【1年 4月-5】かわいい?
翌日の放課後。
若色さんはすぐに帰る準備をしていた。部活に興味なさそうなのが流石陰キャ。
「あ、若色さん、帰る前に3分だけ時間くれる?」
「うん、いいよ。なに?」
「英語の発音についての、いい解説動画を思い出したんだけど……」
今日は昼休みに若色さんと英語の勉強法について話をしたので、その流れだ。
「あ、その前に、若色さん家ってプリンターある?」
「あるけど、使い方がわかんないかも」
「うーん、了解。その動画ってイギリス人の動画なんだけど、日本語字幕に問題があってさ。英語字幕から翻訳して紙に印刷した方がいいんだよ。じゃあ俺が印刷して明日持って来るよ」
「へー。ありがとう」
「一応URLだけ先にLINEに送っとくね。でも印刷した字幕見てからの方が内容は入ってくると——」
「けんこー、友達できたの? あ、若色さんだ」
後ろから綾菜の声がした。
「白駒さん! 久しぶり」
挨拶したふたりの距離感から察するに、友達ではなさそうだ。仲の良さをわざと演出する女子特有のキャッキャしてる感じもない。
「ふたりは知り合い?」
「小学校のときと合わせて、3回同クラだよね、若色さん。去年もね」
つまり若色さん、小学校、俺と同じなのか。え、俺と同クラだったこともあるのかな? ……墓穴掘りそうだから黙ってよう。
「いーじゃーん。かわいい娘が隣で嬉しいでしょ、けんこー」
綾菜が俺の方を見てにやりと笑う。
うーん。またあれをやらんといかんのか。
「綾菜、前にも言ったけど俺が『かわいい』を言う対象は限られてるから。
1 無制限で使う1人
2 『かわいい』と言われることを必要としている人(自信がなくなっている等)
3 子供、動物、キャラクター等
以上」
「だからそれ面倒臭いって。見てみ、若色さんを」
綾菜が自慢げに若色さんの両肩に手を置く。
「ちょっと垂れ目の大きなお目々、筋が通りつつ小さめのお鼻。お口も綺麗なEラインでセクシーな美少女じゃん」
若色さんが顔を赤くして硬直している。リアクションに困っているようだ。
「しかもだよ。見てこれ、こーんなの、円周率が4になるよ」
両手でそこに大きな丸を描くな。π(パイ)の定義は変わらないよ。
「セクハラはやめなさい。そもそも俺は隣の人の容姿が優れているだけで喜ぶことはないから。もっと内面も含むような表現——例えば、陰キ……じゃなかった、えー、『素敵な娘が隣で嬉しいでしょ』って聞かれたら『うん、嬉しい』って答えるよ」
「あ、あの、あ、ありがと、し、白駒さん、ママ、マキくん」
あ、しまった。許容限界を超えて褒められた若色さんの脳がスロットリングを起こして、言動がラグくなってしまった。
「わ、私そろそろ帰るね、白駒さんも、それじゃ」
若色さんは慌てて荷物を持って風のように去っていった。
うん、あの褒められ慣れてない感じ、やはり筋金入りの陰キャだ。同士よ。
◇ ◇ ◇
「ねえ、まだ終わらないの?」と綾菜がぼやく。
勉強机の回転椅子を180度回して振り向くと、綾菜が俺のベッドの上で右肘をついて横になり漫画を読んでいた。
その姿、涅槃像の如し。
この体勢、足の方にドアがあるから部屋を出入りするときに目線に気を遣う。綾菜が今日のように気まぐれでスカートを履いていて、足の曲げ方が悪いと……。まぁ、そういうこと。でも結局見えたことはないので、角度は計算されているんだと思う。
「一緒に勉強しない?」と綾菜。
しかし綾菜はその言葉に反して漫画を持ったままだ。
「ごめん。思ったより時間かかりそうだから、勉強はもうちょっと待って」
俺は回転椅子を回して勉強机に向かい直した。
勉強机と言っても、ノートパソコンを買ってもらって以降は八割方ノートパソコン用で、今も資料をワードで制作している。
「ただの動画の補足資料に時間かけ過ぎじゃない? 時は金なりだよ?」
「俺、金の方は持ってるもん。……日本人が見ようとするといろいろ面倒なんだよ」
最初は英語字幕を最新の機械翻訳で日本語にすればいいだろうと安直に考えていたが、いざそれを作ってみると日本人にとっては情報が足りないと気付いたのだ。
