episode 16
「……やっと鎮火完了っすね」
焼け焦げ半壊した民家の1階で,ナロゥは溜め息を吐きながら額の汗を拭った。
俺が消火活動を始めてから10分と経たない内にナロゥも加勢に加わった。使いの者がただ事でない様子だったため,最初からタラリアを使って駆け付けたそうだ。予想よりも大分早く加勢が入ったわけだが,しかし勇者2人がかりでも消火には手間取った。予想以上に炎の勢いが激しかったのだ。
結局,俺が消火を始めてから鎮火まで2時間近くは経ったのではないだろうか。その間に朝陽もすっかり昇ってしまい,今は胸のすく爽やかな青空が頭上に広がっている。無残な焼け跡でなければ気持ち良く深呼吸の1つもできただろうに。
「しっかし,テンセィのクズはどこ行ってるんでしょうね。火元のようですし周りはいい迷惑ですよ。この家の人なんか半焼してもう住めないでしょうね。周囲も似たような状態ですし,こりゃ損害賠償結構行ったな」
ナロゥは消火を終え気が緩んでいるのか「いい気味だ」とテンセィへ悪態を吐く。けれど俺は妙に胸がざわついて仕方がなかった。
テンセィの姿が見えないこともそうだが,使いが向かったはずなのにとうとう消火活動を手伝いに来なかったツィホゥのことが気にかかる。嫌な予感がする。
「……取り敢えず出よう。組合の事後対応を手伝わないと」
「そうっすね」
ナロゥと共に焼け跡の痛々しい民家から外へ出る。といっても残っているのは骨組みだけで,壁は焼け落ちているためほとんど屋外のようなものだったが。
敷居を超えると,遠目に火災現場を取り囲む野次馬の姿が見える。見覚えのある紫のシュールコーを認めた途端ナロゥが元気付く。
「あっ,エラリーさん! おはようございます!」
呼びかけられエラリーは周囲の目を気にするように逡巡するも,その場に留まる方が目立つと判断したのかナロゥの手招きに応じこちらへやって来る。
「ナロゥさん,チィトさん,大規模な火災が起きたと聞いたのですがもう大丈夫なんですか?」
「火は完全に鎮火しましたよ。見ての通り被害は甚大っすけどね」
「チィト,ナロゥ! って何だ,エラリーも来ているのか。ちょうどいい,3人共ちょっとこっちに来てくれ」
消火の陣頭指揮を執っていたメンテースが焼け跡から出て来た俺達に気付き声をかけた。どうやらエラリーとも顔見知りらしい。そういえばメアリがエラリーには議会に証拠を提出して事件を解決した実績があると話していたか。
メンテースは俺達を呼びかけると完全に焼け焦げたテンセィの自宅の敷地へ顔を引っ込める。俺達は顔を見合わせ,鎮火を終えた民家からテンセィの自宅跡地へ向かった。
「火事の原因を調べているんだが,手伝ってもらえるか」
敷地内で何やら調べているらしいメンテースは,やって来た俺達の姿を認めると開口一番そう申し出た。テンセィの自宅跡ではメンテースの召し使いが焼け跡を調べていた。その中に混じるペリトゥスの姿も見える。
「それは構わんが,被害確認は後回しでいいのか?」
「建物の被害が大き過ぎる。損害賠償の見積もりには時間を要する上人手が足りない。今日緊急で議会を開き調査団を派遣することになるだろうな。だが幸いにも周辺住民は皆避難できており人的被害は確認されていない。ただ1人連絡の取れないテンセィを除いてな」
「まさか」
ようやくその可能性に思い至ったらしい,ナロゥがはッと息を呑む。メンテースは重々しく頷いた。
「まだ確定ではないが,ちょうどいいというのはそういう意味だ。ギルドを通していないが議会からの依頼と認識してもらって構わない。報酬金額は議会の承認を経た後正式に提示されるが,一先ず実費は私が持とう。エラリー,証拠集めの専門家は君だ。これより全権を君に預ける」
エラリーは沈黙したまま煤色に塗れる瓦礫の山を見回す。やはりシュールコーが汚れることを懸念しているらしく,太もも付近を摘まみ裾を上げきょろきょろと残骸の上を歩き回った。
「……玄関は表通りに面していたんですよね。だとするとそこの玄関付近の瓦礫を掘り起こしてください。逃げ遅れた可能性を先ずは疑うべきです。それでも遺体が見つからない場合は,就寝中火事に気付かず亡くなった可能性があります。一般的に玄関から離れた場所を寝室に選ぶ傾向があるので,今度は逆に玄関とは反対側から探しましょう」
それから2時間以上,エラリーの指示に従い『現場検証』は続けられた。
俺とナロゥも手伝い玄関付近の焼け焦げた瓦礫を撤去してみたが,火災の原因はもちろんテンセィの生存を裏付ける手がかりは得られなかった。そのため今度は玄関とは反対側の瓦礫の撤去が始まった。メンテースの召し使いでさえそれでも姿を現さないテンセィに言及しなかったのだ,皆薄々その事態を想定していた。
やがてテンセィ自宅跡から,真っ黒に焼け焦げた遺体が発見された。
遺体は衣服が完全に焼け落ち,皮膚も黒く炭化し高温に晒されたことが伺える。髪は焼け上がり頭部全体が真っ黒に焦げているのはもちろんのこと,鼻や耳などの突起部分は焼け落ち,眼球も焼け溶け眼窩には虚空が覗く。これでは譬え血縁であっても身元は確認できないだろう。
遺体の両腕は拳を固く握りまるでボクサーが防御姿勢を取るように肘が曲がり,両膝も鋭角に湾曲している。ひび割れた皮膚の下に褐色に変色した真皮が見え,鈍く日の光を受け生々しかった。内臓の水分喪失によるものだろう,焦げ切った腹部は扁平に沈んでいる。せめて性別だけでも判別できないかと股の間に目を向けるも,こちらも焼け落ちてしまい性別の判定すら不可能な状態だった。
誰も口を開こうとしない重々しい空気の中,焼死体を見下ろすエラリーは静かに口を開いた。
「……ペリトゥスさん,この遺体の魔傷痕の鑑定をお願いできますか?」




