episode 31
ある時目が覚めると,何もない真っ白な空間にいた。
時間,距離,重さ,密度,温度といった概念すら存在しないような空間で,自分が今存在している場所が屋外なのか室内なのかも分からなかった。ただ1つだけ明らかだったのは,ボクが元の世界で死んだという事実だ。
転移する前のボクは全国的に名の知られた進学校に通う,医学部志望の高校生だった。ただ高校2年生の時に国指定の難病を発症し学校を休学,それから1年間ずっと入院していた。ボクが発症した病気は抜本的な治療法がなく最後の半年間は寝たきりで,多分死ぬ直前の数週間に至っては意識もなかったと思う。
だから目覚めた時はあの世というものが本当に存在したのかと驚いたものだ。自分の体を見ると病院服を着ていて,どうやら病状を別にすれば死んだ瞬間の状態らしいことが伺えた。
天国でも地獄でもないようだけれど,どちらに行くことになるかこれから審判でも下されるのだろうか。ぼんやりとそんなことを考えた時,目の前に件の神様が現れたのだ。
神様は人の輪郭を保った発光体だった。光の塊で輪郭からは性別を推測できず,会話も向こうからの発言は直接脳に語りかけられている感覚で,声から性別を推し量ることもできそうになかった。
そんな自称神様の話によると,元の世界で不遇の死を迎えた者に転移のチャンスを与えているという。神様が続けて説明した基本事項をまとめると概ね次の通りだ。
1つ,転移先の世界は元の世界における典型的な異世界ファンタジーのような世界観であること。より具体的には文明の発展度合いは16世紀のヨーロッパと同程度の水準だがいわゆる「魔法」が一般的に普及している。
2つ,いくつかの帝国を中心とした国際情勢で,国制としては君主制の他王制や一部都市では限定的ではあるが市民による自治も混在すること。転移先の国の名はエストラント王国といい初めに転移する都市は自由に選べる。特に希望がなければ商人による自治が認められたレヴァルという交易都市が転移先となる。エストラント王国に永住する必要はない。
3つ,ステータス表示という基礎能力と言語補助が全ての転移者に与えられること。職業を選ぶ必要がありこれは変更不可能である。職業によって習得できる魔法や魔力などの基礎技術が異なるが最も潜在能力が高いのは勇者である。
以上を説明した上で,神様は勇者として転移するか否か尋ねて来た。
恐らくオジサン達はこのタイミングで勇者として転移することを即決したのだろう。ただボクが好むジャンルは専ら本格ミステリーで,異世界ファンタジーにはほとんどと言って良いほど関心がない。勇者として異世界で無双するつもりがなかったからこの申し出を辞退した。
すると神様は新たに情報を追加して説明を続けたのだけど,この開示された情報というのが大きかった。正直,この情報を知っているのといないのとでは雲泥の開きがある。
先ず神様は転移する異世界が,現実には地球とは別の銀河に存在する惑星であることを明らかにした。その星の名はテラと言い,地球と同じく水に恵まれ9つの大陸からなるとのことだった。魂をそのままに,原子レベルで肉体をその惑星上で再現することで転移を実現するらしい。
違う星に転移するくらいなら地球上で生き返らせてくれとゴネたのだけれど,それはできないと素っ気なく突っぱねられた。納得がいかずしばらく不満をぶつけていたが「あくまでこれは地球上の死者に対する救済措置で,このまま転移させず死を確定させても良いのだぞ」と逆に脅されてしまった。
こちらの不平に構わず神様が続けるには,勇者とそれ以外の職業ではステータス表示で知ることのできる情報に差があるという。これは勇者が得る基礎技術のアドバンテージを補填するためのもので,勇者の方が表示されるステータスに制限がかかるらしい。また同じ理由から勇者以外の職業を選択した場合ギフトを自由に設定できるとのことだった。その上で,神様とやらは改めて勇者として転移するか否か問い詰めた。
その後も何とか生き返りを図れないかと切り口を変えて質問を続けたものの,自称神様には取り付く島がなかった。後ろ髪を引かれる思いではあったが,地球への黄泉返り諦め異世界への転移を渋々受け入れることにしたボクは,改めて提示された条件を精査した。ただ追加された情報を鑑みるに,神様の最初問いかけとは別の理由から勇者への転移を避けるべきことは明白だった。
勇者のステータス表示に制限がかかるということは,勇者にとってイニシアティブを取ることのできるステータスが存在しかつその情報を伏せておくことができる可能性を示唆している。勇者以外の職業でステータス表示に制限はないらしいことと併せて考えると情報戦・心理戦に発展する余地があるということで,自称神様は明言していないが意図的に諜報や裏切りが有効な戦略となり得る状況を作っている。しかも勇者としての転移を1度断った後に情報を開示しているため,転移した勇者だけが知らないまま競争が展開していく可能性が極めて高い。それだけ勇者の潜在能力が高いということだろうけど,策略が有効となりそうな環境でゴリ押しできるだけのアドバンテージはそこまで有利には働くまい。
何より致命的なのはギフトを自由に設定できる点だ。有限な選択肢の中からギフトを選ぶのならまだ勇者に転移する選択肢も残り得たかもしれない。しかし神様の口振りだとギフトは転移する本人が制限なく自由に設定できるようだ。これは職業によって習得できる魔法や魔力などの基礎技術に制約がかかるとはいえ,それを補い得るギフトの設定も可能であることを示唆している。単純に言ってしまえば「ぼくのかんがえたさいきょうのすきる」を自由に設定できるわけだ。これらの条件では勇者として転移するのはどう考えたって悪手にしかならない。
問題は,何故自称神様が回りくどく情報を小出しにしているのかだ。本当に善意から地球で死んだ者に救済を与えているのなら,勇者以外の職業に転移する利点を最初から説明しないのはあまりにも不親切だ。初めの説明だけではそりゃ誰だって勇者に転移することを希望するだろう。
以上の情報から導き出される結論はこの自称神様は蟲毒のような状況を意図的に,それも転移者に悟らせないよう作っているということだ。
勇者の潜在能力の高さとそれに対抗し得るその他の職業に設定されたアドバンテージは明らかに水面下での競争を煽っている。その競争というのも,転移後の世界における司法制度や立法・司法機関,捜査機関に対する具体的な言及がないことを踏まえると生殺与奪に及び得るものと見て良い。噛み砕いて言うと,自称神様は暗黙裡に原住民の目を欺いた殺人を容認しているのだ。
何故そんなことをするのか狙いも目的も分からないが,少なくとも殺し合いを煽っている神様が善意から動いているわけではないことだけは断言できる。良く異世界ファンタジー系の作品では「主人公が一見役に立たないスキルを授けられ不遇な状況に追い込まれるも実はチートスキルだった」という展開が見られるが,この神様とやらはそうしたご都合主義を許すつもりはなさそうだ。明確に,競争を生き残るようギフトをデザインすることを求めている。
言外のやり取りから推察を求めている辺り,こうした事情を直接神様に確かめることはリスクを伴うかもしれない。逆に言えば神様の要求を忖度した上でギフトを設定することは許されているということだし,そもそも詳細な情報を求めず勇者に転移するような者は端から歯牙にもかけないということだろう。