このままでは俺は相手の理解度に配慮せず、一方的に自分の好きなものについて語るコミュ障英語オタになる。
……まあ、自作の解説をつけると悪化する可能性もなくはないけど。
「俺の勉強にもなってるから、丁寧にやろうと思ってさ。綾菜も後で読む? 動画のURL教えるよ」
「うーん。考えとく。でもなんか手厚いね。そんなに若色さんのことが気に入ったの?」
「若色さんには、かわいいだの何だのって、ちょっと迷惑もかけたし、これくらいいいだろ」
「あんなの、素直にかわいいと言っておけば丸く収まるのに」
「若色さんは『かわいいと言われることが必要』な状態ではなかっただろ。『かわいい』の不毛なキャッチボールは女子たちで勝手にやっていればいいじゃん」
「…………」
見えてはいないけれど、背中から、綾菜が何かを企んでいる波動を感じる。
「ねえねえけんこー。今日のあたし、かわいい?」
再び振り返ると、綾菜がベッドの上にあぐらをかいて、両頬に両手の人差し指を当てるぶりっ子ポーズをしていた。
いつもなら、ここで俺が「いつも通りかわいいよ」と言って、綾菜が「はいはい、あたしは今『かわいいと言われることが必要』な状態ってことね」という会話の流れになるのがお決まりである。そのあとに「違うよ」と言うかどうかで俺の度胸が試されるまで見えている。
だけど今日は俺の気分が少し違った。
「いつもよりかわいくない。いつもが10点なら、今日は9.5点。他人の『かわいい』まで求めているから、その分だけ減点」
「…………」
枕を投げられるくらいは覚悟していたが、綾菜は肩を落としてわかりやすく、しゅんとしょげた。
「それ、若色さんは何点?」
……ん? どういうこと? なんか嫉妬みたいなことを言っているんだが。そんなことこれまで一度もなかったぞ。これが噂の『情緒不安定な日』ってやつか?
これは回答を間違えると大変な目に合う。入試ですらこの緊張感はなかった。もうウンコ漏らしたことにしていいかな。いやいっそガチで漏らそうかな。
「……その比較って、勝ったら自分の優越感のために他人の容姿を利用したことになるし、仮に負けたとしたら自分が嫌な気分に——」
あ、これは不正解だな。
「ごめん。えーと、じゃあ、これは俺の主観ね。あくまで俺の主観だけど、性的な好みとして、異性の魅力を感じるのは白駒綾菜さんの方です。人の好みは十人十色だから、どっちが勝っているというわけではないけどね」
「ふーん……」
ファイナルアンサー。どうでしょうか。
「けんこー、あたしのことそういう目で見てんの? キモ」
綾菜が怯えたふりをしてベッドの上を後ずさる。本気じゃないのは伝わるけれど、その『キモ』はなかなか心に効く。
右心房エグれたかも。
「しかもそれ、絶対本心じゃないでしょ。若色さん、あたしよりおっぱい大きいし」
「気にしたことなかった。ガチで」
……もしかするとこれ、俺に女子についてエロ話をする男友達がいないからかもしれない。逆に言うとそういう身近な人を使った下品な話が嫌いなのも、男友達がいない一因ではある。
「それに、大きいのがいいというのが世間の風潮だけど、俺は断固として反対だね。大きいのも小さいのも中くらいのも、全部いいから。重要なのは恥じらいだよ。こう、服が濡れたときに——」
「キモ」
左心房イきましたね、これは。
「そもそも、そういう話じゃないんだよ。言い方が悪かったけど、どっちのほっぺたをプニプニしたいかとか、そういうことね。それは直感的に綾菜の方なんだよ。理屈じゃなくてさ」
「そのほっぺたプニプニ欲、けんこー、たまに言うよね……。つまり、けんこーは、あたしのほっぺをプニプニしたいんだよね?」
と、綾菜がニヤニヤしながら、これ見よがしに自分の頬を指でプニプニしてみせる。
「……これ、もしかして一旦手を洗ってきた方がいい展開?」
「キモ」
左右の心室に何か突き刺さりましたよ。折れたフラグかな?
まあ、綾菜の機嫌はそれほど悪くなっていないっぽいから、それならそれでいいか。




