【1年 4月-2】となりの陰キャさん
その日の昼休み。
新しいクラスはまだ馴染んでおらず、中学の顔見知りグループを作って弁当を食べている集団もいれば、ひとりで食べている人もちらほらといる。
俺の左隣の、窓側の席に座っている、ふわふわとした髪質のナチュラルボブの女子は、コンビニ弁当の蓋すらまだ開けずに、曇った空をぼんやりと眺めている。
マイ箸持参で環境に優しい。
……俺と同類の陰キャの波動だ。
彼女なら、いける……か?
うーむ、一旦深呼吸だ。
ドン・キホーテを創った男の言葉を思い出そう。
『真の勇敢さは、臆病と無鉄砲の中間にある』——ミゲル・デ・セルバンテス
つまり、無鉄砲に動ける臆病な陰キャは、性格が中和して勇敢と呼べる。
……はず。
よし、行け!
綾菜と、運が、俺にはついている!
俺は彼女の肩を指でつついた。
彼女がこっちを振り向いた瞬間、俺は間髪入れず右手を差し出した。
「どうも。真城健康です。健康診断の健康だけど、発音は『け』が高いからよろしく」
「あ、どうも」
俺の押しの強さに負けた感じだが、彼女も右手を出して握手してくれた。
第一関門突破だ。
「どうぞこれ、手拭き用のウエットティッシュよかったら。……あ、これはその、俺の手が汚いからとかそういうことじゃなくて、食事前だからってことで……」
早速やらかしたと思ったが、彼女は笑いながら礼を言い、50枚入りの袋からウエットティッシュを1枚取った。
なかなか笑顔が愛らしい。髪は少し茶色がかっているが、これは地毛だろうか。
陰キャだから地毛だな(偏見)。
「使ったティッシュは、この俺の弁当袋の中に入れてくれればいいから」
「ありがとう。……あのねマキくん。私、中1のとき、マキくんと同じクラスだったよ。覚えてない?」
「あ、えーと……」
中1と言えば、俺がかなり尖っていた時期である。
尖るという字の如く、小の部分と大の部分があった。
記憶の配分も、例外ではない。
「若色 愛美だよ、私の名前」
「あー、思い出し……た……」
その名前を見聞きした記憶はある。だが容姿に関してはすっかり忘れていて、会話も覚えていない。
印象としては、ほぼ初対面だ。
きっと彼女が陰キャで印象が薄いせいだ。俺は悪くない。……はず。
「本当に思い出した? マキくんあの頃、ずーっと英語の本読んでたよね。懐かしいな。もう読まないの?」
そう、中1の俺はトールキンの『ホビットの冒険』の原書にドハマリしていた。
英語の単語も文法もろくに知らないまま、原書のペーパーバックと日本語訳の文庫を突き合わせ、未知の言語の世界を『冒険』していた。
「洋書はちょっと熱が冷めたかな。今は、ラノベ、漫画、ゲーム……。テレビなんて、最近はゲーム専用みたいになってる。ははは」
「インドアな趣味ばっかりだね。でも楽しそう。私、テレビゲームはやったことないな」
「あ、スマホゲーをやる感じ? ガチャとかさ、つい回しちゃうよね」
「ううん。私、ああいう運頼みなのは苦手」
「……そっか」
ヤバい。
互いにテリトリーが違う感じだ。
陰キャ同士が噛み合わないと、静かに進行するデスゲームになる。
話題どうしよう。
「…………」
若色さんは、未開封のコンビニ弁当を見下ろしたまま、ぴくりとも動かない。
「た、食べようか、若色さん。いただきます」
「……いただきます。——個性的なお弁当だね」
俺の弁当は汁漏れと蓋の汚れを防ぐため、白米、おかず、白米の順に盛り付けている。
つまりぱっと見、ただの白米だ。それが二段ある。
「中はツナマヨとキャベツだから。『おにぎらず』インスパイアだよ」
「へー……」
……あ、これ伝わってないな。
「なんか、懐かしいな。マキくん、変わってないね。そういう、他人の目を気にしないところ。でも、背は伸びたね。目線を上げないといけなくなっちゃった」
「俺、そんなに伸びた?」
「伸びたよ。あのとき、私はもう162cmあったんだよ。それでピタッと成長が止まっちゃったけど」
今の綾菜が、確か158cmだったはずだ。
「それ、当時の女子にしては結構大きいよね」
そういえば、いたかもしれない。
今と違って、目まで隠れるような長い前髪のショートヘアで、いつも静かな感じだった。
あと——失礼だけど、もっとぽっちゃりしていたかも。
「デカ女って呼ばれてたよ。マキくんは私に暴言を吐いた相手に、『お前がチビなだけじゃん』って言って私を庇ってくれたんだけど、覚えてない?」
「えーと……ごめん。でも俺そんなこと言うキャラだったっけ?」
「あ、でも、聞こえるか聞こえないかぐらいで、ボソッと言ってただけだよ」
恥ずかし。
そういう、注目を浴びずに存在感だけ出すのがかっこいいと思っていた時期だったっけ。
便器の影に置かれた芳香剤みたいなさ。
「それにマキくんって割と『それはダメだろ』とか『〇〇さんが困ってるから、もうやめろよ』とかボソッと人に注意するタイプだったと思うけど」
「今はもう大人しいもんですから」
「えー。ちゃんと注意できる人の方がいいよ」
と、俺に目線を合わせず、おかずを箸でつつきながら言う若色さん。
相手を否定するとき、目を見られなくなるやつだ。
その陰キャあるある、わかりみが深い。
「俺は注意できるほど偉くないしさ、注意するのが正解だとも限らないと悟ったんですよ。それに、昔……」
しまった。つい気を許して、ポロッと口を滑らせそうになった。
「昔……?」
「ごめん、話の流れで、ちょっと重い……というか、特殊な話を言いそうになって」
「なになに。聞くよ」
ぐいっと上半身をこちらに乗り出してくる若色さん。
興味が湧くと、急に遠慮なく目を見てくるタイプのようだ。
「うーん、えーと……」
話を引っ込めにくい。どうしよう。
いや、でも、そうか。万が一のために、クラスにひとりだけでも仲間を作っておいた方がいいかもしれない。
「若色さん、スマホ持ってる? あまり人に聞かれたくなくて」
「ああ、そっか。気がつかなくてごめん」
うん? いつの間にか、すんなり女子のLINEアカウントと繋がってしまったぞ。
真の勇敢さには、どうやら女子のLINEアカウントがついてくるらしい。




