫びが聞こえた気がしたんだが。……気のせいか? 」
ふいに、空から響いてきたそれにアルは顔を上げて、いぶかしむ様に呟いた。
歓声のようなものが聞こえてきた気がしなくもないのだが……辺りを見渡しても、近くに居るのはクロナだけだ。
一度耳を澄ましてみるも他に響いてくる音もなく、空耳かとアルは首を傾げつつもすぐにその意識を切り捨てた。
――――
――
「 さて、準備は良いか? 」
あれから他の人を巻き込まないように場所を移動して、アルとクロナはあの喫茶店から少し離れたここ、フィルレシア国城下町にあるそれなりに広さのある芝生公園へとやってきていた。
遊具も何も無い此処は、打ち合いをするにはもってこいの場所だろう。
……因みに。結局アルはデザート代すら支払わなかった。クロナの財布は風通しのいいものに成り果てたのは、言うまでも無い。閑話休題。
互いに無言のまま、淡々と準備運動をこなした二人のうちアルが、頃合を見て交戦の始まりを告げるべく声を掛けた。
そのあまりにあっさりとした、しかし瞳には絶対零度の光を灯したまま言い放ったアルに対して、ジャケットを脱いだクロナはといえば。
「 ……っ……アルがあたしに、やられちゃう準備かなー? 」
僅かに震える声とともに、にやりとした笑みで対抗した。
分かりやすいほど意識的に作った挑発的な笑みと言葉とは裏腹に、何とか気丈さは保っているものの…緊張からか、または恐怖からか。その細い肩と膝は微かに震え、立っているのもやっとなのが誰が見ても明らかだった。
その様子に、アルがやはり呆れたように瞳を細める。
( この様子だと、クロナは戦闘経験は少ない……いや、皆無に等しいか )
冷静に分析して、その情報を飲み込んだとき。
……双眸が、自分でも気づかぬうちにどんどん冷ややかなものになっていった。
それを感じ取ってか、ぴくりとクロナの肩が揺れ動く。
( これで大切な、この国の命運を握る騎士団に入ろうなどと、…… )
そこまで考えて、アルは瞳の冷たさに加え無意識的にいきり立つ気の威力をあげた。
ひゅっと、クロナが息を呑む。
( ――……笑わせてくれる……っ! )
すぐにでも切りかかりそうになった、その時。
アルの視界に、怯え、震えながらも、それでも。
気丈に、凛と、真っ直ぐに此方を睨みつけるクロナの藍色の瞳が映りこんだ。
今度は、アルが息を呑んだ。
―― 生半可な気持ちなんかじゃないっ……!
ふいに、脳裏に先程のクロナの言葉が過ぎる。
数秒、アルは微動だにしなかった。その間クロナも、その光を決して失わない。
その瞳のおかげか。
高ぶった意識を一時的に冷却させ、落ち着かせるように息を吐いたアルは、いつのまにか予想外なまでに膨れ上がっていた殺気に僅かに驚きながらも微量なものへと抑えていった。
それでも、非力な女なら怯え逃げ惑うくらいには強い威力なのだが。
視界の隅で、クロナが脱力したように肩を落とす。
……この、鍛えこまれた大男でさえ竦み上がるほどの量の殺気に、その細い肩で、それでも対抗していたというのか。
( ……生半可じゃない、か。……なら、その意気込み、見せてもらおうじゃないか )
小さく心中に言葉を落とし、ゆっくりと肩に背負っている双剣のうちの片方を抜き払った。
反響するように金属の甲高い音が辺りに響き渡る。
アルが抜刀したのを見て、深く呼吸を繰り返していたクロナも自分の獲物を手に取った。
……何処からともなく取り出されたそれは、巨大なハンマーだった。