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1-7 洗冤院不明録

 遠くから宮を打ち壊す槌の音が響いてくる。玲瓏姫のいた宮を打ち壊す槌の音だ。

 あの後、(せい)(らん)の報告により皇太后の鶴の一声で玲瓏姫は宮を移され、死体が埋められていた宮は(さら)()にして浄めることになったらしい。確かにあれだけの死体が出てしまえば穢れを祓うという話になるのは当然と言えば当然だ。


(けど、皆さまはもうあそこにはおられないのですけどね)


 自らの未練や無念を伝えた死者の霊達は、とりあえず怒りは解けたのか(おん)(りよう)と変じることなく今も(せい)(らん)の周囲を朧にたゆっている。いずれ(せい)(らん)の行う洗冤の儀で完全に天に帰ることが出来るだろう。


 (せい)(らん)の後ろを歩きながら、黎明はあくびをかみ殺した。

 あの後はしばらく大変だったのだ。死体の身元が分からないので、過去数十年におよぶ後宮の行方不明者の記録を(さかのぼ)ることになった。役目上、不審な死者や生存が危ぶまれている行方不明者の記録などは全て洗冤院に流れ込んでくる。


 黎明としては文字を読むことは一向に文句は無いのだが、愛でる暇もなく記録を紐解くとなると話は別である。何度も読み返しているので、すぐにどの記録にどんなことが書いてあるのかは見当がつくが、それでも膨大な分量だった。


 おかげでここ数日は満足に眠れていない。

 もっとも、もっと大変だったのは(せい)(らん)だっただろう。


 (せい)(らん)こそが皇太后の命により洗冤院に新たに任命された長官である、と知らされた時はさすがに少し腹が立ったものだが、すぐにそんな腹立ちは同情へと変わっていった。


 何しろ、夜明け前に内侍省へ(おもむ)いたかと思うと昼前には外朝に向かい、日が暮れる頃には皇太后のもとへと日参する日々だったのだ。あの厳松をして、気の毒にと零すほどの過密労働である。

 目の下に隈を作った(せい)(らん)を前に、さすがの黎明も宮女の霊の記した竹簡が欲しいと駄々を捏ねる気になれなかった。


 (せい)(らん)は時おり竹簡を広げて、宮女の遺した言葉と周囲の景色を見比べている。

 すでに目星はついているのだろうが、何しろ先々帝の御代の話だ。微妙に景色も変わっているのだろう。


「それにしても……随分と歩きますのね」


 刺々しい声に隣を見ると、不満げな様子を滲ませた雪華がちらちらと来た道を振り返っていた。

 

「新しい宮の片付けも残っておりますのに。(せい)(らん)様、本当にこのような寂しげな場所なのですか?」

「秘密を隠すにはうってつけと思われませんか?」

「それはそうでしょうけど……本当にあるのでしょうね?  妃嬪たちの()(でん)など」

「さて。そればかりは見てみないと何とも――ここか」


 そこは風雨にさらされ、苔生した巨大な岩の塊が小山のようにそびえ立っていた。仙人たちが住むという仙境に見立てた築山で、假山というらしい。かつては風雅な姿であったのだろうが、今は雑草が生い茂り忘れられた墓石のようにひっそりと佇んでいた。

 中は洞になっているらしく、隙間から小さな廟のようなものが見え隠れしていた。


「……寂しげな場所ですわね。その、恨みが篭もっていそうと申しますか」

「雪華殿。心配せずとも、そのようなものはここにはおりませんよ。そういったものはいると思うから視えるのです」


(いるんだけどなあ、(せい)(らん)様の周りに。まあ、言わないですけど)


