【1年 4月-4】ひとりよりふたり
[で、その魔女Aの事件以来、俺は前よりも人と距離を置くようになったかな。なんかいろいろ面倒になった]
[そうなんだ……]
[変な話をしてごめん。でもここからが本題で、実は魔女Aはこのクラスにいるんだ。その人にまだちょっと拒否感というか、何か変なことされたら気持ち悪くなりそうな予感がある]
[まだそこまで酷いの?]
[普段は大丈夫だけど、可能性があるのは感じる。だから事情を知っている人がクラスに1人でも欲しかった。名探偵コナンの灰原哀みたいなさ]
[その例えはよくわからないけど、助けるから任せて。だから聞いておきたい。その魔女Aは誰なの?]
[ごめん、変な先入観を与えたくないし、まだ伏せておきたい。ここまで言っておいて申し訳ないけど。ヤバそうになったら、そのときまた話をさせて]
[わかった]
[頼ってごめん。代わりに若色さんに何かあったら助けるので。俺、勉強は得意だよ。特に英語は既に大学受験レベルだと思う]
[私それ本気で頼りたい。英語が全然ダメなの]
俺は『任せろ!』のスタンプを押した。
◇ ◇ ◇
放課後。若色さんが帰宅したので、俺の視界を遮るものがなくなった左の窓から、外がよく見えている。
部活をどうするだの、クラス分けがどうだっただのと言っていたクラスメートたちも、もうどこかへ行ってしまい、教室には俺ひとり。
ひとりぼっち。
急に昼のことを思い出して、俺は頭を抱えた。
——やらかした。親しくなってもないのにあんな話して、距離感ゼロじゃん。少女漫画ならあと2巻ぐらい親しくなってないと。綾菜の指摘どおり、俺はもっと人と関わるべきだ。
「マキくん、すごいね」
「マキくん、頑張ってね」
人と関わった思い出として、封印したはずの魔女Aの記憶がまた脳内に蘇ってくる。
「好きです、付き合ってください」
「優悧子、彼氏いるから」
掘り返したトラウマが、頭の中を巡る。これ以上記憶に踏み込むと、また胃が反応してしまうかもしれない。
——空を見よう。
少し雲が多い。雨は降りそうにないけれど、気分が冴えるような空ではない。高校を辞めて、嫌なことからは全部逃げて、雲ひとつない空を探して旅に出てみようか。
今の俺ならそれができる。何年だって、一生だって、嫌なことから逃げ続けられる。
英語ができるなら、世界中を巡ることもできるんだよな。一生かけたらひととおり全部見て回れるかな。治安が悪いところは避けたいけれど。
イタリアに行ったら、フィレンツェでメディチ家の名残りを感じたり。
オーストラリアの赤い土を照らす夕日を見たり。
アラスカの肌を刺すような寒さの中で、白い息を吐きながらオーロラを眺めたり。
あとはえっと——アフリカと、南米と……南極はいいか。
全部行くなんて、普通の人なら妄想だけど、俺には、実現可能な現実なんだよな。
……でも、ひとりでは寂しい。
「けんこー、一緒に帰ろう」
うしろから声がした。綾菜は孤独な別世界から俺を引き戻してくれる。そう、あのときもそうだった。
◇ ◇ ◇
あの放課後。俺は、教室にいながら教室ではないどこかでひとり、自我を失って漂っていた。感情のピークは過ぎ去り、残ったのは虚無で、家に帰る意味を見失い、動けないでいた。
「けんこー、一緒に帰ろう」
声の主が誰なのかはすぐわかった。しかし頭が追いつかない。義務的かつ機械的に俺は後ろを振り返った。
綾菜がスクールバッグを背負って立っていた。バッグの持ち手の部分に両腕を通して背負う姿。叱られない程度に短いスカート丈と、バッグの持ち手の付け根からぶら下がる、あふれるほどたくさんの小さなぬいぐるみ。ヘアアイロンでストレートにした長い髪の毛と、ほんのり色づいたリップ。
陽キャ女子中学生のテンプレだ。
これは、学生を『型』に嵌めようとする大人たちの圧力と、それに抵抗する数多の女子たちの意志の衝突の産物だ。そしてこの『型破りな型』こそ、白駒綾菜の精神の具現と呼ぶにふさわしい。
お前も戦え、と言われている気がする。前を行くから、立ち上がって後ろに続けと言われている気がする。
この感覚は、感動は、偶像をその目で見た信者の心境に近いかもしれない。現実が辛いとき、無情なとき、いつの時代も崇拝の対象が人の魂を救ってきた。暗い闇の底に落ちた魂を掬い上げ、その存在から溢れ出す慈悲で、現実に抗う活力を与えてきた。
世界がもとのカタチに戻っていく。曖昧だった自他の境界が明瞭になる。
おそらく数秒間は沈黙していたと思う。
「……部活は?」
もっと気の利いた言葉があったはずなのに。
「辞める。あんなやつらと一緒の部活にいたくない」
ぼんやりとした頭で察した。あいつら、綾菜と同じ美術部だったのか。
「もともと幽霊部員も多いし、帰宅部みたいなもんだよ。だからあんな不良も混じってる。さ、帰ろ」
俺は立ち上がった。綾菜が立ち上がる力をくれたから。動いてみると案外平気で、何でもなかったふりをして、綾菜の後ろについて教室を出た。
帰宅部の俺が放課後何をしているのかとか、何でもない話をして、俺たちは帰り道を歩いた。それから俺の家で一緒にゲームをしたんだったかな。とにかくその日は遅くまで、綾菜は俺の家にいてくれた。
次の日から綾菜が俺の家に来て一緒に登校するようになり、帰りも一緒に下校して、そのまま俺の家で遊んだり勉強をしたりするようになった。互いにそうなった原因については触れないようにしていたけれど、綾菜が俺の様子を常に心配しているのは伝わってきた。
中3になってクラスが別になり下校は別々になることが多かったが、一緒の登校は続いた。これはおそらく惰性で、変化を言い出すことが互いに気まずかったのだと思う。
◇ ◇ ◇
「どした? ぼーっとして」
ああそうだ、ここは高校の教室で、また、綾菜が来てくれたんだった。
「……。少しだけ、魔女Aの——桜井さんの件を思い出してて」
「大丈夫?」
綾菜が俺の顔を覗き込む。
「……」
「熱ある?」
綾菜が少し意地悪そうに笑って、額をくっつける。ほんのり温かい。
「ここまでリアクションが薄いってことはガチじゃん。こんなうら若き乙女とおでこくっつけて動じないとか、重症だよ」
「綾菜、もし俺と世界一周旅行しようって言ったらついてくる?」
「……」
綾菜が腕を組んで上を向き、目を瞑って顔をしかめる。
悩んでいる。
行くかどうかに? それとも、答え方に?
しばらくして、カッと目を見開いた綾菜に、
「……冒険に出るなら、まずはちゃんとレベルアップしないとね!」
と、バシッと背中を叩かれた。




