【1年 6月-5】燃え尽きるほどヒート
体育祭の翌日の土曜日。
8時間勤務のバイトを終え、母が用意してくれていたお風呂に入ったあと、俺は出汁を取られたあとの鶏ガラのようなヘロヘロの気分で、自分の部屋まで辿り着いた。
綾菜が、俺のベッドの上で、行き倒れみたいにうつ伏せになって眠っていた。
……うーん、どうしようかな。
綾菜はオーバーサイズの黒Tに、ピンクと黒のチェックのミニスカートという格好で、つま先がアヒルのくちばしになっている、主張強めの靴下を履いている。
服装から察するに、おそらく友だちと遊んだ帰りで、俺を待っていたら疲れて睡魔に襲われたのだろう。
「ん〜」
あ、寝返った。
待った、待った、待った。
えーと、隠すものは……。
いやそれより、見ないように細心の注意を払いながら、スカートの裾を本来あるべき位置へと戻そう。
…………よし。
黒。
さて、これからどうしようかな。
俺も眠いんだよな。
キレられそうだけど、鼻をつまんで起こしてやろう。
…………。
こうして、改めて顔を見ると……かわいい。
フェイスライン完璧じゃん。
そのくせ、ほっぺたはちょっとだけぷくっとしてさ。
唇、それ、うるツヤリップ的なやつだろ。
……もう、キスしたろかな。
1回不意打ちでされたから、それでチャラじゃないか?
「『眠り姫』だから、キスして起こそうと思って」
言い訳はこれだ。イケメンムーブ。
…………。
いや、犯罪だ。
あ、でも、『ほっぺたぷにぷに』なら許されるのでは?
ワイドショーのコメンテーターも、眉根を寄せて「とても身勝手で卑劣な行為であり、憤りを感じます」なんて言わないだろ。
というか、ここ、俺のベッドなんだから、起こすための『ぷにぷに』は正当な権利行使だろ。
よし。
一旦、深呼吸。よし。
それでは、失礼して……。
パチッ。
目を開けた綾菜と、目が合った。
俺は人生史上最高の速度で後ずさった。
一瞬にして神経伝達物質がジョバっと分泌されて、間違いなく筋肉のリミッターが解除されていた。
「あん?」
綾菜は不思議そうな顔をしている。
もしかして、俺が速すぎて残像でも見えた?
「……今、キスした?」
違った。虚像だった。
「ししししてない」
あ、この震え、驚いて心拍数上がってるだけだから。
くそっ。ふるえるなハート。刻むな血液のビート。
「ふーん……」
綾菜は半目のまま起き上がり、ふらふらとドアの方までゆっくり歩いた。
「また来るから。ちょっと待ってて」
綾菜は寝起きの無表情のように見えて、少しだけ口元が緩んでいた。
うーむ。これ、報復に何かされるな。
仕方ない。ベッドに横になって待っていよう。
◇ ◇ ◇
ちゅっ。
「……今、キスした?」
「した」
得意げに綾菜が言う。
あーもう。寝かけてたよ。寝入りばなだよ。レディー・ガガもポーカーフェイスできないよ。
「仕返し」
「……だから、あれはしてなかったよ。ガチで。綾菜にベッド占領されてたから、起こそうとしただけ」
「知ってる。冗談。けんこー、チキンだもんね。どう? 起きた?」
起きないよ。
眠たすぎて、キスなんぞどうでもいいわ。
こちとら、キレる3歩ぐらい手前だぞ。
眠り姫ってこんな気分だったんじゃないか?
「けんこー、耳かきしてあげる♡」
と言う綾菜の手には、綾菜パパご愛用のチタン製高級耳かき。
「また、お小遣い足りなくなったのか?」
「夢でね、そうしろってお告げがあったの♡ 1000円で♡」
俺のバイト一時間分か……。
品出ししたり、レジ打ちしたりの一時間と、耳かきねぇ……。
綾菜、今日はミニスカだねぇ……。
「……ま、やるけど」
ミニスカに膝枕。これは強かった。眠気が吹き飛んだ。『鬼に金棒』の現代語訳として辞書に載ってもいいと思う。




