episode 29
レヴァル南部エリアではあるが,中心街からは少し離れているため屋外から聞こえてくる喧騒は神経に触れず寧ろその活気に心地良さを覚えるほど。ここを生活拠点にすると決めたのも生活の便の良さと閑静さを両取りできると考えたからだ。暗幕をかけているため外の様子は伺えないが,人気の多い通りでは客足が増え活気付いてくる時間帯だろう。
その点ボクは来客の予定もなく,飛び入りで占いや調査依頼の客が来ない限りは今日1日のんびり過ごせそうだ。リラックスした心地でティーカップに淹れた紅茶を一口含む。
ここ最近は勇者のオジサン達からの依頼を中心に現場検証に駆り出されていたから,少しくらいゆっくり過ごしてもバチは当たらないだろう。議会から支払われる予定の分も含め,実入りは良かったから当分働かなくとも生活に困ることもない。
偶には良いもの食べに行こうかな,と考えていると玄関扉がノックされる音が響いた。
急な来客だろうか。一応は鍵を開けていた扉の向こうに「どうぞ開いていますよー」と声をかける。玄関扉が開きノックした人物が姿を現した。
「何だメアリさんか。あ,紅茶淹れようか?」
「長居する気はないわ。ようやく例の仕事が片付いてタリンに戻るから,関係各位にあいさつ回りしているだけだから」
一度腰を浮かすもメアリは素気なく断る。肩透かしを食らい鼻白むも,まだ浅い付き合いながら彼女がこういう性格であることは分かっているので食い下がるまい。仕方なく座るようソファーを勧め,ボクも腰を下ろしながらふと思いついた疑問を口にする。
「チィトさんの遺体の調査ボクに話回ってこなかったけど,結局どうなったの?」
「遺体自体は自宅に戻して火災で死亡したように偽装したわ。議会から調査団が派遣されて調べているけれど,予想通り形だけみたいね。周辺住民はテンセィの時と同じくわたし達が避難誘導済みで当人以外に人的被害はなし。専横派に加え融和派の引き取り手が無くなった遺産も議会のものになったから,物的損害はそれで十分補って余りある。勇者を喪ったことは痛手ではあるけれど,議会商人に損失はない。なら証拠が乏しく犯人を特定できる見込みが低い中,いつまでも調査にリソースを割くほど議会も馬鹿じゃないわ。初動捜査にペリトゥスを同行させなかった時点で本腰入れるつもりがないことは明らかね」
「ふーん。じゃあ結局オジサン達が転移する前の状態に戻ったようなもんか」
「それはちょっと単純化し過ぎね。わたしとしては今回の件でレヴァル住民とコネができたし,君だってあのオジサン達の後から転移してきたんでしょう? 確実に議会は君という存在の重要性を認知したはず」
「新規事業だから競合がいないってだけなんだけどねー。ボクいっつも異世界ファンタジーに専任の捜査機関や探偵業が登場しないの不思議だったんだ,自分だったら絶対登場させるのにって」
まさか自分が転移して実際にやることになるとわ思っていなかったけど,と続けて苦笑する。こっちの世界でも探偵業を誰も営んでいないのは幸いだった。もし一定数転移者が専業で展開していたなら,こうもボクが重宝されることはなかっただろう。
「……だからってその名前を名乗るのは安直過ぎない?」
これまでほとんど表情を変えなかったメアリが初めて皮肉げに微笑んだ。
「結果オジサン達に気付かれなかったから良かったものの,名前だけで何か企みに一枚噛んでいると疑われてもおかしくなかったわよ」
「一応ファーストネームだけしか名乗っていないし,ラストネームも本家とは変えているんだけどなぁ」
「分かる人はファーストネームだけで十分でしょ。それに変えているとは言えラストネームも『ルーク』って,完全に言葉遊びじゃない。初めて君の名前聞いた時は思わず笑っちゃったよ」
そう言ってメアリは今もからかうように鼻を鳴らして頬杖をつく。その態度を不快に感じるどころか却って感心を覚えた。
ボクが言えた義理ではないけれど,彼女もこちらで名乗っている名前に関して人にとやかく言える立場ではないだろうに。
「どうせなら戦車じゃなくて女王を名乗れば良かったのに」
「……生憎,誰かさんと違ってボクは尊大な性格じゃないんでね」
皮肉を返すもまるで堪えていないらしく,寧ろ愉快そうにメアリは声を上げて笑った。
ボクのエラリー・ルークという名前の由来は,もちろんアメリカの推理小説の大家エラリー・クイーンをもじったものだ。こちらへ転移してくる際職業と名前を自分で決められると件の神様から教えてもらい,それならばと探偵業を営むことを前提に占星術師とこの名前を選んだ。ラストネームをクイーンでなくルークにしたのは単純に本家を騙ることへの恐れ多さからだ。
けれどその憂慮はオタク特有の自意識過剰に終わったようで,名前の由来云々に関係なく捜査依頼は転移者からもそこそこの頻度で舞い込んでくる。推理小説オタクとしては古典がすっかり忘れ去られている現実が嘆かわしい反面,生活者としては独占に近い市場は望むべくもないという二律背反に陥っているのが実情だ。
こちらでの生活にも慣れ探偵業も徐々に軌道に乗り始めた3カ月以上前のある日,アイリーンがボクを訪ねて来た。議会から依頼され事件解決に協力した件の噂を聞いたらしく,自分達の依頼も受けて欲しいという話だった。
初めは調査か何かの仕事の依頼と思い「報酬次第で受けても良い」と気楽に応じていたのだけれど,いざその詳細を聞いてボクは仰天した。アイリーンの依頼は,平たく言えば連続殺人への協力要請だったからだ。
一体どこの世界に殺人への共犯の誘いに乗る探偵がいるというのか。当然ボクは依頼を断った。殺人の片棒など担ぎたくはないし,憲兵にしょっぴかれるのもごめん被る。
けれどアイリーンは引き下がらずあくまで殺人を犯すのは彼女達主犯でボクが直接関与するわけではないこと,犯行が露呈しないよう可能な限り証拠隠滅を図る上,万が一彼女達が捕まることはあってもボクへ依頼する仕事は罪に問うことができない類のものであると必死に説得してきた。
最終的には依頼内容に対し破格な報酬とボク自身に降りかかるリスクの低さもあって,アイリーンの形振り構わない態度に根負けしたわけだ。




