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公爵令息は恋の雷に三度打たれる。~『君は強いから、僕がいなくとも生きられるだろう』と完璧な婚約者を捨てた僕は、孤独になった~

作者: 夜音
掲載日:2026/06/06

 その瞬間、僕は雷に打たれた。


 もちろん、実際に天から稲妻が落ちてきたわけではない。僕の胸の真ん中に、『恋の雷』が落ちたのだ。


 きっかけは、目の前で涙を流すひとりの少女だった。クレール男爵家の令嬢エレナ。小柄で抱き締めれば折れてしまいそうに細い体躯。その姿はあまりにか弱く、庇護欲を掻き立てられる。


「どうしたんだい?」


「……レオナール様。意地悪をされて……ううん、エレナがいけなかったの」


 小さく首を横に振る度に、蜂蜜色のふわふわとした髪が揺れる。涙で潤んだ琥珀色の瞳が僕を見上げた。


 その健気な姿に僕の胸は激しく締めつけられた。


 ああ、この子のことは僕が守らなくては。


 か弱くて健気で儚い月の妖精のようなエレナを守れるのは、僕だけだ。


 僕には、子供の頃に親同士が決めた婚約者がいる。公爵家同士の繋がりを強固にする。そんな義務だけの婚約者、フランセット・ブロンネル。闇夜色の髪、すべてを見透かす冷たく鋭いアイスブルーの瞳が僕は苦手だった。


 公爵家を継ぐ者として、結婚に夢や希望を求められないことは理解している。だが、それでも僕は――いや、だからこそ余計に『愛』を求めてしまうのかもしれない。


 一度自覚した想いは、蓋をしても次から次へと溢れてくる。エレナが僕に笑いかける度に、辛い目に遭ったと僕の胸に顔を埋める度に。


 ああ、僕は、エレナを愛しているのだと自覚する。


 激しい恋の雷に打たれた僕は、その衝撃に突き動かされ決断した。


「エレナ、僕がこれから先、一生君を守る。どうか、僕の恋人になってくれないだろうか?」


「……はい! エレナ嬉しいです。フランセット様より私を選んでくれて……!」


 そう言って僕の胸に飛び込んできたエレナを、世界で一番の宝物を力の限り抱き締めた。



 *



 学園の談話室にフランセットを呼び出した。


「フランセット・ブロンネル公爵令嬢。婚約は解消させて欲しい。君は強いから、僕がいなくとも生きられるだろう。けれど、エレナには僕がいないと駄目なのだ。か弱く儚い彼女を守りたい。どうかわかってくれないか?」


「この婚約は、家同士が決めたこと。わたくしの一存では決められません。ですが、わたくしは婚約の解消を受け入れます」


 制服である紺色の飾り気のないロングドレスの裾を優雅に摘み、非の打ち所のない淑女の礼(カーテシー)を披露する。そのどこまでも澄んだアイスブルーの瞳が悲しみに揺れることは最後までなかった。


 その後、親同士の話し合いの末、フランセットとの婚約は正式に解消された。ブロンネル公爵家に賠償金を支払うことになったと父に激怒されたが、それで『真実の愛』を手に入れられたのだから安いものだろう。