 すでに生前の記憶も意思もほとんど喪失しているだろうが、それでもあの地下にいた死者たちは今も(せい)(らん)の周囲で未練が果たされる時を待っている。

 言えば、怖がりの(せい)(らん)があまりにも気の毒なので、さすがに口にするほど意地悪ではない。


 (せい)(らん)は霊を認めないのではなく、認めたくないだけなのだ。怖いから。

 理解してしまえば、別に腹も立たない。どうせ、すぐにまた彼らと向き合うことになる。


「思ったよりも入口が狭いな……。黎明、お前はどうだ?」

「そうですか? 少し屈めば(せい)(らん)様でも、くぐれそうですけど」

「そ、そうか?」


 おっかなびっくり中の様子を窺っている(せい)(らん)にしょうがないなあと笑いながら、黎明は先に岩の隙間に身体を滑り込ませた。




 

 假山の洞は思ったよりも明るく広かった。

 三人が入っても、あと数人は入れそうな余裕がある。

 天井は風雨が吹き込んだりはしないが、明かりは入ってくるように工夫されている。さすがに歴代の皇帝が手を入れて愛でてきた庭園にふさわしく、おそらくは名のある職人が手がけたものなのだろう。


「さて……問題はここのどこに隠してあるかだが。黎明?」

「ちょっと待ってください――若柳様」


 黎明の声に応え、ぼんやりとした姿の宮女が黎明の前に姿を見せた。彼女が伝えようとしていた危険が去り、言うべきこともほとんど伝えたためかその姿は黎明であっても、もうほとんど確認するのが難しい。

 三魂七魄のほとんどはすでに散逸しており、かろうじて殺されても守り抜いた書簡を託すという未練だけでこの世と繋がっている。


 若柳の霊は岩室の一角を指さした。埃と苔に塗れているが、そこに何かあるのだろう。


 黎明は言われた場所に刀子をねじ込み、岩の噛み具合を確かめる。


「動きます――」


 ゴリゴリと(ふた)になっている岩を外すと、中はちょうど手文庫ほどの空洞が穿たれていた。

 中には何重もの油紙に包まれた竹簡や紙束が丁寧に詰め込まれている。


「ありました」

「これか……黎明! 乱暴に扱うな! 崩れたらどうする」


 いくら油紙で守られているとは言え、保管されていた場所が場所だ。紙魚などが潜り込んでもおかしくはない。

 (せい)(らん)は黎明を押しのけると、慎重に油紙を剥がして中から取り出した書き付けと竹簡を丁寧に床に並べた。


「破損はないな。虫も大丈夫か」

「竹簡は……綴じ糸が腐ってますね。ここでは開かない方がいいと思います」


 待ちきれず黎明が丸められた竹簡に手を伸ばすと、ほつりと綴じていた糸の一部が腐り落ちた。無理に開けばバラバラになってしまうだろう。仕方ないと、(せい)(らん)を見ると蒼白な顔で書き付けを1枚1枚めくっていた。

 ブツブツと名前を呟いては、そっと指で文字をたどっている。


(せい)(らん)様?」

「あ、ああ。すまん。見入ってしまった――また刑部と内侍省が大騒ぎになるな」


 どれどれと(せい)(らん)の手元を黎明と雪華が覗き込む。数行読み進めたところで、雪華が真っ青な顔で口元を押さえた。

 そこに書かれていたのは、詳細な後宮での暗闘の記録であった。


 派閥争いの果てに当時の皇太子の寵愛を求めて暗闘が激化し、それを宦官が隠蔽していたらしい。玲瓏姫の宮に埋められた貯水槽に棄てられていたのはその時の犠牲者であり、若柳は主の后が手に入れた証言の数々を管理していたらしい。

 若柳という名の宮女についてはすでに洗冤院の名簿で明らかになっている。彼女の主である后は別の后を毒殺しようとした罪で自死となっており、若柳が実行したと記録されていた。若柳は処刑されたことになっているが、それならばあんな場所に喉を裂かれてうち捨てられているはずがない。


(まるで、違う)


 分かってはいたが、こうして形として見せつけられると頭の芯がねじ切れそうなほどに腹が立つ。

 若柳は口封じに殺されたのだ。あるいは秘密を漏らさなかった腹いせかもしれない。


(せい)(らん)様」

「分かっている。正式な洗冤はまだ先になるが、いずれ彼らの冤は雪がれなければならん」


 (せい)(らん)は丁寧に油紙を戻すと、懐から一巻の巻物を取り出した。大きく広げると、そこには洗冤院の記録や他の官衙から得た情報で分かる限りの名前と誤った公式の記録が記されている。


