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1-4 見解の相違

「れ、黎明! 落ち着かんか。無礼だぞ」

「けど、福円様」

(霊など、お主以外には見えんのだ。忘れるでない)


 背後から福円に袖を引かれ、黎明は都と生まれ故郷とは違うのだということを思いだした。

 都から遙か遠い場所にある黎明の生まれ故郷では、そもそも死者は身近な存在だ。黎明ほどに死者と交感出来る人間はさすがにいなかったが、それでも何やら感じ取れる者は珍しくなかった。


 過ごした時の長さはとっくに都の方が長くなっているが、黎明はそれでも、()()が当たり前ではないということに未だに慣れることが出来ないでいる。

 洗冤院の書庫に引きこもって文字を愛でてばかりいて、人との交わりが少ないことも一因だろう。


 福円の言葉に黎明はふっと肩の力を抜いた。


 黎明自身が、というよりも女官の存在そのものを無視されたような気がして思わず頭に血が上ってしまったが、見えないというのならばそれは確かに仕方が無い。


 むしろ、何でもかんでも霊のせいにしてしまうよりは遙かにマシだ。


 どちらかというと、そういう場合の方が困ったことになりやすいのだから。

 やってもいないことの罪をなすりつけられて気分の良い人間など、さすがにいない。

 それは生きていようが死んでいようが同じ事。

 その憤りで障りを為してしまい、原因と結果が逆転してしまう場合だってあるわけだし。そうなるよりはずっと良い。


 気を取り直して、改めて青藍と名乗った面符の男に向き直り失礼を詫びる。

 さすがに田舎者かつ引きこもりの黎明でも、これぐらいの礼儀はわきまえている。

 

 それを見て安堵したのか、面符の男の身体からも緊張が抜けた。

 フワリと風がそよいで顔を隠していた面符が一瞬だけ翻ると周囲から黄色い声が湧き上がった、と思ったらすぐに収まった。


 はて、と黎明が思うよりも先に侍女達の輪を割って少し年上の侍女が姿を見せる。おそらく侍女頭か何かなのだろう。

 ピシッと畏まった侍女達の姿は厳松の前で慌てて背筋を伸ばす洗冤院の同輩諸氏の姿にそっくりだ。


「何を騒いでいるのですか。仕事に戻りなさい」 


 はあいと少し残念そうな侍女達がチラチラと青藍の方を見ながら散らばっていく。


「青藍様でございますね? 皇后陛下の遣いの者から子細は伺っております。そちらは――」

「内洗冤監を拝命してございます、宦官の福円と申します。この娘は徒弟の黎明。生来、勘が鋭く洗冤には重宝してございます」


 恭しく福円が差し出した宦官の証である牌を確認し、侍女頭は納得したらしい。同じ女の黎明も思わず見入ってしまうような美しい所作で歓迎の意を表す。


「青藍様。内洗冤監ならびに徒弟のお方。ようこそお越し下さいました。私は当宮の主である李玲瓏様の侍女頭、雪華(せっか)と申します」





 通された部屋は本来は皇帝からの遣いなどを遇する部屋なのだろう。品は良いが、よくよく見れば調度や意匠が意図的に落とされていることが見て取れた。


 とはいえ、豪奢な部屋には変わりは無い。

 いまでこそ幼帝の外戚と言え、しょせんは辺境の一貴族の子息に過ぎない青藍に分かるのは二級品の素材で作られた超一級品の家具などであるということぐらいである。


 黎明はというと、そもそも調度品にも家具にも全く興味が無い。ただ、壁に飾られた詩を横目で見ながら、難しい顔で唸っているのがせいぜいだ。


「それで、宮女の霊が出るとのことですが。いつぐらいからですかな?」


 花より団子とばかりにチラチラチラチラと掛け軸が気になって仕方の無い黎明をこっそりと爪先で小突きながら、福円は沈思黙考している青藍の様子を伺った。


 面符を外して美味そうに茶に口をつける横顔は、国色天香と謳われた皇太后の甥だけあって実に端正である。黎明が年頃の娘らしい感性を持っていれば、掛け軸ではなく彼に見蕩れていたに違い無い。


