episode 15
「んあ……?」
不意の意識の覚醒に戸惑い薄眼を開ける。
見慣れた自宅の寝室は仄暗く,かろうじて中の様子が分かるレベルだ。まだ朝ぼらけらしい。
いつもより遥かに早い起床の理由に思い当たらず,困惑しながら体を起こす。まだ朝陽が昇り切るまで余裕があり二度寝したいところだが,到底寝付けそうにないくらい目が覚めてしまった。
取り敢えず顔でも洗おうかとベッドを出る。
「火事だ!」
不意に家の外から聞こえた叫び声にはッと寝室の窓に駆け寄る。カーテンを払うも窓の向こうは暗く,普段と変わらない近所の民家が何とか見えるくらいだ。火事が起きているのはこちら側ではないらしい。
ガウンを脱ぎ捨てブリオーとブレーに着替える。マントルを纏うと慌てて階下に駆け下りた。
家を飛び出すと,同様に火事に気付いたらしい近隣住民が家の前に出て互いに様子を伺っている。その内の何人かは驚いた顔で住宅地の東側の方向を見ており,その目線を辿ると空が赤く染まり濛々と白煙が立ち込めていた。かなり規模の大きい火災のようだ。
すると寝巻のまま飛び出してきたらしいローブ姿の中年男性が,慌ててレヴァル中心部の方から舗道を駆けてくる。俺に気付くと右腕を大きく火事が起きている方向に振った。
「チィト! 火事だ! 起きたのなら消火を手伝ってくれ!! 消費した魔力分の回復薬は組合が出す!」
この辺りのインフラの維持・管理責任者で議会商人でもあるメンテースの言葉を聞き,俺は弾かれたように火の手の上がる方へ走り出した。
火元に近付くにつれ逃げ惑う住人の数が増す。腕に覚えのある者は消火を手伝わんと火災現場へ向かっているようだ。
「俺以外に勇者は呼んでいないのか!?」
「東エリアに住んでいない勇者の元には使いを向かわせた! テンセィは正に火事が起きている付近に住んでいるはずだが姿が見えん!」
火災そのものに由来する破裂音や風切り音に悲鳴が混じる中,メンテースは掻き消されないよう怒声を上げる。実際に火災現場近くに住んでいるテンセィはともかく,専横派の連中は俺達に丸投げする公算も低くない。
俺は思わず舌打ちする。ナロゥとツィホゥの家は遠い。当面は俺1人で対応する必要がありそうだ。
すぐに火災現場に到着した。火の手はその熱で絶えず流れの変わる風に揺らめきながら轟音を上げている。パチパチと何かが燃える乾いた音に,時折ドンッと爆ぜるような衝撃音が響き地面が震えた。
昼間のように明るく周囲を照らしながら密集する住宅を炎は飲み込んで行く。特に炎の勢いが強いのは周囲よりも一際大きな民家だ。この住宅が出火元らしく隣接する家々にゆっくりと延焼が広がっている。
ドラゴンによる炎系の魔法攻撃を連想させる熱波に思わず怯む。息をする度に焦げた臭いと煙の混じる空気の苦い味を感じた。
「直接水を生成する魔法は魔力消費が多過ぎる! 水源から持って来い! ここから100ydも行かないところに湖があるだろう!!」
水系の魔法を使い消火に当たっている住人達にメンテースが叫ぶ。加勢しようと両手を上げ魔法を発動しようとした瞬間,はッと駆け出した。
「危ない離れろ! 倒れるぞ!!」
火元と思われる民家の壁が上階からばらばらと崩れ始める。炎を纏った瓦礫が周辺に落下して行く。俺は消火のため逃げ遅れた住人の襟を掴むと急いでその場を離れる。
次の瞬間,地響きのような轟音を立てながらその住宅は崩れ落ちた。
倒壊した勢いで火の粉が空中を舞う。慌てて右手の人差し指を立て「ネレイデス」と唱えると,指先に水玉が浮かび螺旋を描きながら水流が広がる。簡易発動だが火の粉を消すだけならこれで十分だろう。
「おかしい……どういうことだ?」
動揺し震える声に振り返ると,メンテースが困惑と焦燥の入り混じる顔で今倒壊した家の瓦礫を見つめていた。
「どうしたメンテース?」
「……この家なんだ」
「何がだ?」
「……この家はテンセィの自宅なんだ」
「何だって!?」
驚きを禁じ得ず俺は叫んだ。
どういうことだ? 何故テンセィの家で火事が起きた? いやそもそも当人はどこだ? 自分の家が燃えているのに消火しないどころか姿を見せないのは何故だ? というか,こんな時間に出歩くか? 普通なら寝ているはずじゃ……
呆然と俺は崩落した住宅の残骸へ目を向ける。瓦礫を燃やす炎は不気味に揺らめき続けた。




