第2話:盗賊少女カナエ、仲間になる気ゼロ☆
王都に近い交易都市――大陸の交通の要衝であり、各地から商人と旅人が集まる活気ある街だった。
朝の光が街道の石畳に反射し、まばゆいほどのきらめきが人波を照らす。
左右には色とりどりの布で飾られた屋台が並び、香ばしい焼き肉の匂いやスパイスの効いたスープの香りが漂っている。
露店の呼び込みの声と、馬車の車輪が軋む音、子どもたちの笑い声が入り混じり、街全体が賑やかな喧騒に包まれていた。
「……人、多すぎ……」
フードを深くかぶったアスタルテは、歩くたびに人の肩とぶつかりそうになり、そのたびにびくっと肩をすくめた。
魔王城の静けさとは真逆の賑わいに、彼の心はすでに限界寸前だった。
人の視線を過剰に意識してしまい、周囲から聞こえる笑い声がすべて自分に向けられているような錯覚さえする。
「魔王クン、顔死んでるよ☆」
隣で元気いっぱいの声を響かせるのは勇者ルミだった。
彼女は人混みを苦もなくすり抜け、視線を左右に忙しなく動かしながら市場の雰囲気を楽しんでいる。
アスタルテとは対照的に、人混みに混ざることがむしろ楽しくて仕方ないといった様子だった。
「……なんで俺たち、こんなところに来たんだっけ」
「決まってるじゃん! ここに超腕利きの盗賊がいるって聞いたの。仲間にしよっ!」
ルミは屋台の串焼きの匂いをかぎながら軽快に答える。
アスタルテは人混みに揉まれながら、ようやくその言葉を理解した。
「……え、盗賊?」
「うん☆ 名前はカナエちゃん。スラム街育ちの天才スリ師らしいよ」
「天才スリ師を仲間に……? それ勇者的にどうなの」
「いいのいいの! そういう子ほど心を開いたら頼もしいんだよ♡」
ルミのポジティブ理論に、アスタルテは口を開きかけたが、ツッコミの言葉が見つからず結局飲み込んだ。
勇者が盗賊を仲間に、という構図に慣れないのもあるが、そもそも自分は人と関わること自体に慣れていない。
だがその直後、違和感がアスタルテの全身を走った。
「……っと」
腰のポーチがふっと軽くなる感覚。反射的に振り返った。
そこには、黒髪の小柄な少女が人混みの中に立っていた。
年齢は十代半ばほどか。鋭い目つきと、感情を読み取らせない無表情が印象的だ。
彼女の左手には、先ほどまで自分の腰にあったポーチがしっかりと握られていた。
「それ……」
「返す気はないけど?」
少女――カナエは短剣の柄に手を置き、淡々とした口調で言った。
声は冷たく、周囲の喧騒とは別の冷気をまとっているようだった。
「この街でスられる方が悪い。金貨も魔石も、全部もらっていく」
「は、早い!?」
アスタルテは自分の鈍さに愕然とした。
相手の気配すら察知できないうちにポーチを抜き取られ、完全に消えた。
「やっぱりカナエちゃんだー!」
ルミが嬉しそうに駆け寄る。
だがカナエは無表情のまま、その手を冷ややかに振り払った。
「知り合いみたいに呼ばないで」
「アタシ、勇者のルミだよ☆ 仲間にならない?」
「……は?」
カナエは心底呆れた顔をした。
その表情には「何を言ってるんだこの女」という感情がありありと浮かんでいる。
「いきなり何言ってんの?」
「だってカナエちゃん、超強いんでしょ? アタシたちと世界救わない?」
「……バカなの?」
カナエの短い一言が、アスタルテの心にぐさりと刺さった。
「そんな危ないことする理由ないし。盗賊は自分のためだけに生きるの」
「えー、世界救うとか超楽しいのに☆」
「……楽しさの問題じゃない」
カナエは鋭い目でルミをにらみつけた。
その視線には、他人との距離をはっきりと線引きする冷たさがあった。
「第一、あんた魔王と一緒にいるんでしょ? どう考えても危ないわよ」
「え、なんで魔王って……」
アスタルテの背筋が凍りついた。