「はい。あれは牡丹の盛りの頃ですから、半月ほど前になりますか。最初は侍女が幾人か騒ぐ程度だったのでございます」


 記憶をたぐっているのか雪華の視線が宙を泳ぐ。


「夜になると、池の畔に宮女の霊が出る()()()。じっと恨めしそうにこちらを睨んでいる()()()。そんな怪談程度であったので私も玲瓏様も気にとめていなかったのですが」


 そのうち、他愛のない怪談と言ってられなくなってきた。

 部屋が軋む。霊の出る夜半になると気が滅入る。侍女によっては吐き気を催す。気を失う者さえあったのだという。


 ついに侍女のほとんどが宮女の恐ろしげな姿を見るようになり、庭に近づこうともしなくなってしまった。池に近づくと宮女が恐ろしい顔で追い散らそうとするのだという。


「なるほど。概ね、私の予測した通りのようです」


 じっと話を聞いていた青藍は納得したようにうなずくと、部屋の隅に控えていた宦官から包袋みを受け取った。中から取り出したのは古びた竹簡や紙束といった、何かの記録のようだった。


「そ、それは!?」

「黎明!」


 文字の匂いを嗅ぎつけた黎明が飛びかからんばかりに身を乗り出し、静止する。なんとか自制出来たらしい。

 代わりに問いただしたのは雪華であった。


「それは?」

「この宮の記録です。無理を言って工部と将作から借りてきました。元々、ここは宮ではなく瑤海から自雨亭に水を引くための貯水槽があったようです。先々帝の御代に後宮の宮が足りなくなり、貯水槽を潰して宮を建てたようですね」

「そんなことが……」

「本当ですね。かなりたくさん増築したみたいですから、よっぽどお妃を増やしたかったんでしょうねぇ」


 想像もしなかったことを聞かされて絶句する雪華の隣で、黎明はちゃっかりと青藍が開いた竹簡を横から覗き込んで頷いている。

 

「読めるのか?」

「はい。そちらの(つづり)紙は?」

「あ、ああ。これは水道の絵図面だな。と言っても、大雑把な位置関係ぐらいで図面と言えるような代物ではないが」


 何となく毒気を抜かれたような顔で古びた紙を広げると、室内になんとも言えぬ千古の香りが立ちこめた。練香のような黴のような、古書に親しむ者には馴れた匂いだ。

 ふむふむと黎明がのぞき込むと、北苑の全体図に縦横無尽に細い線が書き込まれている。青藍が大雑把というだけあって、この宮の辺りに水道が引かれているっぽいということぐらいしか見て取れない。


