1-5 死人に口なし、ではたまらない
首元が赤い。
その言葉に思わず自分の喉元を押さえた雪華が、怯えるような目つきで黎明を見つめている。
「何を馬鹿なことを。首元が赤い? そんなことがあるわけが――」
笑い飛ばそうとした青藍の声が尻つぼみに消えていく。黎明の言葉を聞いた雪華も玲瓏もまるで自分の墓を暴かれたかのような蒼白な顔色だった。
「……まさか」
「は、はい。卒倒した侍女の言葉と同じでございます。黎明、と言いましたね? その……女官の霊の着ているものはわかりますか?」
「袖は皆さまよりかなり細かったです。足下も見えていましたし、随分と動きやすそうでした」
「色。色は?」
「上着は薄い黄色だった気がします。裳は暗めの赤……だったかな」
横から割り込んでくる玲瓏に黎明はうろ覚えの女官の着ていた服の色を伝えた。必死に何かを訴えているかのような表情と赤く染まった首元が印象的だったせいで、あまり細かく覚えていない。
だが、それで十分だったらしい。
黎明が説明を終える前に、部屋の外で悲鳴と大きな音が響きわたった。
「貴方たち! そんなところで何をしていたのですか!?」
「も、申し訳ございません! ど、どうしても気になったものですから……」
見れば、部屋の扉にすがりつくようにへたり込んだ一人の侍女を残りの二人が介抱している。盗み聞きでもしていたのだろう。真っ青な顔色で、心底怯えているのがありありと分かる。
無礼な侍女たちに憤懣やる方無しといった様子の雪華に対し、 玲瓏はというとさして気にしてもいないように静かに問いかけた。
「貴方たち、そこで聞いていたのならちょうど良いわね。どうでした?」
「は、はいぃ。そのお方の言った通りでございます。古い流行の衣服も色も、みんな同じでございました」
「そう……下がって良いわ。雪華のお説教を楽しみにしておきなさい。ところで青藍様。これでも何もない、とはよもやおっしゃいませんよね?」
確かに侍女の証言と黎明の主張は一致しており、双方とも嘘を吐いていないなら、これは偶然とは思えない。
だが、果たして本当に同じ宮女なのだろうか?
そうか、と青藍は偶然でも無く黎明と侍女の二人が嘘を吐いているわけでもない可能性に思い至った。
「詳しく調べて見る必要はありそうです」
「詳しくとは?」
取り繕うように青藍は茶に口を付けると、青藍は玲瓏に一巻きの竹簡を広げて見せた。
「これをご覧下さい。今の話から察するに、霊の仕業などではなく、やはりこれの疑いが濃いように思えます」
「沼気……毒と書いてあるようですが」
「そうです。腐った水が放つ気で吸えば息が詰まったり幻を見るとあります。雪華殿には先ほどお話ししましたが、この宮の下には瑤海から水を引き込む古い水管と貯水槽が埋もれている可能性があります。おそらく、そこの侍女も黎明という徒弟もそこから漏れた沼気を吸ってしまったのでしょう」
雪華が青藍の説明に目を丸くしている。
「ですが、同じ幻を見たりはしないのではありませんか?」
と首を傾げる雪華の疑問はもっともだ。だが、そこに落とし穴がある。
「同じでは無いのです、雪華殿。黎明だったか。そなた、内廷の女官にはあまり詳しくないのではないか?」
「あ、はい」
「やはりな」
普段は外朝に属する外洗冤の書庫に籠もっているので、女官どころか自分以外の女を見るのも稀と言えば稀だ。お使いで外に出たときに外朝の女性官吏や宮女に会うこともあるがせいぜいそれぐらいだ。
「この娘はそもそも内廷の女官をよく知らないようです。であれば、馴染みのある女の官吏や外朝の女官を想像するでしょう。つまり、動きやすいように袖が細く足を裁きやすい格好です。色にしても組合わせはそうそうあるものでもないですしね」
「偶然だと?」
「というよりも思い込みでしょう」
青藍はようやくスッキリしたというようにうなずいて見せた。
「この時期、昼は暑いが夜はまだまだ冷える日も多い。沼気は昼は散ってしまうので、女官の霊が見えたりはしないでしょう。見えるとすれば気温が下がり、沼気が散らない夜間です」
「昼でも見えましたよ?」
「であれば、沼気が濃くなっているのかもしれん。後日詳しくなどと悠長なことを言っているわけにはいかんか」
隣でぼそりと呟く黎明の言葉を青藍は強引に都合良くこじつけた。何やら黎明が不満げな顔をしているが、そこはあえて無視を貫く。
「玲瓏姫。庭をお調べしても?」
「今から? 沼気は夜にならなければ、分からないのではありませんか?」
