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オレだぜ?

ここはやっぱりオレだぜ?

作者: 遥 夏

 一番短いお経、に、リスペクトして、ちょっぴり語弊を恐れずに超訳してみる般若心経。



「そうだなあ……」と、王子さまは伏し目がちに考えはじめました。

 王子さまが一番伝えたかったことが、うまく伝わらなかったのでした。

「じゃあねえ、すっごい美人なおねーさんを想像してみなよ」

 と、王子さまは言いました。


 すると不思議なことに、その声が、その音が、目に見えるかのようでした。

 王子さまがいう「すっごい美人なおねーさん」が、だんだんと、目の前に現れてきたのです。

「見るんじゃない、観るんだよ。彼女は、音を観ることができる。すばらしい君の先輩だ」


 その先輩、観るを自在となす、音すらも観ることのできる先輩は、蓮台にくつろいで座っています。

 じっと、動かずに。

 どこからやってきて、どこにたどり着いたのか、そんなことはどうでもよさそうに。

 眠っているのかと思いました。

 安らかに微笑んで、死をむかえた後のようにも見えました。

 しかし、どういうことでしょう。

 見るではなく、観る、……とは?

 王子さまがいままで言ったことを繋ぎあわせて考えて、ふと、

「ああ、考えを休める」

 と思い当たって、目をあけたまま眠るような心地に近づけました。

 すると、少し観えたような気がしました。

 観自在菩薩というその先輩は「美人のおねーさん」に見えていましたが……。

 いや、人の形をして見えていましたが……。


 光が沸いたように、先輩は見えなくなりました。

 ただ観えたのは目がくらむ輝きです。

 気づけば、自分自身もその輝きの一部で、それ以外はすべて真っ暗。

 音も、匂いも、肌触りも、なにもなくて、目が見ているものも確かなものは何もありません。

 感覚のほとんどがふわりとして、自分がいったいどこにいるのか、何をしているのか。

 でも、そんな疑問はどうでもよくなりました。


 こんな宇宙の片隅に置き去りにされて、忘れさられていこうとも。

 時間すら感じない、寿命があるのかないのかすら分からない。

 もしかしたら自分がもう死を迎えたあとで、跡形もなく微塵になったのかもしれません。

 誰もおらず、何にも関わらず、ただありえないほどに孤立しているのかもしれません。


 こんな寂しい場所だというのに、なぜか恐怖がないのです。

 何も持たず、何にも支えられていないのに、自分すらもきちんと識別できないのに、

 ただぼんやりと、不快はなくただそこに在りました。


「さあ、キミに教えよう、この世界を……。人間が持つ苦しみを……」

 催眠術のような声は、先輩のもの。

 ……あるいは、もしかすると、自分自身のものであるかもしれません。

 この不思議な空間は、どこからどこまでが自分か、区別することが難しいのです。


「三次元という現実に、キミたちはいるように感じるのかもしれぬ。X軸、Y軸、Z軸でおりなされる世界は、そのままにして大いに美しい。……されど」

 また声がして、そこには球体。

 縦と、横と、高さと、三つの串に刺さったまん丸は、ぐいぐいと近づいてきます。

 そして、だんだんと大きく、その中に入り込むように……。

 表面は少しデコボコで、水と陸でできているようでした。

 その陸に吸い寄せられ落ちて行くと、鳥のように街を見下ろせました。

 そして空からみた木々がありました。

 しげみを掻き分ける必要もなくどんどんと滑りおりると、葉の一枚ずつすらしっかりと見え。

 その木立の影に、瞑想をしている王子さまと、自分の姿がみえました。


「これが、姿かたちを固めた三次元世界。人間の心は、もっとも安らぎがある瞬間を永遠にと願う。これがその姿だ。現状を維持すること……、もっとも安寧な瞬間を維持しようとする努力は、人間がまず目指すべき理想ではある。……が」

 言葉が、観るべきものを導いているのでした。

「ここにT軸を加える。人間の理想は三次元的固定化であるが、人間の現実はつねに四次元的変化にある……」

 絵本のページが、風でぱらぱらとめくれるように、自分と王子さまの姿が変わっていきます。

 驚くにはあたらないことですが、王子さまも自分も、急激に若く、若く、幼く、小さくなっていくのが観えました。

 その姿が、そういえば子どもの頃は、あんなことやこんなこと、いろいろな感情や夢を抱いて、考えたり学んだりということをしたものだ、と思い起こさせます。が、それも過ぎ去って、自分はそのときの感覚を確かに忘れていないでしょうか。間違いなく思い出せるものでしょうか。

「また、かくのごとし。感受するも、想念もつも、行事なすも、識覚するも、すべては脳のなかのこと。永遠を望む精神にたいし、人間の肉の一部でしかない脳なる部品は常にもろい」

