【1年 4月-17】Morning glory
翌朝、若色さんは、目が合うなり俺に小さくグッと親指を立ててきた。
……いやー、良かった。あれだけ成長だの何だの言っておいて不採用とか、恥ずか死してるわ。
お昼はコンビニ業務について若色さんと話したかったが、若色さんが盗み聞きを嫌ったので、結局、英語を俺が教えるかたちで一緒に食べた。
若色さんは、自分がバイトしていることをあまり知られたくないらしい。その公私を分けたい気持ちも、なんとなくわかる。仮面ライダーだって、地元の同級生に変身ポーズを見られたら恥ずかしいだろう。
放課後、若色さんと時間差でコンビニに着き、ズボンを履き替えてついに初出勤となった。一緒に働くのは副店長と若色さんという昨日と同じメンバーで、知り合いがいる安心感のおかげか、緊張はそれほどなかった。
俺の指導係は若色さんで、「昼と立場が逆転だね」と得意げだった。そういうのって副店長がやりそうなもんだけど、どうなんだろう。案の定、若色さんはレジのトレーニングモードの設定でもたついてしまい、副店長に小言を言われていた。
若色さんだって働き始めて日が浅いんだから、ミスぐらい大目に見てほしいけどな。初代仮面ライダーの俳優も、撮影中に大腿骨を粉砕骨折したことがあるってさ。
夕飯は休憩時にサンドイッチを食べたが、お腹が空いて追加でおにぎりを買って帰り道で食べた。人気のない夜道を歩くのは初めてで、靴音が響く静けさが新鮮だった。少し冷たくなった夜の風の香りと孤独感が、俺に新しい人生が始まっているんだという実感を与えてくれた。
家に帰って、風呂に入って歯磨きをしたら、睡魔に襲われてそのままベッドに入った。いつもの習慣で何気なくスマホを見ると、綾菜からメッセージが来ていた。
[お疲れ。初出勤どうだった?]
チェックしてよかった。
でも眠たすぎて、気の利いた返事ができそうにない。
ハートのスタンプを送り、
[頑張った。気にかけてくれてありがとう。眠い。寝る。かゆい うま]
と送って目を閉じた。ハートのスタンプはキモかったかな? 眠くてどうでもいいや。
◇ ◇ ◇
体にかかる重みで目が覚めた。
目の前に、綾菜の顔があった。
「けんこー、おはよっ! 学校、遅刻するよ!」
……これ、現実か?
いや、こんな風に起こしてくるかわいい幼馴染なんて、現実にいるわけないだろう。
…………。
……近頃の綾菜なら、あり得るか。
はぁ。
羨ましい、なんていう奴がいたら、グリーンハーブを口に詰め込んでやりたい。
実際にやられると、セーブ部屋でゾンビに襲撃されたような、ガチの恐怖である。しかも相手は朝っぱらから、薄い布団を挟んで俺の腰の上にまたがっている。ガチガチにこわばる恐ろしさだ。
俺の寝起きは覚醒が遅いので、力任せにいきなり綾菜をどかすこともできない。一応膝を浮かせて綾菜の位置を腹側にずらした。おもい ウェッ。
よく見ると、綾菜は小賢しくスカートの下に体操服の長ズボンを履いていて、抜かりない対策をしている。……なんでそこはフィクションに寄せないんだよ。
俺は何とか体をねじってうつ伏せになり、兵士の訓練のように布団から這い出た。
「起こしてくれてありがとうは?」
「……ありがとう。トイレ行く。今何時?」
「7時前」
「余裕で朝飯まで食べれるじゃん。とりあえずトイレ行くわ」
1階に降りてトイレに行き、顔を洗った。リビングに行くと、もう俺の朝食が用意されていて、6人掛けテーブルの右端の俺の席の左に、綾菜が座っていた。そこは本来、妹の柚梨の席なのだが。
「はい、綾菜ちゃん。コーヒー、ミルク2個入り」
「あ、ありがとうございます~」
母が綾菜にいつもの黒猫のコップを渡す。父は普通に食べている。いつも荷物置きのためにテーブル横に置かれている椅子が綾菜の左横に戻されていて、柚梨がそれに座って不満そうにご飯を食べている。
「健康も早く食べなさい」と母。
茄子の味噌汁、白米、目玉焼き、ハム、切ったトマト。ド定番。
「いただきます」
くー。昨日の夕飯がコンビニ飯だったから、染みるね。インスタントでない味噌汁最高。白米もモリモリ進む。牛乳もコップに入れてもらったから一気にゴクゴク飲んじゃう。
「あ、そういえば弁当も作らないと」
この時間なら、白米サンドイッチ弁当はまだ間に合う。おかずは鯖缶でも開けてぶち込んで、あとはトマトでもあれば——。
「作って持ってきたよ。玄関に置いてある。今日のメインはね、鶏もも肉のカレー風味焼き。けんこー、今朝は疲れて起きれないかもと思って」
「え、もしかして、それで俺の部屋まで起こしてきてくれた?」
「そーだよ。ニブ過ぎ」
綾菜が俺の足を蹴りつつ耳を赤くして、ツンデレを見事にこなしている。
一昨日は、俺がバイトするの、あんなに嫌そうにしてたのに。
…………。
もうこれ、いいんじゃないか?
綾菜がお金目当てだろうが、自己肯定感目当てだろうが、俺がしんどいときにこうして弁当作ってくれるような娘なら、それでよくないか。
——ああ、もう、いいや。
「綾菜ちょっとこっち向いて」
「なに?」
「綾菜。ありがとう。好きです。付き合ってください」
「……ごめん無理」
羞恥心を捨てる教育を受けてきた俺は、ヨレヨレのパジャマ姿のまま、家族の見守る食卓で告白し、盛大にフラれた。