 顔を顰める雪華をよそに、青藍は静かに説明を続ける。


「瑤海のここからですね。地下に水道を通していたようです。おそらくこれはまだ残っているでしょう。といっても出口が潰されているのですから、水は淀んで腐っているはず」


 そこから毒気が漏れても不思議はない。


 そう青藍が締めくくろうとした矢先、やおら部屋の扉が音を立てて開かれた。見ればまだ幼さの残る姫君が何かを堪えるような顔つきで睨んでいる。


 彼女が宮の主の李玲瓏姫だろう。


「雪華! 何をのんびりと話し込んでいるのですか!? 一刻も早く宮を移していただくという話ではなかったのですか?」 

「姫様! そのような振る舞いは主上の后には似つかわしくございませぬ。改めてくださいませ! 国の大事ならいざ知らず、小事に心を乱されてはなりませぬ」

「小事ではないでしょう。今の私にとってこの宮が城ならば、雪華らこそが礎です。礎を疎かにする者に主が務まるわけもない。間違っていますか?」


 息を整えた玲瓏姫はじっと雪華を見つめると、始めて黎明たちに気がついたかのように目をパチクリと瞬いた。すっと視線が流れて福円、黎明、青藍を見てぽぅっと頬が染まる。


「姫様」

「え、ああ。そうでした。青藍様でございますね? 皇太后陛下の甥御様とか。こたびは訴えを聞きいれていただき、誠にありがとうございます」

「そのようなこと。皇太后陛下におかれましては玲瓏姫は将来の主上の后となるやもしれぬ身。その憂いを晴らすのは当然の勤め。お気になさる必要はございません」


 先に拝礼をもって青藍に敬意を表する玲瓏に青藍もまた玲瓏を慮って礼を返す。


「それでは遷宮をご裁可いただけると?」

「必要があれば、そのように私から皇太后陛下に奏上させていただくこともない話ではございません」

「それでは、話が違います!」


 貴公子(よそゆき)の笑みを浮かべた青藍に玲瓏姫は顔色を変えて詰め寄った。


「宮女の霊が出るなど、とても恐ろしくて住めたものではございません! まして、ここには侍女も多くいるのです。侍女の誰かが取り憑かれでもして、障りが移りでもすればこの宮一つの責で済むはずもございません」

「玲瓏姫、落ち着かれよ。なに、すぐに真偽は明らかになります」

「青藍様、そのように他人行儀なことでは困ります!」


(他人行儀、ですか)


 切々と訴える玲瓏姫の様子を福円と黙って見ていた黎明は内心、首をかしげていた。


 なんというか玲瓏の態度がどうにも大げさなのだ。どこか芝居じみているというか。見えない霊が祟りを為すことを畏れている、というのは本当のことだと思う。


 ただ、玲瓏姫自身が祟られるから怖ろしいという感じには見えない。

 他人行儀なと詰る玲瓏こそ、どこか他人事のようにさえ見える。


(もしかして、気になってるのは……)


 一言二言、青藍に言葉を紡ぐたびにそっと雪華や侍女に視線を走らせているのが端から見ている黎明にはよく分かる。そんな態度の方がよっぽど黎明には気になっていた。


 青藍はというと玲瓏のそんな様子にはまるで気がついていないようだった。どちらかというと駄々を捏ねる子供をあやすような態度と言っても良い。


「なに、そもそも祟りだの気の迷いでございます。それがわかれば、姫も安心して過ごすことが出来ましょう。真実、霊が障りを為そうとしているというのであれば、その時はこの青藍が皇太后陛下のお耳に入れましょう」

「きっとですよ? その約定、果たさなければお恨み申しあげますからね?」


 どちらかというと、玲瓏姫の方が怨霊になってしまいそうな勢いである。

 少なくともさっき見た女官の霊より、よっぽど迫力がある。


 思わずくすりと笑みを零すと、それを見とがめた玲瓏姫がキッと黎明を睨みつけた。


「そなた、何がおかしいのですか!」

「あ、いえ。生きている人の方がよほど迫力があるなあ、と」


 率直すぎる黎明の言葉にその場にいた全員が思わず動きを止める。


「どういう意味ですか?」


 尋ねる雪華に黎明は少し考えてから、はにかむように答えた。

 さっき見た宮女の霊の様子は玲瓏たちを祟ってやろうという風には感じられなかった。ただ、何かを訴えたがっているのは間違いないようだ。


「誰かを祟りするような、そんなに怖い人ではないと思いますよ? 何か言いたいことがあるのは確かみたいですけど……。ただ、話が出来るかどうかはちょっと怪し気がします」 

「……どういう意味だ?」


 雪華と同じ言葉を繰り返したのは青藍だった。心なしか、顔が少し青い。


「首の辺りが赤っぽいんです。喉が切り裂かれてたりしなければいいんですけれど」


 事もなげに告げる黎明に、青藍や雪華が悲鳴のような声を押し殺す。その脇では匙を投げたように福円がそっぽを向いていた。


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