0.08%の奇跡
左腕の火傷痕が、心臓の鼓動に合わせてズキズキと疼く。
沢の水で冷やし、裂いたシャツの切れ端を巻いたものの、痛みが引く気配はない。
トシは岩陰に身を潜め、虚空にステータスウィンドウを呼び出した。
半透明の画面の片隅。十四個の空枠のうち、二つのスロットに『一萬』と『七索』の画像が静かに収まっている。
触れようとしても指は空を切るだけだ。この牌は物理的な実体を持たない。あくまでトシの魂、あるいはこの世界が彼に与えたシステム上にのみ存在する概念だった。
(魔法は圧倒的な脅威だ。まともに食らえば次こそ死ぬ。だが……)
トシは目を閉じ、昨日の戦闘を脳内で再生する。
杖の先に赤い光が集まる、あの数秒間のタイムラグ。強大な威力と引き換えに、あの魔法には明確な「予備動作」があった。
(そこが唯一の勝機だ。撃たせる前に、距離を潰す)
トシは一晩かけて、ゴブリンメイジを確実に仕留めるための「盤面」を作り上げた。
場所は沢から少し下った、木々が不自然に開けた窪地だ。そこには、彼が石器と素手で必死に掘り進めた落とし穴と、しならせた若木を利用した凶悪な罠が仕掛けられている。
準備は整った。
トシはわざと窪地の中央で枯れ枝を折り、足音を高く鳴らした。
ほどなくして、腐葉土を踏む複数の足音が近づいてくる。
「ギィ、ギギィ……」
現れたのは、昨日のゴブリンメイジと、その護衛と思われる通常ゴブリン二体だ。
メイジはトシの姿を見つけるなり、醜悪な顔を歪めて杖を突き出した。
「……来いよ、魔法使い」
杖の先に赤い光が灯る。
トシはその光が収束しきる直前、背後の大木の陰へと全力で飛び込んだ。
ドォォンッ!
爆風が土を跳ね上げ、視界が濛々たる砂煙で覆われる。
護衛のゴブリンたちが、獲物が死んだと確信し、下卑た笑い声を上げながら窪地へと踏み込んだ。
「今だ」
トシが木の陰から、ピンと張られた蔦の結び目を石斧で叩き切る。
直後、前衛の一体が地面に偽装された落とし穴へと吸い込まれた。底には鋭く尖らせた杭が突き立てられている。
「ギャアッ!?」
仲間が消えたことに驚き、足を止めたもう一体。
その真横で、トシが仕掛けていた「跳ね上げ罠」が発動した。しならせた若木が凄まじい速度で弾け戻り、先端に結びつけられた重い石がゴブリンの側頭部を粉砕する。
「ギギッ……!?」
一瞬で護衛を失い、独り取り残されたゴブリンメイジ。
そいつが慌てて再び杖を構えようとした瞬間、トシは既に「S(素早さ)79」の脚力をフルに活かし、砂煙を突き破ってメイジの懐へと肉薄していた。
「二度も同じ手は食わない!」
メイジの杖の先に再び光が宿る。しかし、放たれるよりも早く、トシは手に持っていた泥の塊をメイジの顔面へ全力で叩きつけた。
土を被ったメイジが、反射的に濁った眼を閉じる。
集中が途切れ、魔法が暴発してメイジ自身の足元で火花が散った。
その致命的な隙を、トシが見逃すはずがない。
全体重を乗せて振り抜かれた石斧が、ゴブリンメイジの細い首を正確に捉え、へし折った。
ゴッ、という鈍い音と共に、メイジの体が地面に崩れ落ちる。
トシは念を入れ、動かなくなるまで何度も、何度も石斧を振り下ろした。
「はぁっ、はぁっ、はぁ……!」
やがて、メイジの体が淡い光の粒子となって空中に霧散していく。
トシは石斧を杖代わりに体を支え、激しく肩で息をしながら、虚空を見つめた。
0.08%。一万分の一よりは高いが、それでも千匹狩って一匹落ちるかどうかの絶望的な確率。期待はしていなかった。ただ、死地を乗り越えた達成感だけがあった。
しかし。
トシの脳内に、無機質な機械音が響き渡った。
『ゴブリンメイジの討伐を確認。ドロップ判定……成功(0.08%)』
「……え?」
視界の端で、半透明のウィンドウが自動的に展開される。
0.08%という1000回やっても、1度も出ないであろう確率を1発で!
十四個のスロット。その三つ目に、淡い光と共に新たな画像が生成されていく。
白地に、赤く禍々しい、だがどこか神秘的な文字。
『【中】を獲得しました。手牌に加えます』
「『中』……。字牌、それも三元牌か……!」
トシは思わず息を呑んだ。
数牌とは異なる、特別な力を持った牌。それがウィンドウの中で確かな存在感を放っている。
果たして、この牌はステータスにどのような影響を及ぼすのか。
トシは高鳴る鼓動を抑えきれないまま、詳細を確認すべくステータス画面を注視した。
【トシの現在の手牌】
[一萬] [七索] [中] [空] [空] [空] [空] [空] [空] [空] [空] [空] [空] [空]




