【1年 4月-12】初対面のノリじゃない
翌日の月曜の昼休み。
綾菜がイラストの上手な林さんにアポをとってくれて、漫画文芸部の部室で昼ご飯を食べながら、漫画制作についてプレゼンをする運びになった。
「林 千歌です。千の歌と書きます。よろしくお願いします」
林さんは眼鏡におさげで、背も体型もごく普通。
典型的なオタクオーラがあるけれど、大学デビューで化けるタイプかもしれない。
「真城健康です。ヘルスの健康だけど、『け』にアクセントを置いてね。よろしくお願いします」
俺が手を出すと、林さんは「あっ」と一瞬声を上げて躊躇したあと、俺の手を握った。
この反応……。また陰キャ、ゲットだぜ!
「座ろうか。あ、これ、ウェットティッシュ。握手したからってわけじゃなく、食前だからね」
ウェットティッシュの袋を弁当箱の袋から取り出して、テーブルの真ん中に置く。
林さんにウケてはいないようだが、この『握手からのウェットティッシュ』は、もう定番にしておこう。
林さんが入口から見て手前の右端の席に座ったので、対面に俺、その左隣に綾菜という配置になった。
綾菜が早速手を拭き、使ったウェットティッシュを無言で俺に渡してくる。
その一連の様子を、林さんは手を拭きながら、じっと見ていた。
「林さんも、ゴミちょうだい」
「ああ、どうも」
「どういたしまして。俺、紳士を目指してるからね」
全部のウェットティッシュをまとめて、弁当箱の袋に放り入れた。
「ふたりは付き合ってるんですか?」
と、弁当箱の蓋を開けながら、林さんがいきなりぶっ込んできた。
「いや、付き合ってないよ。おさななじ——」
「『コンヤクシャ』だよ」
綾菜がおどける。
「おい、嘘を言うな。初対面なのに印象が悪くなる」
「でも、あたしと結婚してもいいって言ってたよね」
綾菜がニヤニヤしている。
「それは言ったけど——」
「当てましょうか?」
林さんの眼鏡がキラリと光る。
「幼稚園時代の話でしょう? 幼馴染あるあるってやつですね?」
「いや、それが——」
綾菜と目が合った。
「「昨日」」
「はああああああ?」
林さんがブチギレた。
「イチャイチャするなら帰りますよ、こっちは真剣そうな話だから来たんですよ」
「いや、すみません、真剣です、真剣です。昨日の会話が特殊だっただけで、ただの幼馴染なんですよ。資料も作ってあるから。どうぞ」
クリアファイルからA4の紙を取り出して、ふたりに配った。
「『目指せ、高2で厨二!』……ですか」
「要するに、高校2年の1年間、俺が原作の漫画をガチで描きませんか、ってことなんだけど。原稿料は出すし、プロ用のデジタルの機材も揃えるから、環境としては悪くないと思う。——あ、食べながらでいいので」
「どうも。提案は魅力的だと思います。私はシナリオを作るのは苦手で、イラスト専門なのもそのせいですから」
「林さんは、将来的にはそういうイラスト方面の仕事に就きたいの?」
「できればそうしたいですが、AIの発展速度が著しいので、食べていけるか不安です」
と、食べながら言う林さん。
「だったら、漫画家という選択肢はアリだと俺は思うよ。漫画って作者の個性を楽しむ要素が大きいと俺は思う。『この作者の新作出たんだ、読もう』とかさ」
「AIには出せない不安定な絵だからこそ、味があって面白いって作者もいるね」
と、綾菜が味の濃そうなソースカツを箸でつつきながら言う。
「不安定なのか個性なのかで、心がざわざわするよね。あと、漫画の場合はストーリーが面白いかどうかが一番重要で、作画は受け入れられる幅が広い」
「そのストーリーが林さんとしては一番不安じゃない? 面白くない話を描くのは、ニンニクを食べたあとのキスよりきついよ」
……例えはさておき、林さんが言いにくそうなところを、綾菜がフォローしてくれているようだ。
「2年に上がるまでに時間あるから、これからふたりと相談しながら詰めていくよ。その中で、どうしても気乗りしないなら、林さんは降りてくれて構わない」
「そうですか……。漫画のジャンルについては、私の意向に合わせると資料に書いてありますね」
「うん。ただ、バズりやすさと作りやすさを考えると、できれば異世界ものにしたい」
「たとえばスポーツものだと資料集めが大変そうですもんね。異世界ものでいいと思います。もちろんやるかはプロット次第ですが」
「明日、考えているあらすじを書いて持って来るよ。本格始動までまだ期間はあるし、それは全部ボツでもいいから」
「わかりました」
「けんこー、ドMだから遠慮しないでね」
綾菜が優しい笑みを作る。これもフォロー……なのか?