「――まったく、おまえが『胸がビリビリっとなった』と一目惚れして駄々をこねたから、こちらから頭を下げ婚約を打診したというのに」


 父が何かを呟いていたが、エレナとのこれからを思い浮かべていた僕の耳には、その声ははっきり届かなかったのだ。


 すぐにでもエレナとの婚約を結べると思っていた。しかし、父が首を縦に振ることはなかった。


「身分の低さもあるが、公爵家に嫁ぐには何より『強さ』が必要だ。おまえの愛する小娘にその強さがあるのか?」


 父にエレナを認めてもらうために、僕は講師を手配し公爵夫人としての教育を始めさせた。


「エレナ、頑張ってレオナール様の妻に相応しい女になるわ」


 明るい笑顔を浮かべたエレナの姿は、健気で胸に愛おしさが込み上げた。父も彼女の努力を見ればきっと認めてくれるはずだ。


 ……だが、僕の想いとは裏腹にエレナは顔を合わせると弱音を吐くようになる。


「講師の先生が嫌味を言うの……エレナが男爵の娘だからって馬鹿にしてるんだわ」


「公爵様はエレナのことが嫌いなの? だからレオナール様との婚約を認めてくれないの?」


「やっぱり身分が低いから認めてもらえないんだわ。エレナって可哀想……」


 ぽろぽろと大粒の涙を流すエレナに訴えられる。


「ごめんよ、エレナ。でも、君が公爵家に相応しいと認めてもらうためなんだ。だから、頑張ろう?」


 来る日も来る日も、泣いて縋る彼女を慰める日々が続く。


「先生が、とても厳しくて怖いの。エレナをいじめるの」


 僕の胸に顔を埋めて泣くエレナに、公爵夫人になるための『強さ』はいつまで経っても身につかなかった。


 僕が恋に落ちた、か弱くて健気で儚い月の妖精のようなエレナは、こんな人間だったろうか?


 涙に潤んだ瞳で上目遣いで見つめられて、僕が守らなければと心が震えた。だけど、何かあればすぐに泣かれて僕は疲れ始めてしまった。


 ……しばらく、距離を置きたい。


 夫人教育を休みにしようと告げたとき、エレナは己の不甲斐なさを棚に上げ、ただ嬉しそうに僕の腕にしがみついた。


「嬉しい! ねえ、レオナール様、エレナ頑張ったご褒美に指輪が欲しいの」


 ……ご褒美? 公爵夫人としての教育が何一つ身につかなかったのに?


 甘えるように僕の腕に胸を押しつけるエレナに、かつての愛おしさは微塵も沸いてこない。


 その日から僕は、彼女を避けるようになってしまった。



 *



「君、伯爵家の令嬢とは名ばかりの、辺鄙な田舎者だそうじゃないか?」


「しかも、女ばかり五人娘の末っ子なんだって?」


「領地の牛とばかり会話をしていたんじゃないのかい?」


 ある日、学園の廊下で数人の男子生徒がひとりの女子生徒を囲みからかっている場面に遭遇した。


 彼女は最近編入してきたばかりのマリーン・ボネだったな。確かに彼女の家は、王都からかなり離れた緑の山々に囲まれた田舎の伯爵家。それにしても、なんて酷い言い草だ。エレナなら泣いて縋りついてくるぞ。


 彼らを窘めようと一歩前に出た瞬間――


「わかります? 隠せてると思ったんだけどなあ。そうなの、田舎すぎて人より牛の方が多い場所なの……でも、声をかけてもらえて嬉しいな」


「は? 嬉しい?」


「だって、都会の方は私みたいな田舎者に話しかけてくれないと思って、ずっと不安だったから――。そうだ! 今度、私の領地の名産のチーズを使ったサンドイッチを持ってきますね!」