「目星をつけておきたいのです。夜半に沼気がわだかまりやすい場所を明るいうちに見つけておきたい」
「つまり、夜も宮に残られると? 青藍様が?」
ぽつりと呟くような玲瓏姫の言葉に雪華が真っ赤な顔で立ち上がった。
「そ、それは困ります! いかに皇太后陛下の甥御様と申されましても、姫様と夜をお過ごしになるなどと……! 青藍様、今から遷宮をお願いすることは出来ないのですか?」
「いや、さすがにそれは」
あと数刻もすれば日も暮れる。さすがに今からでは仮の宮を用意するのも無理がある。
「雪華。さすがにそれは無理というものです。ですが、青藍様。貴方のお考えでは宮女の霊の仕業であろうが、その沼気が原因であろうが、すでにこの宮は危険ということですよね?」
「その可能性は否定出来ません」
「であれば、やはりこの宮にはこれ以上留まるわけにはいきませぬ。さらに詳しくお調べが入るとなれば、なおのこと。明日で結構でございます。皇太后陛下にはよしなにお伝えくださいませ。今宵は宮の奥で侍女達と共に祈りながら夜を明かそうといたしましょう。雪華、みなを宮の奥へ集めなさい――青藍さま、あとはよしなに」
幼帝よりも二つだけ年上と思えぬような大人びた笑みで、玲瓏は静かに青藍に微笑みかけた。
「ここは……ダメ?」
べっとりと首元を血で染めた宮女の霊に確認しながら、黎明はガリガリと手にした木の枝で地面に線を書き込んだ。話が出来れば良いのだが、心配していたとおり宮女の霊は言葉を発することが出来なかった。
パクパクと口は動くのだが、黎明に聞き取れる言葉にならない。仕方無く、黎明は身振り手振りで彼女が何を訴えたがっているのかを読み取ろうとしていた。
(地面の下に何かある? 青藍様が言っていた貯水槽?)
宮女の霊がしきりに地面の下を指さしている。だが、そこに近づこうとするとなぜか通せんぼしてくる。そんなやり取りを何回か繰り返しているうちに、池から邸に向かって四角い枠が描かれていた。
「何をしているんだ?」
難しい顔で宮女の霊と地面を見比べていると、不意に後ろから声をかけられた。気がつけば日はすっかりと傾いており、日暮れも近い。
すでに玲瓏たちは宮の奥に引きこもっており、青藍のお目付役の宦官と福円は護衛にと駆り出されていた。周囲に人の気配は無く、ここにいるのは黎明と青藍。そして、宮女の霊だけだ。
「あ、青藍様。ちょっと、彼女が通せんぼしてくる場所を地面に書いてみたんですけど。どう思います? なんとなく、さっき青藍様が言っていた貯水槽なんかが埋まってそうかなあって思うんですけど」
「あり得るな。沼気が沸いていそうな場所とも合致する。ところで、お前は奥に引っ込まなくても良いのか?」
「いえ。福円様からも彼女から目を離すなと言われてますし」
「私には何も見えんがな。お前はあくまでも女官の霊が障りを起こしていると考えているのか?」
思いもかけないことを問われて黎明はパチクリと目を瞬いた。
「いえ。まったく。侍女の人たちの気分が悪くなったり、気絶してしまったりしたのは怯えすぎたせいだと思っています」
「なんだと?」
「青藍様のように霊を頑なに見ようとしない、というのはどうかと思いますけど。何でも霊のせいにするのはもっとよくありません。死人に口なし、では誰だってたまったものじゃないと思います」
「……なかなか斬新な考え方だな。では、宮女の霊とやらはなぜ侍女達の前に出てきたんだ? この世に恨みがあって祟りで復讐してやろうというのではないのか?」
「そういう場合もありますけど、今回は違うと思います」
今もじっと黎明と青藍を見つめている宮女の霊に害意は感じられない。ただ、地下に何かがあり、そこに気がついて欲しいのだが、同時に近づいて欲しくは無いという矛盾した雰囲気を醸し出している。
「青藍様。もし、沼気があればこの宮の地面の下を調べて貰うことは出来ますか?」
「それは自然とそうなるだろう。発生源を突き止めなくてはいかんからな。おそらく水道か貯水槽の跡が出てくるだろうが。綺麗に埋めて宮を整備するか、それとも更地に戻すかまではわからん」
それで良い? とチラリと宮女の霊の方を見ると、かなり悩んでからコクリと頷くのが見えた。
「わかりました。沼気の調査をお手伝いさせていただきます」
「ん? 宮女の霊とやらはいいのか? 私は助かるが」
「構いません。わたしはあの方の迷いが晴れて、妙な障りだの祟りだのと言われなくなればそれでいいんです」
妙にすっきりして張り切りだした黎明を朧気な月の灯りが照らし出している。
日が沈み、夜が始まる。