「ははは。ま、林さんのキャリアの踏み台になるのは構わないよ」
「うーん……キャリアになって、原稿料も出るので、私のデメリットは少なそうですね。資料に目を通したいので、しばらく時間をいただけますか」
「あ、ごめん。俺も食べるね。いただきます」
俺が弁当の蓋を開けると、綾菜が興味深そうに中を覗いてくる。
「ほうれん草を茹でて、豚の生姜焼きを作っただけ。あとは冷凍。あ、生姜焼き、味見してほしい」
「りょーかい」
綾菜が俺の弁当箱から豚肉を取って食べる。……頷いている。
「問題なし?」「まあまあ」
「……また、イチャイチャですか?」
林さんがこっちを見て睨む。
「弁当をちゃんと作れる紳士になりたいから、綾菜にチェックしてもらってるだけだよ。ははは」
「白駒さんはアシスタント予定と聞いていますが……。色恋沙汰でプロジェクトが途中で頓挫するなんてことは嫌ですよ」
「アシスタントは、最悪、プロとか漫画家志望の人を雇うから大丈夫」
「それもお金かかりますよね。どこからお金が出るんですか?」
「資料の『資金』の項目にも書いてあるけど、親を説得したから、大学進学用の資金を突っ込む。SNSでバズって投資資金を回収できれば理想だけど、そうじゃなくても俺のキャリアにはなるから問題ないと考えてる」
「凄いですね……。厨二と言えば厨二ですけど……」
林さんは、ご飯をもぐもぐと食べながら、資料を読み込んで考えている。
もちろん、プロジェクトの資金は、大学進学用の資金ではなく、当選金の10億円から出ている。
親を説得したことは本当で、昨日の夕食で資料をプレゼンして通した。
支出したとしても数百万程度なので、リスクとリターンを説明すれば、通すのは簡単だった。
「でも、もし私がこれに参加するなら、マキくんと白駒さんとは長期的に付き合うことになるので、茶化さず、ちゃんとふたりの関係を教えてほしいです」
「「……」」
俺と綾菜は顔を見合わせて黙った。
せっかく昨日いい感じに曖昧にできたのに……。
「……もういいですよ。『答えは沈黙』ってところですか? 白駒さん美人だから、そんなチキンは蛙化で誰か他の男に負けちゃいますよ、マキくん」
「林さん、最高!」
綾菜が爆笑する。
「だってさ、けんこー。フライドカエルにしちゃおうかな」
なら、大差ないじゃん。味的に。……噂だけど。
「ちなみに、あたし、去年は3人に告られてるから。言ってなかったけど」
「はああああああ?」
思わず大声が出てしまった。
マジで初耳なんですけど。ぼっちはこういう情報が外野から回ってこないのが辛いな。
しかも何かあっても誰にもフォローされないし、相談できる相手もいないし。
あれ? ぼっちって恋愛戦においては三国志の呂布並みに終わってないか?
孤立して敵に差をつけられて詰んでるパターンじゃん。
あ、強キャラで例えたのはぼっちなりの強がりです。
「ごほん、失礼。えー、話が脱線してるよキミたち。まずちゃんと食べよう。林さんは資料を読み終わったら教えてよ」
俺も弁当を食べたが、鶏むね肉より味がしない。
……落ち着け。メンタルが呂布じゃなくて、ボロ布になってるぞ。
「あ、けんこー、お肉のお返しに何か取ってよ。肉じゃがは? お母さんが昨日作った残りだけど」
「……え? あ、じゃあ、じゃがもらう」
俺がじゃがいもを取るところを、林さんが眉をひそめてじっと見ている。
……睨んでいる。
「……お、だし強めのやつじゃん。好き、これ」
「好き? そしたら、作り方教えてもらって、また今度作るね」
「サンキュー。楽しみにしとく」
今、林さん、小さく「爆ぜろ」って言わなかったか?