「一、涼州の者 徳海 宦官 冤:不敬により追放 実:偽りの罪を着せられて害され貯水槽に遺棄さる ここに冤を雪ぐ――」

「一、蜀郡の者 小桃 侍女 冤:主の宝物を窃取し逐電 実:主人の密書を目撃せしが故に、絞殺され貯水槽に遺棄さる ここに冤を雪ぐ――」


 (せい)(らん)が朗々たる声で読み上げると、たゆっていた霊が姿を見せ今度こそ本当に消えていく。よくよく見ると、死者達が最後の姿を見せる度に膝が笑っているが、それは見なかったことにする。

 彼らの魂が理によって解けて在るべき場所へと溶け込んでいくのを見送りながら、黎明はこっそりと笑いをかみ殺す。


(締まらないですねえ)


 まあ、簡略とはいえ洗冤の儀からも逃げているわけではない。別に目くじらを立てなくても良いだろう。


 やがて、最後の一人。

 若柳の冤が雪がれる。


「右、洗冤院に与えられし権限をもって審らかにし、(えん)(ざい)なることを認む。願わくは幽冥に安んじ、怨みを散ぜんことを。洗冤院不明録より不明を除き、ここに冤が雪がれたことを証す」


 (せい)(らん)は最後にそう宣し、誰に見せるでもなく宙に書面を向ける。そこには鮮やかな朱で洗冤令の印が捺されている。

 どこからともなく、地鳴りのようなどよめきが一瞬だけ響くと、岩室の中は元の静寂に包まれた。


 若柳もまた印を見届けると、雪華を見つめた後に竹簡や書き付けが収められていたのとはまた別の場所を指さし、そして空へと溶け込んでいった。


「これで、全て見届けた。そう思ってよろしいのでしょうか?」


 真っ青な顔で死者が消えていくのを見送っていた雪華は、思い出したようにそう呟いた。

 玲瓏姫の名代として、全てを見届けて報告するようにとの命を受けての同行であったが、さすがにこのような儀式まで目の当たりにするとは思わなかったのだろう。


「黎明、どうなんだ?」

「そうですね。あと一つを除いては、見届けたと考えても良いのではないかと」

 

 黎明たちが同じように油紙に包まれた書き付けを見つけたのは、それから暫くしてのことだった。


「何と書いてあるのでしょう?」

「さて。東域の文字のようですが」


 (せい)(らん)と雪華が首を捻る横で、黎明が鼻息も荒く紙片をめくっている。


「多分、若柳さんの故郷の文字ですよ。(せい)(らん)様の言うとおり、東の方ですね。代々の妃様方の間に伝えられていた()(でん)を纏めたものっぽいから……玲瓏様にということじゃないですか? 良かったらわたしが読めるように直しますけど?」


 書き付けの内容は代々の 妃嬪達が伝えてきた皇帝を慰める秘密の()(でん)書であり、雪華を通じて玲瓏姫に託されたそれは事件とは無関係の――一人の宮女としての若柳からの言ってみれば引き継ぎのようなものだったのかもしれない。

 




 後日、黎明によって翻訳され玲瓏姫のもとに届けられた()(でん)書を片手に雪華が(せい)(らん)に怒鳴り込んできた。


(せい)(らん)様! こ、これはどういうことですか!?」

「ど、どうとは? 落ち着かれよ。意味がわかりません」

「読めば分かります! 全く、酷い悪筆で玲瓏様が読めなかったから良いものの……。気をつけてもらわねば困ります!」


 黎明の酷い悪筆に頭痛を感じながら(せい)(らん)が読んだ内容は。

  妃嬪達がこっそりかつ連綿と受け継いできた、皇帝を悦ばせる夜の秘伝書であった。


 終わり。

 

ここまでお読み頂き、ありがとうございました!


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