カナエの目はフードの奥に潜むアスタルテの顔を見抜いていた。
その視線はまるで獲物を仕留める狩人のそれで、アスタルテは反射的に一歩下がる。
「隠すの下手ね。そっちの男、ただ者じゃない」
「うっ……!」
完全にバレていた。
言い訳をしようと口を開いた瞬間――。
街の鐘がけたたましく鳴り響いた。
「――襲撃だ! 魔族兵器だ!!」
緊迫した声が広場全体に響き渡り、周囲の喧騒が一気に恐怖の悲鳴へと変わった。
黒煙が空に昇り、建物の向こうから巨大な異形の影が突進してくるのが見えた。
「なっ……!」
カナエが立ち止まり、ルミが剣の柄に手をかける。
周囲では市民が悲鳴を上げながら四方八方に逃げ惑い、混乱は瞬く間に広がっていく。
「魔王クン、やるよ!」
「う、うん!!」
ルミの叫びにアスタルテは頷き、両手を広げて魔力を集中させた。
「――《虚空結界》!!」
透明な光のドームが広場を包み込み、突進してきた魔族兵器の巨体が結界に激突して火花を散らした。
振動が地面を揺らし、周囲の屋台が吹き飛ぶ。
「ちょ、ちょっと……あれ、魔王クンの魔法?」
結界の中で安全を確保しながら、カナエが目を丸くしてアスタルテを見つめた。
「……見せたくなかったけど、仕方ない」
アスタルテは額の汗を拭いながら顔を上げた。
「俺は魔王アスタルテ。《灰の蛇》を止めるために、ルミと旅をしてる」
「灰の蛇……?」
カナエの表情がかすかに動く。
「この街を襲ってる兵器も、あいつらが作ってる。放っておけば世界が終わる」
「……っ」
カナエの手が短剣の柄を握りしめた。
だがすぐに顔を背け、吐き捨てるように言った。
「……別に興味ない。生き残るのが一番だから」
「なら一緒に戦おうよ!」
ルミがにっこりと笑った。
「アタシたちの結界の中なら安全だよ☆」
「……軽いわね、あんた」
「うん♡」
「肯定するな……」
アスタルテが小声で突っ込む。
結界の外では魔族兵器が雄叫びを上げ、何度も突進を繰り返していた。
そのたびに結界がきしみ、アスタルテの魔力はじわじわと削られていく。
「……くっ!」
「魔王クン、下がって!」
ルミが前に出て、剣を振り抜いた。
だが装甲の厚い魔族兵器は容易には倒れない。
「これ、結界がなくなったら市民もやられるわよ!」
カナエが短剣を構える。迷っている時間はなかった。
「……分かった。今だけ力を貸す」
「カナエちゃん……!」
ルミが目を輝かせた。
「勘違いしないで。終わったら消えるから」
「はいはい☆」
カナエはため息をつき、素早く魔族兵器の背後に回り込んだ。
その動きは風のように素早く、敵は反応すらできない。
短剣が魔力の核を突き破り、魔族兵器の巨体がけたたましい音を立てて崩れ落ちた。
「――終わり!」
爆発音と共に広場に静寂が戻る。
「……ふぅ」
カナエが武器を収め、額の汗を拭った。
ルミが嬉しそうに駆け寄り、満面の笑みを浮かべる。
「カナエちゃん、やっぱ強い! 仲間になってよ!」
「……断るって言ったでしょ」
「えー、今の一緒に戦ったのに☆」
「私は盗賊。群れるのは嫌い」
カナエは短剣をくるくると回し、冷たい目でルミを見た。
「けど……《灰の蛇》のこと、少しは気になる。調べるだけならいいわ」
「よっしゃー! それ仲間ってことで♡」
「……はぁ」
完全にペースを持っていかれ、カナエは深いため息をついた。
「魔王クンもよろしくね」
「え、えっと……」
アスタルテは慣れない人付き合いに戸惑いながらも、小さく頷いた。
こうして――盗賊カナエが加わり、世界救済チーム(仮)は三人になった。
灰の蛇の魔族兵器襲撃の中、カナエは渋々ながら共闘。
彼女がチームに加わる未来はあるのか――?
次回、胡散臭いけど超有能な男が現れる!
魔王クン、完全にペースを乱される…!?
※感想や応援が魔王クンを救います(汗