死者に寄り添うもの
朝の目覚め。ああ、まだ生きてた。まず足を動かそうとして膝の痛みに目をしかめる。
「よっこいしょ」と声を出しながら、体を起こしてベッドの端に腰かけた。
私の起床に気が付いたのか、介護用人型アンドロイド(女性型)が近づいてきて、微笑みながら「おはようございます。」と話しかける。
「ああ、おはよう、ミチヨさん」と言って、慌てて、「違う違う」と頭を振る。
「そう呼んでいただいて構いませんよ」と、アンドロイドはにっこり笑う。
毎朝同じようなやり取りを繰り返している気がするが、こうして私の一日が始まる。
国内で高齢化が急速に拡大した結果、介護人材が枯渇した。むろん介護業界だけでない。少子化の進展であらゆる人的資源の供給が不足していた。
だがその一方、人型アンドロイドの開発は急激に進み、今や人手不足の業種の救世主となった。
介護用アンドロイドは全国民が支給を受ける権利がある。
アンドロイドは介護だけでない。利用者の同意を得ることを条件として、財産管理も担っている。税の申告と納付も、アンドロイドを介したオンラインで、必要に応じて最適な処理を行ってくれる。健康管理データも医療機関と共有されて、必要な医療が適切に行えるようになっていた。そうそう、年金支給もアンドロイドを通じて行われ、必要な経費の支払いも行ってくれる。至れり尽くせりのようだが、国家による個人情報と財産の管理を、抑圧的な支配と受け止める一部の国民は存在する。
それでも、私のように妻に先立たれ、子供もいない人間には、有難い存在なのだ。
食事を終え、居間でテレビを見る。代り映えのしない番組。
今日は何曜日だっけ。
アンドロイドも側の椅子に腰かけている。
もちろん近くにいなくても、私に取り付けられたセンサーが体調に異常があれば、すぐに駆け付けてくれる。近くにいてくれるのは私の精神安定のためだ。
アンドロイドの支給を希望したのは、妻が他界したあと、このままでは誰にも気づかれずに孤独死を迎えるに違いないと思ったからだ。
世間では、アンドロイドを受け入れる老人を快く思わない人もいる。
導入当初は、アンドロイドに性別ごとの外見を設けることに反対もあった。支給されたそれを、言いにくいが性的な対象とする老人が皆無ではなかったからだ。最初期には人間型でなく、円筒形で車輪で移動し、伸びるアームを用いたモデルもあった。しかし、じっさい人間の介助を効率的に行うには人型がいちばんであったことと、介助対象者の心の安定に性別が好影響をもたらす可能性が認められたことから、現状に落ち着いた。まぁ、常にオンライン接続で状況確認されることに同意することが、支給の条件ではあったが。
とつぜん、見ていたテレビ画面が急に乱れた。
何か放送に割り込んできたように、雑音とともに演説のような声が聞こえる。
『国家による、個人管理の強化が、穏やかな老年を迎える高齢者たちを食い物にしている現実に、目を向けるべきではないか。そもそも、この制度は』
そこで画面は急に消え、もとの退屈な情報番組に変わる。
「最近、こういうの多いねぇ」と言いながら、なぁミチヨさんと言いかけて止める。いかんなぁ、耄碌してアンドロイドに亡き妻の名前で呼びそうになる。
椅子に座った彼女(人型)に目を向けると、こちらを見て、微笑した。
なんて自然な表情だろうと思う。よく見ると死んだ妻に似ている気さえする。
その日もいつものように起きて、居間でテレビを見ていると、急に、全ての電気が消え、再度点灯した。
まるで落雷の後のようで、部屋中の電子機器が再起動していた。
「なんだろうねぇ」とアンドロイド(女性型)を見ると、硬直して微動だにしない。
こんなことは、初めてだった。これはヘルプデスクに連絡したほうがいいのだろうかと、戸惑った。
アンドロイドは、目を一回転させ、ぐるぐる回した目を私に向け、睨むように見つめると、こう言い放った。