 胸の前で両手を合わせて目を輝かせる。


「すごーく美味しいんですよ」


「お、おう……」


 僕が窘めるまでもなく、毒気を抜かれた男子生徒たちは、その場を立ち去る。


「おまえ、顔が赤いぞ」


 ひとりがそう言って隣に並ぶ友人を肘で小突いた。


「……あの子、意外と可愛いよな」


 小突かれた男子生徒が小声で呟きながら、赤面したまま僕の横を通りすぎていく。


 意地悪をされたと泣くことも、毅然と反論することもなく場を納めるなんて。


 そんなことを思っていた僕とマリーンの若草色の視線が交わる。素朴な栗色の髪が風に踊った。


「……レオナール様! 今の聞いちゃいましたか? やだ、どうしよう恥ずかしい……あ、もし、よろしければレオナール様もサンドイッチ召し上がりますか?」


「あ、ああ」


 僕の返事に恥ずかしそうに俯いていたマリーンが顔を上げる。ぱあっと向日葵みたいな笑顔が咲いた。


「嬉しい! レオナール様の分は、特別にチーズたっくさん挟んじゃいますね」


 その瞬間、僕は雷に打たれた。


 ああ、僕が求めていたのはマリーンのような一緒にいて心が明るく晴れやかになれる女性だったんだ。彼女ならば父も間違いなく認めてくれるだろう。



 *



「ごめん。君といても疲れるだけだ。僕にはもう君を受け止めることができない」


「そんな、酷いわ。エレナのこと、守りたいって言ってくれたのは嘘だったの?」


 琥珀色の瞳がみるみる潤んだが、僕の心はもうなにも感じない。


「あの時は確かに守ってあげたいと思ったんだ。だが……君が公爵家に相応しい夫人になるとは思えない」


「駄目なところがあるなら言って……! エレナ、直しますから!」


「君を守れるのは僕じゃなかったんだよ。さよなら、エレナ」


 泣き崩れる彼女を残し僕はその場を後にする。放課後の教室からはエレナの泣き声がいつまでも響いていた。



 *



 それから数日後。マリーンはサンドイッチの包みを手にやって来てくれた。


「はい、レオナール様! お約束通りチーズたくさん挟んできましたよ」


 二人で中庭のベンチに並んで座った。曇り空は太陽を隠しているのに、僕の隣には陽だまりが存在している。


 好き。好きだ。


 一度自覚した想いは、蓋をしても次から次へと溢れてくる。マリーンのまばゆい笑顔が僕に向けられる度に。小鳥がさえずるような声で僕の名を呼ばれる度に。


 ああ、僕は、マリーンを愛しているのだと自覚する。


 激しい恋の雷に打たれた僕は、その衝撃に突き動かされ決断した。


「マリーン。僕の恋人になってくれないだろうか? 君のその笑顔で僕の心をずっと照らし続けて欲しい」


「えっ、恋人……? レオナール様ってば、冗談がお上手なんですね! ……もしかして、本気なんですか? ……どうしよう、嬉しい」


「それならば、受けてくれるか?」


 頬を赤く染めて恥じらうマリーンの姿に鼓動が早まる。


 その反応は、君も同じ想いだということだろう?


「……ごめんなさい。私、卒業したら領地の幼馴染みと結婚する予定なんです。彼は平民の牛飼いで、レオナール様みたいに立派な貴族じゃないけど、私が作るサンドイッチを『世界一美味しいよ』って笑って食べてくれる素敵な人なんですよ。レオナール様なら私よりもずっといい人が見つかります! あ、そうだ。結婚式、よかったら来てくださいね! チーズ山盛りのサンドイッチ、用意しておきますから……それじゃ、私もう行かなきゃ」


 制服のスカートを翻し小走りで駆けていくマリーンの姿を、僕は呆然と見つめるしかなかった。


 膝の上に置かれた包みをゆっくりと開く。こぼれ落ちそうなチーズが挟まれたサンドイッチを手に取り口に運んだ。


「――美味しい」


 世界一のサンドイッチは、涙の味がした。



 *



 あれから僕は女性不信に陥ってしまい、婚約者どころか女性と話すことすら出来なくなってしまった。


 父からは激怒され母からは呆れられ、最終的に廃嫡された。辛うじて家を追い出されずに済んだが、離れで息を潜め日々を過ごしてきた。家は弟が継ぎ、公爵家に相応しい強く芯のある女性を妻に迎えた。


 僕は、どこで間違えてしまったのだろう。





 ――その後。


 フランセットは留学先の帝国でその有能さを皇子に認められ、妻として迎えられた。彼女は後に歴史に名を残す皇后となった。


 エレナは手当たり次第に学園の男子生徒へと擦り寄ろうとするも、誰からも相手にされず親子ほど年の離れた子爵の後妻に収まることとなる。


 マリーンは予定通りに幼馴染みの牛飼いと結婚し、子供にも恵まれ幸せな日々を送っている。







 数年後、里帰りしたフランセットの強面な護衛騎士を一目見たレオナールが『雷』に打たれるのは、また別の物語――


最後までお読みいただきありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
こんな男、田舎に押し込めにしといた方が良い。護衛じゃ他国の貴族令嬢かもしれないし、国際問題になるんじゃ。
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