 観音菩薩はゆったりとした声で、ぼやけていく世界へかえていきました。


 王子さまと自分の姿が赤子になり、それでおしまいかと思いましたが、いいえ、もっと小さく、模糊となった姿を観ることができました。

 トカゲのような姿、あるいは、サカナのような姿へ、やがて、タマゴのすがたとなっていきます。

 観世音菩薩はいざなって、そのタマゴのなかをも観せてくれました。

 それは、雲の切れ間から斜陽が差し込むのに似ています。

 空へ登る階段のようだといえばいいのでしょうか。

 二重らせんのハシゴでありました。


「さあ、きみとともに辿ろう」

 観自在菩薩の声がまたうっすらと響き渡ります。

 そのハシゴの一段、足をかけられそうな踏み板がひとつはずれて、観音とともにそれを船のようにして乗り込むと、めくるめく時をさかのぼる旅となりました。

 その船がいったいどこから来たものか。

 自分はいま、なにか得体の知れない光状のものでありましたから、その船に乗りながらにして、その船が、ナニモノの一部であるのかが分かりました。

 さかのぼる川、最初に観じたのは母であり、さらに、どうやら母の母へ、そのまた母へ……。

 終わりなく素晴らしく、長い長い旅路です。

「心配にはおよばない、生きることとは、死にむかうことだ。こうして脈々と、人間は生きた。その終着点を観るといい」


 どれほどの時間がかかったものかわかりませんが、観自在菩薩がそう言うころには、自分は海の生物の一部で船を滑らせていたのです。

 そのワニだかヘビだかよくわからない生き物が、ナニモノかに食べられ、船はそちらへ留まりました。

 それでも船はまだ壊れはせずに、ただ、ひとたびそのナニモノかの糞として、押し流されたようでした。

「人間には美醜の感覚、垢浄の観念があろうが。なに、ばっちいもんではない。……少し寄り道だ。この糞の一部となり、また我らは阿頼耶識へとすすもう」

 糞は、次第に、小さな小さな者たちに食べられて、土へ砂へと……。

「さよう、人間は雌雄の別を考えるまえに、確かに人間でなくてはならぬ。人間であろうとするなれば、間違いなく動物でなくてなんとする。動物たるものなれば、生物としてあらねばならぬ。生物なるは偶然の物質にすぎず、われらはいま、物質の一部となった……。質量とエネルギーが保存された状態にある」


 そこは、星空を見上げた世界のようでした。

 くるくると、普段の夜空を見上げるよりもずっとはやく、光の粒が旋回しています。

 その旋回の円心に、他の粒よりも大きく、煌々とかがやくものがありました。

「人間が感じることのできる限界近くに、いまわれらの船は進んだ……。ここからは五感がうまく作用せぬ。さあ、……くぐりぬけよ」

 船は、いつのまにか、自分と観音菩薩の混じりあった光に含まれていて、いま、煌々とかがやくものもだんだんとその一部になっていきます。

「勘違いしては困るが、これが永遠の真の姿だと思ってはならぬ。これすらも……」

 思いのほかするり、と、自分は大きな光となっていきました。

 それは太陽のようでした。

 生物が、人間が、うねうねと這い回って、球体……、地球に住み着こうとしている様が、こんなに遠くからはっきり観えます。

 そして、それが、突然にはじけました。

 より大きな光、もはや光しかない、スタート地点よりも圧倒的な孤独世界でありました。


「そして、われらは、すべてに宿った……。生きるも死ぬもない、あまねく、ここにあるというだけだ」


 そして、自分の心臓が動いていること、内臓が動くこと、血流があること、遺伝子のひとつぶひとつぶが、ありえないほどの生命の灯火のようにきらめき、自分は「存在する」……なにやら偶然にも存在している、全体のなかにことのほか細密に組み込まれた自分を観ました。


「これが、苦しみというものだ。わけも分からず存在し、無意味なほどに人間は空白の脳をもってうまれる……。意味などもとよりない。意味をもたせようとすれば、すべては空ろだ」

 観自在菩薩はいいました。

「だからこれを逃れよ、開き直れ、鎖につながれたすべてに身をゆだね、ときに、その鎖からはなれ、おおいに自分のあるがままをあれ」


 するりと、光が離れて、目の前には王子さまがいました。

「ま、要するに、死んだらそれまで、ってこと。いま、この瞬間に死ぬとしても、やりのこした、って思わなきゃいい。あきらめるか、いどむか、とにかく、まっすぐに死に向かうように。どうせ人間は孤独だし、どうせ人間は独りにはなりきれないんだ。死んでから蘇ったりさ、生まれ変わったりさ、違うモノになって、もういっかい一生を過ごすなんて、二度手間で馬鹿らしいじゃん?」

 王子さまが微笑むと、一陣の風が吹き渡っていきました。

 

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― 新着の感想 ―
[一言] にゃるほど(゜Д゜ ) !! 色即是空とか不浄不滅とか、これは仏教特有の諦観や無常観を説明しているわけですね^^ 般若心経を口語調の物語にして聞かせるとこんな感じになるのかなあ……(感心) …
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