「あの……林さん。林さんの描いている絵を見たけど、学年一上手いのは間違いないと俺は思ってる。俺はできれば林さんにプロジェクトに参加してほしいんだ。他の人じゃなく」
「そう言ってもらえるのは嬉しいです。ありがとうございます」
「だから、もし、俺らのこういう感じがどうしても嫌だったら、綾——白駒さんにはプロジェクトから抜けてもらおうと思う。白駒さんには悪いけど」
横を見ると綾菜が呆然として固まっている。
胸が痛いけれど、俺たちへの林さんの心証が危うくなっている感じがしたので、咄嗟の判断として、これが正解だと思った。
「白駒さん、ごめんなさい。アシスタントをやるって言ってくれている白駒さんには申し訳ないけど、メインの作画の人が優先だから」
俺は綾菜に向かって深く頭を下げた。
事前に綾菜が外れる可能性も打ち合わせしてくれば良かった。
あとでボコボコにされる覚悟でまた謝罪しよう。
「何やってんだお前ェっ!!」
林さん、今一瞬麦わら帽子を被っていなかったか。
「こんなに素敵な幼馴染が協力してくれてるのに、抜けてもらうって簡単に言っちゃダメですよ! さっき白駒さんのこと、綾菜って名前で呼んでましたよね。私に合わせて表面上だけ取り繕わないでくださいよ」
「……すみません」
「私のせいでふたりの仲が変になるのは嫌ですよ。マキくん、ちゃんと白駒さんの存在のありがたみを理解してください。そんなんじゃ罰が当たりますよ。おみくじ、ずっと凶になりますよ」
それって罰になっているんだろうか。
と言うか、林さん、いやに綾菜の肩を持つな。
イチャイチャしてたら普通、どっちの印象も悪くならないか。
「簡単に言ったわけじゃないんだ。プロジェクトでは林さんのことを優先したいってだけでさ。イチャイチャが見てて嫌って気持ちもわかるし」
「……それについては言い過ぎました。話が違って予想以上にイチャイチャ——、ええと、つまり、テンプレ的な幼馴染より仲が良かったので」
ああ、これ、綾菜から事前に何か相談があった感じがするな。
「でも、マキくんには天罰が下れと思うのは変わりません。白駒さんは——」
「林さん、もういい、もういいよ。ありがとう」
綾菜が遮った。
「こいつがこうなのは昔からだから、慣れてる。やると決めたら妥協しないってだけだから」
妥協しないのは綾菜も同じである。
机の下で俺の左足のHPがじわじわ減っていく。
まあ今は、大人しく蹴られ続けよう。
「そういう相手のことがわかってるところはテンプレ幼馴染って感じですね。面倒臭そうだけど、少しだけ羨ましくもあります」
林さんの強張っていた顔がようやく和らいだ。
それからは、具体的な条件面について、事務的なすり合わせをして終わった。
林さんが漫画文芸部に入っているので、籍だけでも、ということで俺と綾菜も漫画文芸部に入ることになった。
明日の昼はプロットの草案を林さんに見せる予定だ。
◇ ◇ ◇
放課後は、プロット作り以外の全ての時間を、綾菜への謝罪とご機嫌取りに使った。
綾菜はそれほど怒ってはいないようだったが、不機嫌ではあったので、詫び石ばりにサービスを提供し、一発ギャグをしろと言われて滑ったり、ほっといてと言われたから、ほっときつつ、スーパーに栄養ドリンクとケーキを買いに行ったり、練乳を付けた苺を食べたくなったと言われたからまた追加で買いに行ったり、とにかく俺は人権を捨てた。
こういうことをしているから妹に奴隷って言われるんだよな。
でも謝罪の意は言葉だけじゃなく行動で示したいし、加減が難しい。
謝罪ってどうやったら終わるの?
とりあえず、綾菜が練乳苺をひとつ食べさせてくれたから、俺の人権は苺ひとつ分だけ回復したと思うことにしよう。