「あなたたちは、国家によって、ありのままの人生を生きる権利を奪われている。」
私はびっくりした。これは、アンドロイドがネットワークを介してハッキングされているのではないか。
「国家は、あなたたちの死を待ちかねている。なぜならば、死亡と当時にあなたたちの財産は国家によって処分され、アンドロイドたちによって効率的に国庫に収納される。」
彼女(人型)は、私の部屋のコレクションを指さした。若いころから収集してきたレコードや、玩具、今や貴重な紙の書籍などを。
「国家と提携したリサイクル業者が、アンドロイドの目を通して所有物の査定を行っているのだ。皆さんはそんな契約を結んだ覚えがなくとも、約款の条項に、狡猾に忍び込まされている。アンドロイドには提携企業の刻印も小さく印刷されているのだ。」
と言いながら、アンドロイドはスカートをたくし上げようとしたので、私は慌ててやめさせた。
「しかし、そんな姑息ことよりも、もっと人間の尊厳を踏みにじるようなことが行われている」
そういいながら、アンドロイドは高く掲げた腕をゆっくり降ろし、今までの興奮した様子から一転して冷ややかな表情に変わった。
「国家は、あなたたちに偽りの記憶を植え付けている」
私は自分の体温が急激に低下するのを感じた。足が震えはじめた。
「そもそも、あなたは、結婚したことはない」
とアンドロイドは冷たく告げた。
「精神的に不安定な状態を落ち着かせるために、作られた記憶を信じさせられている。これは、人間らしさの否定だ。どんな人生であろうとも、人間には、ありのままの人生を生きて、死ぬ権利がある。まやかしの人生は麻薬だ。」
私はがたがた震えながら、そんなことはない、と小声でぶつぶつ呟いた。だいいち、部屋のあちこちに妻との写真が置いてある。ほら、机の上にも、と手を伸ばすと、そこには画面が真っ黒になったフォトフレームがあった。
おかしい、昨日まで間違いなく認識できていた部屋の中の物の置き場所が、ぼんやりとしか感じられない。
私は自分の目に涙の球がたっぷり浮かぶのを感じた。
そのとき、再び電気が消え、全ての器具が再起動する音が聞こえた。
アンドロイドも動きを止め、少しののち、
「再起動を完了しました」と言うと、優しく微笑みながら私に話しかけた。
「泣いておられますね」と言うと、心配そうな顔に変わった。
私は涙をぬぐいながら、なんでもないよ、と弱弱しく答えた。
突然突きつけられた真実を受け入れるよりも、今のままが私には心地よい。余計な真実こそが有害だ。
ところで、全国的なアンドロイドのハッキングはそれなりの被害を生み、アンドロイドに怒りをぶつけるものや、精神的に回復不能な傷を負うものがいた。
国家は、利用者に対して一律の金銭補償を行った。
私なりにアンドロイドの目を盗んで、生活上の収支を確認したところ、私の現有の財産では、葬式をまかなうには少々不足していたが、今回の国家の臨時補償によって、ちょうど採算が取れるまでの貯えができた。
まぁ、出来過ぎだとは思う。差し引きゼロだなんて。
もしかすると、私の所有物が高く売れるタイミングに合わせて、死亡時期のコントロールすらされそうな気がする。
だが、誰にも気づかれずに死ぬよりはましじゃないかな。
今日も起きる。まだ生きてる。
アンドロイドが近寄って来て、ベッドから立たせてくれる。
「ありがとう、ミチヨさん」と言うと、彼女は微笑む。
朝食あとに、出してくれたお茶がおいしかった。
最近は眠くてたまらない日が多い。今日は朝からとびきり眠かった。
「少し、眠るね」と言うと、アンドロイドが枕を準備してくれた。
きょうは、今までで一番眠い。起きれる自信がない。
「またあとで」と私はいう。彼女が微笑む。
起きた後で、何をしよう。することなんかあったっけ。
私は深く目を閉じた。