第八章 なしのつぶて
二学期が始まったばかりのある日の四限目、五年二組の教室にいつもとちがう先生が入ってきました。
国語の教科書を抱えてやってきたのは、教頭先生です。びっくりしている児童たちに、教頭先生は言いました。
「タニ先生のお子さんが熱を出してしまったので、先生は急きょ帰りました。代わりに私が国語の授業をします」
ヨウスケが、手を挙げて質問します。
「インフルですか?」
「それはまだわかりません」
教頭先生はにっこり笑い、教科書を開くように言いました。
授業は、昨日のおはなしの続きだったのですが、音読も終わりふっと教室が静かになった時、教頭先生がこんなおはなしを始めました。
「くだもののなしがおいしい季節ですね。みなさんは、「なしの実」というおはなしを知っていますか?」
児童たちは顔を見合わせます。なしはもちろん知っているけれど、「なしの実」というおはなしは聞いたことがありませんでした。
「むかしむかし、あるところで、ある親子が大道芸をやっていました。……大道芸っていうのは、手品やおどりを、歩いている人たちに見せて、お金をもらうことです。さて、見物客が「なしの実を食べたい」というので、大道芸人の父親は一本の縄を空に向かって長く長くのばしました」
教頭先生が天井を見上げたので、児童もつられて顔を上げます。
「縄はどこまでも高くのびています。その縄を、大道芸人の息子が、するするとのぼっていきました」
「うそだあ」
ヨウスケが茶々を入れます。教頭先生はにこにこと首を振ります。
「まあ、最後まで聞いてごらん。縄をのぼってのぼって、とうとう息子は地上から見えなくなりました。きっと、雲の上にたどり着いたのでしょう。見物客が空を見上げていると、やがてなしの実が一つ、落ちてきました」
児童は、じっと聴いています。
「そのなしの実を見物客が食べて、おいしい、本物だと言いました。みんなおどろいて、すごいことをした親子をほめました。ところが……」
教頭先生は、急に声を低めました。
「なしの実に続いて、何かが空から落ちてきました。よく見ると、それは息子の手だったのです。つづいてもう一つの手、両足、胴体、そして最後に頭が落ちてきました」
何人かの女子が悲鳴を上げます。男子はうへえとつぶやいたり、顔を見合わせてくっくっと笑いました。
「かわいそうな父親は、息子のばらばらになった体をかき集めて、泣きました。たった一人の息子を失ってしまった。きっと空の上の神様のなしを盗んだから、怒りを買ったのだろう……見物客はみんな、とてもかわいそうに思い、たくさんのお金を父親にあげました。お金をしまった父親は、息子に「みなさんにお礼を言いなさい」と声をかけました。すると息子は元通り、元気な姿で飛び上がってみせました」
ヨウスケが、これで三度目の発言をします。
「じゃあ、今までのはうそだったってこと?」
「さあ、どうかな。見物客も父親もみんな、息子の手や足が落ちてきたのをたしかに見たんだ」
「でも、ばらばらの体がくっつくなんて、ありっこないよ」
「そもそも、空の上に行くなんて……」
教頭先生が児童の疑問に答えようとした時、チャイムが鳴りました。これで授業はおしまいです。
その日の昼休み、校庭に遊びに出たヨウスケや五年一組の児童たちは、不思議なことに気がつきました。
校庭のすみっこにはのぼりぼうがあるのですが、その中の一本が、空に向かってどこまでも長く長くのびているのです。
「これって、教頭先生が言ってたおはなしと同じなんじゃ……」
「じゃあ、雲の上に行けるってこと?」
「でも、ばらばらになっちゃうよ」
ヨウスケが、くつとくつしたをぬぎすて、その長いのぼりぼうに飛びつきました。
「やめなよ!」
ミサキがとめます。「雲の上にたどり着く前に、つかれて落っこちちゃうよ」
「平気、平気。のぼりぼうは得意なんだ」
ヨウスケは、ずんずんとぼうをのぼっていきます。あっという間に他のぼうの高さをこえ、電線の高さをこえ、空に少しずつ近づいていくのです。
