【1年 7月-4】魔女の宅急便
綾菜が部屋に入ってきた。
ちょっと、心の準備ができてないんだけど。
ノックは「入るよ」の合図じゃないんだぞ。
——あ、待てよ。
「俺、玄関の鍵かけてなかったっけ?」
「合鍵持ってる」
綾菜が右手で鍵を見せびらかしてきた。
鍵に付いている鈴が、場の緊張に割り入るように、チャリチャリと鳴る。
「持ち歩かないけどね。こういうとき用」
どういうときだよ。
「いつから?」
「秘密」
うちの両親もぶっ飛んでるな。
「ちょっと寝てないで。座るからどいて」
俺がベッドの上を移動して膝を曲げて座ると、綾菜がくっつくように俺の左隣に座ってきた。
……何週間も会っていなかった距離感じゃなくね?
……。
少し痩せた……かな?
「受け取りのサインお願いします」
綾菜が、今度は左手に持ったものを見せびらかしてきた。
コンドームの箱だ。
届けるならニシンのパイにしてくれ。
「……ごめん、嘘ついた」
綾菜はよくわからない英語の書かれた白Tに黒のショートパンツ姿で、洗いたての髪の匂いがした。
それなのに、化粧はバッチリしている。
あ、ほんのり、オレンジの香水の匂いもする。
——えーと。一旦、冷静になろうか。
俺の大好きなかわいい幼馴染が、おそらくシャワー浴びたてで、化粧して、俺の好きな匂いの香水もつけて、コンドームの箱を持ち、俺の部屋のベッドの上に座っている。
……。
冷静になれるかっ!
人生が漫画なら、この瞬間はカラーで見開き2ページにすべき圧倒的ピークである。
これって……最高じゃん。
ヤハー!
「けんこー、怒ってる?」と綾菜が心配している。
鼻息が荒いのは別の理由です。
……落ち着こう。
「えーとさ。嘘は俺もついたから、嘘について俺が何か言う権利はないと思う。でもその……説明が——あ、待った。まず俺からちゃんと説明するわ。それが筋だし」
「うん」
「あれは最初の『hump day』かな。若色さんがずっと連勤で、しかも職場が親のコンビニだから逃げられなくてしんどいって話を聞いたんだよ」
「うん、そのつらさはわかる」
「で、たまたまそのコンビニが家から徒歩圏内でさ。コンビニってバイトの定番だし、俺の苦手な接客もほどほどで、好条件だと思ったんだ」
「うん、それもわかる」
「それで、面接したら受かった。あ、綾菜に話したのは合否がわかる前か。あのとき、バイトを反対されて、若色さんの話までしにくくなってた。バイトもしたかったし、綾菜と喧嘩もしたくなくて、嘘で逃げた」
「要するに、またチキンでヘタレだったってことね」
「そう。ごめん。反省してる。でも俺はまだこの問題の最適解を見つけられていない。あのとき俺が正直に言っていたら、もっと大きな喧嘩になっていただけだと思う」
綾菜が大きなため息をついた。
ぎゅっと握った右手の鍵の鈴が、チャリチャリと鳴った。
「まあ、そうかもね。……じゃあ、今度はあたしの番」
「うん」
「一番重要なことだけど、あたし、若色さんに嫉妬してる。けんこーにそんな気がないのもわかるし、若色さんも、あたしがいるのにそんなことしない娘だっていうのもわかるけど」
「それは……ごめん。綾菜の嫉妬なのか独占欲なのか、そういうのは薄々感じてはいたんだけど……。あんまり真剣に考えていなかった。向き合うことから逃げてた。ごめん」
「…………」
綾菜は何か言いたげにじっと俺の顔を見つめ、ふっと天井を仰いだ。
「まあ、それについては……あたしも強くは言ってなかったからね」
「……あ、そう言えば、俺から若色さんに『足拭き』やってあげれば? みたいな綾菜の許可もあったから、嫉妬は許容できるレベルなのかと思ってた」
「あれはそうやって自分の心を試しただけ。まあ、ハイトクカン?あって悪くなかったよ、意外と」
悪くなかったんかい。
「そういうのじゃないの。ふたりの空間でふたりの時間を作ってる、みたいなのが嫌なの」
「でも、若色さんはそもそも恋愛を諦めてるらしいよ。恋愛をできるような心の余裕がないって。『もういろいろ疲れた、自分のことで手一杯』っていう状態なんだと思う」
「だからこそ、けんこーは若色さんを助けるでしょ。それに正直、嫉妬する。理屈じゃない。どうしようもないの」
「それは……『ごめん』と言いたいけど、俺にとっては『溺れている人を助けるな』に近い話だから、難しいよ」
「うん、わかる。だから、自己嫌悪。あたしがわがまま言ったら、若色さんが困るだけってわかってるのに」
俺が若色さんを助けても、助けなくても、綾菜にはストレスがかかってしまう。
どうしよう、これ。ほんと、どうしよう。
「……綾菜。ほっぺた、ぷにぷにしていい?」
「は? 今?」
「前に言ったじゃん。俺、綾菜のほっぺたぷにぷにしたいって。『若色さんに』じゃないよ、俺は『綾菜に』したいんだよ。それは俺の中で絶対的に違うんだ」
「……」
左手の人差し指を綾菜の左ほほに近づけたけど、綾菜は逃げなかった。
ぷに。
ぷにぷに。
ぐいー。
「笑顔にしたいんだけどな。ほっぺた上にあげたら口元も上がって、それで心の中まで笑顔になればいいのに」
「ふざけないで」
あ、ガチで怒ってる。俺は素早く手を引っ込めた。
「けんこーはさ、嫉妬しない?」
「俺か……」
それは、さっきまで考えていたことに近い。
「俺は、綾菜の気持ちが動いたら、諦めるか、それでも頑張るかの二択しか思い浮かばない」
「そうじゃなくて、あたしがかっこいい人といたら? 気持ちが動いてるとかじゃなくて」
「うーん……。アイドル的な? だったら、『ああ、そういう感じが好きなのか』っていう感想はあるかな」
「本当にそれだけ?」
「どうだろう、わかんない。それだけかな……。容姿が好みなのと、恋人になりたい感情って別でしょ」
「じゃあ、正直に言うね。合コンでかっこいい先輩に会って、連絡先交換した。……どう? 嫉妬する?」
鍵の先を俺の顔にびしっと突きつけてくる綾菜。
「えーと……。それは結局、恋愛に発展するのを期待してるってことでしょ。気持ちが動いているなら、さっきの話と変わらないよ」
「うーん……」
考え込んだ綾菜は、コンドームの箱を持ち替えたりくるくる回したりして手慰みにした。
「そうじゃなくて、かっこいい人に認められたら嬉しいから、利用してるだけ。どう? 嫉妬する?」
「それは利用されているその人が可哀想だと思う」
「けんこー、その正論しか言わないの、やめなよ」
コンドームの箱の角で、左の太ももを軽く刺された。
「いたっ。……でもさ、綾菜の承認欲求の被害者ってことじゃん、その人。嫉妬より、同情するよ」
「お互い遊びだから。利用し合ってるの。どう? 嫉妬する?」
「状況がよくわからない。遊びって何するの?」
「……」
綾菜が急に押し黙った。 ……ん? どういうこと?
「これね、6枚入りなんだけど」
綾菜がコンドームの箱を開けた。
「1、2、3、4、5」
6がない。
……。
いやいやいや。
「嘘だろ」
「嘘じゃない。1個使った」
耳鳴りがした。
急に気持ち悪くなって——。
吐いた。




