雨漏り
雨漏りと聞くと、憂鬱な気分になります。
「あ、こっちにも!ほんと嫌になっちゃう!」
玄関に僕を立たせたまま、彼女はパタパタと走り回り、部屋のあちこちに食器やボウルを並べていく。
「せっかく来てもらったのにごめんなさいね。
このところ雨漏りがひどくって…やだ、また!!」
彼女は皿を手に話を続ける。
「もう!片付けだってやらなきゃいけないのにちっとも進まなくて。
出張で2日家を空けただけでこの有様よ。」
彼女の言う通り、夕日が照らす部屋はお世辞にもきれいとは言えない様子だ。
「彼氏さんと住んでるんでしたっけ」
尋ねた僕の目には、テーブルの上の吸い殻入り灰皿が映っている。
「そうなの。
3年…いえ、4年になるかしら。
家のことは分担してるはず、なんだけどね」
言いながら、彼女はコップを床に置いた。
「この部屋だけじゃないのよ?
トイレも、お風呂だって掃除しないといけないし。」
ため息をつく彼女の手にはマグカップ。
「お風呂は酷かったのよ。
お湯は溜めたままだし、お酒の瓶なんかも転がっててね。
とりあえずザッとは片付けたけど…」
そこまで言って彼女は動きを止める。
「…違う。あれは化粧水の瓶だわ。」
ピチョン、と、水の滴る音が響く。
「あの日、出張から帰ったら彼はいなくて…」
ピチョン…ピチョン…
「明るいままのお風呂場に行ったら浴槽に水が溜まってて…」
ピチョン…ピチョン…ピチョン…
「鏡の落書きを見たの。
彼と、知らない…女の名前の相合傘…。
洗い場には…使用済みの…が散らばってて…。
後退りした私の足元には…化粧水の瓶が…」
彼女の足元には、自分の髪から滴る水が溜まっていく。
その水溜まりの中で彼女は顔を上げた。
「そっか。
私、あの時死んだのね。」
困ったような悲しそうな笑顔を浮かべ、彼女は僕の後ろに現れた男を見ていた。
「どうっすかね?はらえそっすか?」
タバコの煙を吐き出しながら、男は面倒そうに尋ねる。
「マジ、なんなんすかね?
あいつが死んでからどうにも部屋ん中がジメジメしてて。
やっぱ、風呂場で死んだの関係ある感じっすか。」
迷惑そうなため息にもタバコの臭いが混じっている。
「どうなんでしょうね。
よくわかりませんが、僕が救いますよ。」
「あざっす」
男はヘラヘラと次のタバコに火をつける。
「別にこのまま引っ越せばいいって思ったんすけどね。
気に入ってるんすよ、ここ。」
「思い出、ですか?」
僕は一応聞いてみる。
「立地っすね。
駅近いし、買い物も便利だし。」
男は煙を吐きながらニヤリと笑う。
「あいつの親が部屋解約したら、新しいオンナに契約させるつもりっす。
普通の家賃だとキツイけど、もうここ、“ジコブッケン”ってやつでしょ?」
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去っていく男を見送って、僕も帰り支度をする。
「落ち着くまで僕のところにいますか?」
背中を向けたまま、水溜まりに座り込んでいる彼女に声をかける。
「でも、私、死んでるのよ。」
ピチョン、と、水の滴る音がする。
「大丈夫です。
言ったでしょ?
僕が救うって」
振り返った彼女は、困ったような嬉しそうな笑顔を浮かべていた。
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