「気をつけろよー!」
ヨウスケの友達が、応援を送りました。
「なしの実があっても、盗んじゃだめよ!」
ミサキや他の女子も、かたずをのんで見上げました。
とうとう、ヨウスケの姿は校庭からは見えなくなりました。ちょうどぼうの先に、大きな雲が広がっています。ヨウスケは雲の上にたどり着いたのだと、だれもが思いました。
ヨウスケは、なかなかもどってきません。もうすぐ昼休みが終わってしまいます。みんなが心配になりはじめたころ、何かがひらひらと雲から落ちてきました。
それは、ヨウスケの上着でした。五年一組の児童はまじまじと見つめ、悲鳴を上げました。あの「なしの実」のはなしと同じではありませんか。
「ヨウスケが!」
児童たちは、助けを求めて学校にかけこみました。探すのは、教頭先生です。
教頭先生は、三年生の教室で、カズトくん相手に将棋をさしていましたが、ミサキたちのはなしを聞いて校庭にかけつけました。
のぼりぼうの下には、ヨウスケの上着や、こっそり持ってきていたらしいビー玉や、今日の給食のチーズなどがちらばっています。
「先生! ヨウスケが、ばらばらになっちゃう!」
教頭先生は、胸をたたいて言いました。
「だいじょうぶ。先生が、ヨウスケくんを助けに行くよ」
「どうやって?」
「先生、のぼりぼうのぼれるの?」
「まあまあ、見ていてごらん」
教頭先生は、ハトの小屋に行って、ハトの鳥羽先生に羽を二つ借りました。そして、両手に持った羽をはためかせ、飛び上がります。強い風が、教頭先生を空へと押し上げてくれました――これは、裏天神杜小学校の生徒が、手伝ってくれたのでしょう。
教頭先生は、あっという間に雲の上までやってきました。ふかふかで少しひんやりとした雲に、ヨウスケが寝そべっています。近くまでくると、ヨウスケがぐっすりと寝入っているのがわかりました。教頭先生はあきれ、ヨウスケを起こします。
「ヨウスケくん、みなが心配しているよ」
目を覚ましたヨウスケは、目をこすりながら言いました。
「ここ、どんなベッドよりも気持ちいいよ。先生も寝てみなよ」
そう言われると、先生も少し気になってきました。
「どれ……」
寝そべると、たしかにとても気持ちいいのです。ふわふわの雲は、毛布やふとんのようで、でもぎゅっとにぎるとすぐにとけてしまいます。先生の顔を、しゅうしゅうとたちのぼる水蒸気がやさしくくすぐりました。
先生はくつをぬぎ、あくびをしました。くつは雲のはしっこから転がり落ちてしまいましたが、気にはなりませんでした。目を閉じると、すぐにねむたくなります。
グワーン! と、大きな音が下から聞こえてきました。いつの間にかねむっていた先生は、おどろいて目を覚まします。となりで寝転んでいたヨウスケも、何事かと飛び起きます。
雲の下を見ると、天神杜小学校のカリヨンが、大きくゆれ動いていました。さっきの音は、それだったのです。校庭で待つ児童たちが、砂粒のように小さく見えました。
雲は、少しずつ動いていました。どうやら、天神杜小学校から離れていくようです。ぞっとした教頭先生とヨウスケは、鳥羽先生の羽を持って飛び立ちました。二人三脚のように、二人はしっかりおたがいを支え、教頭先生が右手に、ヨウスケが左手に羽を持つのです。
下へ下へと流れる魔法の風にのって、二人はなんとか校庭へ帰ってきました。ミサキたち五年一組の児童がかけよってきます。先生が校庭に残った水たまりにふと目をやると、おばけが怒った顔で先生をにらんでいました。おばけも心配していたのでしょう。
昼休みはとっくに終わっていました。五限目は体育の予定なので、このまま校庭で授業をしようと教頭先生はみんなに言いました。
「二人ともぜんぜんもどってこなかったから、怖かった」
ミサキは少し泣いていました。
「雲の上で、何やってたの?」
「なしの実はあった?」
口々に聞かれ、ヨウスケと教頭先生は、気まずい思いでおたがいの顔を見ました。寝ていただけとは、とても言えませんでした。




